中編3
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流し仏

かなり前に祖父から聞いた話。

私の生まれた田舎の村には古いお堂がある。なかなか立派なお堂なのだが、このお堂には本尊がない。

普通は何らかの仏像が置いてあるはずなのに、このお堂の中はがらんとしていて何もなく、そこを係の者が年に一度掃除することになっている。

この奇妙なお堂に関して、村には伝説がある。

江戸時代、村にとても信心深い男がいたそうだ。しかしその頃の村にはお堂がなかった。

男は近くの街の坊主に村にお堂を建ててくれるように頼んだが、それには大金がいるということだった。

そこで他の村人に呼び掛け、お金を集めようとした。しかし、村人は金を出すのを嫌がり、誰ひとり男に協力しようとしなかった。

それでも男はあきらめず、働いて働いて、酒も飲まず贅沢もせず、たった一人で、何年もかけてお堂を建てられるだけの金を貯めた。

そしてとうとう仏像を置いた小さなお堂を建てたのだった。

そのお堂を建てたその年に、村は疫病に見舞われた。

流行ったのは天然痘で、村人が次々と死んでいくなか、お堂を建てた男とその身内だけは誰も疫病にかからなかった。

これがお堂の建立を手伝わなかった罰か、と村人が絶望しているとき。男はこの仏像を「流そう」と提案した。

 (「流す」というのは流し雛のように、疫病や悪鬼を人形に憑かせて川に流し、無病息災を祈願する儀式である。

  有名なのは佐賀の流し雛だが名前と形を変えてこのような風習は全国にある)

自分がせっかく建てたお堂の本尊を、川に流すというのである。身内の者は止めようとしたが、

男は「自分だけ救われても意味がない、本当の仏ならばこの村の全員を救うはずだ」と言って仏像を流すことにした。

村人全員がお堂に集い、無病息災を祈願したあの後に、仏像は男の手によって村の川に流された。当然その後は行方知れずだ。

瞬く間に疫病は収まり、村は救われたそうだ。

その後、男の建てたお堂だけが残った。

そのお堂は村を救った男を称える証として、また無病息災の御利益があるとして、現代まで本尊のないまま残っているのだという。

それでこれからは祖父の体験談である。

祖父がまだ子供だった頃、スペイン風邪というインフルエンザが世界中で大流行した。祖父の村も例外ではなく、何人もの人が死んだという。

祖父の家は村の名士で、十数人の大所帯であったのだが、流行が終わり残ったのは祖父を入れてたった五人だったそうだ。

毎年葬式があり、喪が明ける年は無かったと祖父は語った。

祖父の兄が死んだとき、このままでは家が絶えると思ったそうだ。

その日から祖父は仕事が終わると、例の本尊のないお堂に赴き一日でも早くスペイン風邪が去るように拝むようになった。

そんな日が何日か続いたときである。いつものようにお堂に向かって手を合わせていると、なんだか周りが明るいことに気付いた。

顔をあげてみれば、お堂の扉の隙間から光が漏れている。

その光が炎のようであったので、よもや火事か?と思い、祖父は勢いよく扉を開けた。

「えっ」

馬がいた。

燃えるように光る赤い馬が、お堂の中に立っていたのである。

いや、お堂に馬が立てる広さなどない、でも確かに赤い馬がそこにいたのだという。

祖父がポカンとしていると、赤い馬は祖父の方を見て、おもむろに向かって来た!

祖父が驚いて尻もちをつくと、馬は祖父の上を飛び越してお堂から飛び出した。

馬はそこで大きくいなないた後、どこかに向かって駆け出した。祖父はわけもわからず馬を追いかけた。

薄暗い中、馬の赤い輝きだけははっきり見えたという。

馬は祖父をどんどん引き離し、田んぼを突っ切り、村の川に入るとそのまま川を駆け下って行った。

馬の通った後には蹄の跡などは残っていなかった。

祖父は夢見心地だったが、帰って家の者にそのことを報告した。

真剣に取り合ってはくれなかったが、それは吉兆だと言って喜んだそうだ。

その後、祖父の家からは誰も亡くならず、スペイン風邪の流行は終わった。

あの馬はきっと仏様の遣いだったんだ、と祖父は言った。

私はむしろ病気の本体じゃないかなと思った。

祖父は私の知る限り病気らしい病気をせず、九十歳越えてもまだまだ元気だ。

怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん  

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