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妖怪足長手長について

◆妖怪足長の概要

足長手長は九州に伝わる妖怪とされている。
足長は「足長国」の住民で手長は「手長国」の住民。
特徴は足長がその名のとおり足が長く、手長は手が長い。足長人は「大常」と呼ばれ、手長人は「小常」と呼ばれる。
江戸時代の百科事典とされる『和漢三才図会』では足長は足の長さが3丈、手長の腕の長さは2丈とされている。1丈は3.03mなので足長の足の長さは9.09m、手長の腕の長さは6.06mとなる。
海で漁をする時は足長と手長一組で必ず出かけ、足長が手長を背負い手長が魚を獲るという。
歌川国芳の『浅草奥山生人形』に足長手長の魚を獲る様が描かれている。

松浦静山の随筆『甲子夜話』では月が綺麗な夜に釣りをしていた者が9尺(約2.7メートル)もの脚の者が海辺をうろついているのを発見したという。その後しばらくすると天候が悪化し暴雨に見舞われた。
同行していた従者は9尺もの脚を持つ者は「足長」と呼ばれる妖怪で足長が現れると必ず暴雨になると語っている。

足長人と手長人の2種の妖怪で構成されており福島県では夫婦とされている。
その場合は足長が夫で手長が妻である。
福島県では足長手長があまりにも雨を降らし住民が困ったため弘法大師が壺に封印し磐梯山の頂上にて退治をしたという民話が残っている。
これを紹介する。

◆福島県猪苗代町に伝わる足長手長伝説

むかし磐梯山には足長手長という化け物が住んでいた。
その足長という化け物は名前の通り足が長く足を伸ばすと磐梯山から隣の博士山や明神嶽まで一度にまたいで歩けたという。
空を真っ暗にして大雨を降らし、その怒鳴り声はものすごく怖かったとされる。

手長の方もその名前の通り手が長く手は磐梯山から出るほどの長さで猪苗代湖の水を手ですくい、会津盆地にばらまいたり顔を洗ったりしたとされる。
その時周辺の天気は大荒れになった。
足長が息を吹きかけると大風が起き、手長が水をまくと大雨になるのである。
辺り一面は大洪水になる。

毎日霧が起き、作物が取れなくなり村人たちは食物に困った。
そこへ旅の途中の弘法大師が化け物を退治してやろうと村人に声をかけた。
弘法大師はボロボロの服を着ており痩せこけ、とても足長手長を退治できるようには見えなかった。
しかし弘法大師はお経を唱えながら磐梯山を登って行った。
山頂に着くと弘法大師が足長手長を大声で呼ぶと足長手長は現れた。
弘法大師は足長手長に
「お前たちは出来ないことはないと言っているらしいがそれは本当か?」
と聞いた。
「その通り。俺達に出来ないことはない」
と足長手長。
「ではもっと大きくなれるか?」

すると足長手長は得意気にみるみる大きくなっていき天まで届いてしまった。
「うーん、これはすごい」と弘法大師。
「しかし大きくはなれるが小さくはなれないだろう?」
「小さく?どれくらい小さくだ?」

弘法大師は小さな壺を取り出し
「この壺に入れるくらい小さくはなれるか?お前たちには入れないだろう?
と言った。

足長手長は「ふん!」と胸を張りながら小さくなり壺の中に飛び込んだ。
弘法大師は足長手長が入ったのを確認すると壺の蓋をきっちりと閉じ衣の裾で丸めた。
足長手長は壺の中で大暴れしたが蓋は開かなかった。

弘法大師はその壺を頂上に埋め封印した。
村人は弘法大師を讃えてそこに磐梯明神を建てたとされる。
その側には清水は湧いており今でも流れている。
この清水を弘法清水と名付けられ、磐梯山に登る人はその清水を飲み、力を付けるとされている。

余談であるがこの足長手長と手長足長は別の妖怪である。