中編4
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新聞

この作品はフィクションです。ホラー小説として読んでいただけたら有難いです。

もう朝なのか、夜なのか。

日の当らないこの部屋ではそれすら分からない。

暗い目をして、ぼくはパソコンの画面に目を落とす。

[コンコン]

「んん」

戸を叩く音に、ぼくは振り返ることもなく答える。

食器がカチャカチャと音を立てるのが聞こえた。

僕はかれこれ二年間、母の顔を見ていない。

最初はふとしたことがきっかけだった。

今ではその理由すら思い出せない。

誰かに何かを言われたような気がするが、何を言われたかまでは覚えていない。

とにかくぼくは、部屋にこもる日が多くなり、やがて家の外に出ないようになった。

自分では全く実感がわかない。

時々焦燥に駆られることもあるが、かといって現実的な危機感があるわけではない。

ただ茫然と、目の前の事実を受容していった結果、こうなった。

食器の盆が置かれてから数分後、ぼくはドアを開け、用意された食事を一瞥した。

さして特別な献立ではないが、毎日ぼくのためにこれを手作りしているのだと思うと、心が痛む。

今日はあまり食欲がなかったが、残さず食べることにした。

家にこうして閉じこもっている僕が母にしてやれる唯一の親孝行は、食事を残さず食べることだけ、そう思うからだ。

いや、そうじゃない。

その気なれば家を出て、求人広告を取りに行くことぐらいできるはずだ。

だが「その気」になれないのは、この薄暗い部屋での生活、そこに暮らすぼく自身が、ぼくの「本性」になってしまったからだと思う。

そう、ぼくは元からこういう人間だったんだ。

そんな風に思えば、少しは救われるような気がした。

ある日、母が食器に入った盆の横に、新聞を置いていた。

何の変哲もない、ただの新聞だ。

何のために置いたのだろう。

まさか、これを読め、と言うことか。

新聞なんて読んで何になるんだ。

必要な情報があれば、自分で検索すればいい。

と思いつつも、僕は新聞を手に取り、何の気なしに目を通した。

もともと活字は嫌いな方じゃない。

新聞紙を開くと、乾いた紙とインクの匂いがする。

この部屋には異質な匂いのような気がした。

どう形容したらいいかわからないが、これはたぶん「社会」の匂いだ。

毎日決まった時刻に出勤し、満員電車に揺られ、残業に身を削る人。

そんな人たちが読むためのものなんだ。

すぐに放り出しても良かったが、僕は一通り、興味のある欄だけ読むことにした。

次の日も、母は新聞を置いた。

その次も、その次も、毎日。

次第に僕も、新聞を読むことが習慣になった。

母は新聞が届くとすぐにそれをぼくに届けるようになり、それにつられ僕も早起きをするようになった。

新聞を開いてまず見るのが、テレビ欄だった。

この部屋にはテレビはないが、こうして今日やる番組を見ていると、次第に曜日の感覚が戻ってくる。

日の昇らないうちに自然に目が覚め、新聞を開く。

その時だけはまるで、本当の「社会人」になったような気がした。

新聞を読む習慣が付くと、今度は生活が規則的になってきた。

夜更かしをすることもあまりなくなり、朝は頭が冴え、食欲も出た。

そうして食べ物をじっくり咀嚼しているうちに、身体に気力が満ちてくるような気がした。

人間はもともと、時間感覚によって活動してきた生物だ。

生活リズムが正しくなれば、自然と心身の働きもスムーズになる。

新聞の中にはせられた広告を見るたび、ぼくの中にほんのわずかだけ、ある衝動が生まれる。

外に、出たい。

思えばこんなことを思ったのは久しぶりかもしれない。

その日はいつもと違っていた。

何か、言いようのない動機に突き動かされていた。

母が玄関を出てしばらくすると、僕は部屋を出て、それからしばらくうろついた。

鏡を見ると、伸びきった髪と髭と、久しぶりに見る自分の顔があった。

とりあえずできるだけ身だしなみを整えると、ぼくはノブに手を掛けた。

そうして日光が差し込むと、目の奥が僅かに痛んだ。

新聞受けには、まだ取り出されていない新聞があった。

たしか今日も新聞は僕の部屋に届けられたはずだが。

日付を見ると、2005年4月8日とあった。

今から二年前、か。ずいぶんと古い新聞だ。

一面記事では自殺事件に取り上げられていた。

そしてある一文に、僕の目は釘付けになった。

「中山志津子(51) 死亡」

中山志津子。僕の母の名だ。

同姓同名かと思ったが、そこにあった顔写真は母のものだ。

部屋に帰って、何度も新聞を見直した。

何度見ても、そこに書いてあることは変わらない。

ボクの母親は死んだんだ。

じゃあ、今まで僕に食事を運び、新聞を届けたのは誰なんだ。

訳もなく、手が震えた。

[ガチャン]

ドアのカギを開ける音が聞こえた。

反射的に僕は、その場にうずくまった。

階段を上る音がきこえる。

次第にその音は大きくなり、やがてドアの前で止まった。

[コンコン]

戸を叩く音が聞こえる。

僕は答えない。

それから二カ月がたつ。

新聞が届くころあいになると目が覚めるが、ぼくは毛布にくるまり、息を殺す。

未だにぼくは、この同居人が誰なのかわからない。

怖い話投稿:ホラーテラー 聖仕官さん  

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1970
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