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沼御前(ぬまごぜん)は、沼に住む女の妖怪。水木しげるによって、視覚イメージ化された。
「老媼茶話」にある話はこうである。会津の金山谷の、沼沢の沼の奧底には、沼御前という主が住むという。
正徳年間、猟師が夜明けに、この沼へ鴨を撃ちに出かけた。沼の向こう岸に、二十歳ばかりの鉄漿(おはぐろ)をつけた女が、
腰より下まで、水に浸かってたたずんでいた。髪の長さは二丈ほどもある。
猟師は、怪しんで鉄砲に弾を込めて狙い撃った。弾は女の胸板を貫き、そのまま沼に沈んでいった。
たちまち、沼底から雷のような大音響とともに、水面は激しく波打ち始めた。黒雲が空を覆い、沼の水は湧き上がって白煙があたりを覆い隠した。
大雨大風はその後三日三晩続き、金山谷は真っ暗になった。人々は大変驚き、恐れおののいたが、雨が止んだあとは特に何も起こらず、猟師も無事だったという。
沼の主の伝説は、他にもある。福島の大沼にある沼沢湖にも、主と伝えられている大蛇が潜むという。
沼御前と同じく、髪の長さが2丈もある若い美女に化け、更には、人を惑わせたり襲ったりしていた。
鎌倉時代に、村人の恐れるこの大蛇を退治するため、領主が数十人の家来を率い、船を出す。
口々に、大蛇をののしる言葉を吐くと、空が曇って雷鳴が轟き、大入道が現れた。
これこそ、大蛇の化身と立ち向かったが、荒れ狂う波に船が揺れて、大入道もろとも、沼の底へと呑み込まれてしまう。
やがて荒波と共に、大蛇が苦しみつつ姿を現した。領主たちは、大蛇に飲み込まれながらも、刀で大蛇の腹を斬り裂いて脱出したのだ。かぶとに縫い付けられていた観音菩薩が、大蛇から身を護ってくれたのだった。
こうして大蛇は退治され、その頭を斬り落として土に埋めた。しかしその後も、大蛇の怨念は、地の底から機を織るような音で、人々を脅かしたので、祟りを鎮めるため、沼御前神社を建て、大蛇を祀ったという。沼沢湖にま、今でもこの伝説を再現した祭礼がある。
この伝承には、異説もある。退治されたはずの大蛇が、その後も生きていたというストーリーだ。
江戸時代の弘安年間、沼沢湖で泳いでいた娘が行方不明になった。数日後、村に滞在していた上総国の山伏が、娘を嫁に貰うという条件で、娘を探し当てることを請け負った。
山伏は三日三晩、滝に打たれて断食祈願をした末、娘の居場所を言い当てる。娘は助け出されたものの、言葉もなく、ただ泣くばかりの毎日だった。
ようやく娘は、沼御前は昼に機を織り、夜には乙姫様のような姿から恐ろしい大蛇に変身すると明かしたのだった。
宮城には、次のような伝承もある。伊豆沼のほとりに住む貧しい農夫が、美女と出会う。沼の主の大蛇が、美女に化けて現われたのだ。伊勢参りに行くための路銀をやるから、富士の裾野の沼にいる妹に、手紙を届けてくれという。
伊勢への途中、富士の裾野で、旅僧である六部に会った男が次第を話すと、六部は手紙を見せてみろという。手紙には何と、男が毎朝沼の草を刈って困るので、この男を呑み込めとあるではないか。機転を働かせた六部は、沼に良くしてくれる男だから栗毛の馬を贈れと、書き替えてくれた。
男が、富士の沼へ行き、三回拍手すると、女が現われた。手紙を渡すと姫は苦労をねぎらい、栗毛の馬をくれた。
男は再び六部に会い、伊豆沼の主に事が知れると災難があるから、知らぬ土地へ行って暮らせ、と助言される。
男は言われたとおりに、栗駒山に移り住む。そして、馬に一日一合の米を与えると、一升の金貨を生み、大金持ちになったという。