中編3
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隙魔

『襖は最後まできちんと閉めんさい。

「悪いもの」を見るけえね』

幼い頃、祖母は私によくそう言った。

『隙間の「間」は「魔」に通ずる。

だから隙も魔も作っちゃいけん』

信心深い祖母はだらしの無い私を、

そのような言葉達で戒めた。

私は祖母の言いつけ通り、

部屋を出る時には必ず、

ドアや襖は最後まで閉めるよう努めた。

しかし何度かは、

閉め忘れてしまうことがあった。

その度に私は、

「悪いもの」を見てきた。

最初は幼稚園くらいの時だった。

トイレから戻って来てみると、

仏間の襖が少し開いている。

さっき閉め忘れたと気づき、

祖母に見つかる前に慌てて閉めようと、

襖に手をかけた所で、

仏間の中に佇む人影が、

隙間から見えた。

灰色の和服を着た、

見たことの無い老人が、

布団から半身を起こしている。

白い、皺だらけの顔は骨ばっており、

その中心にある濁った目は、

射るようにこちらを見つめている。

不機嫌そうにへの字に曲げられた唇が、

ゆっくりと開いた。

わあ、と叫んで、

祖母のいる台所へ急いだ。

祖母は、廊下を走ってくる私を怒り、

私の話を聞いて、更に怒った。

祖母と共に仏間に戻ってみると、

老人どころか布団さえも無かった。

『あんたが見たのはこの人じゃろう』

祖母の示した仏壇の二段目に鎮座する遺影は、

確かにさっき私が見た老人だった。

老人は祖父の父、すなわち曽祖父であり、

この部屋で亡くなったという。

私がさっき見たのは、

亡くなる直前の祖父の姿だったらしい。

その後も私は、

襖やドアの隙間から、

「悪いもの」を時々見た。

ある時は自室のドアを閉める直前に、

戦争で若くして亡くなった大叔父を見た。

またある時は会社の会議室の中に、

病死したかつての同僚を見た。

それらはいずれも、

その部屋と私自身に縁のある人物達で、

亡くなる少し前の姿で現れた。

しかし、こんなこともあった。

出張先のホテルで夕食に出かけようと、

ノブに手をかけた。

が、財布を忘れたことに気づき、

部屋に戻ろうとした時、

開きかけたドアから「隙魔」が見えた。

茶色の長髪を振り乱した女が立っていた。

下げられた左手は、

血に塗れた包丁を握っており、

体にも血が飛び散っていた。

女の目がクワッと見開かれ、包丁が振り上げられた。

思わず私はドアを閉めていた。

ガチャリと存外大きな音がしたが、

それ以降は全くの無音だった。

そろそろとドアを開けてみると、

部屋の外にはホテルの長い廊下が広がるばかりで、

その妙な明るさがむしろ不気味だった。

包丁から滴っていた血の跡も、

絨毯には認められなかった。

こんなことは初めてだった。

女は私の知っている人物ではなかったし、

なによりも部屋の「外」に隙魔を見たのは初めてだった。

更に包丁から滴るものが血であると分かったのは、

それが赤い色をしていたからだ。

私が今まで見てきた隙魔は、

一様に灰色で、

基本的に静かに座っていた。

あの女のように、

色も動きもまるで生きている隙魔など、

初めてだった。

私は早々に部屋をチェックアウトし(部屋を出る時が一番怖かった)、

別のホテルに急遽泊まった。

その後、あのホテルで殺人事件が起こったことを、

新聞の記事で知った。

事件が起こったのは、

私が隙魔を見た2日後。

ホテルで待ち合わせた不倫のカップルを、

妻が包丁で殺害したらしい。

妻は最初に別の部屋で待っていた浮気相手を刺殺し、

そのまま夫の部屋へ向かった。

夫の部屋は、私が隙魔を見た部屋と同じだった。

掲載されている妻の面影には、見覚えがあった。

私は「未来の隙魔」を見たのだと思う。

部屋の中に見る灰色の隙魔を、

「過去の隙魔」とするのなら、

部屋の外に見る鮮やかな隙魔は、

「未来の隙魔」だろう。

「未来の隙魔」が鮮やかなのは、

それがまだ生きている人間だからだ。

しかし隙魔として、

「悪いもの」として出現する以上、

それは死と同様の、恐ろしい運命を辿るのだろう。

あれから私は、

「未来の隙魔」は見ていない。

しかし今、悩んでいる。

もしまたそれを見る時があったとしたら。

そしてそれが、私と縁の深い人物の、

恐ろしい未来であったとしたら。

私は、どうすればいいのだろう。

怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん  

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