中編5
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おたま

私が小学校2年生のときに、3つ上の姉が仔猫を拾ってきた。

まだ生まれたてで本当に小さく、

「なんかおたま(玉じゃくし)にでものっけられそうやなぁ」

という父の一言で、そのまま「おたま」と名付けられることに。

白がベースの三毛猫で、目がぱっちりとしてとても可愛らしいメス猫だった。

このおたま、一番面倒を見ていたのが姉ということもあり、姉の帰宅後はまとわりついて決して離れようとしない。

テレビを見ているときや食事中はもちろん、お風呂にまでお供しており、当然寝るのも一緒。

なかなかチャレンジ精神にあふれる小さな妹であった。

・・・というのも。

書き遅れたが、うちは父以外の家族(母、兄、姉そして末っ子の私)全員霊力が強い、霊感一家である。

中でも姉の力は尋常ではなく、そんな姉におたまはなついていたのだ。

おたまの苦労は想像するに余りある。

うちらは子供の頃から一人部屋を与えられており、二階の二部屋は兄と姉、

私は一階の階段横の一番小さな部屋をあてがわれていた。

おたまがまだ仔猫の頃は、よく夜中に突然

「フギャーーーー!」と一階の私の部屋まで聞こえるほどの鳴き声がし、

それからパタパタと急いで階段を駆け下りる小さな足音を耳にしていたものだ。

「かわいそうに・・・。今日は何が見えたんやろ。」

半分寝ぼけた頭で思っていたのだが、

それでも姉恋しさにまたおたまがピタ、ピタと階段を上がっていく音が聞こえてくると、

子供心に不憫で仕方なかった記憶がある。

「おたまがかわいそうやから、夜だけでもあたしがおたまと一緒に寝よか。」

姉にそう提案すると、姉は目を細めてあらぬ方向を見つめ、

「・・・修行じゃ。」

となぜかおっさんの声で短く答えた。

一瞬おたまよりも姉が大丈夫かいなと思ってしまった。

そんなおたまの絶叫は成長するとともに徐々に少なくなっていき、

体が一人前の成猫になったときにはすっかりなくなっていた。

それどころか明らかに「見える」ものに果敢に反応しだし、

一人だけ見えない父から

「おたま、なんで空中にパンチ繰りだしてんねん」と訝しがられるまでに成長していた。

そしてその頃からぶくぶくと太りはじめた。

以下は今から思い返してもおたまがMAXに太っていた時期のお話。

「お腹が痛い。」

その頃高校生だった姉が夕食後しばらくしてから突然苦しみだし、両親は慌てて姉を連れて救急病院へ。

そのまま即入院。

翌朝手術し、結論としては急性盲腸炎だったのだが、開腹するまで原因がつかめず

手術時間も通常の5倍近くかかったらしい。

母がつきっきりで看病していたのだが、手術の翌日には姉も普通に会話できるほど回復し、母は家に戻ってきた。

「あそこの病院はそこまでひどなかったから、あんたらもお見舞い行ってきいや。」

・・・これはもちろん医療サービスの話ではない。

母のその言葉に勇気付けられ(?)、私と兄は翌日さっそく出向いた。

六人部屋の一番右奥が姉のベッドだと聞いていたが、カーテンが閉まっている。

念のため、

「姉ちゃん、来たでー。」

そう言いながらカーテンをめくると、

「・・・??」

おたまがいた。

しかもベッドで座って本を読んでいた姉の頭の上に。

「おたま・・・、なんでそこにおるのん?」

普通に聞いてしまった私の隣で兄が爆笑しはじめた。

「いや、しょっちゅうお見舞いに来てくれるで。」

姉は事もなさげに答えていたが、

いや、そこというのは病院にという意味ではなくあなたの頭の上にということなんですがと思ったが、

隣で爆笑している兄を見てるとなんだか聞くのも馬鹿馬鹿しくなった。

それから兄妹でとりとめもない会話をし、ふと気付くとおたまの姿は見えなくなっていた。

その後もちょくちょくお見舞いに行っていたのだが、かなりの確率でおたまは姉の傍にいた。

ある時。

部活が終わって面接時間ぎりぎりにお見舞いに行ったのだが

姉の膝の上でくつろいでいたおたまが、急に「シャーー」と威嚇の声を上げたかと思うと唐突に消えた。

いつも冷静な姉がさすがにちょっとうろたえ、

「おたまになんかあったんやろか」と落ち着きをなくしはじめた。

私も心配になったので会話をきり上げすぐに帰宅。

台所に直結する土間から家に入ると、ちょうど皆夕食をとっているところだった。

「おたまどこおる?あの子大丈夫?」

ただいまも言わずに聞くと、

普段上機嫌の父がむすっとした顔で、

「おたまは大丈夫やけどお父さんは大丈夫やない。」

その額には見事な引っ掻き傷が三本。

母の話によると、夜リビングのソファにいたおたまは、目を瞑り呼吸も浅く瞑想状態にいた。

母と兄は「あー、今あっちに行っとんな」とすぐ気付いたらしいが、

そこに帰宅した父が、

「おたまただいま。お父さん帰ったでー」と言いながら近寄り、様子が違うおたまに気付くと、

「おたま、おたま!」と言いながら体を揺すり続け、

案の定お見舞いを邪魔され怒ったおたまから鉄拳制裁をうけたとのこと。

「俺が何したっていうねん。」

父はぶつぶつ文句を言いながら食事を続けていたが、

「ほな今日一緒にお風呂入ったろか?」

という母の一言で急に相好をくずし、

「みっちゃん(母の名前)のそういう優しいところが好きやねん。」と

子供二人を完全に白けさせていた。

姉がいたら確実に鼻で笑っていたと思う。

姉は十日後退院し、家に戻ってきた。

おたまは・・・

姉恋しさにしょっちゅう力を使っていたせい(おかげ?)か、見事にダイエット成功。

スリムボディを取り戻したのであった。

おたまは、私が大学入学と同時に寿命を全うして亡くなった。

4月の春うららかな日、姉の腕の中で苦しむこともなく眠るようにして息を引きとった。

帰宅した父と家族全員で庭に穴を掘り、静かにおたまを埋葬した。

父はゴリラ面をくしゃくしゃにし、泣きながら

「おたま、幽霊になって会いに来てええからな。お父さん見えへんけど。でもいつでも会いに来てええからな。」

と、一生懸命お墓に向かって話しかけていた。

おたまが霊になってうちらに会いに来ることはなかった。

それはおたまが幸せな人生を全うした証だと言えるだろう。

ただ今でも姉の背中で姉を見守り続けているおたまを時々見かける。

怖い話投稿:ホラーテラー 末娘さん  

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