産女・姑獲鳥・憂婦女鳥

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妊婦が子供を身ごもったままで死ぬと、妖怪に変化すると信じられて来た。この妖怪が産女・姑獲鳥・憂婦女鳥(うぶめ)である。この迷信は、日本では広く分布している。
古くは「今昔物語集」に、姑獲鳥の伝承が書かれている。源頼光の四天王の一人として知られる卜部季武(うらべ・すえたけ)が、肝試しをしていると、川の中から姑獲鳥が現われ、この妖怪から赤子を受け取った。
ここから、早くも平安時代から、姑獲鳥が知られていたことがわかる。
唐代に成立した「酉陽雑俎」や、北宋の「太平広記」には、夜行遊女という妖怪の記述が見られる。夜行遊女は、若い母親から赤子を奪うという、怪しい鳥の妖怪。中には、子供を身ごもったままで死ぬ、つまり産褥死者が化けた場合があったという。
更に、「百物語評判」には、姑獲鳥は時に啼(な)くとあり、「奇異雑談集」にも、抱いた赤子が泣くとともに、姑獲鳥も啼くという。日本でも、姑獲鳥、憂婦女鳥と、「鳥」の文字が入るのは、この伝承が、大陸から伝播した痕跡が残っているからだろう。
我国には、死んだ妊婦をそのまま埋葬すると、「姑獲鳥」になるという迷信が、古くからあったようだ。妊婦が産褥死した場合は、腹から取り出して、母親に抱かせたりして葬るべきと考えられて来た。
死に様が悲惨なせいか、姑獲鳥は多くは血に染まった腰巻きをまとい、子供を抱いた姿で出現する。一つには、死んだ妊婦は血の池地獄に堕ちると信じられていたことが背景にある。
また、清浄な火や場所では、当時は女性が忌避された。特に、妊娠をタブーとする迷信は根強かったのだ。関東では出産時に、「血塊(けっかい)」という不吉なものが現れると伝えられ、出産時には屏風をめぐらせて、血塊がが縁の下に侵入するのを防いだ。
姑獲鳥は、抱いていた子供を誰かに渡せば、何らかの功徳が得られたようだ。福島の会津や大沼では、姑獲鳥をオボと呼ぶ。人に会うと赤子を抱かせ、自分は成仏して消え去り、抱いた者は赤子に喉を噛まれるという。
オボに遭ったときは、男は農具のナタに付けている紐、女は頭巾や手拭を投げつけると、オボがそれに気を取られるので、逃げられたという伝承もあった。また赤子を抱かされてしまった場合でも、赤子の顔を反対側へ向けて抱けば、噛まれずに済んだという。
佐賀の姑獲鳥は「ウグメ」と称した。夜中に、道行く人に子供を抱かせて姿を消すが、夜が明けると抱いているものは大抵、石や石塔、ワラ打ち棒に変わっていたという。
姑獲鳥から赤子を受け取ることにより、大力を授かる伝承もあった。島原では、この大力は代々女子に受け継がれていくといわれ、秋田では、こうして授かった力を「オボウジカラ」と呼んだ。
鳥を思わせる名称も、各地に残っている。茨城では、「ウバメトリ」と呼ばれる妖怪が知られる。夜に子供の服を干していると、このウバメトリがそれを自分の子供のものと思い込み、目印として有毒の乳をつけるという。
長野の安曇では、姑獲鳥をヤゴメドリといい、夜に干してある衣服に止まるといわれ、その服を着ると夫に先立たれるという。
今治の姑獲鳥は、声、または泣き声だけだった。死んだ赤子を捨てたと伝えられる川から、赤子の声が聞こえると、夜道を行く人の足がもつれたという。この声に対しては、「これがお前の親だ」と、履いている草履を投げると声が止んだという。
磐城国では、龍神が灯すといわれる怪火・龍燈が現れて陸地に上がるというが、これは姑獲鳥が運んでいるといわれる。
長崎の壱岐では「ウンメ」「ウーメ」と呼び、難産で女が死ぬと妖怪に変化すると伝えられ、宙をぶらぶらしたり消えたりする、不気味な青い光として出現する。