中編5
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死の彷徨

これはまだ私が小学生の頃の話だ。母方の田舎が北海道で、夏休みには家族で帰省するのが恒例だった。その年は父の提案により車で青森駅まで向い、そこから青函連絡船に乗るという東北縦断旅行を決行した。

無類の釣りキチである父は各地の海岸に寄っては糸を垂らすというのんびりペースで北上したが、3日目の朝方には青森に入った。これは今日中には駅に到着しそうだと話していた。

しかし、山道に入った途端、行けども行けども抜けることが出来ない。プロドライバー歴数十年の父は自分の方向感覚に絶対の自信を持っていて、ここまで一度も地図を見ることなく来たのだが、さすがの強者も焦り始めたようだった。道路の脇を歩く人を発見すると、父は車を止め、道を訊きに行った。そして安堵の表情を浮かべ戻ってきて

「もう少しで、市街地に出るそうだ」

と言うと再び車を走らせた。

しかしその後も一向に山道を抜ける気配はない。1時間程すると、また脇を歩く人がいた。父は再び車を止めて道を尋ねに行く。

「やっぱり、もう少しらしいな」

二人から同じ言葉が聞けて安心を深めた父は、「よし」と気合を入れアクセルを踏み込んだ。

しかしである。やはり市街地は見えてこない。似たような景色の山道をグルグル1時間以上走ると、また人を発見。無限ループに嵌り、振り出しに戻される感覚がした。父はもう車を止めることはしなかった。

「人じゃないかも知れないしな」

冗談めかして父は言った。

そのうち日も暮れてきた。ほぼ丸一日山の中を走っている。とうぜん途中に店などは無い。腹を空かせた私達兄妹は後部座席でグズリ始め、終いには喧嘩を始める始末。それをたしなめる母の声にも力が入っていなかった。

「やれやれ、こんな経験は初めてだな」

と父は独りごちた。

そうこうしているうちに完全に日は落ちて、辺りはどっぷりと闇に包まれた。その上マズい事に霧まで出てきた。父は慣れない山道でこれ以上車を走らせるのは危険と判断し、道の脇に車を停めるスペースを見つけ、そこで夜を明かすことにした。

その時私達兄妹は既にウツラウツラしていたので、車を停めた途端、直ぐに深い眠りに落ちた。

「あなた達、起きなさい」

母の声が聞こえ、体を強く揺さぶられた。

「うーん、ここ、どこ?」

「駅に着いたのよ」

まだ事情が飲み込めない私は、寝ぼけ眼で車外の景色を見た。周辺の明かりがやけに眩しく感じる。

「さ、急いで。まだ最終に間に合うから」

ボンヤリしている私達を無理やり車からひきずり出すと、リュックを背負わせた。仕事の都合によりここで引き返す父への挨拶もそこそこに駅構内に向かうと、母と私達3人は必死に走り続けた。駅員さんの誘導に従いギリギリ乗船に間に合った。

何故急に山を抜け駅にいたのか、疑問を感じる暇はその時無かった。

その夜の事を父から聞くのは、ずっと後、私が中学生になってからだった。ここからはその父の体験談である。

その夜、父は寝付けずに目を覚ます。夏だというのに異様な寒さを感じた。窓は全て閉まっているはずなのに、どこからとも無く冷気が染み込んでくる。父は堪らずエンジンを掛けた。車内のライトを付け、暖房を入れた。一息ついた父はタバコを取り出し咥えた。車載のシガーライターはまだ温まっておらず、父は胸ポケットから百円ライターを取り出し、火を点けた。

その瞬間、視線を感じ右側の窓へと顔を向けると、そこに浅黒い中年の顔が浮かんでいる。

ハッと思ったが、よく見ると自分の顔が映り込んだものだった。父は苦笑しながら煙草に火を着けた。

カチカチカチカチカチカチカチカチ……

窓の外から微かな音が聞こえる。底知れない静寂の中唯一響くその音を、父は気のせいだと無視することが出来なかった。

チラリと横目で窓を見ると、先程より幾分強張った自分の顔が映っている。

カチカチカチカチカチカチカチカチ……

音は確かに聞こえ、窓の外に気配も感じる。父は窓の方に向き直ると、意を決して車内のライトを消した。

暗闇にボゥと浮かんだのは、上下に並んだ人間の黄ばんだ歯であった。下の歯が小刻みに震え、カチカチと音を鳴らしていたのだ。

父は筋肉がギュッと萎縮して顔を背けることすらできず、それを凝視した。

暗闇に慣れてくると、その歯には黒く変色した唇が伴っているのが見えてきた。

更には顔の輪郭も朧気に分かった。しかしその顔の頬も、額も、鼻も、ドス黒く変色していた。窓に密着した肌には、風船が萎んだ後にできるような細かい皺が刻まれていた。

煙草の灰が、ボトリと落ちた。

その瞬間、それは窓にぐぅっと目を近付けた。

煙草の灯りを凝視しているかの様だったが、白濁した涙が樹脂の様に凝固しており、その目は半開きのまま膠着していた。

ゴン

窓に石の様に硬い塊が当たる音がした。

ゴン

それは、手であった。やはり黒く変色し、力なく握った形で固まった手を振り下ろし、窓を叩いた。

指先に貼付いている、そこだけ異様に白い爪が、闇の中で踊った。

ゴン   ゴン  ゴン

  ゴン   ゴン   ゴン

     ゴン  ゴン  ゴン

ゴン ゴン  ゴン  ゴン

気が付くと、窓という窓にそいつらが群がっていた。

バンッ

車体が揺れる。ボンネットにも這い上がって来た様だ。

父は思い切り何かを叫んだ。いや、周りが起きないところを見ると声は出ていないのかも知れない。しかしその事で父の体は呪縛から逃れた。

ギアをバックに入れるとアクセルを踏み込んだ。

ドサ

ボンネットから落ちる音がした。父はヘッドライトをつける。

斜面の先は暗闇が広がるが、そこを登ってきた奴らが次々とライトに照らされた。そしてジリジリと這いつくばって車に向ってくるのが見て取れた。

父は有る事に気が付く。彼らは皆、同じ型の厚手の上着を着ており、帽子を被ったり、首に何か巻いている者もいた。そして皆、脛には脚絆を巻いているのだ。

全てを悟った父は、直ぐ様この場所を離れるべくギアを入れ替え、アクセルを限界まで踏み込んだ。そして、この場所で暖を取ろうとした事を酷く後悔した。

それまで散々山道を彷徨った事が嘘のように、スンナリ市街地に出た。その頃には霧もすっかり晴れていた。そしてそのまま一本道で、駅付近まで来ることが出来た。

母はいつの間にか起きていた。母が彼らを見たかどうかは未だに本人が言及しないので不明のままだが、青ざめた顔で車を走らす父に向かい一言

「これなら最終便に間に合うわね」

と言ったそうだ。父はそれを聞いてようやく異界から逃れた事を実感した。

「あの日山道に入った時には、既に異界に紛れ込んでいたのかもしれないな」

そう言って、父は話を締め括った。

怖い話投稿:ホラーテラー いっかみさん  

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