中編4
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深き火の海の淵より

 ここを訪れる方なら、誰もがご存知の事件なのかもしれない・・・・・

1955年(昭和30年)7月28日、三重県津市の海岸で市立橋北中学一年生の女子36人が水死した、所謂 「津海岸集団水難事件」である。

 津市中河原地先の通称文化村海岸において施行された同校の夏期水泳訓練(7/18日より午前中実施)は当日、最終日を迎えていた。

 男女に区域を分け、女子のエリアにおよそ200人の生徒が入り水泳訓練を開始した数分後、100人ほどの女生徒が北隅に流され体の自由を失い溺れだした。

 驚いた教員、水泳部員、居合わせた海水浴客などがまず必死の救出活動を行い、その後、警察機動隊、自衛隊、地元の漁船、三重大学附属病院の医師及び看護婦も駆け付け、懸命の活動を繰り広げたが36名の尊い命が失われた。

この事件の常識的に想像されうる原因及び科学的根拠として、その後、刑事裁判(校長、教頭、体育主任が業務上過失致死で起訴=一審有罪・控訴審無罪)及び民事裁判(津市に賠償請求)において専門家により様々な仮説、推測(異常潮流、急激な水位上昇等)が提出され審議されたが、いずれも確定的根拠はなく、不明となっている。(そのため刑事裁判の控訴審無罪の時、検察は最高裁への上告を断念=つまり、専門家の指摘した事項が起こり得ないと逆に実証することも不可能と判断) 

 いずれにしても事件顛末の詳細については、WiKipedia に詳しく記載があるので御参照いただくとして、ここではこの痛ましい事件がホラーとしてなぜ語り継がれてきたかを見ていきたい。

 ご存知の方も多いと思うが、以下の経緯がある。

当時の生き残りの一人だった梅川弘子さん(21=当時)が週刊誌「女性自身」(昭和38年)に、その時の手記をサイン、写真入りで寄せている。

★ 以下「日本怪談集」

教養文庫(昭和53年版)

 より抜粋

・・・いっしょに泳いでいた同級生が

「弘子ちゃん、あれを見て!」

と、しがみついてきたので、2、30m先を見ると、その辺で泳いでいた同級生が、つぎつぎに波間に姿を消していくところだった。

 すると、そこで弘子さんは「水面をひたひたゆすりながら、黒いかたまりが、こちらに向かって泳いでくる」のを見た。

 それは何十人もの女の姿で、ぐっしょり水を吸い込んだ防空頭巾をかぶり、もんぺをはいていた。逃げようとする弘子さんの足をつかんだ力はもの凄く、水中に引き込まれていったが、薄れていく意識の中でも足にまつわりついて離れない防空頭巾をかぶった女の無表情な白い顔を、はっきり見続けていたという。

弘子さんは助けあげられはしたが、肺炎を併発し二十日間も入院したが、

「亡霊が来る、亡霊が来る」と、うわごとを言ったという。

「防空頭巾にもんぺ姿の集団亡霊」というのには因縁話があって、津市郊外の高宮の郵便局長・山本剛良氏によると、この海岸には、集団溺死事件の起きたちょうど10年前の月日も同じ7月28日に米軍大編隊の焼き打ちで市民250余人が殺されており、火葬しきれない死骸は、この海岸に穴を掘って埋めたという。山本氏から、この話を聞かされた弘子さんは、手記の中で

「ああ、やっぱり私の見たのは幻影でも夢でもなかった。あれは空襲で死んだ人たちの悲しい姿だったんだわ」と納得している。

なお、山本氏が聞いて回ったところによると、この亡霊は、弘子さんを含めて助かった九人の内五人までが見ているばかりか、その時、浜辺にいた生徒たちの内にも、何人かが見たと語っているそうだと、弘子さんは伝えている。

(注;救出された九人とは自力で岸にたどり着けず救出活動で助かった生徒のみをいう)

 なんとも不気味で、そしてやりきれないほど痛ましい事件である。

そして、この話を読まれた方は、理不尽さや不条理の念をお待ちになったかもしれない・・・・

 いくら空襲で非業の死を遂げたとしても、何故、罪もない少女達に襲いかかり、その命まで奪わなければならないのか・・・・・・・

その死んでいった36名の少女達も、やはり怨霊と化し、海岸には今も凄まじい怨念が渦巻いているのか・・・・

しかしながら、我々は生きている自分たちの俗な判断でこういう未知のものを考えがちであるが、死んだ方の念というものはまさに得体の知れない、まったくもって常識外の現象を引き起こすということを肝に銘じなければならないということだろうか・・・

ところで、こんな話がある。

 この事件において公表されなかった事実があるというのだ・・・・

 それは梅川弘子さんの証言をまさに裏付けるものなのだが・・・

 私の同級生の医師で三重大学医学部の出身者がいる。彼が学生時代、この事件の古い資料を読む機会があったそうだ・・・

 ある時、彼は実に苦々しい顔で以下のような話をしてくれた・・・・

亡くなった36人の遺体のほとんどに・・・何か強烈な力によって締め付けられた鬱血跡が幾つもあり、しかもそこが・・・まるで何かに焼かれた火傷のようにケロイド状態になっていたという・・・・

警察でも、大学病院でも説明が着かず、結果的にこの事実は関連裁判においても提出されず・・・伏されたのである。

亡くなった36名は、死ぬ間際に、海の中にも関わらず・・・地獄の業火の中で苦しみ悶えていたのであろうか・・・?

まるであの日の空襲による炎の惨劇のごとく・・・

 三重県津市の海岸には、海の守りの女神の像が立っている・・・

 

怖い話投稿:ホラーテラー 洗島の八さん  

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