中編3
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七人みさき

色々な怪奇系のものに取り扱われたりモチーフになっているのに、意外にも投稿されていないので……。

七人みさき、という集団霊があります。

全国に類話があり、五人だったり出る場所が限定されていたりもしますが、一番有名なところを……。

四国に伝わる「七人みさき」です。

昨今の戦国ブームやら、大河ドラマなんかでわりと知られるようになりましたが、戦国時代、土佐を中心に四国を治めていたのは長曽我部家でした。

中でも、もっとも藩図を広げたのが長曽我部元親です。名君でしたが、ある時を境に彼は迷君になります。

それは、長男で嫡男(家を継ぐ子)の信親の戦死でした。

思慮深く柔和、織田信長を烏帽子親に持ち、四国征伐をした豊臣秀吉にも認められる、嫡男として申し分のない人物でした。当然、元親にも周囲にも期待されていました。

追い討ちをかけるように、信親の戦死後、妻まで亡くしてしまった元親は、名君から一転します。

末の息子である四男・盛親に家督を継がせることにしたのです。

ここには、ある家老の思惑が絡んでいました。

四男が家督を継ぐのが自分に都合が良かった家老は、悲しみのあまり虚脱状態になっている元親に、四男ならば信親の唯一の子である娘と結婚させる年齢として適当だと進言しました。

手放しで溺愛していた信親の血筋に家督を譲ることができるこの案に、元親は乗ったのです。

ところが、これに否やを唱える人物がいました。元親の甥の吉良親実です。

四男と信親の娘とは叔父姪の関係。他の家での前例がないわけではありませんが、やはり血が近すぎます。

また、家督を継ぐに相応しくないほど母親の身分が低いわけでもなく、人物として悪いわけでもないのに、次男・三男を飛ばして四男が家督を継ぐのは順当ではありません。

親実の反論は当然のものでした。元親もみんなに発表こそしたものの、強行せずにその場は終わりました。

ところが、元親に四男の後継を進言した家老は、四男に継がせるよう元親に何度も進言し、更に、親実には謀反の意思があると言ったのです。

正論を言っていた上に謀反の意思なんかなかった親実は、切腹を命じられ、無念の内に死ぬことになりました。

家臣や領民に慕われる名君だった彼には、殉死する家臣も7人出ました。

それから暫く経って、七人組の亡霊が出るという話が広まり始めました。

中には「吉良親実とその家臣だ」と名乗って船に乗った等のものもあり、この七人組に出会うと高熱を出して死んでしまうというのです。

一人をとり殺すと、並んだ七人の中で先頭の一人が成仏し、取り殺された者が最後尾につく……「七人みさき」と呼ばれるようになった七人組は、こうして常に七人を保ちながら、自分が成仏する為に誰かをとり殺すことを繰り返すのです。

続く怪異と、日々増えていく七人みさきの話、そして被害……とうとう元親は、親実の無念と怨念を鎮める為に「吉良神社」を建てて鎮魂と供養を試みます。

しかし、怪異も七人みさきの被害も、止むことはありませんでした。

ちなみに、最大の元凶である、四男を推した家老・久武内蔵助には8人の子がいましたが、うち7人が死んでしまいました。

長曽我部家も、犠牲を払ってまで四男・盛親に家督相続したのに、一族郎党全てが殺されたわけではありませんが、盛親の代で断絶しました。

これらのことも七人みさきとなった親実の怨念のせいと言われています。

………が、正論を述べ無実の罪で切腹を命じられた無念を思えば、怪異や不幸を七人みさきのせいにして更なる悪者扱いするのもどうかと、個人的には思います。

読んで下さってありがとうございました。

怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん  

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