中編3
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根付きの菊

中学時代の恩師が病床に倒れたのは、今から5年ほど前の事だった。

危急の知らせに、急ぎ故郷へと車を走らせる私。

ハンドルを握りながら、脳裏に浮かぶは、厳しくも優しかった恩師の笑顔。

あの恩師が、何故こんなにも急に、病に伏したというのか……。

病院に着き、看護師に病室を尋ねる。

ドアを潜った先、ベッドの上に身を起こす、懐かしき恩師の顔があった。

先生、そう声を掛けようとして、息が止まった。

恩師の体は、まるでミイラの様に、痩せ衰えていた。。。

定年を遠く過ぎ、今は地元の子供達に、柔道を教えるのが生き甲斐と聞いていた。

そんな屈強だった恩師が、何故こんなにも急激に、衰えてしまったというのか。

「人間、先に何が起こるか、分からないものだな」そう言って恩師は笑う。寂しそうに、笑う。

私は涙を堪えながら、近況の報告などをした。

元気でやっています、仕事は順調です、結婚はまだですが頑張っています。

そんな私の言葉を、嬉しそうに聞いてくれる恩師。力無く、笑う。

と、ふと向けた視線の先、そこに置かれた物体に、思わず叫び声を上げそうになった。

何故ここにこんな物が!?

入院先のベッドの枕元、絶対にあってはならない物体が、そこにはあった。

『鉢植えの輪菊』

根付きの花は『寝付き』に繋がり、病床には決して置いてはならぬもの。

そして菊の花は、即ち『葬儀』を連想させ、病の末の死を暗示させる。

そんな縁起の悪いものを、何故恩師は、自らの枕元に置いているというのか……。

「孫娘が中学でね、園芸部をやっているんだよ」

その孫娘が見舞いにと、自分で育てた菊の花を、わざわざ持って来てくれたのだとか。

どうだ、見事なものだろう、そう言って恩師は笑った。

遠く、まるで愛おしげに、菊の花を見つめながら。

恩師は、見舞いの花に菊を選んではならない事、鉢植えが禁忌である事を知らないのだろうか?

一瞬そう思いながら、ふと思い出した。

知らぬ筈は無い、何故ならこの『縁起の話』を教えてくれたのは、他ならぬ恩師だったからだ。

私が中学の頃、同級生が事故で入院し、見舞いに行く時に教えてくれたのだ。

『鉢植えはダメだぞ? 根付きは寝付きに繋がり、縁起が悪いからな』

百合などの、下向きに咲く花も禁忌。

香りの強いものもダメで、菊は葬儀を連想させるから以ての外、そう当時の恩師は教えてくれた。

そう、恩師がこの『縁起の話』を知らぬ筈が無いのだ。

なのに何故、こんなにも愛おしげに、根付きの菊を見つめる?

幾ら可愛い孫娘の花であろうと、容易に死を連想させるこの鉢植えは、決して喜ばしいものでは無いのに。

なのに何故、こんなにも菊の花に見とれて……。

もしや恩師は、自らの寿命を悟っているのでは無いか?

悟っているからこそ、この菊の花を、臨終の花として受け入れているのでは無いか?

この花を、自分の分身の様に思うからこそ、こんなにも穏やかな笑みを浮かべて……。

私は零れ落ちそうになる涙を隠しながら、病室を後にした。

きっと再び会うことは適わぬだろう恩師の笑顔、それを背中に、病院のドアを潜った。

どうか一日でも長く生きていて下さい、そう祈りながら握るハンドルに、冷たい滴が落ちた。

あれから5年。

菊の魅力に取り憑かれ、難病を乗り越えた末に遂に地元の菊花展で入選を果たしたというあの恩師のバイタリティに、改めて思う。

人間、先に何が起きるかは、本当に分からないものだな……と。

怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん  

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