長編8
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鳥居ヶ丘

私の実家の近くには『鳥居が丘』という名の土地がある。

とても古い石鳥居が、住宅地の中にポツリと立っているという、おかしな土地だ。

そこは『神社が丘』でも『稲荷が丘』でもなく、『“鳥居”が丘』なのだ。

つまり、少なくともその名が付けられた昔には、既に鳥居だけがそこに立っていたと言うことだろう。

無論現在も、その形の悪い石鳥居に対応する社などは、存在しない。

私は高校の頃、よく晩に居辛い家を抜け出して、その鳥居の辺り迄散歩する事があった。

そこは住宅地の直中だと言うのに、妙に静かだった。

孤独に浸る事を邪魔するものが、そこにはまるで無い。

思えばその頃は、不思議なモノをよく見た気がする。

青春時代の孤独とか言うやつはもしかしたら、心も体もあの世側に近付けていくのではないだろうか。

そんな事を考える。

そんな日々の、ある夜の事だ。

その夜は、酷く雪深く感じられた。

何せ、いつも通る抜け道が除雪でよけられた雪に塞がれていたのだ。

だからその日は、仕方なく違う道を選んだ。

農協の建物に付いている時計を見ると、丁度午前零時だった。

寒いのは当たり前だ。

部屋着に、とりあえずコートだけを羽織って着たのだから。

小さな墓地が見え、確かその角を曲がれば例の鳥居の筈だった。

…ふと、妙な事に気付く。

その小さな墓地に似合わない、妙に大きな墓が有るのだ。

いや、大きいと言うよりは、高いと言った方がいい。優に3mはあろうか。

妙に細長い形の墓石の影だった。 その細長さは、どこか女性を連想させる。

珍しい墓石だな、こんなの今まで気付かなかった。

そう思い、携帯で写メでも撮ろうと照明を点ける。

すると、陰になっていたその墓石の先端が、カクリ、と曲がった。

そこから、バラバラバラ、と簾の様な物が垂れる。

何だろう。

その先端に、照明を合わせていく。

画面に映ったのは、大きな目が一つと、フグの様な小さな口、びっしり生えた歯の隙間からだらりと垂れ出た、襞だらけの長い舌の、顔とも言えぬ様な顔だった。簾の様な物は髪の毛としか言い様がなかった。

私は恐怖に声も出せずにいると、カクリ、もう一段階折れ曲がって、その後ズルズル…と、形容し難く、どういう原理かなど見当もつかないが、普通の生き物には到底有り得ない進み方で、にじり寄って来ている。

「お…お…」

歯だらけでバランスと言うものがまるで無い、深海魚の様な口から、怖気を催させる声が漏れた。

その声は驚くべき事に、一声毎に周囲の闇を濃くさせていく。

それは錯覚などというレベルではなかった。

雪が黒く染まっているのだ。

雪国の夜は、淡い光が下から沸き立つ様に薄明るく見えるものだが、その反射光すらも黒く染まっていくのが分かる。

黒い光に脚が蝕まれていく。

その中で、何か酷く湿った物が蠢いている。

これは、指、だろうか?

弾かれた様に、本能的に、明るい方へと向かう。足がもつれ、這う様な形になる。

周りは人が居る筈の住居に囲まれているというのに、恐怖に喉が引きつり、叫び声一つ出てこない。

まるで、あの髪の毛が喉に絡みついている様だ。

その住宅の窓どれも、時間のせいか、まるで生きている者が中にいる気がしない暗さをしている。

これでは呼び鈴を鳴らし住人を待つ間に、あの怪物に追いつかれてしまう。

明るい方へ、とにかく明かりの点いている人家へ。

曲がり角から、微かに光が漏れているのを見つける。

黒い雪の上を、泳ぐ様に走り、曲がる。

すると、住宅の明かりかと思ったそれは、驚いた事に例の石鳥居が発していたものなのだった。

いや、鳥居そのものが光っているというよりは、鳥居に囲われた内側の空間から光が溢れている、という具合に見えた。

突拍子もない事が連続し、もう訳が分からないが、後ろからはあの怪物が迫っている。

人家は、と思うが、不運な事にそこは、四方、皆背を向けて建っていた。

もう何でもいい。縋る様に、鳥居に這い寄る。

鳥居の発する光の中で後ろを振り向くと、怪物は光の及ぶ範囲には近寄れないのか、大分離れた薄闇の中でうずくまっている。

うずくまっている、という言い方が正しいのかは分からないが、とりあえず背丈は半分程に縮み、一塊に縮まっているように見えた。

ナメクジの様だ、と思ったのを覚えている。

すると突然轟音が響き出した。

すぐ後ろ、石鳥居から発せられている。

その轟音に見合う突風が吹き寄せる。

振り返り鳥居を見たが、その轟音の中、一体何が起こっているのか分からず、混乱は飽和し、今にも心臓そのものが割れて叫びを上げそうに思われた。

その鳥居の間を、何も見えないのに、何かが、それも大きさの計り知れぬものが、今通り続けているのが分かるのだ。

あるのは風だけだというのに。

あれを何と形容すればよいのか。

鳥居が発している光そのものすらも、風に押し流されて、一方向に吸い込まれていく様だった。

光が風に運ばれるなどということが、有り得るだろうか?

しかし、そうとしか言い様が無い光景だった。

突風の混乱の中、もう私自身の恐怖すらもその風に押し流されていく心持ちだった。

ふと先の怪物の方を見ると、「ヒイー、ヒイー」と言う情けない声を上げながら、墓地の方へと引き上げて行こうとしている。

しかし、その動きは鈍く、進む度に体が小さくなっていっている様に見えた。

それを見ながらも、高まっていく轟音と光に、私は段々と気が遠くなっていった。

目が覚めると、自室の布団の上だった。

時刻は、ちょうど午前零時。携帯の時計で確認しても、零時ちょうどだ。

先程、農協の時計で午前零時である事を確認した。あの時計は、ズレる事などない筈だが…。

夢であるのか、というと、雪にまみれたコートを着て寝ていた事から、それは違うと確信する。

何より、あの感覚全てを夢だと言うなら、何が夢でないものなのかすら分からなくなってしまう。

ふと携帯を開いてみると、細長い墓石の画像が、確かに入っていた。

間違い無く、あの場所までは行ったのだ。

片道20分は掛かるというのに、何故。

あの鳥居で、光がまるでCGの様に、風に引きずられる様を見た。

光が風に流されるというなら、時間など吹き飛ばされるのが道理だとでも言うのか?

馬鹿げている。何もかも余りに馬鹿げている。

眩暈がした。心臓の鼓動は酷く早いのに、恐ろしく眠い。

あのおぞましい顔は写っていなかったが、さすがに気味が悪く、その場で消した。

しかし、いつシャッターボタンを押したのだったか…。

いや、今はとにかく朝だけが来て欲しい。

何も考えたくない。

そのまま私は、眠りに落ちた。

後に、その石鳥居について、地元大学の調査が行われたという新聞記事を、偶然見る機会があった。

以前から、一部の民俗学者からは、注目されている代物ではあったらしい。

調査では、建てられてから少なくとも千百年以上は経つ、日本の鳥居全体においても、最も古い部類に入るものだと確認されたらしい。

川に沿って、上流の方にももう一つ、同じ型で同じ年代に作られた石鳥居があるらしく、それらはどうやら、龍山と呼ばれる、標高ほんの300m程の山に向かって建っているという。

その山はその一帯の山岳信仰の、一種の聖地的な物であったのではないだろうか。そう記事は締めくくられていた。

なる程、龍山という名前なくらいだから、もしかしたらあの時の突風は、龍が通ったのかもしれないな。

龍だったらば、あんなおぞましい怪物でも怖がって然るべきだ。

その時はあの日の異常な恐怖も忘れ、暢気にそんな事を考えていた。

しかし、今こうして書き出して見ると、再び眩暈がする様な気になる。

人間では立ち向かう意志も奪われる様な怪物が夜の闇の中に居て、そしてその怪物ですら為す術も無いような怪物は、山の中でも一際ちっぽけなものに由来しているに過ぎない、と言うのか。

壁に貼った日本地図を眺めると、その列島は山ばかりの島なのだと気付く。

まして私の故郷は、山に形作られているという事が、そのまま地名になっている様な土地だった。

あの見分けるのも難しい小さな山ですら、途方も無い怪異を起こすと言うのなら、隣の一回り大きい山はどうだろう?

その後ろの雲を突く山は?

もしそれら一つ一つに、あの龍が如き者らが潜んでいるのなら、山を削って道路を作り、トンネルを掘った程度で、何事かを管理出来ているつもりになっていていいのだろうか。

もしや我々は、自らこじ開けた龍口に、それと知りもせず入り込んでしまったのではないのか?

街の隅に在る闇一つすら、征服出来ぬまま。

そう言えば書き忘れていたが、あの夜の異変の片鱗は、次の朝にも思い知らされた。

朝飯の際、母親に

「あんた毎晩夜中出歩いてよく飽きないわね、友達もいないくせに。星空でも見てたの?」

と聞かれた。

あんな大雪ん中で星なんか見える訳ねえだろ、と私は答えると、

「大雪?何言ってんの?どこに雪が積もってんのよ。昨日は綺麗な満月だったじゃない」

と言う。

私は、弾かれる様に表へ出た。

何処にも、雪のかけらも無かった。

…馬鹿馬鹿しい、全部夢だったのだ。

そう思い、携帯を開き、息を飲む。

待ち受け画像は、ひょろ長い墓石だった。

先端がカクリと曲がっている。簾の様なものがバラリと垂れる。

そこに大きな目がある。

歯だらけの小さな口があり、長い、長い舌が垂れ下がっている。

髪は写り得る限りに広がっていて、画面の内側を指が這う。

私は、震える指で何度も何度も押し間違えながら、その画像を消した。

携帯の中のありとあらゆるデータを消し、投げ捨てた。

震えながら、涙が出る。

ああ、今なら、千年以上の昔の人間が、あんな仰々しい石鳥居を建てずにはいられなかった、その気持ちが分かる。

人間はあまりにも知らない事が多く、あまりに力弱い。

昼の日の中でさえ、闇の恐怖を拭い切れない。

日本地図を見、山の多さに眩暈がする。

昨日は晴れだったろうか?

雨だったろうか?

私はあの夜、どうやって帰ったのか?

今夜、眠っている間、何者かが枕の傍に立ちはしないか?

そう考え始めると、地面が音を立てて崩れる気がする。

そして、巨大な何者かの、柔らかな胃袋の中に今立っているのではないか、と。

怖い話投稿:ホラーテラー みさぐちさん  

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