長編15
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白い手の記憶

『心霊現象との遭遇は、目撃者の脳がもたらす偶像』

といった記述が誰かの投稿の中にあったと記憶しています。

僕自身もその説におおむね賛成です。

しかし、

『そうであってほしい』

むしろ今はそう思うようにしています。

3年ほど前にこんなことがありました。

今でも妹と二人暮らしですが、十離れた妹が当時大学2年生でした。

僕は長年にわたり日記をつけていますので、今それを見ながら書いています。

そのため、脚色等は一切ありません。

僕は営業職のため、飲む機会を除き、ほとんどの場合車で通勤しています。

その日は、遠方まで車での日帰り出張があったため、肉体的にひどく疲れていました。

というのも、なんとその出張はその前日に決定したのです。ずいぶん無謀なスケジュールだと思いましたが、

大事なお得意様からの依頼だったこと、また願ってもないビジネスチャンスでしたので、直前であろうが、出張を拒否する理由は何もなかったのです。

その分お得意様からの要求は厳しく、資料の準備などに手間と時間がかかり、出張の段取りを終えたのが、出張当日の午前2時でした。

身体はクタクタに疲れていましたが、いったん帰宅して束の間の睡眠をとり、妹が作ってくれたおにぎりを食べ、スタミナドリンクを飲んで、早朝5時から車を走らせました。

行きは、仕事の緊張感と早朝の新鮮な空気に触れ、その空気が脳にも流れ込んだかのように、意外にも頭はすっきりしていました。

そして、予定通りにお得意様との約束時間通りに現地に到着し、難なく仕事を終わらせました。

すでに夕方時刻になっていましたが、お得意様から次につながるいいお話もいただき、久しぶりに充実感を味わいながら帰路につきました。

しかも、翌日は休日ということもあって、その時はとても心地よかったことを記憶しています。

道中パラパラと小雨が降り出し、高速道路に入ったと同時に本降りになってしまいました。さらに、20キロの事故渋滞を標示板が伝えていました。

案の定、車は混雑しだしたため、速度を落として走行せざるを得ませんでした。

僕は睡魔に備え、ミント系のガムを噛み、指先を動かしながら車を走らせていましたが、やがて、そんなもの役にも立たないくらい、津波のような眠気が襲ってきました。

気がつけば意識朦朧、追突の直前で我に返り急ブレーキを踏む始末です。前日からの睡眠不足のツケが今になって回ってきたようです。

今こんなところで死ぬわけにいかないと思い、パーキングエリアで仮眠をとることにしました。幸いなことに、パーキングエリアまであと少しの距離だったのです。

パーキングに駐車するや否や、シートを倒し横になりました。

すると、どれほど時間がたったでしょう…

金縛りが始まりました。

経験した方も多いと思いますが、

何となく身体がほてり、意識がぼんやり混濁した感覚です。

身体は意志の通りに動かない、いうことをきかない状況です。

しかし、おぼろげながらも僕は冷静でした。

以前何度となく経験しているからです。

金縛りの対処法は、目を閉じたままじっと我慢し、解かれるまで待つ。

それしかないと思いました。

話が横道にそれますが、

これまでの金縛り経験では、目を開けてしまったがために、

眠っている僕の目の前にいくつもの白い顔があり、僕を覗き込みながらヒソヒソ話をしています。

ある顔は笑みを浮かべていたり、

ある顔は神妙な表情だったり…

そして、僕の目の前で全員が指をゆらゆらと動かすのです。

しかもその顔たちは、会ったこともない老若男女ばかりです。

また、眠っている部屋の天井や柱、壁がガラス工芸のようにくねくねと曲がり、気がつけば天井が目前に迫ってきたり…

壁と壁に挟まれそうになったり…

話を元に戻します。

いずれにしても、金縛りの時は目を開けたらろくでもない幻覚を見てしまうという恐怖心から、自分の場合、じっと目を閉じていることが絶対条件だと知っていました。

そうしていたにもかかわらず、

『ワウワウワウワウワウワウワウワウ…』

と、男女混成の読経のような、うめき声のような、幻聴もしくは耳鳴りとも判断のつかない音がずっと聞こえているのです。

混濁した意識の中で、

『我慢・我慢…』

『そのうち解ける…』

と、自分自身に言い聞かせていました。

いつの間にか、金縛りが解かれ深い眠りに落ちたようです。

どれほど眠ったでしょうか…

今度は夢を見ていました。

今まで見たことのないほど、鮮明な夢でした。

今どこにいるのか?

何をしようとしているのか?

僕はしきりに車の中にたまった空き缶を拾い集めています。

拾っても拾っても、車の中から出てくる出てくる…

変だなぁ、おかしいなぁと思いつつ、

大きめのビニール袋が満杯になるほどの空き缶を拾い集めていたのです。

すぐに捨てなきゃと、ゴミ箱に向かって歩き出しました。

ぼんやりした意識の中、空を見上げるとやけに無数の星のきらめきが尋常じゃないほど鮮明でした。

そして、

「たぶん標高が高いんだろ…」と、一人ごちていました。

気がつけば、コインパーキングの自動支払機の前にいました。

サンタのように大きな袋を持って…

なんで高速道路のパーキングなのに、こんなものがあるの?

と、何となく考えましたが、とにかく空き缶を捨てたい、空き缶ボックスをキョロキョロ探しました。

何のことはない、ボックスは自動支払機の前にありました。

僕はその時、言い知れない安堵感をなぜか感じていました。

しかし、安堵したのも束の間、

ボックスの空き缶捨て口から出ているというか、そこから生えている物体が目に入った瞬間、僕は氷点下の川のごとく凍りつきました。

それは若い女性の真っ白な手首でした。

とにかく、冷や汗が止まりません。背筋は凍りついて身体が動きません。

不思議なもので、意識のどこかで夢だと感じつつも、あまりにリアルな描写にただ茫然と立っているだけです。

そして、

『そんなバカな!』

『そんなことがあり得るはずがない!』

と、一人叫ぼうとしますが、声になりません。

一方では、警察に届けなきゃ…

でも、疑われたらどうしよう…

重要参考人として取り調べられ、その後収監…

妹に、親せきに、知り合いにどう説明したらいい???

以前読んだ小説のプロローグに似ている…等、

脳がピンボールのように反応して、脳神経の伝達物質がくるくると脳内を駆け巡り、どうでもいいことまで考えています。

意識もくるくると回って、吐きそうになってきました。

吐き気をおさえようと唾液を飲み込み、瞳孔が開くほど見開いていた目を無理に瞬かせ、思い切って近づいて目を凝らしました。

その手は最後の力を振り絞り、虚空をつかもうとしているように見えました。

女性の乳液のように透き通るほど真っ白で、苦労知らずの美しい手首でした。

僕はその手を見とれていたかもしれません。

そして、一瞬の出来事でした。

その手首の指関節がビクッと動いたのです。

再び僕に戦慄が襲いましたが、同時に水平線の日の出のように意識がだんだんと明るくなってきました。

『これは夢だよ…夢、夢』

僕に本当の安堵感がやってきました。

意識がはっきりとするにつれて、

一方で違和感を抱くようになってきました。

そして、その違和感はどうしようもなく強くなってきました。

パーキングエリアのトイレの前に外灯がありました。

僕は光に寄ってくる虫のように、

夢を見ている間、その外灯の周囲をくるくる回っていたようです。

虚空をつかむように右手を挙げながら…

僕は回転をやめました。

右手がだるく、筋肉が痛みました。

吐き気はずっと回転していたことが原因だろうと思いました。

気づいた時には、深夜0時を回っていたようです。

パーキングには僕以外誰もいません。

車から約50メートルほど離れた場所です。

車のドアは閉まっており、ライトも消えています。

眠ったままここまで歩いて来たのでしょう。

僕に夢遊病はないはずですが、理解不能です。

言い知れない恐怖が襲ってきました。

どのくらいの時間そうしていたのかわかりませんが、誰かに目撃された可能性は十分あるでしょう。

僕を目撃した人はどう思ったでしょう?恐怖で逃げ出したかも知れません。

そう、まず自分自身にまったく記憶がなく、そうしていたこと自体が恐怖でした。

そして、そこには誰もおらず、外灯とジュースの自動販売機がぼんやり光っているだけでした。

僕は恐怖にさいなまれながら、車までダッシュし、エンジンをかけました。

トイレに行きたかったのですが、恥ずかしながら、恐怖のあまり一人で行く勇気がありません。

一刻も早くここを離れ、早く帰ろうとハンドルを右に切りました。

僕はワーッと叫びたくなるほどの恐怖と羞恥心を抱きながら、

あと2時間はかかるであろう家路を急いでいました。

『早く家に帰って落ち着きたい』その一心でした。

さすがに渋滞は解消され、流れは順調でしたが…

『いったい何だったんだろ…?』

『きっと疲れていただけだ…』

『それにしても怖い夢だった…』

『でもきれいな指だったね…』

『そう、あんなきれいなの見たことない…』

『触れてみたかった…』

等々、無意識に一人ブツブツひとりごとを呟きながら、

ぼうっと前を向いてハンドルだけ握っていました。

途中、強い尿意が襲ってきました。

しかし、さっきまでのことがトラウマになって、

とても途中下車する気にはなりません。

下腹部がだんだんふくらみ、冷や汗がにじんできましたが、

家までひたすら我慢することにしました。

そしてようやく家の駐車場にたどり着き、

全速力で家のトイレに駆け込むと、

ドアも半開きのまま用を足しました。

勢い余って小便を壁や床にぶちまけてしまい、

『アー…あとで掃除しなきゃ』と思いましたが、

立ちくらみするほどの快感に浸り、

終わり際には心地よく身震いしました。

そして、水を流しました。

その時です…

背後に気配を感じました。

おもむろに後ろを振り返りましたが、何もありません。

ドアは50センチ程度半開きになったままです。

僕はズボンのチャックも半開きにしたまま、

何かの気配を感じつつ、トイレから出ようと踵を返しました。

その『何か』がまったく予期しない場所から、

僕の目に飛び込んできました。

何と、半開きドアの最も下部分をつかみ、僕をさえぎるように、

華奢で真っ白な腕が横たわっていました。

妹が倒れている⁉

と思った瞬間、それはサッと消えました。

消えたというより、瞬時に引っ込んだと表現したほうが

いいかもしれません。

再び僕を戦慄が襲いました。

『背筋が凍る』それ以外に表現することができません。

数秒間、その『腕』があった場所を瞬きもせずジッと見つめ、

身体がまた固まり、ブルブル震えだしました。

頭の中は音も聞こえないほど真っ白になりました。

しかし、恐怖に震えている暇はありませんでした。

妹が倒れている⁉

考えるより先にあわててトイレから出て、

すぐ下を見ましたが、何もありません。

そして目を凝らして辺りを見回すと…

トイレ前廊下の突き当たり、

薄闇の中に女性が立っています。

その人は、薄く染めたショートカットの髪を前にダラッとたらし、

華奢そうな肩をがっくり落としてうつむいていました。

妹でないことがはっきりしたので、

再び恐怖感が盛り返し、

またまた、震えが始まりました。

が………

僕の脳が瞬間的に何かを探していました。

そして記憶の探し物が見つかりました。

『妹の友達だ………』

「金曜日に友達が泊りに来るけど、気にしないで」

と、妹が言っていた………

なぜ、そんなに冷静になれたのか?

その女性が、妹の半そでのトレーナーを着ていたからです。

僕は、

「こんばんは」と声をかけました。

「お邪魔しています…」と、消え入るような声…

彼女はうつむいたままです。

ひょっとして具合でも悪いのかなぁと思い、

「大丈夫?しんどいのかなぁ?」

と、一歩彼女に向かって近づいた時です。

「大丈夫です」

彼女は力なく言葉を返しましたが、

それとはうらはらな、

彼女の一瞬のキッとした視線が僕の接近を拒みました。

大きな瞳、そして一筆書きのように通った鼻筋…

薄闇にもかかわらず、それは見て取ることができました。

紛れもなく美人でした。

僕は思わず躊躇して踏みとどまり、

「じゃ、じゃあ、ごゆっくり…」

僕の声は震えていました。

彼女はそこにたたずんだまま、

「ありがとうございます」

と、またうつむいてボソッと返しました。

自分の部屋への階段を上りながら、

『しまった…』

僕はかなりバツ悪く感じていました。

『友達の兄貴がチャック半開きにして夜中に近づいてきた』

なんて、思われたんじゃないか…?

『彼女は夜中にトイレに行きたかっただけなんだ…』

『寝起きで機嫌悪かったんだよ…』

『余計なことしてしまった…』

彼女のあの強い視線に射すくめられ、

すっかり気が滅入ってしまいました。

2階に上がると妹の部屋のドアが開かれていて、

だれもいないことがわかりました。

どうやら、妹と友達は1階のリビングで寝ているようです。

僕はしばらく時間をおいて再び忍び足で1階に降り、

玄関の照明をつけました。

妹の靴と見慣れない友達の靴があることを確認しました。

廊下の突き当たりには、

もちろん誰もいませんでした。

トイレの明かりも消えていました。

リビングからは常夜灯の弱い明かりがもれていました。

そして、カレーライスの匂いがしました。

妹たちが作ったんだなと、僕は安心して部屋に戻りました。

部屋を明るくして、

ケーブルテレビのニュースを見ながら、

ソファに横になりました。

時刻は2時半を回っていました。

僕はバツの悪さと、若干の恐怖を感じつつ、

今回おこったことを思い返していました。

頭の中が混乱していましたが…

いつの間にか深い眠りに落ちていました。

そして、後に異変を知ることになります。

「あっ!開けないで」

洗面所のドアを開けようとした瞬間、

妹・たまの鋭い声で、ドアノブを持つ手が止まりました。

「まりちゃんが朝シャワーしてるんだよ」

たまがうつむいたまま、台所で何か作りながら僕に言いました。

「あっ、友達泊まってたんだったね…」

「忘れてたよ。ごめんごめん」

僕は、ぼぅっとしながらトイレに向かいました。

用を足しながら、夜中に汚してしまったことを思い出し、

こっそりとトイレを掃除しました。

その後2階でシャワーを浴び、

昨日の疲れをすべて洗い流しました。

すっきりとしてリビングに戻ると、

たまは、作ったばかりのサンドイッチをテーブルに並べていました。

カーテンのすき間から朝日が差し込んで、

テーブルがキラキラ光っていました。

「お兄ちゃん、昨日何度も電話したのに…」

「私の連絡全ムシして、あんなに遅くまで何してたのよぅ!」

「心配で一睡もできなかったんだから!」

朝からたまは明らかに不機嫌でした。

『…………』

僕はまた意識が真っ白になりました。

昨日仕事直前に携帯を切って以来、

電源を入れることさえ忘れていたのです。

「ほんとゴメン。高速のパーキングで眠りこけちゃってね…」

「たまの友達にも迷惑かけたよ。」

たまは、

「はぁ…?まりちゃんと会ったの?」

と、いぶかしげに僕を見たままたずねました。

「ああ。夜中トイレの前でね。たぶん、びっくりさせちゃったと思う。」

僕は正直に言いました。

たまは首を傾げていましたが、その時洗面所のドアが開く音がしました。

たまの友達・まりちゃんがリビングに戻ってきました。

「あっ、おはようございます。スミマセン。泊めてもらってました。」

まりちゃんは日焼けした顔で、

はにかみながらにこやかに僕にあいさつしてくれました。

まりちゃんは、肩くらいまでありそうな黒髪をうしろに束ねていました。

「おはよう!」

「よく来てくれたね。よく眠れた?」

まりちゃんは、

「はい!おかげさまで。ありがとうございました。」

屈託のない笑顔で答えました。片えくぼがとても個性的でした。

「ゆっくりして帰って!」

僕は大切な妹の友達にありったけの笑顔で

歓迎の気持ちを伝えました。

「あれ?もう一人の友達は帰っちゃった?」

僕はたまに聞きました。まりちゃんの顔と見比べながら…

たまは僕の問いかけを無視し、

「まりちゃんさあ…変なこと聞くけど、夜中トイレ行った?」

「えっ…!?行ってないけど…」

「途中で目が覚めることって…悪いけどないよ」

まりちゃんは、一瞬上目になり、記憶をたどるような表情でしたが、

たまの顔を見ながらそう返しました。

僕は軽い違和感を覚え、

「そういうことじゃなくて、もう一人の友達だよ!」

「朝家に帰っちゃったのか?って聞いてるんだけど…」

たまはますます不機嫌になり、眉間を険しくして、

「泊まったのはまりちゃんだけだよ!

朝っぱらからなに寝ぼけてんのまったく!」

幼稚園児を叱る母親のように、

たまはまりちゃんがいることお構いなしに、

僕に怒りをぶつけました。

まりちゃんは、僕にまったく遠慮することなく

手を口に当てて大笑いしました。

僕は、たまの淹れた熱いブラックコーヒーを飲みながら、

『じゃあ、夜中の彼女はだれだ???』

『まりちゃんもたまのトレーナーを着ている…』

考えるより先に、

背筋が一気に冷え込みました。

せっかくのサンドイッチを食べる気にもならず、

その場を逃げるように、再びトイレに向かおうとしました。

「おにいちゃん!サンド食べないの?」

たまの声が追いかけましたが、

こみ上げてくる吐き気に、手を振ることしかできませんでした。

僕は、しばらく吐き気が止まらず、

自室のソファで横になっていました。

せっかくの日曜日でしたが、

とても出歩ける状況ではありませんでした。

その日は、

当時付合ってた彼女とある場所で約束していましたが、

しかたなくキャンセルの連絡をしました。

彼女の買い物に付き合うでした。

お見舞いにきてくれるかな…

彼女はそんな僕の期待をよそに、

「あっそ、じゃあ来週にしよ」

「おだいじにー」

と言って、あっさり電話を切られました。

たまとまりちゃんは、同じサークル仲間のお見舞いに行くと言って

出かけていきました。

昨夜夢で見た白い手…

そして床に横たわっていた白い手…、

そして何よりも…

薄闇にたたずんでいた、知らない若い女性…

頭の中で消し去ろうとしても、

ぼうっと、また浮かんできます。

薄闇の彼女が誰だったのか、

何のためにあのような形であらわれたのか、

生霊なのか、あの世の人なのか、

わからない…

たま達が見舞った相手の女性は、

精神科病棟に入院していたそうです。

処方された薬の影響からか、夜中に病棟のトイレの前で倒れて

頭を打ってしまったため、

緊急の治療を受けていたそうです。

トイレで倒れた時、

病棟の廊下を這って、ナースコールまでたどり着こうと

懸命だったこと、

突然たまとまりちゃんの来訪で、

「私はやっぱり一人じゃなかった」

「ありがとう…」

と、手作りサンドを食べながら、うれし泣きしていたそうです。

帰宅後、たまはそんな土産話をしました。

朝方より気分が回復していた僕はその話を聞いて、

なんとなく昨夜の場面に似ていることを感じ、

ふたたび鳥肌が立つ思いでした。

僕は、

「そうだったの。そりゃあいいことしたね」

と平静を装い、それ以上のことを訊きませんでした。

入院中の彼女がどんな人なのか、

どんな顔しているのか、

一切何もなかったことにしておこう…

今回起きた異変にたまを巻き込みたくありませんでした。

たまは涼しい顔してポテトチップスをむしゃむしゃ食べながら、

お笑いDVDを見て、ケラケラ笑っていました。

一切何もなかったかのように、機嫌はよくなっていましたが…

「お兄ちゃん!何これ!?」

たまが、新聞をぼんやり見ていた僕にかまわず叫びました。

そしてまばたきもせず、口を半開きにしてテレビの画面を指差していました。

気がつけば、

画面はお笑いから夕方のニュースに変わっていました。

それは………

ある大量殺人事件現場を物々しく伝えていました。

白昼路地裏のシャッターの前で、男が取り押さえられていました。

『……………』

『マジかい…!』

僕は奇声を上げそうになりましたが、

あえて押し黙っていました。

たまは目を真っ赤にして、ハンカチを握り締めながら、

画面に食い入っていました。

僕は、黙ってとなり部屋に入ると、

ろうそくに火を灯し、香を焚きました。

そして、亡き母の遺影に向かって手を合わせました。

それから2年…

白い手も、薄闇の美人も現れていません。

あれは何かを暗示していたのか…、

これからの何かを暗示しているのか…

まったくうかがい知ることはできません。

おかげさまで、

今はたまの就職も決まり、

僕達は元気に暮らしています。

生かされていることに感謝しながら…

幽霊や心霊現象など、

脳が疲れによって引き起こす幻覚だと思いたいのですが…

確かなのは…

昨日、睡眠不足で事故を

起こしそうになったこと、

そして、

僕達がちょうど事件があったエリアで、同時刻に待ち合わせしようとしていた事実です。

僕たちはたまたま、

今回の異変があったからこそ、

事件に巻き込まれずにすんだのかも知れません。

この事件で、一瞬にして命を奪われた方たち、残された遺族の方たち……

どんな思いをされていることでしょう。

ご冥福をお祈りするしかありません。

どのような形であれ、

母が守ってくれた…

そのように思っています。

僕達は毎日欠かさず、母の遺影に手を合わせています。

《終》

怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん  

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