長編10
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おじさん

私が小学校3~4年頃の、トラウマ体験です。

私の母は北海道出身で、毎年夏休みには私と妹と母の3人はそこに旅行するのが恒例でした。

いつもまず母ととても仲が良い叔母の家で数日過ごし、それから実家に向かうのですが、その年も例年通り白老にある叔母の家に泊まることになりました。

叔母は結婚して2年程しか経っていないのですが、一年前から旦那さんは長期入院していました。つまり、結婚して早々に入院したことになります。

叔母は気さくで明るく朗らかな性格なんですが、現在の私から見てもどうも不幸を背負いがちな運命にあるようです。

しかし私達が遊びに行った時に丁度その旦那さん、私から見ればおじさんがようやく退院して来るということでした。

私たちが家に着いた翌日、朝から叔母は車でおじさんを迎えに行きました。私たちは家に残りましたが、クマ牧場やアイヌ民俗資料館など、近郊の観光名所は既に制覇していたので、家でまったりと過しておりました。

昼には夕張メロンや各種珍味に舌鼓を打っていましたが、そのうちに叔母たちが帰ってきました。その時私は初めてそのおじさんを見ました。

痩せていて背が高く、顔色が青白いせいかヒゲの剃り跡がとても目立っていたのが印象に残っています。顔立ちは少しほりが深く整っていて、例えるなら「とても不健康そうな平井堅」といったところでしょうか。

長期入院開けなので当たり前かもしれませんが、なんとなく陰気な感じが、明るい叔母の性格ととても対照的でした。

さて叔母たちですが車内で揉めていたらしく、言い争う声と共に家に入ってきました。そしておじさんは私たち兄妹を見つけると歩み寄り、開口一番言いました。

「おじさんとドライブに行かないか?」

恐らく言い争いの原因はこの事でしょう。退院早々出歩く事に、叔母は反対したのでしょう。おじさんの体を気遣えば当然の反応です。

しかし、おじさんは頑として譲らず、また私達も丁度退屈していたところだったのでおじさんの提案に大乗り気で、一緒に叔母を説得したのでした。結局叔母は折れて私たち兄妹はおじさんと出掛けることになりました。それでも叔母は、私達が車に乗り込みまさに出発する直前まで、なるべく早く戻るように何度も念を押しました。

私達兄妹の期待とはウラハラにドライブはとても退屈なものでした。何も無いところを延々走っている感じです。初めのうちはその壮大な風景に眼を見張りましたが、そのうち道が段々細くなり、未舗装になりました。遂には道すら無い荒地の中をグイグイ入って行きました。その頃にはあたり一面、人も車も見当たりません。牛や馬も一頭もいません。

オフロードではない普通の車の車内はグワングワンに揺れましたが、おじさんは速度を緩めることなく容赦なく突き進んでいきます。その間おじさんはずっと無言。一心不乱にハンドルを握っていました。私と妹は不安で一杯になり、強く手を握り合いました。

「さあ、着いたよ」

永久に走り続けるのではと思われた車は突然止まりました。おじさんに促され車を降りた私たちは面食らいました。目的地には何も無いのです。見事に何もありません。見渡す限りの荒地。世界中に私達とおじさんだけしか存在していないかのようでした。苦労してやって来た結果としては落胆せざるを得ませんでした。

しかしおじさんは上機嫌で私達に話しかけます。

「ここの土地は全部おじさんの物だったんだよ、ここに見えてる土地ぜーんぶね」

私達はどうリアクションすればいいのでしょう?不安で押しつぶされそうな私達はおじさんの言葉に反応できずに身を硬くしていました。

5分ほどでしょうか、私達とおじさんは無言のまま荒地を眺めていました。それはとても長い5分間でした。

「さあ、帰ろうか」

おじさんのその言葉を聞いて心底安堵した事を覚えています。そして他にはどこにも寄る事無く真っ直ぐ家に向かいました。

家に着くと真っ先に叔母が出迎えてくれました。無事に着いたことを本当に喜んでいるようでした。どこに行ってきたのか聞かれましたが上手く答えられませんでした。おじさんも言葉を濁しているようです。しかし叔母は深く聞くことなく、すぐに夕飯にすることを告げると母と共に台所へ向かいました。

その時です。妹が母の元へと駆け寄り、服の端を掴んだきり離そうとしません。母は「どうしたの?」と尋ねましたが、妹は「お母さんと一緒にいる!」と言って抱きつきました。

母と叔母は異様な雰囲気を感じ取ったのか、なんとなくおじさんのほうを見た様な感じがしました。そして、妹は母と共に台所へと消えました。

居間に残ったのは、おじさんと私の二人きり。

三つ子の魂と言いますが、小さい時から妹はハッキリした勝気な性格で嫌なものは嫌と言い、危険を察知する勘も働く方でしたが、私は全くの逆。のんびりしていて優柔不断。揉め事が嫌いで温和といえば聞こえがいいが、ようは何事にも嫌とは言えず厄介事を背負い込むタイプ。

その時の私も正にその図式通り。私も妹と同じく心の中では、おじさんに対してなんとなく警鐘を鳴らしてはいたのですが、実害があった訳でもないのに避けるのも悪いなあと思っている内に妹はさっさと安全地帯にいるのでした。

さて、おじさんと私はソファーに座りお喋りをしました。とは言っても、おじさんが私に色々尋ね、私は生返事を繰り返すといった感じでした。正直何を聞かれたかなど、全く覚えていません。心ここにあらずといった感じです。しかしおじさんは完全に私にロックオンしたかのように私に話しかけ続けます。夕飯の間もずっとです。夕飯はかなりのご馳走だったのですが、味わって食べた記憶がありません。ただ母と叔母に挟まれて座っている妹を恨めしく眺めている事だけ覚えています。

私は少し早めに食事を切り上げ、逃げるように一人ソファーに向い座るとテレビをつけました。すると母が、「テレビ観る前に、お風呂にはいっちゃいなさい」と言いました。私は「えー」と不満そうに唸ると、おじさんが言いました。

「じゃあ、おじさんと一緒に入るか?」

私には、断ることができませんでした。

風呂場に入るとおじさんは、一変して自分のことを話し始めました。主に自慢話でした。

資格マニアでいろいろな資格を持っていることとか、現在もなにやら特殊な技手で職場で重宝されていたこと、それから先ほど行ってきた土地に関してもいかに安く手にいたか、将来何を建てようとしていたか、等々。話しながらおじさんは私の体をスポンジでこすり続けました。

私は質問に答える必要がなくなり少しほっとしながら、なるべく感情を殺して、おじさんに身を任せていました。

するとおじさんは、私の前に座りなおし、すこし不思議なことを言いました。

「○○君は、シャンプーとリンス、どっちを使うの?」

私は混乱しました。質問の意図がよく分かりません。仕方なく、その言葉に忠実に答えました。

「えっと・・・、両方」

「両方使うのか。○○君は、贅沢なんだな」

おじさんは、ニッと笑うとシャンプーとリンスの容器を両手に持ち、両方同時に私の頭上にかざしました。

私は地肌に冷たいものを感じました。しかし、おじさんはかけるのを辞めようとしません。じきに額の方にどろっと垂れてきました。私は目に入らないように必死に手で拭いました。それでもおじさんはかけ続けます。

しばらくして、おじさんは容器を脇に放りました。恐らく使い切って空になったのでしょう。おじさんは私の頭を両手でまさぐり始めましたが、なかなか泡立ちません。私の頭はおじさんがいくらまさぐっても、ぬるぬるとするだけでした。

私はその度に額に垂れてくる物を必死に拭い続けました。

それからおじさんは、私の頭を押さえつけシャワーでお湯をかけ続けました。皮肉にも少し落としてあげたことでようやく泡立ち始めましたが、おじさんは気にも留めず、シャワーをかけ続けました。

私は確信しました。やはりおじさんはおかしい。おじさんが入院していた病院は、絶対ふつうの病院じゃない。

風呂から上がると、体を拭くのも早々にパジャマを着てすぐさまソファーに座るとテレビに体を向けました。

背後におじさんが座る気配がしましたが、無視しておじさんに背を向けたままテレビを食い入るように見ました。

食卓の椅子に腰掛けてテレビを見ていた妹は、おじさんが来るとすぐさま風呂場に向かいました。同時に叔母さんも風呂場に行きました。どうやら二人で入るようです。

しばらくすると叔母さんが風呂場から顔だけ出して

「姉さん、悪いけどそこの戸棚からシャンプーとリンス取ってくれる?」と声が聞こえました。

私の体は思わずブルブルっと震えました。その背中をおじさんが見つめていると想像すると、私の体はコチコチに緊張しました。

しかし、本当の修羅場はこれからでした。妹が恐ろしい事を言い始めたのです。つまり、女は女同士一緒に寝ると・・・。

私は昨晩そうであったように、当然私の家族同士で寝るものと思っていたので、正に晴天の霹靂でした。しかし上手い反論が見当たりません。妹の提案に不自然なところは有りません。逆に下手にお母さんと寝たい等と言ったら、叔母さんは絶対に私をからかいます。叔母さんには微妙な年頃の少年の心理を気遣うデリカシーは無いのです。それに何故シャンプーとリンスが同時に空になっているのか疑問に思う繊細さも無いでしょう。

仕方なく私は自分を説得することにしました。私は頭にシャンプーとリンスをかけられただけで、実害は無いのだと。

私は布団に入ると直ぐにおじさんに背を向けて眠った振りをしました。しかしおじさんは、ことさら私に話しかけるでもなく黙って寝ているようでした。私も緊張状態をそう持続することはできずに、こんな状況にありながらもじきに眠りに落ちるのでした。

私が眼を覚ましたのは、右手に違和感を感じたからです。気がつくとおじさんが私の手を両手で揉んでいるのでした。

私は掌に汗がジワッと滲むのが分かりました。おじさんはその湿り気を拭うかのように執拗に私の手を揉み続けました。

私は下手に拒むのも恐ろしくて、されるがままになっていました。私は自分の息遣いが少し荒くなっていくのを感じました。しかしそれ以上におじさんの荒い息遣いが私の耳元にかかりました。

「うふーっ、うふーっ、うふーっ・・・」

しばらくするとおじさんは、ゆっくり、ゆっくり、私の手をおじさんの懐へと導きはじめました。

「うふーっ、うふーっ、うふーっ・・・」

ゆっくり、ゆっくり、でも確実に・・・。

「ふんっ、むふーっ、うん、ふんっ」

やがて私の手は、生温かくて、グニっとしていて、そして毛むくじゃらのモノに触れました。

私は一瞬で何か禍々しいモノに触れたことを察知し、ばね仕掛けのように右腕を跳ね上げて、おじさんの両手を振り払うとすぐに自分の両腕を股に挟みおじさんに背を向け丸くなりました。

おじさんは、もはやなりふり構わず私の腕を掴み力任せに引き抜こうとしました。

「ううん、おおお、ううう・・・」

おじさんのそれは息遣いというより、呻き声というか、唸り声というか、鬼気迫る物になっていました。

私は渾身の力を両腕、両脚に込め必死に抵抗しました。小学生の力とはいえ、腕一本取られるのを体全体で抗えばそう容易ではありません。

その攻防は実際のところそう長い時間は続いていないでしょう。1分か、2分か・・・。しかし私にとってはいつ終わるとも知れない地獄の時間でした。

やがておじさんは力を緩め、両手を引っ込めると静かになりました。息遣いも次第に収まりました。

しかし私の体の硬直は取れることもなく、眼はギンギンに見開き、まばたきすら忘れたようでした。そして寝室には私の息遣いだけが響き渡りました。

私は身じろぎも出来ずにいましたが、神経だけは背中にいるおじさんに集中していました。ちょっとした布団の擦れる音にも反応して更に体が硬くなりました。

どれ位時間が過ぎたでしょうか。おじさんはおもむろに体を起こすと布団を抜け出しどこかに行きました。その瞬間私の緊張は最高潮に達しましたが、おじさんは戻ってきません。トイレにしては長すぎます。小一時間もする頃には徐々に私の緊張は解け、再び眠りに入るのでした。

次の日起きたのはお昼近くでした。体中が汗で湿っています。居間に向かうと母と妹は既に起きていてテレビを見てくつろいでいました。妹は私に「お兄ちゃん、いつまで寝てるの?」などと言ったので、軽く睨んでやりました。

しかし、叔母の姿が見えません。私は母に問いただすと、母は言いました。

「おじさんねぇ、自分で病院に戻ったみたい、朝早くに。実はいままでも何度かあったみたい。病院側は病気は既に治っているんで退院しなさいって言うんだけど、すぐに自分で戻っちゃうんだって。叔母さんも単なる甘えだって言ってるんだけど、まあ、しかたないわね。今再入院の手続きに行っているの」

おじさんは、ちっとも治っていない。私はよく知っている。

ここからは後日談。

叔母さんは程なくしておじさんとの離婚を決意するのだけれど、おじさん側に変なプロ市民団体が擁護に付きました。離婚協議は揉めに揉め、家やら金やら相当の財産をふんだくられた末の決着となりました。その後、有能な叔母は一財産を築いては、トラブルで財を失うを繰り返す人生を送る事になるのです。

私はと言えば、その後も何度か痴漢にあったことがあり、おじさんの行動はあながち病気の所為ばかりでなく、私が内気な美少年であったことも要因かも・・・、と考えるこの性格が一番の問題か。

怖い話投稿:ホラーテラー いっかみさん  

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