役小角

主に山へ籠もり、厳しい修行を重ねる山岳信仰が仏教と習合した修験道。この開祖と言われているのが、役小角(えんのおづぬ・おづの)だ。
役小角は、役行者とも呼ばれ、鬼神を使役できるほどの法力を持っていたという伝承があった。左右に前鬼と後鬼を従えたイメージで、広く知られている。
「日本霊異記」によると、文武年間に役小角は、金峯山と葛城山に橋を架けようとした。橋が架かると、一言主(ひとことぬし)という神が困ってしまう。そこで、他人の口を借り、役小角が天皇を脅かしていると、噂を広めた。怒った天皇は、役小角を捕えようと試みたが、怪しい術を使うので、一筋縄には行かない。そこで役小角の母親に縄をかけると、あっさり観念し、役小角は伊豆大島に流されたという。しかし、昼は命令に従っていたが、夜になると秘かに、富士山に登って修行を始める。
役行者は毎晩、流刑先の伊豆大島から、海上を歩いて富士山の麓まで行き、霊山に登っていたのだ。
この間は、鬼神を使役して、水を汲みに行かせ、薪を採らせ、何の不自由なく生活していたと伝わっている。
3年の月日が経ち、恩赦を受けて、役小角は都に帰ることがかなう。この後、孔雀明王の呪教を修めて仙人となった。
孔雀明王は、密教特有の尊格である明王の代表的な存在で、孔雀の上に乗り、一面四臂の姿で表されることが多い。インドでは、孔雀が害虫や毒蛇を食べることから、孔雀明王は、災厄や苦痛を取り除く功徳があるとされた。後に日本で、毒を持つ生物を食べることが、煩悩の象徴である三毒を食べて、仏道を成就できるという解釈が生まれている。雨を予知するともいわれ、雨乞いにも関連したらしい。
仙人になった役小角は、空を飛べる能力も具えていた。
更に、飛んで大陸に渡り、虎に変身した。日本から留学していた僧が、途中の山中で、五百匹の虎を相手に仏教を説いていると、虎の一匹が役行者だったという。
役小角を落しいれた一言主は、今なお、恨まれているから、縛られ、身動きが取れないという伝承もある。
このエピソードには、もともと日本を治めていた国津神と、天から降臨した天津神の相克の関係が背景にあると思われる。
役小角の出生についても、次の伝承がある。天空に金色に輝く金剛杵が浮かんでおり、これが静かに降りてきて 口に入ってしまうという不思議な夢を見た母親が、役小角を授かったという。また、部屋にはまるで蘭の花で埋まっているかと錯覚するほどの良い香りが漂い、役小角自身が、手に一枝の花を握って、生まれたとも言われている。
もともとは、役行者が20代の頃、藤原鎌足の病気を治癒したといわれたのが、超能力を持つとする伝説の始まりだろう。
役小角は実在の修験者で、天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など多くの修験道の霊場に、役行者を開祖としていたり、修行の地としたという伝承がある。
はっきりしているのは、古代、飛鳥時代から奈良時代にかけて、修業を重ね、日本独特の、神道と仏教を合わせた修験道の基礎を固めたという点だ。
10代の若さで、元興寺で孔雀明王の呪法を学び、その後、葛城山で山岳修行を始めた。熊野や大峰の山々で更に修行、吉野の金峯山で金剛蔵王大権現を感得し、修験道の基礎を築いたと言われている。
今日まで伝わる役小角のイメージは、室町期以降に書かれた伝記「役行者本記」や、仏教書に書かれた伝承、絵巻や彫像などが醸造したものである。描かれた姿は、長頭巾(ときん)をかぶり、高下駄を履いて、岩にこしかけている仙人が一般に知られている。

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