中編5
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動物園(贖罪)

季節が夏を迎えようとしていた頃、高嶺菫(タカネスミレ)が庭に咲いた。

別に私は園芸が趣味なわけではないのだが、この花は毎年植えることにしている。

もう数十年、そうして来た。

「おばあちゃん」

庭で水を撒いてると、お隣に住む子供がやって来た。

一年ほど前に、隣に越してきた若い夫婦の子供だ。

屈託のない笑顔で私に話しかける小さなお客さんは、

身寄りのない私にとって数少ない話相手の一人だ。

「おばあちゃん、去年もこのお花咲いてたね」

「ああ、そうだよ。毎年、おばあちゃんが植えてるからね」

「なんて、お花?」

「高嶺菫(タカネスミレ)っていうんだよ。綺麗だろう」

「うん、おばあちゃんはこの花が好きなの?」

「そうだね、この花はおばあちゃんにとって思い出の花なんだ」

「ふうん、どんな思い出?」

「大切な人との幸せな思い出だよ」

「その人は今どこに居るの?」

「今はいないよ」

「病気とかで死んじゃったの?」

「そうだね」

「おばあちゃんは今寂しいの?」

「ちょっとだけね、でも、お嬢ちゃんが来てくれるから平気だよ」

調度、その時お隣のお母さんが子供を呼ぶ声がした

小さなお客さんは元気な返事をすると

「じゃぁね、おばあちゃんまた来るね!」

と言い残して去って行った

私は、あの子に嘘を言ってしまったことを少し恥じた。

あの人と結婚して1年ぐらい、子供こそいなかったがちょうど隣の夫婦ぐらいの年のころ。

私は大病を患った。

医者が言うには手術によって治る可能性はあるが

まだ日本での症例は少なく成功する確率は低い

ただし、海外では症例・治療の実績が多く

現段階では海外で手術を受けることを推奨するとのことであった。

ただしそれには一つだけ問題があった。

私たち夫婦はそれほど裕福ではなかったのだ。

そんなある日、あの人は「気分転換に旅行に行こう」と言い出した。

私は快く賛成した。

その時、私は既に諦めていたのだ

少ないお金をやりくりして、行った旅行先は温泉宿で

近くに高嶺菫(タカネスミレ)が自生した花畑があった。

私は旅行中、家の経済状態についてあの人に何も言わなかったし

あの人も私の病気の事は一切触れなかった。

私は自分の運命を受け入れ残りの少ない人生をあの人と生きていこうと決意し

そしてあの人も同じ気持ちであった。

その時はそう思っていた。

旅行から帰った日。

あの人は意を決したように言った。

「離婚しよう」

私は目の前が真っ暗になった。

その日私はそれ以上何もしゃべらなかった。

そして次の日にはあの人の姿はなかった。

それから数か月したころ、庭に高嶺菫(タカネスミレ)花が咲いた。

私はなにがなんでも生き抜く決意をした。

何とか海外での手術に成功した私は

一生懸命に生きた。

時間もかかったが、手術の費用となった借金もすべて返済した。

それと同時に私に一つの習慣ができた

毎年庭に咲いたその花から種子を取り、翌年再び植え続けることだ

あの人との思い出の中で生きつづける為に……

気づくと私はたくさんの檻が立ち並ぶ、動物園らしき所に居り

備え付けのベンチに腰を下ろしていた

辺りは靄に覆われて、檻の中の様子が良く解らない

ふと、隣に目をやると男が一人座っている

「あの…ここは…?」

私の問いに対し男は無言で目の前の檻を指差した

檻には「羊」とだけ書かれプレートが掲げられている

いつの間にか靄が晴れており檻の中が露わになっていた

檻の中には女性が数人と飼育員の恰好をした人が一人いた

飼育員は女性を一人捕まえると椅子に縛り付け体の自由を奪った

そして、無造作に髪の毛を掴み力任せに引き抜いていった

女性の悲鳴が園内に響く

ものの数分で女性の髪は全て引き抜かれた

「あの……彼らは何をしているのでしょう?」

私の問いに対して、その男はこう答えた

「なにって……羊ですからね。毛を刈っていたのですよ」

「……」

「遅れましたが、私はここの園長をしている者です」

「ここは……一体……」

「地獄です」

「はぁ……」

「貴女は天寿を全うされ、地獄に来たのですよ」

「そうですか……」

「ここに来てしまった理由にご自覚はありますか?」

「ええ、もちろん」

男は薄気味悪い笑みを漏らした

「私は……夫を殺し庭に埋めました

 全く愚かなことをしたと思います

 ただ……あの時は裏切られたという思いから激情に駆られていたのです」

「なるほど……」

「しかし、私は直ぐ後悔の念に悩まされました

 家から、多額の現金が収められた通帳と夥しい数の借用書が見つかったのです」

「ほう……」

「あの人が『離婚しよう』と言った真意は……

 私に多額のお金を預け、自分だけで借金を負おうとしていたからだったのです」

「良い旦那さんですね」

「ええ、私には過ぎた人でした。

 先ほども言いましたが、私は後悔の念に悩まされ続けました……

 それこそ、ここのまま死んでしまおうと……」

「なぜ、そうなさらなかったのですか?」

「庭に高嶺菫(タカネスミレ)の花が咲いたのです。

 あの花は私とあの人が最後に旅行へ行ったときに咲いていた花

 あれを見て私は生きていこうと決意しました。

 自分で殺めておいて図々しいしいと自分でも思うのですが

 あの人はそんなこと望んでいないと思ったものですから

 このままたとえ病気が治って生きていたとしても

 辛い事だけだと思っていましたが、それが私の罰だと思い…」

「そうですか……」

「あの……一つだけ、聞かせてもらえないでしょうか?」

「なんでしょう?」

「あの庭で、あの花が咲いたのはあの人が起こした奇跡なのでしょうか?」

「そうですね……多少、必然の部分も在りますが奇跡と言えるのかもしれませんね」

「どういう意味でしょう?」

「あの花が咲いたのは、旅行に行った際に花の種子が旦那さんの衣服に付着していたからです」

「??…だとしたら必然ではありませんか?」

「ええ、そこまでは必然かもしれません。

 しかし、貴方は知らなかったことが一つあります」

「なんでしょう?」

「高嶺菫は高山植物です。平地では花は咲かせないんですよ…」

その日、園長はとある檻を訪れた。

その檻の中には、一人の男が居る。

檻の外で掃除をしている担当の飼育員に声をかける。

「お疲れ様です、どうですか仕事は慣れましたか?」

「なれる訳ない……こんな仕事……」

飼育員の表情は暗い

「そうですか……」

「……」

「……」

「一つ聞いてもいいですか?」

今度は飼育員が園長に話しかけた

「はい、なんでしょう?」

「今日来た女性についてです……なぜ本当のことを言わなかったのですか?」

「……彼女は現世で自らの罪を自覚し、苦しんでいました

 これ以上わざわざ苦しませる必要もないでしょう」

「しかし、園長は以前こう言われた。罪は足し引きできるものではないと」

「ええ、そうですよ。だから結局のところ彼女が受ける罰に変わりはありません」

「……」

「いいじゃないですか別に言わなくても。

 あの時、男が借用書だけ残しお金だけを持って行こうとしていたなんて…」

園長は無表情で檻の中の憔悴しきっている男を見つめ続けた……

怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん  

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この話好きです。
知らぬが仏。

知らない方が幸せなことって、世の中結構ありますよね。