大猫(おおねこ)

大猫(おおねこ)は、日本各地に伝わる巨大猫の怪異譚である。代表的なものは、江戸時代の瓦版に記録がある「江戸麻布の大猫」や、同時代の随筆集『新著聞集』の「紀州熊野の大猫」、日本各地に民話伝承などがある。

・「江戸麻布の大猫」
江戸麻布・笄町笄町(こうがいちょう/現在の港区南青山6・7丁目~西麻布2・4丁目)付近の下屋敷から、お付ききの盲目の針医師が、治療の帰り道に消息を絶った。しばらく行方がわからなかったが、数日後、畑で発見され、正気を取り戻した。下屋敷では、狐に化かされたのだろうということで、狐釣りの名人たちに頼んで狐狩りを行った。その結果、捕まったのは狐ではなく、3尺2寸もの大猫で、尾が二股に割れていたということであった。

・「紀州熊野の大猫」
随筆集『新著聞集』によると、貞享2年(1685年)5月。紀州熊野(現在の三重県の南部で尾鷲市・熊野市を中心とする地域)の山中の洞窟に虎のような獣がいるという噂で、里の犬や狐などを捕えて食べ、人を追いかけることもあったという。銃を撃つと素早く逃げたが、ある者が仕掛けで捕えたところ、それはイノシシほどの大きさの大猫だったという。

・「土岐山城守の大猫」
文政元年(1818年)8月中旬、浦賀奉行の内藤外記の屋敷の台所に、何かの獣が出て、飯を喰い、魚などを盗んだ。また、門番たちを化かしたり、奥方の名を呼ぶなどの現象が幾度もあった。それで、外記の命で落とし罠を作ったところ、罠に何かが掛かったいうのでと引き出させると、虎のような大猫で、黄色に黒の縞模様も虎そのものであった。珍しい猫だというので、つないでおいたところ、噂に伝え聞いた土岐山城守から使いが来て、「先年、山城守が道中で貰った秘蔵の飼い猫が逃げてしまい、どうもその猫のようなので返してほしい。」とのこと。外記は、猫を騙しとろうとする者かと思い、断った。すると再び使者が来て、「どうも間違いがなさそうなので、不審ならば、この親類衆にお問い合わせください。」と五人の名前を書付にして持ってきたが、中には阿部備中守などの名前もあったという。ちなみに、猫の名前は『まみ』であったそうだ。その後、返されたのかどうかは不明だが、この話自体は、内藤外記本人が直接語った話だそうである。

・「泊まり山の大猫」
『北越雪譜』によると、飯士山(いいじさん/新潟県南魚沼市と南魚沼郡湯沢町にまたがる山)の東に阿弥陀峯(あみだぼう)という山があり、昔、百姓たちは雪の少なくなる頃にこの山に入り、木を切って薪を生産していた。村人はこれを「泊まり山」と呼んでいた。この山には水がなかったので、樽を背負って、谷川まで水をくみに行っていた。ある時、七人の若者が薪作りをしていたら、山あいに響きわたるような、大きな猫の鳴き声が聞こえてきたので驚いて襲撃に備えていた。しかし、姿を見せなかったので後でその場所へ行って見ると、雪の上に丸盆のように大きな猫らしき足跡があったという。

・「ネコと茶釜のふた」
伝承ばなしによると、昔、腕の良い猟師が山から下りてくると、家の前で一匹の子ネコが鳴いていたので、その子ネコを、飼う事にした。それから十数年後のある日、猟師の家に村の名主がやって来て、「山に恐ろしい化け物が現れて、村人たちが災難にあっているので、退治してもらいたい」と言って頼むので、猟師は化け物退治を引き受け、さっそく、鉄砲の玉を、いろりばたで作り始めた。猫が見ているようだったので猟師は隠し玉をお守りの中に忍ばせた。次の朝、猟師は化け物退治に出かけ、山中を歩き回るが、化け物は現れず、山小屋に泊まることにした。真夜中、何者かが、足音を忍ばせて近づいて来る音がしたので、猟師が鉄砲を取り小屋の隙間から外をのぞくと、暗闇の中に、ピカピカと二つの目玉が光っていた。そこで、鉄砲の引き金を引くと、カチーン!と、何かにはじかれてしまい、次から次へと鉄砲を打ち込むものの、全てはじかれて、ついに玉が無くなってしまった。それで隠し玉を込めて打ち込んだところ、化け物はものすごい叫び声を上げると、そのまま山奥へと逃げていった。血の跡をたどって行くと、その先にイノシシよりも大きなネコが死んでいた。猟師が家に帰ってみると、いつも出迎えてくれるネコがおらず、茶釜のふたがなくなっていた。猟師は山へ戻るとネコの亡骸を持ち帰り、手厚く弔ってやったそうである。

・「魚津の大猫」(実話)
1968年、12月8日、魚津市新田の山田源平が山中で茶色の大きな猫に襲われ、2メートルの棒で打ち殺したそうである。体長68cm、尾の長さが22cmだったという。富山県林政課が国立科学博物館に鑑定を依頼した所、家猫が野生化したものだろうということだった。

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