長編8
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観覧車

その日は朝から曇っていた。

私・橋崎琴江は夏休みの一日を、大学の友達と7人で遊園地で過ごしていた。

全国的にもそこそこ有名な遊園地だ。

女7人で絶叫マシーン系の乗り物ばかり乗りたおして大騒ぎをし、そろそろ帰ろうかと思った、それは夜の7時少し前のことだった。

「7時から、花火が上がるんだって」

「あー、夏だねー」

「じゃあ、それ見てからここ出ようか。そのあとご飯食べに行こう」

「それまでぶらぶらしてるー?」

そんな会話をしながら園内を歩いている時、私はふと目を上げた。

夕暮れの空に、巨大な円形の骨組みがそびえていた。

止まっているのかと思うぐらいゆっくりと回っている。

辺りが暗くなったため派手なイルミネーションが灯り、それで初めてその観覧車は、私の目を引いたのだった。

「最後ぐらい、のんびりしたやつに乗っておこうか」

私は観覧車を指さした。

「そうだね」

反対する理由もなく、皆が観覧車の乗り場に足を向ける。

…と、一人だけがついてこなかった。

「実加?」

私は気づいて振り返った。

その友達・実加は、私たちの頭上を、多分観覧車を、黙ってじっと凝視していた。

じきに実加が口を開く。

「あたしはやめとく。乗る気がしない」

実加はスタスタと、近くのベンチに向かって去っていった。

「さっきまで一緒に盛り上がってたのにさ。実加っていつもマイペースだよね」

「気まぐれなんじゃないのー?」

私たちは観覧車に乗る順番を待ちながら話していた。

「まあいいじゃない。ここの観覧車、定員6人だから、ちょうどいいよ」

私は言いながら、実加のすわるベンチを見た。が、すでに薄暗い中では、実加の様子はよくわからなかった。

暗いと言っても、観覧車のイルミネーションが綺麗に映えるほどの夜では、まだない。

空は幾重にも垂れ込めた雲にふたをされ、紫がかった不気味なオレンジ色の夕闇がのしかかるようだった。

隣に人がいるのはわかるが、その人間の顔ははっきり見えない。

そういう暗さだった。

すぐに順番は来て、ゆっくり回る観覧車のゴンドラのドアが開き、係員が私たちを促した。

一人目、二人目、三人目…と乗り込む。

私は六人目として、最後に乗ろうとした。

と、係員が私の前に手を伸ばしてさえぎった。

「?」

なんだ?と思って私は係員を見た。

その瞬間、友達の乗ったゴンドラのドアが閉まった。

観覧車は止まってはいないので、そのままゴンドラが進んで行く。

「え、ちょっと…」

まごつく私の前に、次のゴンドラがやって来る。

係員は私を制していた腕を引っ込め、そのゴンドラのドアを開けた。

「あたしだけ別のゴンドラ? 何で? これって…」

6人まで乗れるんでしょ、と言いかけて、私は言葉を飲んだ。

ゴンドラの中に、女の人が一人、まだ乗っていたのだ。

(この人は降りないの? 何? 相席ってこと?)

私が混乱して固まっている間にも、観覧車は動いていく。

「お客さん? 乗らないんですか?」

係員が怪訝そうに私に言う。

「なにやってんだ、さっさと乗れよ」

私の後ろで待っていたカップルの男の方が、私にイライラした声を投げる。

私は腑に落ちないまま、慌ててゴンドラに乗った。

ドアが閉められ、観覧車はゆっくりと登っていく。

ギギギ、と、耳障りな音をかすかに立てて。

私は女の人の向かいの椅子に腰掛けた。

明かりもなく、ゴンドラの中は外よりさらに暗かった。

雰囲気から言って、女の人は私と同じくらいの歳だろうか。

うつむいて、長い髪が前に落ち、顔がほとんど見えない。

厚手の白い長袖の上着に、白いスカート、白い帽子。

暑そうな格好だ。

けれど、そういえばこのゴンドラの中は、やけに涼しい。

クーラーなど入っていないのに、むしろ肌寒いくらい…。

私は居心地が悪く、先に行った友達のゴンドラを睨んだ。

置いてけぼりにするなんて、薄情なやつらめ。

ゴンドラは上半分しかガラスではないタイプなので、下からでは中の様子は何も見えなかった。

それにしても、と、私はまたちらっと女の人に目をやった。

どうしてこの人、降りなかったんだろう?

「探し物をしているの」

突然、女の人が口を開いた。

どこか遠くから聞こえたような、くぐもった声だった。

「探し物?」

私は思わず聞き返しながら、合点がいった気がした。

女の人はここで何か無くし物をし、それを探すために降りずに残ったのだと。

「あなたが探してくれる?」

「え」

「私では見つけられないの」

そう言って、女の人は少し顔を上げた。

私は驚いた。

女の人は、目のところに包帯を巻いていたのだ。

両目とも隠れるように、ぐるぐると。

「事故でね…」

女の人が言った。

おかしい、と私は思った。

どうしてこんな状態で、一人で観覧車に乗ってるの?

ギギギ、と音を立てて、観覧車は上っていく。

なんだか上るほどに寒くなっていく。

私は女の人を、もう一度よく見た。

長い髪、白い服、そういえばバックや何かを、手にいっさい持っていない。

手……。

私は少しのあいだ見つめ、そしてギョッとした。

女の人の手も足も、肌色をしているだろうか?

今まで暗さのせいだと思っていた。

でも違う。

指も、髪からわずかに覗く顔も―黒っぽい灰色をしているのだ。

「探してくれる?」

女の人がふらりと立ち上がり、私に一歩近づいた。

狭いゴンドラだ、それだけでかなりの至近距離。

私は本能的に逃げ場を探し、外に目をやった。

だが観覧車はすでにずいぶん上まで進んでいて、地面ははるか下にある。

「探してくれる?」

私を覗き込むように、女の人がかがむ。

その長い髪が私の顔に落ちかかった。

私はゾッとして身を硬くした。

「私の…」

女の人は、目元の包帯に手を当て、握るような形で、こめかみの辺りで包帯の束に指を入れた。

「私の目を」

そして、包帯をぐいっと下げた。

私は間近でそれを見た。

女の人の顔には、両目がなかった。

本来あるべき所がのっぺりとくぼみ、切れ目がない。

ただただ灰色の皮膚がなめらかに続くだけ。

「…きゃあああっ!!!」

私は弾かれたように立ち上がり、女の人を振り払ってゴンドラの隅に逃げた。

女の人はゆっくりと身を起こし、こちらに向き直って歩き出す。

私は反対側の隅に逃げる。

観覧車は上っていくばかり。

「た…助けて!」

私はガラスの向こうに叫んだが、誰に聞こえるわけもない。

その時、ゴンドラの安全レバーが目に入った。

緊急時にドアを開けるためのものだ。

振り返ると、女の人がまたこっちに近づいてくる。

私は思いあまって安全レバーを握ろうとした。

と、突然目の前のガラスの外に、炎でも灯したようにボウッと、黒ずんだ顔がいくつも現れた。

「きゃあ!!」

私は飛び退き、床にしりもちをついた。

見上げると――

ゴンドラのガラス張りの天井や側面に、ぼんやりとした輪郭の灰色の顔がびっしりと並んでいた。

男も女もいる。

体はなく、どれも暗い表情の顔だけが宙に浮き、こちらを見ている。

私は恐ろしさに声も出せず、呆然とその光景を眺めた。

すると、ふたたび長い髪が私の顔に落ちてきた。

女の人が膝をつき、覆いかぶさるように私を覗き込む。

「私の目はどこ?」

体温のない冷たい手が、私の顔を触った。

妙にぬるりとした感触。

「私の目は…」

私の顔をまさぐり、頬に触れ、そして目のほうに這い上がってくる。

「ここ…?」

灰色の細い指が、大きな蜘蛛の脚のように視界に入る。

逃げなければ。

そう思いながらも恐怖で体が動かない。

「ここね……?」

その時、どこかで、腹に響くような大きい音がした。

次いで何か丸い、明るい光が輝く。

ガラスの外、たくさんの灰色の顔の、さらにずっと向こうで――

私は咄嗟に声を出した。

「目なら…ほら、あそこに!」

私は丸い光の方向に、指をさした。

気づくと、女の人の姿は消えていた。

ゴンドラはずいぶん下まで降りていて、乗り場がすぐそこに見えた。

私は慌てて立ち上がり、係員に開けられたドアから外に飛び出した。

観覧車を振り返ると、あのたくさんの灰色の顔もなくなっていた。

いつの間にかすっかり陽が落ちて、空には花火が打ち上げられていた。

(あれは花火だったのか…)

そこで始めて、自分が指さしたものが、花火だったことに気づいた。

「…ちょっと、ひどいじゃない!」

すでに観覧車のエリアの柵の外に出ていた友達に、私は安堵感から妙に大声で言った。

「何で5人だけで乗るのよ…」

彼女らに近づいて、だが私は口を閉じた。

皆、泣きそうな顔をしていたのだ。

「違うのよ、あたしたちが乗った時、あのゴンドラには先に男の人が一人乗ってて…」

「でも人間じゃなかったのよ、幽霊だったのー!」

「よく見たら、頭から血を流しててさぁ、別に座ってるだけで何も言わないんだけど…でも恐かったんだから!」

取り乱す友達の中、実加だけが落ち着いた様子で、黙って話を聞いている。

実加は観覧車に乗ってないんだから、当然だろうか?

でも、幽霊話に驚いたふうもない。

私の話もしたけれど、恐がるでもなく、まるで当たり前のように聞いていた…。

結局、私たちは食事には行かず、まっすぐ家に帰ることにした。

私だって、これ以上暗い外にいたくはなかった。

めいめい電車で来たので、使う線が違い、私たちは数組に分かれた。

私は実加と二人で、遊園地から近い地下鉄の駅に向かって歩いた。

ビルが並ぶ大きな通りで、人が多くて明るいのが私には救いだった。

「…実加、知ってたんでしょ」

涼しげな表情の実加に、私は思い切って聞いてみた。

「え?」

「あの観覧車、出るって…だから、乗りたがらなかったんでしょ?」

ちょっと考えてから、実加は言った。

「まあね。あたし、昔から霊感あるの。でも、忠告してもどうせ信じなかったでしょ」

「そりゃ、まあ…」

「あの観覧車は、大きな霊道のちょうど真ん中にあるのよ」

「霊道?」

私は実加の方を見た。

「たくさんの霊が通っていく道のこと。たまたまこっちの世界と重なってるだけで、本当なら出口があって、霊は何ごともなくあっちの世界に抜けるんだけどね」

実加が淡々と答える。

「あの場所では、道の途中に観覧車が建っていて、霊が正しい方向に向かうのを邪魔してるの。網みたいに霊を引っ掛けてる。だからあそこには、多くの霊が溜まってるのよ」

「実加にはそれが見えたの…?」

実加はうなずいた。

「ほとんどのゴンドラに霊が乗ってるのがね。琴江が会ったのは、事故で両目に大きな傷を受けたまま亡くなった人なんだと思う」

私はさっき見たものを思い出し、慌てて頭から追い出した。

「だけど、どうして急に消えたのかな。あたしがあの花火を指さしただけで…」

実加が立ち止まり、遊園地の方を振り返った。

「あの花火の上がってた方向が、霊道の出口のある方向だったのよ」

「え…」

私も立ち止まる。

「琴江がそっちの方向を示したんで、正しい道に戻れたのよ。周りにいた他の霊の多くもね。きっとみんな、無事にあっちの世界に行けたと思うよ」

「……」

なんとも言えず、私は遊園地を見やった。

広い道路が伸びた先の、ビルの谷間に、イルミネーションの光る観覧車がぽっかり丸く浮かんで見えた。

それはまるで、こちらをじっと覗き込んでいる巨大な目のようだった。

怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん  

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