中編6
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邪兒 #磨羯

謁見まで、残り二刻。

湿った布で眼隠しをされた。

つんと薬種の匂いが鼻の奥を突く。

背後に立っていた僧侶が、俺の背中の中央に、やをら掌をあてがう。

この寺には、現在40名を超える仏門をくぐりし者が集結している。

本殿の最前に、紫乃さん。

その後ろを三日月型に囲う俺たち。

さらにその背後に、三日月型に30名の僧。

本殿と境内とを繋ぐ階段を挟むように、2人。

本殿四隅に4人、三壁の中央に3人。

控えらしき僧が後方に何人か。

紫乃さんを円形に白い布が囲んで、外界から仕切っていた。ただし、階段の前は開いている。

さらに、俺たちの居るところも白布で仕切られていて、外の様子はなにも判らなかった。

風に布が煽られ、神秘的に揺れた。

階前には、室の父の寺で観たような盥が置かれていたが、遥かに大きかった。

そこには水が湛えられ、枝葉が浮かべられていた。榊(サカキ)の枝だろうか。

俺たちがこの寺に到着したとき、寺の者総出で境内を掃除していた。どこか緊迫した雰囲気が漂っていた。

すると、唇の間から息が漏れるような音が背後から聞こえ出す。

それと同時に、視神経の奥のほうが僅かに熱を帯び、眼球が膨張するような奇妙な感覚にとらわれた。

次第に眼の奥からの圧力が生じ始め、それはどんどん強さを増してゆく。

針で眼球の裏を突かれているような激痛が襲い始めた。

小さく呻くが、なんとか自分を抑えた。

痛みは徐々に和らぎ、今度は眼球がぬるい湯に浸かっている感じがする。

ところがその湯は急速に熱を失い、凍るような冷気を発し始める。

直後、一切の感覚が消え失せた。

間を置かず、眼球がすごい勢いで奥にひっこむ、ような。

耳元で囁く声。

 室「繋がった。ここからは声を出すな。動いたりもするな」

人の気配が奥に消えた。緊張感が最高潮に達する。

風は止んでいる。樹々がざわめく音がしないから。

布が動いている気配もない。衣擦れの音がしないから。

なんの音もしない。隣にいるはずの学科仲間の気配すら完全に失せている。

気付けば、焦り始めていた。

またこの感覚だ、と思った。自分一人がこの世界に息づいているこの感覚。嫌いだ。

声を発して助けを呼ぶこともできないし、誰かを探し求めに彷徨することもできない。

束縛感からくる焦りなのか。だとしたら平静を取り戻すことは簡単だ。

あの庭で観た、並ぶ巌(イワオ)を頭に想い浮かべる。

案の定、落ち着いてきた。

少し佇まいを直そうと僅かに腰を上げようとしたとき、空気がすとん、と落ち込んだ。

そのまま硬直する。

本能が告げていた。

きた、と。

意識を視神経に向けた途端、驚愕する。

そこに暗闇は既に無く、真白い空間が拡がっていた。

自分は本当に眼隠しをしているのか、確かめたくなったが、紫乃さんの言葉を思い出し止めた。

鐘の音が近づいてくる。

音だけだ。視界は依然底なしに白い。染み一つない。

鐘の音は耳を塞ぎたくなるほどの大きさになっていた。無論塞ぐことはできない。というか、塞げたとしてもおそらく無意味だ。

魂の底に響く音色だった。

どんどん音は大きくなる。このままでは鼓膜が破れるだけでは済まなくなる。気が狂いそうなほどの音量だ。容赦なく魂へと木霊する。

叫び声をあげそうになるが、必死で抑え込む。

声を出してはいけない。動いてもいけない。

限界寸前のところで、鐘の音が沈む。

しゅっと、空を斬るような音がした。

瞬間、息を呑む。

白い空間が一変していた。

雲ひとつない、つきぬけるような蒼穹と。

それを下から支え、受けとめる天色の大海。

その二者が、水平で壮大に交わる。

まさに、水天一碧、一碧万頃。

大海の中央を惜しげもなく横切る、どこまでも長い一本の紅い橋。

眼前まで伸びたそれを奥に向かって辿ってゆくと、水平と接する部分に、平入拝殿。

碧い靄が立ち籠める水平線に無数に並んでいるのは、赤松の一郡。何千、何万と。

ぬうっと、拝殿から黒い影が這い出て来る。

遠過ぎて見えないはずなのに、その姿ははっきり見える。

それが、五蘊。

下駄の音を響かせながら、千鳥足で橋を渡り近づいてくる。ときにその姿は嘘のように掻き消えて、また少し近づいたところに姿を現す。

豪放磊落、軽妙なその所作は、肩透かしをくらうほどだが、それは紛うこと無き神の威厳に溢れていた。

少しずつ。

ときにゆるやかに、ときに俊敏に、その姿は大きくなってゆく。

からん、ころん

木筒の中で玉が転がるような音がする。

縦に長い楕円形の黒い仮面は、顎の先端が四つに分かれ、その先から紐が一本ずつ垂れている。

紐のさらに先には、長細い朱色の木筒。

頭頂は二つに分かれ、欠けた角のように天に向かってせり出している。

黒い首が異常に長く、細い。仮面の二倍はある。

ふらり、ふらりと、不安定な足取りで躰が横に揺れるたび、橋と同じ紅い髪が軽やかに、龍の如く舞う。

赤朽葉色の着物は、胸のところが大きく開いていて、丈は膝の辺りまでだ。

どうやら、体色は仮面と同じで漆黒のようだ。邪兒を連想させた。

既に距離は100メートルとひらいていない。

右手には、酒甕(シュオウ)、ではなく、黒漆の太刀を握り、左手は、人差し指でこちらを指し続けている。指もまた、関節が骨ばっていて、細く長い。

仮面には、三日月の切れ込みが三つ。

上方の二つは、反りを蒼穹に向けていて、下方のそれは、反りを大海に向けていた。

要するに、嗤っていた。とても愉快そうな顔つきだった。

ここまで観たら、酔っ払いと所作はなんら変わらない。いや、変わるが、行動だけを観れば、変わらない。

しかし、その瞳を拝んだ瞬間、今までの拍子抜けた心持は消え失せた。

黒い眼球に乗った鬱金(ウコン)色の瞳には、細かい斑点があり、まるで金色の鶉(ウズラ)卵のようだ。

捉えどころのない視線が、俺の全身を嘗め尽くす。

その視線は、酔っている者が放つそれではなかった。

ひゅっと、口から息が漏れたが、ぎりぎりのところで声までは出さなかった。

あくまで五蘊と相対しているのは紫乃さんだ、と自分に言い聞かせた。

しかし、この押し潰されそうな覇気は一体なんだ。

その姿、その瞳、その存在が掻き立てる、天に向かって吼えたくなるような感動。

もちろん恐ろしさもある。

だがそれ以上のなにかを、躰の全てが、歓喜の奮えでもって応えている。

自ら平伏したくなるような漲る覇気が、波濤となって押し寄せる。

五蘊は千鳥足のままいきなり騰翻(トウハン)すると、宙空で霧となって掻き消える。

直後、目の前に現れた。

唇が、微かに動いている。何かを喋っているのか。

勝手に仮面だと思い込んでいたが、それは仮面ではなかった。

顔、そのものだった。

おもむろに、太刀を握った右手を、甲を上にして紫乃さんの下唇の付け根あたりにあてがう。

そして、山になった小豆を一粒一粒取り出して数えるように、左手の人差指をちょいちょい、と唇の前で動かす。

すると、背後の蒼穹が一瞬で夕焼けに変わった。

同時に、なにやら青白く輝くものが、五蘊の手の甲に乗っていた。

それを、鞴(フイゴ)を吹くような音をさせ、一息に吸い込む。

気付くと、五蘊の瞳も夕焼けに染まっていた。躰が透けている。

徐々に顔面が回転し、完璧に逆さになったかと思うと、夕焼けが暗夜に様変わりした。

五蘊の顔面は、満点の星空を映じていた。

松の並木は松明の列となり、水平線で火の玉のように灯りを燈している。

拝殿にも灯りが点いていて、五蘊が

きんっ

と太刀を納める音を鳴らすと、その拝殿に、一瞬で全てが吸い込まれた。

空も、海も、橋も、五蘊も。

白い空間が戻り、すぐさま暗闇に舞い戻る。

なぜか、暗闇が落ち着いた。

睛径の繋がりが切れたのだろうか。

ふと

前方で、聞き覚えのある文句。

怖い話投稿:ホラーテラー 1100さん  

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