長編8
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肩の灯火

私の通う大学は、とある地方の国立大学。留学生が沢山いて、私の研究室でも中国からの留学生が半分を占めていた。

その中の一人、ここでは李さんとしておくが、私の同期で割と気の合う奴だった。

そして、彼は霊感が強いようなのだが、あまりにあっけらかんと不思議体験を話すのでイマイチ信憑性に欠けるところがあった。

例えば、或る日彼が額に大きな絆創膏を貼ってきたので理由を尋ねると

「いやあ、今日朝起きる時に、つい体が浮いていたみたい。起き上がったら天井に頭ぶつけちゃった」

それは幽体離脱?いやしかし、幽体でおでこに傷がつくか?と、どうも釈然としない。

またある時みんなで、一人で風呂に入るようになったのはいつ頃からか、と話し合っていると

「自分は、いつも誰かと一緒よ」と言い、周りが驚き「親父? お袋?」と尋ねると

「いや、まるで知らない人達」

「知らない人達?」

「そう。だいたいいつも3人か、4人、5人」

「はぁ、どういうこと? て言うか、お風呂場、広いんだ」

「あ、広さは関係ない。それ関係あるは、私だけ」

どうも、周りの調子が狂うのである。大抵は「李さん、また始まった」と言ってうやむやにするか、話題を変える事になる。

李さんの霊体験は、そのお国柄なのか我々とは感覚が違うようだ。日本の概念にハマらないというか、距離感が違うというか。

私は李さんとよく飲みに行くのだが、ある時李さんの能力について尋ねてみた。それは想像以上に噛み合わなかった。

「李さん、霊感強いね」

「れいかん?何?」

「霊魂見る力」

「れいこん?」

「そう、人が死んで、肉体から離れた姿」

「ええっ、○○さん、私、それ見ないよ」

「ええっ、そうなの?」

「○○さん言うは、『気』の事でしょ。私、『気』は見えないよ」

「いやいや、李さん、だってよく見たって言うでしょ、人の姿をした…」

「ああ、○○さん、それは、ぐぇいね」

「ぐぇい?」

李さんはペンを取り出すと、箸袋に「鬼」と書いた。

「おに?」

「おに言うの?そう、私見るは、おによ」

どうやら中国では「霊魂」のことを「鬼」というらしい。「トイレットペーパー」を「手紙」と表記する国だから、これ位では別段驚かない。

「だから、俺も、李さんも、死んだら鬼になるわけじゃん」

「えー、私ならないよ。日本人は死んだらみんな鬼になるの?」

突然李さんは大笑いし始めこう言った。

「だから、日本人は、しゃおぐぇい(小鬼)言うのぉ?」

李さんのジョークは理解できなかった。中国人同士では大爆笑でも日本人相手に言っちゃダメでしょ。心優しい私は、親密になった証と受け取っておくけど。

「じゃあ、例えば、守護霊、つまり鬼が、人を鬼から守るというような…」

私は途中でやめた。李さんが笑いを堪えて、顔の前で手を振っていたから。

この日はこれ以上の話はしなかった。なんとなく気分を害したってこともあるし。

あ、誤解の無いように言っておくと、李さんは日本に留学するくらいだから凄い親日家だし、基本とてもいい奴。これは長い付き合いの中の唯一の失言と言ってもいい。しかも、結構お酒も入っていたし。

閑話休題。李さんのニュアンスだと「鬼」は「悪霊」に近いイメージかな。そこまで言わなくてもなんか下等な亡霊や半霊半妖の類か。

日本で言う「霊魂」は中国では『気』に当たり、それは形を成したものではない。こんなところかな。

でも李さん、同じ中国人からも変人扱いだから、李さん基準がどれだけアテになるのかは疑問だけど。

それにしても、中国には守護霊って概念無いのかな。みんな無防備な状態?

その疑問に答えるような事がまもなく起こった。

その日も大学近くの定食屋で李さんと二人遅めの夕飯を食って、その帰り道。

夜の9時は回っていただろうか。解散するには名残惜しい気がし、明日は休日なので飲みたい気はする。

でも飲み屋に行くには二人ともお金が無かったので、李さんの寮で飲むことにした。

私はこの日初めて訪れることになるのだが、寮までの道のりは結構有り、歩いて20分くらいだそうだ。

日本人なら迷わず自転車等の通学手段を考えるところだが、大陸の考えだと、「こんな近い所、当然歩くでしょ」となる。

繁華街からも住宅街からもちょっと外れたところにあるその寮に行く道は、どことなく寂しい。

無論、街灯は点いているし、暗くは無いのだけれど、なんとなく。人通りが少ない所為だろうか。

5分くらい歩いたと思う。二人の会話が、ふっと途切れた。

その時、何かが背後からついてくる感じがする。足音がする訳ではないが、確実に何かを感じる。

すると、私の右側を歩く李さんが

「振り向いたら、駄目ですよ」と言った。

「え?」

「○○さんも、感じたでしょ」

私は特に何もリアクションした訳ではないのに、李さんには解ったらしい。

「李さん、何がいるの?」

「鬼、ですよ」

「鬼…」

「鬼は私達の体に、入りたくて入りたくて、しょうがないです」

李さんは続けた。

「だから、後ろで騒ぐのです。振り向いてもらいたいから」

「振り向いてもらいたいから?」

「そうです、振り向けば、肩の火が消えるでしょ」

「カタノヒ?」

「そう、肩の火です。ああ、日本では言わないのですか?」

ガタッ!

私は突然の物音に不意を突かれ、思わず振り向いてしまった。

「○○さん!」

今まで聞いたことがない、李さんの鋭く大きな声に面食らい、今度は李さんを凝視した。

李さんは前を向いたまま、小さく溜息をついた。

「○○さん、まだ大丈夫です。右肩の火は消えましたが、左が残っています」

私は何かとんでもない事をやらかしたのかと、不安になった。

それを察したのか、李さんは笑みを浮かべて言った。

「大丈夫ですよ。人間、咄嗟に振り向くの方向は、人によって決まっているものです。○○さん、驚くと右から振り向くの人。だから、無意識に左から振り向くの事は有りませんよ。両方の灯火が簡単に消えないように、うまくできているですよ」

「あの、李さん、その灯火って言うのは…」

「ああ、御免なさい。日本ではその話無いのですね。それは鬼から人を守ってくれるのものです。両方の肩に灯っているですが、興奮して振り向くと、鼻息出るでしょう。それで消えてしまうですよ。先程も言いましたけど、両方の火が消えるのこと滅多にありません。もしそうなったら・・・」

李さんは、言葉を濁す。

「どうなるの!」

私は不安から声を荒らげてしまった。

「そうですねぇ…、一緒にお風呂、入りますか?」

李さんのジョークはやはり理解出来ない。

「李さん、その、俺の右肩の火は、もう戻らないの?」

「大丈夫ですよ。また太陽の光浴びれば復活します」

私は安堵の溜息をついた。その時だ。

「ほうっ!」

私の左の耳元で、何かが吼えた。私は思わず…

「○○さん!」

左を向きそうになるのを、李さんの声で留まった。

「○○さん、気をつけて下さいね。私はいいですよ。○○さんがどうなっても、友達でいる出来るから。変わらないです。

それでも○○さん、私だけじゃ寂しいでしょ?」

李さんの言葉で、恐怖が現実味を帯び襲いかかってきた。膝に力が入らない。

それに、さっきから左の視界の切れる辺りでちらちら、ちらちら何かが見える。気になって仕方がない。

「耐えてくださいね。右側が陥落した○○さんへの攻撃は、激しくなりますからね」

「ねえ、李さん、李さんはお祓い、出来ないの?」

「オハライ?」

「そう、霊を、鬼を、追い払うこと」

「あ、オイハライ、ですか?」

あ、今、日本語が間違って伝わった…

「オイハライは、できません。だって、オイハライされたら、○○さん、寂しいでしょ?」

いやいやいや

「それとも天に行きたいですか。それ、できますよ。でも、お金、かかります」

いやいやいや、まず、俺はまだ鬼じゃないし、それに、ここで金って、この中国人は!

あ、自分にもあった差別感情。スマン、これでおアイコ。

「○○さんは、友達の値段でいいですよ。大丈夫です」

「いやいや、そうではなく、今後ろにいる鬼を天に…」

「え、なんで○○さんが、関係の無い鬼の為にお金払うですか?」

ああ、駄目だ。噛み合わん。ホント、異文化交流って難しい!

でも多分こういう事。

李さんにとって鬼との遭遇は日常なので、追い払うという概念が無い。

日本人には霊に対して根源的な恐れの感情があるので、封じるとか、祓う、成仏となるのだが、どうにもその感覚が乏しい。

例えあったとしても、それは商売絡みでしかないようだ。

(そういえば、一緒に「呪怨」を見た李さんが、大爆笑していた記憶が蘇る)

そんな訳で、私と李さんの間には、温度差がある。

李さんは鬼に対して、緊張感すら感じられない。一方私は、乱れに乱れている。

左側のちらちらは、段々狂ったように動き始めたし、背後からは

ぎぃぃぃ、ぎぃぃぃ

と、カミキリ虫の鳴き声みたいな音がひっきりなしに聞こえてくる。

もう、おかしくなりそうだ…。

「○○さん、もう直ぐですよ」

「もう直ぐ?」

「そうです。鬼には、その持ち場が決まってるです。だから、もう少し行けば、抜ける出来ますよ。」

日本流に言えば、地縛霊ってことか。それにしても、もう耐えられそうにない。

「ねえ、李さん、走ってはダメ?」

「走る? 何故? 疲れるよ」

「李さーん、頼むよー」

「……、とにかく、今は歩きましょ」

今だから走りたいんじゃないか!

と、頭に血が上ったが、かといって一人で走りだす踏ん切りもつかない。

ほとんど半べそ状態で、歩みを進めた。

「そろそろです」

李さんの言葉通り、ひらひらは視界から消え、背後の音も次第に遠ざかっていった。

「さあ、もう大丈夫です」

私はそれを聞いてその場にヘタりこんだ。

「お疲れのようですね。どうしますか?」

「どうしますかって?」

「その、私の部屋に寄りますか?」

私は李さんの顔を見上げた。何故今更聞く?

「それは、行くつもりだけど、何故?」

「○○さん、鬼に慣れていないようだから」

「それはそうだけど…」

「私の部屋、いますよ。だいたいいつも3人か、4人、5人」

ああああ、何故それを先に、いやいや、気が付くべきだった。そりゃそうだ、いるに決まってる。

「李さん、俺、帰る」

李さんはニッコリ笑うと、チラッと腕時計を見た。

「さ、急ぎますよ!」

そう言うと李さんは走りだしだ。

「あ、待って、李さん」

私はすぐさま起き上がり、第一歩を踏み出したところで、膝が抜けバランスを崩した。

今でさえこうなのに、さっきはもっと走れるわけがない。李さんは見抜いていたのだ。それにまさに今走る必要に迫られることも。

私がヨタヨタと走っていくと、李さんは丁度バス停に止まっていたバスを、引き止めておいてくれた。

バス前方の「☓☓駅行」の表示部分は赤く光り、終バスであることを示していた。

息も絶え絶えにバス停に着くと、私は李さんにもたれかかるように、握手を求めた。

「李さん、本当に、ありがとう」

「いえいえ、お疲れでしょう。今日はゆっくり休んで下さい」

李さんはそう言うと、私を抱きしめようと、するふりをして、私の左肩に、

息をフーッ

私は咄嗟に李さんを突き放した。

血の気が引き、唇がわなわな震えた。

李さんは意地悪そうに嗤うとこう言った

「大丈夫です。他人の息では消えませんから。消えたら大変、私、怖くてえっちできません」

まったく、李さんのジョークは…

怖い話投稿:ホラーテラー いっかみさん  

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