猩々について

◆猩々の概要

猩々は古くから中国に伝わる架空の動物である。
中国にて3世紀に書かれた「礼記(曲礼の篇)」では「鸚鵡能く言へども飛ぶ鳥を離れず。猩々能く言へども禽獣を離れず。今人にして礼無くんば、能く言ふと雖も亦禽獣の心にあらずや。」(鸚鵡能言、不離飛鳥、猩猩能言、不離禽獣)とある。
「オウムは上手にしゃべることができるが、結局は飛ぶ鳥である。猩猩も上手に話をすることができるが結局は動物である。今日人であっても礼節を知らなければいくら弁舌が達者であっても心は動物と同じである。」という意味である。
猩々は「話ができる動物」とされている。
仏教の律書のひとつ「十誦律」(404年ごろ)では猩々が2本足で歩くことから猿や孔雀、オウムなどと一緒に鳥の仲間として分類されている。

「礼記」成立の3世紀以前にも猩々という言葉はあり、最古の地理書とされる「山海経」にも猩々は登場する。
この「山海経」の内容は今日的な地理書ではなく「奇書」であり、空想的な妖怪や神々の記述が多く記載されている。
ここでの猩々の猩の字は犭+生という字だが、猩々と同じ動物であると考えられる。
「獣がいる。そのかたちはさるのようであり、白い耳があり、伏して歩き、人のように走る。その名はショウジョウ(←ここの表記が犭+生々である。)」これを食べると良く走れるようになる。」(南山経一の巻)—001
「ショウジョウは人の名を知る。この獣は豕(いのこ)のようで人面、帝俊を葬った地の西にいる。」(海内南経)―562
 「獣がいる。人面で、名はショウジョウという。」 (海内経)—797

この「山海経」は紀元前403年から220年までの間に作られた書物とされる。
かなり古くから猩々は存在していたようである。

「本草綱目」にも猩々は登場する。そこでの猩々は「熱国に住み、毛の色は黄色子どものような声をしている。時に犬のように吠え、人の言葉を理解し、人の顔や足を持ち、酒を好む動物である」とされる。

猩々が日本にいつごろから伝わったかは分からないが、承平年間(931~938)に書かれた「和名類聚抄」には「中国に伝わる、人面にして酒を飲む不思議な生き物」として紹介されている。

中国や日本に伝わった初期の頃の猩々はあまり良いイメージを持たれていない。
ただの変わった動物として記載されているだけである。
しかし近世になって来ると「人間に福をもたらす神の化身」というイメージが定着してくる。
それは能の演目にある「猩々」の影響が大きいとされる。

◆能の演目「猩々」

むかし潯陽の金山というところに、高風(たかふう)という名前の親孝行な若者が住んでいた。
彼は、「市場でお酒を売ればお金持ちになれる」という神妙な夢のお告げによって酒売りとなった。
店は順調に繁盛し、高風はしだいに裕福になっていった。
そのころ、店に不思議な客が毎日やってきた。いつも酒を飲んでいくのだが顔色まったく変わらない。
不思議に思った高風はその客に名前を尋ねた。
「自分は海中に住む猩々である」と告げて立去っていった。
驚いた高風が川のほとりで酒壷を用意し、一晩中待っていると猩々が現れる。
猩々は高風と共に酒を飲み、高風の親孝行ぶりをほめたたえた。
酔いがまわったところで舞を舞い、いくら汲んでも尽きることがない泉のような酒壷を彼に与えて、ふたたび海中に帰って行った。

以上が能の演目「猩々」のストーリーである。
能の演目の猩々は「神の化身」のような扱いになっている。

能が成立した室町時代後期は戦乱の世であり能のストーリーも暗いものが多かったがこの「猩々」は明るい話であり庶民にも親しみやすかった。
そして江戸時代に入ると能は庶民の間にも流行する。
その中で猩々は「赤い顔をした陽気な酒の神様で親孝行の象徴」というイメージが定着することになる。
そして祭りや魔除けの神などにも登場することにもなる。
現在でも愛知県名古屋南部地域には「猩々」大人形が存在し、地元の祭りで登場している。

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