短編2
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大社の話

初めて投稿させて頂きます。

今回は怖い話とゆうか、地元の大社にまつわる昔話をさせて頂きます。ご興味のある方だけ読んで下さい。

僕は大阪のザビエルで有名なあの堺市の出身なんですが、堺市西区に鳳(おおとり)とゆう街があり、大鳥大社とゆう大きな神社があります。

旧官弊大社、延喜式内 和泉国 一之宮の大鳥大社は御祭神を日本武尊と大鳥連祖神の二柱として、同じ式内社の大鳥北浜神社・大鳥美波比神社・大鳥井瀬神社・大鳥羽衣浜神社と併せて大鳥五社明神と呼ばれています。

昔、日本武尊が伊勢で亡くなり、その屍は白鳥となって飛び去り、大和国琴引原から河内国古市を経由して、この地に留まったので社を建設しました。

日本武尊にまつわる白鳥伝説は全国各地に存在してるそうで、この堺市の大鳥大社は総本社として格をもち千葉県の柏市の大鳥神社を始めとして全国各地の神社に分祠されてるらしいです。

白鳥伝説の広まった天武天皇から天明天皇の頃に創設されたといわれています。

斉〇2年(←○のとこ漢字忘れた)8月18日に記された、なんちゃら神鳳寺延喜帳という資料に

始めたて三妃を祭り神宮造営中 大鳥五社明神と名付け奉る

とあり、記録として残るこの以前から存在してた事になる神鳳寺というのは大鳥山勧學院神鳳寺と言って、和銅元年に元基(堺出身の名僧で生涯に建てた寺は堺の家原寺を始め49寺院も存在)が創建した。簡単に言えば、寺と神社が一緒になってたってこと。

神鳳寺は家原寺とならぶ大寺院だったが、兵火で炎上し慶長7年11月に豊臣秀頼が再興。

その後、再び戦乱で荒廃したが寛文2年3月に徳川家綱が石川土佐守利政を奉行として本殿を造営させ元の姿に。

だが神鳳寺のほうは慶応4年6月の神仏分離令によってすべて取り壊され、ご本尊は堺の光明院に移されました。

現在も敷地内には、寺跡をおもわせる所がたくさん残ってます。

大鳥大社は立ち入り禁止の敷地が広くあって、そこは竹林や深い森になってました。

子供の頃に塀によじ登って竹林を覗いたんですよ。

やっぱり、寺やったんやなぁっと思いました。

ごめんなさい、続きます。

怖い話投稿:ホラーテラー 堺ッ子さん  

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