長編12
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邪兒 #獅子

(第五話です)

夢が終わり、夢をみた。

何度目だろう

森森とした山中を進む僕

見上げれば、高く聳え頭上を覆う、樹々

その向こうに、空は無い

なにも無い

この山だけが、世界からきりとられて

前方はまっくらなのに

躊躇わず歩んでゆけるのは小さな手が僕をひっぱってくれるから

腕の先はみえない

ふと、視界の隅に白いモノ

闇に浮かぶ、顔

白い鼻、白い頬

闇い口元

首を吊って宙に浮いた躰が横に揺れているのは

風が彼女を優しく撫でるから

気付けば小さな手は消えて

ここからは僕一人で

祠が見守ってくれている気がして

蝉の声が雨のように降り注ぐ。

五感が、針で突き刺されたように飛び上がり覚醒した。

 

 那波「…………室。………おい室!!」

大窓の傍らで突っ伏している室。まさか。

不吉な考えを押しのけ、祈るような気持ちで仰向けにし、口元に手をかざす。

息をしている。

全身から力が抜け、その場にへたりこんだ。

ふと室の頬を見ると、細く白光りする一本の筋。

泣いている。

そういえば俺の頬も、普段よりクーラーの風を敏感に感じ取っている気がする。

触れてみると、やはりひんやりと熱を失った泪で濡れていた。

 

 室「…あの女は…わからない。…すごい力だった。でも憑き神じゃない。俺とおまえ同時にみえていたからな。……」

 

 那波「黒い子は…俺たちを助けてくれたのか」

 

 室「わからない。…記憶がない。だが少なくとも女は…俺たちに敵意を抱いていた。なにもなかったことが不思議なくらいだ」

 

 那波「俺の周りのモヤは消えているか」

 

 室「いや。…もうワケがわからない。……森の中にある祠の夢は、おまえもみた」

 

 那波「ああ。…起きたとき、いや夢をみている最中も、…寂寥感っていうのか。とにかくものすごく…淋しかった」

 

 室「…実際に泣くくらいのな。…」

目を覚ました俺たちは、翌日の朝を迎えていた。

冷房の発する人工的な冷気に嫌気がさし、窓を全開にして朝の空気を部屋の中にひきこむ。

あまりにも唐突で、夢のようだった。いや、実際夢だったのではないかと疑ったほどだ。

しかしそうだとしたら、一体どの時点から。

そう考えると、やはりあれは紛うことなき現実だったと言わざるを得ない。

そして、わかったことは何ひとつない。

真実は細かい断片となってそこら中に散乱しているのに、それらをひとつに紡ぐことができない。

同時に、なにか重大な事実を物語るひとかけらを、見落としているような不安があった。

二人とも茫然自失といった感じで、短い会話が終わりを告げた後は長い沈黙が訪れた。

沈黙を破ったのは、笠井からの電話だった。

着信したケータイは床に落ちていたから、エンジン音のような轟音を撒き散らした。本来だったらそこまで大きい音ではないはずだが、この状況では心の臓が破裂しそうなほどにびっくりした。

 笠井『那波、今から食堂に来れるか。学科のみんなで集まっているんだ』

 

 那波『…わかった。支度が出来しだいそっちに向かうよ』

 

 笠井『あと、石川が意識を取り戻した。身体的にも精神的にも、なんら異常は無いようだ。明日には退院できるだろ』

 

 那波『ほんとうか。よかった。…教授は…』

 

 笠井『教授も意識を取り戻した。頭蓋骨に多少の変形はあったものの、脳に損傷は無かったそうだ』

 

 那波『…これでひとまず心配事がひとつ減ったな。…ちょっと待ってて』

 

 那波「室。今から大学に向かうことになった。学科仲間が集まっているそうだ。来るか」

 

 室「…もちろんだ」

 

 那波『もしもし。俺と一緒に、室って友達も連れてく。……強力な助人だ』

 

 室「おいおい……」

 

 笠井『そいつは楽しみだ。…今俺に伝えたのは、こっちで滞りなく紹介を済ませるためかな』

 

 那波『さすがだな。話が早い。そっちでちょいと先んじて伝えといてくれると助かる』

 

 笠井『いきなりこっちで紹介したら、フリーズ必至だからな。特に篠崎とか』

 

 那波『室は信頼できる。…まあ会えばわかるさ』

 

 笠井『篠崎には特に念を入れとくよ』

 

 那波『そういうおまえも半信半疑なんだろ』

 

 笠井『…まあね。でも俺は確たる証拠なしに独断はしない人間なんだ。実際に会って自分で判断するさ』

 

 那波『一時間くらいでそっちに着くと思う。…じゃあ』

俺のマンションは大学にかなり近い位置に立地していて、5分も歩けば正門に着く。

室には、学友の中にはおまえに対して懐疑的な態度をとるやつもいるかもしれない、と予め伝えておいた。しかし当の本人はそういうことを全く気にしていないようだ。

 室「俺はみえるから信じている。…信じてるというか、当たり前で考える必要もない事になってる。…見えない者が神霊を信じようが信じまいが、それは俺の価値観が入り込む余地のないところだ」

食堂で、十数人の学科生がテーブルを囲んでいるのが外から見える。

それを見るなり、突然室が口をおさえて膝をつく。指の間から苦しそうな吐息が漏れる。

 那波「どうした室!!」

 

 室「……いや。……………」

吐き気を催しているようだった。

それをむりやり抑えつけて、鼻から勢いよく空気を吸い込む。室の背中全体が、別個の生物のように怒張する。おそらく肋骨も翼のように広々と開展しているはずだ。

そしてゆっくりと静かに息を吐き出してゆく。ただしその過程には、今にも毀れて噴き出すほどの熱を帯びた意志が秘められているのが判る。激する内力が、室の体内に潜む悪氣をことごとく体外に追い出す。

これが呼吸なんだ、そう素直に思った。

 室「…もう大丈夫だ。……」

 

 那波「…ほんとかよ。……顔色最悪だぞ」

 

 室「俺はおまえの周りに褐色のモヤがあると言った。それが、あそこの学科生全員から溢れだしてる」

 

 那波「……吐き気がするほど悪いモノなのか」

 

 室「…わからない。でもあいつらを見た瞬間、視覚ではなく嗅覚にうったえられた。…おまえ一人では何も臭わなかったから、多人数、しかもあの学科の者が集まることによって表面化したのかもしれない」

 

 那波「……相変わらず俺はなにも感じない。……どんな臭いなんだ」

 

 室「単純にくさいとかじゃない。……惨いんだ。どこまでも惨たらしい匂いなんだ」

 

 那波「…無理するな。そんな状態で皆に会わすことはできない」

 

 室「いや、それじゃ俺はなんのためにここに来たのかわからない。それに気をしっかり持てば堪えられる。…俺のことは気にするな。自分たちの心配をしろ」

室の両眼には有無を言わさぬ光が宿っていた。

そうだ、他人の心配をしている余裕が今の俺たちにあるはずがないのだ。

室はこの一年半、それこそ血の滲むほどの壮絶な苦行に堪えてきたのだ。彼自身がそのことは一番よく解っている。俺に彼のことを心配する資格などない。

何気なく放った一言が室を侮辱していたことに気付き、自分の軽率な行いを恥じた。

 笠井「おっす。隣の方が室さんだな」

 

 那波「そうだ。皆もよろしく頼む」

学科仲間が、まるで異物でも観るような目で室を覗きこむ。俺はさりげなく笠井を睨みつけた。

 笠井「…さっきも言ったが、室さんは信頼できる人だ。…と那波が言ってた」

なぜそんなややこしい言い回しをするのか。無性に腹が立った。

 笠井「それに俺たちの力になってくれるんだ。温かく迎えるのが礼儀ってもんだろ」

 

 篠崎「で、室さんは具体的になにをしてくれるんだ」

 

 那波「俺たちは今危険に晒されていて、助けを乞う立場だってことを忘れんな」

 

 篠崎「なにか知ってるみたいな物言いだな。じゃあ俺たちにはどんな危険が迫っているんだ。こっちはとにかく具体的な情報が欲しいんだ。なあ室さん。一体なにが俺たちを襲ってく―」

 

 室「寺島君だな」

室の視線の先には、確かに寺島が居た。

俺は寺島の名前こそ出しはしたが、顔も、声すら知らせていない。なぜ寺島を特定できたのか。それは常人にはわかりえぬ領域なのだろう。

俺自身が驚愕していたためか、周囲の人間もその一言の背景を理解した。

この男は、寺島を寺島と知る特殊な術を持っている。

しかもそれは事前に与えられた情報からの分析ではなく、今、この場で寺島を観て判断できるのだ。

六芒星の痕からか。違う。あの場所からでは絶対に痕は見えない。

もちろん初めから寺島を見知っていたと決めつけることは容易だった。

しかし室の発する空気は、ただの一言で懐疑の眼差しを一掃する気勢に充ちていた。

 那波「…なんで寺島が判ったんだ」

あの篠崎でさえ言葉を失っているのを見て小気味よく感じたときには、そう問いかけていた。

 室「…ここで言う必要はない。とにかく、俺は皆の力になりたくてここに居る。なにか最近変わったことがなかったか、各々記憶を仔細に辿ってみてほしい。なんでもいい。どんなに小さなことでも」

さきほどまでの雰囲気は一変し、室が中心となって場がまとまってゆく。すぐに石田が挙手した。

 石田「これはさっきみんなにも言ったが、昨日メールが一通送られてきた。差出人は不明。着メロさえ鳴らなかった。気付いたら受信ボックスに入ってた」

 

 室「…問題が記されていた」

 

 石田「その通り。内容は石川の二の舞になりたくないから言わないが、なんとか、解けそうだ」

 

 笠井「そのことで意見を言わせてもらう。これまでの出来事を総合してみると、俺たちが厄介になっているモノ、仮にそれを『化け物』と呼ぼう。化け物は、問題に関する情報及び問題を解くのに役立つ情報がやりとりされるのを快く思っていないらしい。ということは、俺たちが講義に出るのも危ないし、テレビを点けるのだってそれが教養番組だったら化け物にとっては障害になる。安全策をとるならば、あらゆる情報から俺たち自身を隔離する必要がある。…武器は脳みそひとつってことだ」

 

 那波「今この場にいないやつらは何をしてるんだ」

 

 笠井「講義に出てるか、遅れてくるかだな。今のところ二十人程度が集まる予定だ。…こんな非常事態に期末テストの心配をできることが信じられない」

 

 篠崎「テレビについては、昨日点けてみたがなんの問題もなかった」

 望月「そう簡単な問題じゃないぞこれは」

 

 笠井「…そうなんだ」

 

 望月「篠崎がテレビを点けても無事だったのは、まだ出題されていないからかもしれない」

 

 笠井「出題前は何をしてもいいが、出題中の情報収集は許されないってことだな」

 

 望月「まるでテストだな」

 

 笠井「まさに。大学の期末テストより、こっちのテストの方が遥かに大事だ。単位がどうこう言ってる場合じゃない」

 

 那波「今まで起きた事を振り返っても、誤答した場合になにが起こるかは想像を絶する」

 

 篠崎「仮に、本当に自己同一性が奪われたら、洒落にならん。生きていけない」

 

 丹羽「確かにな。毎日朝を迎える度に鏡に映る人間が別人なんじゃ、気が狂って当たり前だ」

 

すると同席していた奥島が、静かに手を挙げた。全員の視線が一斉に注がれる。

 奥島「昨日、下宿先に帰る途中のコトなんだけど」

 

 室「…なにがあったんだ。詳しく聴かせてくれ」

 

 奥島「…途中おっきなマンションがあるの。その脇を通って家に帰るんだけど、そのとき変な音がしたんだ。なんか…太鼓を叩いたときみたいな。でも響いたりはしなくて、こもったような重い音。で、その音はマンションの方向から聞こえたから、そっちに目を向けてみた。……そしたら、女の人が上から落っこちてきて…」

 

 笠井「…冗談だろ。飛び降り自殺目撃したのか。いや待て…」

 

 奥島「…そう。さっき聞いた音とまったく同じだったんだ。女の人が落ちたときの音。本当はそんな余裕なかったはずなんだけど、変だなって思った。じゃあさっきのはって。そしたら―」

 

 室「無理に話さなくていいんだ。思い出したくないことなら話すべきじゃない」

 

 奥島「でも…聴いて欲しいの。私一人じゃおかしくなりそうで…」

突然奥島が泣き出してしまった。堪えていた感情が溢れだしてしまったようだった。

隣の丹羽が奥島の肩に優しく手を置いた。さらに嗚咽がひどくなった。

彼女が落ち着くまで待とう、という室の意見に皆が同意した。それまではしばらく休憩をとることにした。

自動販売機に足を延ばす者、トイレに用を足しに行く者、少し離れたところで密談を交わす者。

5分ほどして再び全員が席に着いたとときには、彼女も大分落ち着きを取り戻したようだった。

 室「大丈夫か」

 

 奥島「うん、ありがとう。…さっきの続きなんだけど。……変だなって思ってたら、地面にうつ伏せになっていた女の人が、いきなりすっと立ち上がったんだ。びっくりしてその場で腰抜かして動けなくなった。………そのまま飛び降りたマンションをよじ登ってくんだ」

 

 室「よじ登るって…どんな感じで」

 

 奥島「普通に。普通って言ったら変だけど、這い登って、って感じかな。後ろ姿が虫みたいだった。とにかく、すごい捷さで登るんだ」

脳裏にあの半襦袢の女が浮かんで身震いした。

 奥島「屋上まで登ると、また飛び降りるんだ。それを延々繰り返してる。へたりこんだまま動けないでいたら、その女の人、どこかで見たことあるって気付いた。服装が見たことあるものだったし、背格好も、なにもかも見憶えがあるの」

 

 笠井「その先は言わなくていい」

 

 篠崎「どういうことだ。最後まで話してくれ」

奥島の両手は互いに固く握りあい、震えていた。

 

 奥島「それ………私だった」

全員が奥島を見つめたまま完全に固まった。

 奥島「………そしたら、女の人がうつ伏せになったまま急に動かなくなった。もう怖くて、一目散にその場から逃げたよ」

言葉を言葉として受け取っても、その意味を解するところまで脳が追いつかない。

不可解という感情が生まれ、そして徐々に恐怖に変遷してゆく。

その波を截ち切るように、寺島が口を開いた。

そういえばこれまで、寺島はうわの空と言った感じで会話に一度たりとも参加していなかった。

 寺島「…子供が―」

 

 笠井「…なんだって」

 

 寺島「まっくろの子供がいるんだ…」

俺と室は同時に目を合わせた。

 那波「寺島、俺もその黒い子供は見た」

 

 寺島「森の気配がするんだ。…今だって、深くて闇い場所に居るみたいに心細い。淋しい。その子を見ていると、……泪が溢れて、どうしようもなくなる」

 

 那波「俺と室にも全く同じ事が起きた。実は―」

昨日の出来事を細部まで、正確に皆に説明した。

仲間の恐怖心を煽るだけだとも思った。しかし、この事件には、掴みきれない秘密がある。そしてその秘密を暴かない限り、解決には向かわない。そんな漠然とした予感がするのだ。

だからこそ、ほんの些細なことでも重要なのだ。

今分かっていることを、お互いに照らし合わせてみた。

意見を言い合うことで、学科仲間が心の奥にしまって見て見ぬふりをしていたことも、言葉となって紡ぎだされてゆく。

 丹羽「意識してなかったから気付かなかったが、昨日からやけに涼しくないか」

 

 奥島「私も思ってた。ここに来る途中にも、肌寒いって思ったときがあったし」

 

 笠井「おいおい、気のせいだろ。頼むから怖がらせるのはやめてくれ。那波の家で起きたことも、みんなさらっと受け入れてるが、只事じゃないぞ。不法侵入だとしても正気の沙汰じゃない」

 

 那波「まだそんなこと言ってんのか…俺たちだけで対処するのは危険過ぎる。だから室に頼ったんだ」

 

 望月「そうは言っても石川、石田はまず問題を解くのが先決だろ」

 

 石田「さっきも言ったが俺は多分大丈夫だ。解答も大分頭の中で描けてる。もし除霊だかをする必要があるのなら、そっちを優先したいな」

ふと横に居る室を見ると、小刻みに震えている。

皆も室の異常な様子に気付き瞠目する。

下顎の骨の輪郭が浮き出ているのを観ても、相当強く歯を喰いしばっている。額から、鼻の先から、沸々と汗が滲み出てくる。

炯炯とした両眼は、まるで眼前の敵を威嚇するように一点を捉え離さなかった。

突如、吼える。

それは声として認識できないほどの声量だった。

空気の震えとして、鼓膜から脳へ。一瞬火花が散ったように意識が遠のく。

室の腹から押し出された大音声は、食堂を駆け巡り暴れた。

爆発する気弾が、今までにそこにあったもの全てを払い除けた。

貌を成さない不安、零落とした心曲、湿った胸騒ぎ、全て。

余韻が幕を引き、鎮まる。

鎮まり、そして一言。

 室「………山へ」

怖い話投稿:ホラーテラー 1100さん  

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