中編4
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改訂版犯罪者心理

目の前には女。

女は動かない。

それは小さな部屋の中。

私と向き合うようにして、男が座っていた。

男はピクリとも動かず、無表情でこちらを見ている。

『何?何か言いたいことでも?』

『別に。何も。』

『何か言いたそうな顔してる。』

『そうなの?』

『そうだよ。』

『ならそうなのかもね。』

私は舌打ちをし、パイプ椅子にもたれながら足を組んだ。

ギッと金属の軋む音が沈黙した小さな部屋に響く。

『ねえ。』

『何だ?』

『何か言いたいのは君の方だろ?』

『何…?』

『こんなところに俺を連れてきて、何が目的?』

『何を言ってる?』

『つまらない。飽きたよ。』

『お前、自分の状況わかってないのか?』

『何が?』

コンッ

古い白熱灯に虫が激突を繰り返している。

『…お前、殺しを悪いと思うか?』

『悪いとか悪くないとか、俺はわからない。殺したくなれば殺せばいいじゃない。』

『なぜ?』

『君だって鬱陶しい虫が居たら殺すだろう?ホント、気持ち悪くて耐えられない。ゴキブリとか、毛虫とか、あとは…』

『そんな次元の話をしてるんじゃない。』

『何?』

『人を殺すことは悪いことかって聞いてるんだ。』

『知らない。悪くないでしょう、多分。』

『なぜ?』

『例えば、そう。死刑執行人や戦争をする人間を君は悪とする?』

『死刑執行は法と秩序、戦争は正義に基づくものだ。悪ではない。』

『法と秩序、正義に基づくもの以外は悪ってこと?』

『……法や秩序、正義は善と悪を分かつために作られたルールだ。そのルールは私達に与えられる一定の正しい概念だ。』

『一定の正しい概念だって?』

目の前の男はそう言いながら、眉を上げて嘲笑を浮かべた。

『君はわかってないな。そもそも一個人で思想も価値観も理念も異なる。

人生はスポーツじゃないんだ。

自分の人生がどこの誰が作ったのか知らないそのルールとやらに従わせるのは傲慢ではないか?

「ルールを守る」というルールもそのルールに組み込まれた一つだろう。

君は今、虫を殺すことと人間を殺すこと、違う次元の話だとした。

果たしてそうかな?

それは君個人が持つひとつの「思想・価値観・理念」。

仮に地球規模でその事柄だけを考えるならば地球上の生命を一つ消すということだよね?

どう?次元は違う?

違わない。人を殺すことも虫を殺すことも、本来同じところにあるもの。

「人を殺すことを悪としない。」

君の言う概念が、それを危険な思想とするならば、逆に言えばそれを「危険な思想」とする思想に他ならない。

そう、君の言うルールの中に植え付けられた「思想」だよ。

曖昧な理由を付けてはこれはいいけどこれはダメだなんて、いい加減なルールだよね。

大多数がそのルールに従い、世界規模でそれが蔓延しているとしても、俺がそれに従うか従わないかは、この世に生を受けた時点で俺自身が決めるよ。』

壁に掛かった時計の秒針の音が、僅かながらに聞こえる。

ふと視線を落とすと、地面に落ちた虫がもがいていた。

私は少し考えた。

が、答えは出ない。

『ルールがあったからこそ、人間は進歩し、高度な文明を築けた。そして今の世の中があるんだ。

もしルールがなければ野蛮で、暴力や混沌に満ちた世の中になってしまう。』

『君、面白いことを言うね。

元々ルールなんて無ければ人間は自然の摂理に従い弱肉強食の世を生きていた。違う?

そうだな、ちょうどそこでもがいている虫のように。そうだろう?

ルールによって高度な文明を築けた今、野蛮で暴力や混沌に満ちた世界とは「今の世界」のことではないのか?

多くの種を絶滅に追いやり、環境汚染や同種での殺戮を繰り返す。

「豆腐はダイエットに良い」だなんて能天気に喋る女がいれば、泥水をすすりながら必死で生きる子供がいる。

まるで悪い冗談だな。

なまじ知識があるせいで欲望は渦巻き、それが尽きることは永遠にない愚かな人間。そしてその人間がはびこるこの世界。

それがその法や秩序や正義とやらのルールで守られた平和な世界とでもいうのか?』

『……屁理屈だな。』

『これは理屈じゃないんだよ。本当はわかっているだろう?物事に、善悪なんてない。あるのは歴史だけだ。』

私は言い返す言葉を失った。

先ほどまでもがいていた虫はすでに息絶えていた。

『ねえ。』

『何?』

『そろそろはっきりしよう。』

『何がだ?』

『俺をなぜここへ?』

『なぜって…』

『君、本当に優柔不断だね。』

『…』

『自問自答なんてしてないで、とりあえずコーヒーでも飲んだらどうだ?落ち着くだろうよ。』

そう言って男はゲラゲラと、涎を垂らしながら笑った。

目の前には女。

女は動かない。

私の手には生暖かい何かが滴る。

口元に手をやると、涎が垂れていた。

私は自問自答をやめた。

真っ赤に染まった手でカップに入ったコーヒーを飲む。

片方の目から涙が一筋流れた。

怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん  

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