その日は朝から曇っていた。
私・橋崎琴江は夏休みの一日を、大学の友達と7人で遊園地で過ごしていた。
全国的にもそこそこ有名な遊園地だ。
女7人で絶叫マシーン系の乗り物ばかり乗りたおして大騒ぎをし、そろそろ帰ろうかと思った、それは夜の7時少し前のことだった。
「7時から、花火が上がるんだって」
「あー、夏だねー」
「じゃあ、それ見てからここ出ようか。そのあとご飯食べに行こう」
「それまでぶらぶらしてるー?」
そんな会話をしながら園内を歩いている時、私はふと目を上げた。
夕暮れの空に、巨大な円形の骨組みがそびえていた。
止まっているのかと思うぐらいゆっくりと回っている。
辺りが暗くなったため派手なイルミネーションが灯り、それで初めてその観覧車は、私の目を引いたのだった。
「最後ぐらい、のんびりしたやつに乗っておこうか」
私は観覧車を指さした。
「そうだね」
反対する理由もなく、皆が観覧車の乗り場に足を向ける。
…と、一人だけがついてこなかった。
「実加?」
私は気づいて振り返った。
その友達・実加は、私たちの頭上を、多分観覧車を、黙ってじっと凝視していた。
じきに実加が口を開く。
「あたしはやめとく。乗る気がしない」
実加はスタスタと、近くのベンチに向かって去っていった。
「さっきまで一緒に盛り上がってたのにさ。実加っていつもマイペースだよね」
「気まぐれなんじゃないのー?」
私たちは観覧車に乗る順番を待ちながら話していた。
「まあいいじゃない。ここの観覧車、定員6人だから、ちょうどいいよ」
私は言いながら、実加のすわるベンチを見た。が、すでに薄暗い中では、実加の様子はよくわからなかった。
暗いと言っても、観覧車のイルミネーションが綺麗に映えるほどの夜では、まだない。
空は幾重にも垂れ込めた雲にふたをされ、紫がかった不気味なオレンジ色の夕闇がのしかかるようだった。
隣に人がいるのはわかるが、その人間の顔ははっきり見えない。
そういう暗さだった。
すぐに順番は来て、ゆっくり回る観覧車のゴンドラのドアが開き、係員が私たちを促した。
一人目、二人目、三人目…と乗り込む。
私は六人目として、最後に乗ろうとした。
と、係員が私の前に手を伸ばしてさえぎった。
「?」
なんだ?と思って私は係員を見た。
その瞬間、友達の乗ったゴンドラのドアが閉まった。
観覧車は止まってはいないので、そのままゴンドラが進んで行く。
「え、ちょっと…」
まごつく私の前に、次のゴンドラがやって来る。
係員は私を制していた腕を引っ込め、そのゴンドラのドアを開けた。
「あたしだけ別のゴンドラ? 何で? これって…」
6人まで乗れるんでしょ、と言いかけて、私は言葉を飲んだ。
ゴンドラの中に、女の人が一人、まだ乗っていたのだ。
(この人は降りないの? 何? 相席ってこと?)
私が混乱して固まっている間にも、観覧車は動いていく。
「お客さん? 乗らないんですか?」
係員が怪訝そうに私に言う。
「なにやってんだ、さっさと乗れよ」
私の後ろで待っていたカップルの男の方が、私にイライラした声を投げる。
私は腑に落ちないまま、慌ててゴンドラに乗った。
ドアが閉められ、観覧車はゆっくりと登っていく。
ギギギ、と、耳障りな音をかすかに立てて。
私は女の人の向かいの椅子に腰掛けた。
明かりもなく、ゴンドラの中は外よりさらに暗かった。
雰囲気から言って、女の人は私と同じくらいの歳だろうか。
うつむいて、長い髪が前に落ち、顔がほとんど見えない。
厚手の白い長袖の上着に、白いスカート、白い帽子。
暑そうな格好だ。
けれど、そういえばこのゴンドラの中は、やけに涼しい。
クーラーなど入っていないのに、むしろ肌寒いくらい…。
私は居心地が悪く、先に行った友達のゴンドラを睨んだ。
置いてけぼりにするなんて、薄情なやつらめ。
ゴンドラは上半分しかガラスではないタイプなので、下からでは中の様子は何も見えなかった。
それにしても、と、私はまたちらっと女の人に目をやった。
どうしてこの人、降りなかったんだろう?
「探し物をしているの」
突然、女の人が口を開いた。
どこか遠くから聞こえたような、くぐもった声だった。
「探し物?」
私は思わず聞き返しながら、合点がいった気がした。
女の人はここで何か無くし物をし、それを探すために降りずに残ったのだと。
「あなたが探してくれる?」
「え」
「私では見つけられないの」
そう言って、女の人は少し顔を上げた。
私は驚いた。
女の人は、目のところに包帯を巻いていたのだ。
両目とも隠れるように、ぐるぐると。
「事故でね…」
女の人が言った。
おかしい、と私は思った。
どうしてこんな状態で、一人で観覧車に乗ってるの?
ギギギ、と音を立てて、観覧車は上っていく。
なんだか上るほどに寒くなっていく。
私は女の人を、もう一度よく見た。
長い髪、白い服、そういえばバックや何かを、手にいっさい持っていない。
手……。
私は少しのあいだ見つめ、そしてギョッとした。
女の人の手も足も、肌色をしているだろうか?
今まで暗さのせいだと思っていた。
でも違う。
指も、髪からわずかに覗く顔も―黒っぽい灰色をしているのだ。
「探してくれる?」
女の人がふらりと立ち上がり、私に一歩近づいた。
狭いゴンドラだ、それだけでかなりの至近距離。
私は本能的に逃げ場を探し、外に目をやった。
だが観覧車はすでにずいぶん上まで進んでいて、地面ははるか下にある。
「探してくれる?」
私を覗き込むように、女の人がかがむ。
その長い髪が私の顔に落ちかかった。
私はゾッとして身を硬くした。
「私の…」
女の人は、目元の包帯に手を当て、握るような形で、こめかみの辺りで包帯の束に指を入れた。
「私の目を」
そして、包帯をぐいっと下げた。
私は間近でそれを見た。
女の人の顔には、両目がなかった。
本来あるべき所がのっぺりとくぼみ、切れ目がない。
ただただ灰色の皮膚がなめらかに続くだけ。
「…きゃあああっ!!!」
私は弾かれたように立ち上がり、女の人を振り払ってゴンドラの隅に逃げた。
女の人はゆっくりと身を起こし、こちらに向き直って歩き出す。
私は反対側の隅に逃げる。
観覧車は上っていくばかり。
「た…助けて!」
私はガラスの向こうに叫んだが、誰に聞こえるわけもない。
その時、ゴンドラの安全レバーが目に入った。
緊急時にドアを開けるためのものだ。
振り返ると、女の人がまたこっちに近づいてくる。
私は思いあまって安全レバーを握ろうとした。
と、突然目の前のガラスの外に、炎でも灯したようにボウッと、黒ずんだ顔がいくつも現れた。
「きゃあ!!」
私は飛び退き、床にしりもちをついた。
見上げると――
ゴンドラのガラス張りの天井や側面に、ぼんやりとした輪郭の灰色の顔がびっしりと並んでいた。
男も女もいる。
体はなく、どれも暗い表情の顔だけが宙に浮き、こちらを見ている。
私は恐ろしさに声も出せず、呆然とその光景を眺めた。
すると、ふたたび長い髪が私の顔に落ちてきた。
女の人が膝をつき、覆いかぶさるように私を覗き込む。
「私の目はどこ?」
体温のない冷たい手が、私の顔を触った。
妙にぬるりとした感触。
「私の目は…」
私の顔をまさぐり、頬に触れ、そして目のほうに這い上がってくる。
「ここ…?」
灰色の細い指が、大きな蜘蛛の脚のように視界に入る。
逃げなければ。
そう思いながらも恐怖で体が動かない。
「ここね……?」
その時、どこかで、腹に響くような大きい音がした。
次いで何か丸い、明るい光が輝く。
ガラスの外、たくさんの灰色の顔の、さらにずっと向こうで――
私は咄嗟に声を出した。
「目なら…ほら、あそこに!」
私は丸い光の方向に、指をさした。
気づくと、女の人の姿は消えていた。
ゴンドラはずいぶん下まで降りていて、乗り場がすぐそこに見えた。
私は慌てて立ち上がり、係員に開けられたドアから外に飛び出した。
観覧車を振り返ると、あのたくさんの灰色の顔もなくなっていた。
いつの間にかすっかり陽が落ちて、空には花火が打ち上げられていた。
(あれは花火だったのか…)
そこで始めて、自分が指さしたものが、花火だったことに気づいた。
「…ちょっと、ひどいじゃない!」
すでに観覧車のエリアの柵の外に出ていた友達に、私は安堵感から妙に大声で言った。
「何で5人だけで乗るのよ…」
彼女らに近づいて、だが私は口を閉じた。
皆、泣きそうな顔をしていたのだ。
「違うのよ、あたしたちが乗った時、あのゴンドラには先に男の人が一人乗ってて…」
「でも人間じゃなかったのよ、幽霊だったのー!」
「よく見たら、頭から血を流しててさぁ、別に座ってるだけで何も言わないんだけど…でも恐かったんだから!」
取り乱す友達の中、実加だけが落ち着いた様子で、黙って話を聞いている。
実加は観覧車に乗ってないんだから、当然だろうか?
でも、幽霊話に驚いたふうもない。
私の話もしたけれど、恐がるでもなく、まるで当たり前のように聞いていた…。
結局、私たちは食事には行かず、まっすぐ家に帰ることにした。
私だって、これ以上暗い外にいたくはなかった。
めいめい電車で来たので、使う線が違い、私たちは数組に分かれた。
私は実加と二人で、遊園地から近い地下鉄の駅に向かって歩いた。
ビルが並ぶ大きな通りで、人が多くて明るいのが私には救いだった。
「…実加、知ってたんでしょ」
涼しげな表情の実加に、私は思い切って聞いてみた。
「え?」
「あの観覧車、出るって…だから、乗りたがらなかったんでしょ?」
ちょっと考えてから、実加は言った。
「まあね。あたし、昔から霊感あるの。でも、忠告してもどうせ信じなかったでしょ」
「そりゃ、まあ…」
「あの観覧車は、大きな霊道のちょうど真ん中にあるのよ」
「霊道?」
私は実加の方を見た。
「たくさんの霊が通っていく道のこと。たまたまこっちの世界と重なってるだけで、本当なら出口があって、霊は何ごともなくあっちの世界に抜けるんだけどね」
実加が淡々と答える。
「あの場所では、道の途中に観覧車が建っていて、霊が正しい方向に向かうのを邪魔してるの。網みたいに霊を引っ掛けてる。だからあそこには、多くの霊が溜まってるのよ」
「実加にはそれが見えたの…?」
実加はうなずいた。
「ほとんどのゴンドラに霊が乗ってるのがね。琴江が会ったのは、事故で両目に大きな傷を受けたまま亡くなった人なんだと思う」
私はさっき見たものを思い出し、慌てて頭から追い出した。
「だけど、どうして急に消えたのかな。あたしがあの花火を指さしただけで…」
実加が立ち止まり、遊園地の方を振り返った。
「あの花火の上がってた方向が、霊道の出口のある方向だったのよ」
「え…」
私も立ち止まる。
「琴江がそっちの方向を示したんで、正しい道に戻れたのよ。周りにいた他の霊の多くもね。きっとみんな、無事にあっちの世界に行けたと思うよ」
「……」
なんとも言えず、私は遊園地を見やった。
広い道路が伸びた先の、ビルの谷間に、イルミネーションの光る観覧車がぽっかり丸く浮かんで見えた。
それはまるで、こちらをじっと覗き込んでいる巨大な目のようだった。
怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん
作者怖話