長編24
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御祓いフルコース

あらかじめ言っときますと、やたら長いです。しかも寄り道が多く怖さ控えめなので、よっぽどお暇な方はどうぞ。

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私はとある地方の国立大学に通っている。私には中国人の友人がいる。名前は仮に李さんとしておく。

李さんにはこの世のものではない者を見ることが出来る。それを李さんは「鬼」と呼ぶ。しかし周りの連中で彼の話を真に受ける者は少なく、李さんは変人扱いである。本人自身は周りがどう思おうと気にする風でもなく、飄々としている。

私は李さんの能力を信じる数少ない友人の一人だ。ある時私は、李さんの能力にすがらなければならない状況に陥った。

「ねえ、〇〇君。貴方霊能者の友人がいるって言ってたよね」

「はあ」

サークルでの飲み会の席。話しかけてきたのは、先輩の△△女史。長く艶やかな濡羽色の髪が似合うその清楚な佇まいは、男子学生の目を引く存在だ。

が、実際知り合ってみると性格は正反対の女王様タイプ。年下の後輩男子学生をからかって喜ぶ、質の悪い存在。正直苦手なタイプ。

しかも先輩の言う「霊能者」は李さんの事。私は以前先輩の前で虚勢を張って、有能な霊能者が知り合いにいると少々盛って話をしてしまった。確かに李さんは何かが見えるようだが、日本人が思い描く霊能者かどうかは甚だ疑問。だからあまりこの件は突っ込まれたくないのだ。

「私、会ってみたいんだけど」

そんな空気を知ってか知らずか、話を進める△△先輩。

「それは、たぶん大丈夫だと思いますけど、何でまた?」

「実はね、最近ちょっとおかしな事があるの」

「何がですか?」

「あのねぇ、最近、こう尖ったもので、思いっきり自分の目を突きたいって衝動にかられるの」

「ああ。でもそういうのありますよ。高いところにいると飛び降りたくなるとか」

「違うの。もっと具体的な感情なの」

「というのは?」

「私、耐え切れなくて何度もシャーペンの先なんかを眼球に近づけてるの」

「はあ」

「そうすると、なんか激しい快感みたいなものが湧いてきて、もう一気に突き刺したくなるの。もう抗えない感じ」

「うーん、それ、霊と関係有りますかね」

「だからそこんとこを霊能者殿に見て貰いたいんじゃない」

「はあ」

「ねえ、お願いよぉ、ちょっとアポとってみてよ」

先輩の猫撫で声はゾッとする。私は渋々携帯を取り出した。

「ちょっと待って。詳しい事情は伏せておいて、会いたいという事だけ伝えて」

李さんの能力を計ろうという腹か。先輩らしい。

李さんに連絡し、事情を説明する。すると李さんは脳天気な声で快く承諾してくれた。これも私が以前、△△先輩は凄い美人だと盛りに盛って話しておいたタマモノだ。

翌週、学内の喫茶店で待ち合わせ。李さんと二人で△△先輩を待つ。暫くして、その自慢の黒髪をなびかせ△△先輩が登場。李さんが肘で私をつつく。どうやら気に入って貰ったようだ、容姿の方は。

先輩は挨拶もそこそこに、腰掛けると開口一番

「私を霊視してもらえます?」

と言ったきり、黙って笑みを浮かべている。李さんもにこやかにそれに応じているが、空気は張り詰めている。

「えっと△△さん、私に相談したい事以外でも、悩みを抱えていますね」

と、李さんのジャブ。

「あら、中国の霊能者さんはお悩み相談もしているの? それともプロファイリングでもするつもりかな」

と、応戦。にこやかな二人。

「いい情報と、悪い情報有りますが、どちらから聞きますか?」

「そぉねぇ、じゃあいい方から」

「これは△△さんに恨みを持つものではありません。貴方の年格好が鬼のお眼鏡に適っただけです。だから執着心はそんなに強くない。それに、肉体を乗っ取るつもりは無い様です」

「ふーん。じゃあ悪い方は?」

「何故か。それは△△さん、貴方を殺そうとしているからです」

「ええっ」

と、思わず声を漏らしたのは私。先輩は表情を変えない。

「あらそう。でも恨みも無いのに、何故?」

「これは自殺者の『気』が鬼になったものです。この鬼は自分の死に様を貴方の体で再現しようとしています」

先輩の顔が一瞬歪む。何故なら李さんが「自分の死に様」と言いながら、目を突く動作をしたから。

先輩がちらりと私を見る。私は小刻みに首を振った。

「何故そんなことを?」

「そうする事が、自分が転生できる唯一の方法と信じているです」

「………」

流石に黙りこむ先輩。その様子をじっくり観察して、李さんは立ち上がる。

「以上で終わりです。では私はこれで」

うわ、李さんの強烈な一撃。

「ちょっと待ちなさい」

先輩、辛うじてクリンチか。

「はい」

李さん、素直に応じて座り直す。

「貴方、そこまで言って放って帰る手はないんじゃない?」

「では、どうして欲しいのですか?」

「私に憑いてる奴を、祓ってみなさいよ」

「うーん」

李さんは腕組みをして目を細め、先輩を凝視する。

そしておもむろに口を開いた

「日本の力あるの人に頼むがいいよ」

意外な言葉に呆ける私と先輩。李さんは続ける。

「日本は優秀なプロの人沢山いるよ。お坊さんでしょ、神主さんでしょ、ヒミコサマも」

ヒミコサマって? ああ、巫女さんの事か?

先輩の目が再び輝く。

「ふーん。つまり李くんはプロじゃないから、無理ってことね」

「無理ではありません。これは信用の問題です」

「信用?」

「そうです。例えば、有能な神父様が聖書と聖水を持って日本の鬼をオイハライできると思いますか? もし少しでも疑いの気持ちあれば、それは失敗するでしょう」

「それは、その地域の風習にあった形式でやる方がいいって事?」

私が横槍を入れる。

「その方が、信用有ります。これはとても重要。オイハライの効果にもとても影響します。んー、正確に言うと、神父も私も日本の鬼を追い払う出来る思います。でも、心は救えないかも知れない。それでは意味無いです」

「そうか、鬼も祓って納得もしてもらって始めてハッピーエンドか。本人が半信半疑では元も子もないか」

「はい。実は心を救うが、本質ですよ」

私と李さんのやり取りを聞いていた先輩が口を開く

「分かった、信用してあげる。信用します。それに心まで救ってくれなくていいの。今の私の症状が治ればそれでいい。どうかな?」

「信用するという事は、オイハライの最中は私に絶対服従です。それでもいいですか?」

「どうぞ」

「それから費用は、5万円戴きます」

「はいはい」

「それから……」

「ちょっと待って、まだあるの?」

「これが最後。そして一番重要です。△△さん、その長い髪を切って下さい」

「はあ?」

先輩ばかりか、私も口をアングリ。彼女自慢の髪を切れだなんて……

「髪の毛は鬼の養分みたいなものです。だから鬼は髪の毛に憑くと言ってもいい位です。髪長いの人は力が強い場合が多いです。ヒミコサマもそうですよね」

うーん、どのヒミコサマだ? 

「でも今の△△さんの様に大きな悩み事を抱えていると、力が落ちます。だからそれに合わせて髪も短くした方がいいです。よく失恋して髪を切る言いますが、それは理に適った行為ですよ」

そう言われるともっともな気になってくる。

「それから、せっかくですから、その切った髪の毛をオイハライに使いますのでとっておいて下さい。私の要求は以上です」

「分かりました。では、私からの条件。支払いは効果を確認してからの後払い。貴方も無茶な要求してるんだから、これ位はお願い」

即答したのは彼女のプライドか。

「問題ありません。では、今から3日後の木曜日の午後一、△△さんの部屋でいいですか」

「いいわよ。下宿で一人暮らしだから気軽にどうぞ」

そう言って最後はにこやかに握手を交わして終わった。やれやれだ。たぶん二人とも事の重大さは分かっている。それなのに何か素直じゃないな、この二人。

待ち合わせは大学正門前。先に着いた私は携帯を弄りながら待っていると、一台の白いハイエースが眼の前で止まった。まさに商用車、という佇まいだ。すると助手席の窓が開き、李さんが親指で後ろを指したので、私はドアを引き中に入った。

すると何やら毛の塊が、私に向かって吠えた。一瞬たじろいたが、よく見るとそれはまんまるの犬だった。明るい赤茶色の毛に包まれたブサ可愛い顔立ち、これは、

「チャウチャウでしょ、李さん」

李さんは後ろを振り向き言った。

「タンタン言います。『玉子みたいな』という意味です。男の子です。今日の主役ですよ」

「へー、タンタン君か」

李さんは運転席にいる男性を指差し

「紹介します。今回の事で色々お世話になった、劉さんです。タンタンも劉さんの犬ですよ」

「あ、〇〇と言います。よろしく」

紹介された男は、ガタイはいいが優しげな顔立ちをしていた。私に向かって会釈をすると、前に向き直り車を発進させた。

それにしても気になるのが、タンタンの存在。私の後ろの荷台スペースを駆け回っている。その姿を見ながら李さんに問いかける。

「ねえ李さん、タンタン君が今日の主役って、どういう事?」

「彼が、鬼を追い払うですよ」

「え、そうなの!」

私はその愛らしい姿からは想像できないことだったので驚きの声を上げた。

「犬は『陽』の気を纏う動物です。だから中国では鬼を追い出すのによく使うですよ」

「へー」

「しかも、タンタンの毛色は太陽を表し、男の子は『陽』の性です。それにタンタンは穀物だけを食べて育ったので、体内の邪気が少ないです。まさに適役なんですよ」

穀物で犬を育てるなんて聞いたことがない。まさにお祓い用の犬として育てられたのだろうか。

「ふうん、でもこのトテトテと不器用に歩く姿がカワイくって、そんなイメージ湧かないなぁ」

「カワイイですか…… 〇〇さん、纏足って、知ってますか?」

「纏足? えーと、女の子に小さい靴履かせて足の成長を止めるっていう中国の昔の風習でしょ」

「半分、当たりです」

「半分なの?」

「それだけでは小さくなりません。3、4歳の女の子のまだ柔らかい足を、骨ごと折畳むです。そして布で巻き、縛ります。そのうち腐ったり、膿んだりしてくるのでその部分の肉を削ぎ落として形を整えていくですよ」

「げぇ、一体なんの為に」

「女性を、愛玩具にする為です。よちよちと頼りなげに歩く姿がエロく感じたのでしょう。中国には纏足の弄び方を解説した性技の古書がある位です」

「ひでぇ。ん、てことは、つまり、タンタンも……」

「チャウチャウの後ろ足は、あまり関節が曲がらないように改良されてます」

「………」

「驚くことではありません。チャウチャウに限らず人間に関わる全ての動物は、人の都合で改良されてますよ」

李さんは「カワイイ」という言葉がお気に召さない様だ。迂闊に使うと、こんな風に絡まれることになる。

しばしの沈黙の後、私は気になっている事を聞いた。

「なぁ李さん、正直なとこ、今回の奴はヤバいの?」

「何故そう思いますか?」

「だって今回、断ろうと思えば断れたろうし、それに準備に3日もかかるっていうし」

「あはは、私はプロ違うから、力でねじ伏せたり説法や呪文で説得させるはできないよ。だから色々仕掛けがいるですよ。」

「ふーん」

「それから△△さん、私断ったらもう誰にも相談しないでしょう。彼女、プライド高そうですし」

李さん、あんたが言うなよ。

「〇〇さん、信頼されているですね」

「そんなんじゃないよ。先輩はただ、俺をからかってるだけなんだ」

「ふーん…… ま、いいです。それに心配には及びません。自殺者って意外にも来世への期待が高いですけど、同時に自分は簡単に転生できないとも考えています。そんなジレンマが、自殺者特有の思い込みによって今回の様な鬼になるです。でもこんな利己的な思いは念の力としては最低レベルですから、大丈夫ですよ」

そんな話をしているうちに、△△先輩の住むマンションに到着。連絡を入れると車は空いている駐車場に適当に入れていいとの事。劉さんとタンタンは車の中で待機。ひとまず私と李さんが先行する。オートロックを開けてもらいエレベーターに乗り込む。

△△先輩のドアの前に立ち呼び鈴を鳴らすと、インターホンから

「鍵開いてるから、入って」と先輩の声。

ドアを開けると、微かに良い香りがする。芳香剤ではない、もっと柔らかい自然な香り。玄関で佇んでいると奥の方で「こっちこっち」と声がする。それに従い奥に進むと、リビングのソファーでくつろぐ△△先輩の姿が見えた。

先輩は長い髪をバッサリ切って、柔らかなウェーブがかかったベリーショートにしていた。しかも、髪の色も少し明るい枯葉色に変えていた。

色白の肌にその髪の色はとても儚げで、何と言うか、とても、とても

「カ、カワイイ……」と、李さん。

って、おのれ、「カワイイ」は嫌いじゃなかったんかい!

「はあ? 李くん、あんたまさか、自分の好みの髪型にする為にあんな事言ったんじゃないでしょうね?」

△△先輩、横目で李さんを睨む。

「え、いや、あの、そんなことは、」

狼狽した李さん、初めて見た。今日は先輩の圧勝か?

「まあいいでしょ。ちょっと待ってて。あ、そんな男二人突っ立ってないで適当に座って」

先輩はそう言うと立ち上がり、奥の部屋に消える。我々はその辺に転がっているクッションを手繰り寄せ、それに座る。

部屋を見渡すと、麻の様な素材で編み込んだものが基調になった家具で統一されていて、とてもお洒落な感じだ。でもどことなく殺風景。必要最低限な物しか置いてない感じ。テレビやパソコンなどの家電が見当たらないし、ダンボール箱も部屋の隅に積んである。なんか、引っ越して間もない部屋の様だ。

「お待たせ。はい、李くん。約束の物」

戻ってきた先輩は、髪の束を李さんに手渡す。

「ありがとです。では、始める前に少し部屋の中を見てもいいですか?」

「どうぞ、お好きに」

「奥はベッドルーム?」

「うん、そう。あ、一応片付けてあるから、遠慮無く見てもいいよ」

李さんは頷くと、自分のバッグを持って奥の部屋に消えた。

「〇〇君、どうよこの髪型は?」

「あ、いや本当、凄く似合ってますよ。驚きです」

「でしょう。△△様は何をやってもサマになっちゃうんだよなぁ」

「性格が容姿とかけ離れてるのが、玉に瑕ですね」

「ほう、〇〇さん、知らぬ間に随分な口を聞くようになったねぇ。偉くなったもんだ」

「はは、速攻謝ります。勘弁して下さい」

いつもの軽口を叩き合っていると、△△先輩がふと視線を落とす。

「〇〇君、実は私……」

何か言いかけた時、李さんが奥の部屋から戻ってきた。

「△△さん、ここの間仕切りは閉まりますよね?」

「うん、閉まるよ。なぁに、ベットルームでやるの? そんな狭い所で、戸を閉め切って?」

「はい、色々都合がいいので」

「ふーん。分かった。今日は絶対服従だもんね。いいよ、好きにやって」

「ではこちらへ」

李さんは私と先輩をベットルームへ促した。入った途端、△△先輩は声を上げる。

「な、何これ?」

続いて入った私も、部屋中に無数のお札のような物が無造作に貼られているのを見た。それは赤い菱形の紙に細かい切り絵の様なデザインが施された物だった。よく見るとそれは向かい合う一対の動物の図柄だ。

「中国で昔からある、お守りの様なものです。鬼を追い出すとされています。市販のものなので効果はまあまあふうふうですけど、この程度の鬼には十分です」

「いやそんなことよりさ、こんなベタベタ貼って後でどぉする気? きれいに剥がれるの?」

「すぐに剥がせば、大丈夫です」

「はあ…… それで? 私はどうしたらいいの」

「ベッドの上に寝て下さい」

△△先輩は素直に従いベッドに横になった。李さんはバッグから何かを取り出した。それは二つの手錠だった。そして先輩の元へ行き

「両手を出して下さい」と言った。

「李くん、その前にもう一度確認だけど、信じていいんだよね」

先輩はそう言って、真っ直ぐ李さんを見る。李さんも真っ直ぐ見つめ返し

「私も確認です。△△さん、本当に私を信じてくれますよね」

暫く無言で見つめ合い火花を散らした後、△△先輩は小さく溜息をつき、力なく両手を差し出した。

「〇〇さん」と李さんに呼ばれ、先輩の手に手錠をかけるのを手伝った。ベッドの脚にロープの輪が通してあり、それに手錠の片側を繋いだ。

先輩は磔のような形でベッドに拘束され身動きが取れなくなった。観念したのか、仏頂面で黙って天井を見つめている。

「おお、ぴったり、計算通りです。さてと」

李さんはバッグから甕を取り出した。梅干などを漬ける、あれである。李さんはそれをドレッサーの上に置くと蓋を開けた。通常の甕と違いしっかり蓋が固定されるように口の縁にゴムパッキンのような細工がしてある。内側は何やら赤に近いオレンジ色の塗料が塗ってあり、蓋の裏には例の菱形のお札が貼られている。

李さんはその中に先輩の髪の束を収めた。そしてズボンのポケットからペンライトを取り出し、点灯したまま甕の脇に置いた。

私は好奇心が抑えられず、李さんに訊いた。

「ねえ、これは何?」

「鬼の棺桶ですよ」

「棺桶? これが?」

「そうです。大昔はこれが人の棺桶の主流だったですよ。それには『気』が遠くに行ってしまわないように閉じ込めておく効果が有ったとされます。その後も宗教的な器として使われることも多いのです。どうです、鬼の棺桶として悪くない選択でしょ」

「ふーん。つまりその先輩の髪の毛で鬼を誘導して閉じ込める訳だ」

「ビンゴです」

「じゃあそのペンライトは何?」

「ああこれですか。本来、髪の毛と鬼を一緒に閉じ込めるはちょっと危険な行為です」

「ふんふん」

「だから、もう一つの危険要素である『闇』をこれで取り去ってやって、鬼を弱らせるですよ」

「なるほどね。じゃあこのオレンジの塗料は?」

「それは……」

「ちょっとお二人さん。こんないい女を拘束しておいて放置プレイなんて、随分いい趣味してるのね」

私達は目配せをして肩をすくめた。

李さんは携帯を取り出し、かけながらリビングへ向かった。多分待機している劉さんに連絡してるのだろう。しばらくして戻ってくるとそのまま△△先輩のベッドへと向かった。その時私とすれ違い様、一言小声で

「それは企業秘密です」と言った。

李さんはベッドの脇に跪き、先輩に言った。

「△△さん、これから何があっても絶対に言葉を発してはいけません。悲鳴も、泣き声も駄目です。声には『気』が宿ります。言葉はそれ以上です。鬼は必死の抵抗をしますから、これらは必ず利用されます。いいですね、これだけは絶対守って下さい」

先輩は無言で頷く。李さんは頷き返すと、思い出したように呟いた。

「いけない、忘れる所でした」

そう言って仕切戸を引くと、そこにも例のお札をペタペタ貼り始めた。先輩が嫌な顔で見ている。そこでチャイムが鳴った。劉さんが来たようだ。私は玄関に向かう。ドアを開け彼らを迎え入れ奥へと誘導した。

しかし、タンタンの様子が車中と違う。鳴き声ではなく、低い唸り声を上げている。しきりに床の匂いを嗅いで警戒しているようだ。半ば劉さんに引っ張られるようにして現場に向かう。そして寝室に入った瞬間、唸り声は大きくなり、牙も剥き出しで威嚇を始めた。

ゴゥrrrrrrrrruu 、ワフッ

△△先輩は目を見開き、それをそのまま李さんへと移した。

「△△さん、犬の事黙ってて御免なさい。御札の事も、もし部屋を汚してしまって迷惑掛かったら、その分費用から引いてもらっていいです。だから今は集中して下さい」

先輩は再び犬に目を移す。すると李さんはリードを外すとタンタンをベッドの上に乗せた。先輩は鼻で大きく呼吸をしている。口は真一文字に閉じて何か必死に耐えているようだ。

ゴゥ、ワフッ、ワフッ

ガチャガチャッ

先輩が思い切り腕を引っ張り、手錠が音を立てた。先輩はその自分の腕を、驚愕の表情で見つめている。何故だ? そうか、恐らく自分の意志とは関係なく、勝手に腕が動いているのだ。

李さんは先輩に向かって何やらブツブツ問いかけている。劉さんはその隣で腕を組み瞑想している。△△先輩は喉の奥で声にならない声を上げている。

ゴゥrrrrrrrrruu、ウゥrrrrrrrrruu

タンタンの唸り声が室内に響く。

狭くはない寝室とはいえ、大人4人と犬一匹が入ればかなりの閉塞感がある。人いきれで室内は異常な熱気と湿度を帯びる。△△先輩の額には脂汗が滲み、前髪が数本へばり付いている。既に目は虚ろで、両腕は勝手に動くのに任せている。手首には血が滲んでいる。

李さんは相変わらずブツブツ呟いているが、やはり額は脂で光っている。劉さんは微動だにしない。私は特にすることが無い。いっそ儀式が始まる前に退室してもよかったのではと後悔していた。今となっては戸を開ける事は許されないだろう。

ウゥrrrrrrrrruu

相変わらず、タンタンの声だけが充満している。

一時間以上経ったろうか。御祓いの儀式は想像していたのと違い、相当地味な作業だった。未だに何の進展もなく、相変わらず李さんは呟き、先輩は間欠的に腕を引っ張ってはガチャガチャと音を鳴らす。タンタンは唸り続け、私は、余計な事ばかり頭に浮かぶ。私はここにいる意味があるのだろうか? 劉さんは? さっき先輩が言いかけた事は何だろう。これから先、その続きを聞く機会は有るのだろうか。ああ、それにしても一体いつまで続くのだろうか……

「もう、もういいよ、李くん」

「あ、駄目です△△さん!」

「だって、どんだけ時間経ってんの。もう3時間近くだよ。なのに最初から何にも変わんないじゃない!」

「時間言わないは私のミスです。でももう少しです。あと30分もすれば終わるですから、私を信じて!」

「もう無理だよ、耐えられない。貴方の言う通り初めからプロに頼めばよかったのかもね。ねぇ、お金は払うよ。だからもうこれ、外して」

「△△さん、途中で辞めるは危険過ぎるよ。これは鬼との根競べですから、もう少し我慢して……」

「ごたくはいいからさぁ、外してよ。ねぇ、早く、お願い…… いいから、はやく、はぁずせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」

「ちっ、あいうぉだまぃや!」

「李さん、何が起きたの?」

チラリと私を見て、再び視線を戻すと李さんは言った。

「鬼に、入られました」

先輩は固定されている上体を無理やり起こし、大きく見開いた目を私達に向けた。しかしその焦点は誰にも合っていなかった。瞳孔は激しく伸縮を繰り返し、瞳の中で生き物が蠢いているかの様だ。

「あんたたちさぁぁぁ」

キシキシキシキシ

ロープが緊張し、手錠全体にぐぅっと力が加わった。各部位が悲鳴を上げている。

「なんなのぉさっきからぁぁぁ、ああ?」

キシキシキシキシ キシキシ

「じゃま、 んなぁぁああああああああああああああ」

キシ キシ   キシ

駄目だ! 手錠が壊れる。それとも手首が、

「たぁぐぉ!」

李さんが叫ぶと、突然劉さんが動く。

懐からごっつい短刀を取り出すとタンタンに襲いかかる。李さんもタンタンの体と口を押さえるとぐっと顔を上に向ける。突き出された喉元に短刀が食い込む。

ぎゅううううううう

タンタンが喉の奥で断末魔の叫びを上げる。しかしあまりに見事な劉さんの刀捌きに、それはほんの一瞬の事だった。あっという間にタンタンは手足がビクビク痙攣している胴体と、頭部に分けられた。既に返り血で真っ赤に染まった二人はそれぞれの部位を持ち、△△先輩の上にその血を注ぎ始めた。

「うぎあああああああああああああ、ああああ、やべろおおおおおお、おお、ああああああああああああ」

先輩は白目を向き口角辺りに泡を溜め、咆え続けた。体をのけ反らせ、逃げるように左右にのた打ち回った。

そして突然、スイッチが切れたように動かなくなり、力尽きるように目を閉じた。

李さんは、タンタンの頭部を上に掲げながら、ゆっくりとベッドを離れた。そのまま部屋の中央で仁王立ちしている。流石に息は荒く、肩が上下している。

時間にして、3分ほど。やにわに李さんはタンタンを劉さんに投げ渡すと、甕に詰寄ってペンライトを放り込み直ぐ様蓋をした。

「〇〇さん、バッグから布テープを取ってもらえますか」

「あ、うん、分かった」

バッグを漁り、布テープを差し出そうとすると、李さんは自分の両手を見つめている。

「〇〇さん、悪いけど甕の蓋が外れないように、テープで巻いてもらえますか」

血で染まった両手では、上手くテープは巻けないだろう。私は承諾した。

ふーっと大きく息を吐いた李さんは、私に向かって言った。

「これで、終了です。さ、撤収しますか」

見ると劉さんは既にタンタンの亡骸をズタ袋の中に収め、帰り支度を済ませていた。李さんも荷物をまとめ、気持ち悪そうに靴下を脱いでいる。私は体に力が入らず、彼らが淡々と帰り支度をしているのをぼーっと見ていた。

これだけの惨劇にかかわらず、私は殆ど返り血を浴びていない。それどころか室内を見回しても、ベッド以外には血が飛び散っていない。彼らが身を挺して防いだのか。この手際の良さは何だ? 特に劉さん、何者だ?

「さ、女王様が目を覚まさないうちに、帰りましょ」

「ちょ、ちょっと李さん、手錠は?」

「あ、忘れてました」

そう言うと李さんは右側の手錠を外すとバッグに仕舞い、左側の手錠の鍵を△△先輩の腹の上の血溜まりに落とした。

「さ、行きましょ」

「行きましょって、李さん、左は外さないの?」

「〇〇さん、今度目覚める△△さんは、正常な△△さんですよ。そんな鬼より怖い人が追いかけてきたらどうするです」

「う、うーん」と、△△先輩が薄目を開ける。

「いけません、お目覚めが近い。急ぎますよ」

私達は玄関へ急いだ。

「ひやあああ、なにぃこれぇぇ、こるあああ、りいいい、りいいいい!」

奥の部屋から聞こえるのは、恐ろしい恐ろしい女王様の雄叫びだった。

あれから一週間が過ぎたが、△△先輩はサークルに顔を見せない。何故か携帯をかける気にはならなかった。会いたいような、でも会うのが怖いような。そんなセンチな気持ちを抱え悶々と過ごしていた。

いつものように学食で飯を食い終わり、階段を降りている時だ。ふいに後ろから声をかけられた。

「〇〇君、あんたの行動パターンって、ほんっと単純ね」

「あ、先輩」

「君には謎めいた所が一つも無い。今頃学食でランチ食べ終わった頃だろうなと思えば本当その通り。つまらん奴」

「先輩、今までどうして……」

「ちょい待ち。あのねぇ、あんたたち、ひとんちに何ぶちまけていったと思ってんの? そりゃ、後始末に一週間ぐらいかかるでしょうよ」

「あ、すみません」

「で、李君は元気なの?」

「相変わらずです」

「そ。じゃあ彼にこれを渡しておいて」

先輩は私に封筒を差し出した。

「悔しいけどね、治ったの。だから報酬」

「あ、分かりました」

「やっぱりちょっと待って」

そう言うと封筒を引ったくり、中から3枚抜いた

「これは色々賠償金。だいたいあのベッド幾らすると思ってんの。本来なら赤字よ、あ、か、じ」

「はあ、すいません」

「まあ、君に怒っても仕方ないんだけどね。それと、忘れ物。手出して」

「はい」

ガチャ、ガチャ

差し出した手に手錠がかけられ、階段の手摺に繋がれた。△△先輩は肩越しに鍵を放り捨てた。

「でも、君を苛めるのが一番しっくりくるのよ。仕方ないね」

ああ、女王様、完全復活。

「じゃ、ばいばい」

先輩は手をヒラヒラさせて、踵を返した。

2、3歩進んだ所で立ち止まった。すると再びこちらに向き直り、近づいてくる。私は、今度はなんだと身構える。

すると△△先輩、私にふわっとハグをした。先輩の部屋と同じ、優しい香りが鼻腔をくすぐる。

「さよなら、〇〇くん」

そう言うと再び踵を返し、そして二度と振り返ること無く姿を消した。そしてこれは私が見る先輩の最後の姿となった。

後に知ったのだが、先輩は大学を辞めていた。原因は分からない。先輩の心は救われたのかどうかも、結局分からず仕舞いになった。

「んふふふ、やっぱりいい女ですねぇ」

「おお、李さん」

いつの間にか私の横にいた李さんは封筒を私から取り上げると、中身を確認し、ぶうと唇を鳴らした。そして私に顔を向けると

「〇〇さん、私こんなもの拾ったよ。幾らで買ってくれますか」

そう言って、目の前で鍵を振る。どうして俺の周りにはこう「S」っけの強い奴が集まるんだ? 俺は、「M」じゃないから!

「冗談です。でも今日は寮でパーティしますので、是非参加して下さい」

「え、でも俺、李さんの部屋には……」

「大丈夫です。今日は寮の食堂でやりますので。それに、これだけ犬の血浴びたら当分鬼は寄ってこないよ」

「そうか」

「そうです。最近私寂しいですよ。だから、もしよかったら、参加して下さい」

もしよかったらって、この状況じゃ断れないでしょ。

辺りが薄暗くなりかけた頃、私と李さんは寮に向かって歩いていた。

「それにしてもさあ李さん、なんだか痛ましい儀式になっちゃったね。もっと日本ちっくな奥ゆかしい方法は無かったの?」

「何をいってるです、これほど日本的な方法は無いですよ」

「ええっ、どういう事?」

「ええっはこっちです〇〇さん。神社の門番は誰ですか」

「門番? えーと、お稲荷さんとか、あ、狛犬」

「鳥居の色は、何色多いですか?」

「えーと、朱色かな」

「ほら、太古の日本でどうやって鬼を追い払ったか、想像できませんか」

「犬の血を、使った?」

「そおですよ。もちろんそれは一説に過ぎませんけど、昔の名残が今に残ると考えるは不自然ではありませんよ」

「そっか。李さんなりに日本の風習に合わそうとしてくれてたんだ」

「そうですよ。『オイハライに犬』は日本の常識と思ってました。はぁ、大誤算です」

「あはは、それは気の毒に。それにしてもタンタンには…」

「〇〇さん! またカワイイとか、カワイソとか言うでしょ。タンタンは人の役に立ったですよ。カワイソ違いますよ」

「うん、そうか。そうだね…… だったらさ、勿体つけずに最初からあの手段を取ってれば、儀式は直ぐに終わったんじゃないの?」

「うーん、〇〇さんは優しいのか、残酷のか、分からない人ですね。△△さんの意識があるうちに、しかも拘束してる状態でそれをやるなんて拷問ですよ。しかも彼女は人に弱みは見せたくない、特に〇〇さんの前では恐怖に慄く姿は絶対見せたくないでしょ」

「俺は……、関係ないよ」

「はあ、まったく、何故あの場所に〇〇さんもいてもらった思いますか」

「俺は、何にも出来なかったよ」

「あいうぉだまぃや…… タンタンは攻めの主役。〇〇さん、貴方は守りの主役ですよ」

「……李さん、それは買い被り過ぎだよ。それより李さん、今の言い方だと、この結末は計画的だったんじゃないの?」

「え」

「だって今考えれば、劉さんは刀やズタ袋とか持っていたし、二人とも着替えも用意してたよね。あまりに用意周到過ぎるよ。だいたい先輩に向かって『絶対服従』なんて、聞くわけない事はハナっから分かるじゃないか。いったん鬼に完全に取り憑かせてから、そこを叩く。最初からそのつもりじゃあ」

「それこそ買い被り過ぎです。私は全ての可能性に備えていただけですよ」

そう言いながらも、李さんは不敵な笑みを浮かべていた。

寮の食堂は中国の留学生でごった返していた。既に料理はテーブル一杯に並べられ、皆は酒を飲みつつ大声で喋っていた。

李さんが仲間と話に行ったので、私は一人椅子に座っていると、見知らぬ学生が酒を片手にやって来た。

「あなたが〇〇さんね、まずは一盃」

私は差し出された紙コップに酒を受けると、ぐっと流し込んだ。

グェホッ、ゲホッ。焼ける! なんだこの、強い酒は!

「ナイスリアクションです、〇〇さん」

そう言うとぐっと親指を立て、満足気な表情で立ち去った。するとまた違う学生がやって来た。

「〇〇さん、飲んでますか」

「ああ、飲んでるけど、この酒は何? やたら強いけど」

「これは、ぱいじぉうです。中国のかんぺいの時の酒です。しかもこれは、昔ながらの奴ですね。最近は38度なんて低濃度が流行って困りますよ」

38度で低濃度? 恐ろしくて、これの濃度が訊けない。

「ちょっと俺には合わないみたい」

「そですか、では料理を楽しんで下さい。美味しいですよ」

そう言って立ち去った。何故皆俺の名前を知ってるのか。普段李さんが何を吹聴してるか気になる所だが、ひとまず料理に目を向ける。

確かに、まるでお店で出てきそうな本格的な中華料理が並ぶ。中には唐辛子が丸のまま、具のひとつとしてゴロンゴロン入っているのもある。日本向けアレンジ一切無しの本場オリジナルだ。

私は無難そうな奴を探し目を配ると、にんにくの芽と細切り肉の炒め物がある。やはり唐辛子が見え隠れするが、さほどの量じゃない。とにかく香りがたまらん。私は紙皿にそれを取り分けると一口頬張った。

うんまい!

にんにくの芽の歯応えが肉の柔らかさを引き立てている。脂身が少ない割にはしっとりとしていてジューシーだ。更にピリリと効いた唐辛子の辛味が肉の甘味をより強調する。紹興酒とオイスターソースの仄かな香りも食欲をそそる。全ての具材や調味料が肉の旨味を引き立てるようにチューニングされている様だ。

「〇〇さん、どうぞ」

気が付くと李さんが隣にいて、私に白飯が入ったドンブリを差し出していた。さすが李さん、分かってる! 私は再び料理を口に頬張ると、間髪入れず白飯をかっこんだ。

んー、たまらん。私は箸が止まらず、大皿ごと手前に引き寄せると、料理と白飯を一心不乱に口へ運んだ。

「んふふ、いい食べっぷりですね。料理人も喜びますよ」

「料理人て、やっぱりプロが作ってるんだ」

李さんはにっこり微笑み、部屋の奥に向かい叫んだ。

「たぁぐぉ! たぁぐぉ!」

奥にある暖簾から、のっそりと大男が顔を出した。劉さんだ。

ん、何故彼がここに?

「料理人の腕もいいけど、素材もいいよ。穀物だけで育てた、最高の赤毛肉ですから」

涙で視界が滲む。こやつら、やっぱり計画的だったろ!

怖い話投稿:ホラーテラー いっかみさん  

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