中編4
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現代版清姫

あるミュージシャンの話だ。

彼は上京する際、長年付き合っていた彼女に別れも告げず生まれ故郷の街を出た。

彼女とは幼馴染みで、結婚の約束もしていた程だったが、その彼女ごと故郷をかなぐり捨てて都会に出る事は、己の夢へ賭ける情熱の大きさを裏付ける事になるのだと、その時の彼は信じて疑わなかった。

上京した彼は、ライブに明け暮れる毎日を送っていた。

ある日バイトから帰ると、アパートの前に女が立っている。

それは、驚いた事に、故郷と一緒に捨てた筈の、あの女だった。

もう過去の者になった女と今更話す事など何も無いのだが、何の説明もせずに出て来た自分に非がある事は明らかだ。そう思い彼は、とりあえず女を部屋に上げる。

女は、自分も故郷を捨ててきた、どうか彼と一緒に居させて欲しい、という様な事を語った。

彼としては、その女と縒りを戻す気など初めから無い。

かといって、昔馴染みの情も無い訳ではないから、「お前の様な田舎臭い女は嫌だ」、などと突き放す事も、心苦しい。

そこで彼は、

「俺は夢を食って生きる様な人間だ。お前を幸せにする事は出来ない。だから俺は、勝手とは思うが、故郷とお前を捨ててきた。今の俺の故郷はライブハウスで、恋人は観客達全員なんだ。」

などという芝居掛かった口上を語った。

言ってみてから自分の言葉の白々しさに気付き、「なるほど、夢などというのは言い訳で、俺はただ田舎の退屈さに堪えられなかっただけか」と自ずから悟る。

しかし、そんな口上で引き上げて行く位ならば、最初からここまで来たりはしないのだろう。

女が「それでも構わないの、私は…」と何事か語ろうとしたところで、間が悪い事に玄関の戸が開き、別の女が入ってきた。

「あ、また違う女連れ込んでる。あんたも悪い男よねえ」

それは、勝手にこの部屋に彼の世話を焼きに来る女であったが、その二人のやりとりを終わらせるには充分な効果があった。

故郷からわざわざ出て来た幼馴染みの女は、涙を溜めながら何か妙な微笑を浮かべたかと思うと、それきり逃げる様に彼の部屋から走り去った。

その出来事からしばらく経った、あるライブでの事だ。

彼がステージに上がり、薄暗い中でセッティングをしていると、ふと観客の中に、あの幼馴染みの女の顔を見た気がした。

しかし出番前だ、余計な事に気を取られてはいけない。彼は努めて気にしている素振りは見せないようにし、準備を続ける。

合図をし、曲を始めると、照明の眩しさで、客一人一人の顔など気にならなくなった。

騒ぎが起こったのは、一番自信のある曲のサビに差し掛かった時だった。

ギターの音とは異質の、短く甲高い叫び声が上がる。

ふと見ると、いつの間にか、演出のスモークとは明らかに違う黒煙が客席に入り込んできている。

火事だ、と誰かが叫ぶ。

客達は黒煙に混乱して、一気に出口へと雪崩の如く走った。

彼はしばらくの間事態が飲み込めずにいたが、やがて自分が一番出口に遠い所にいるのだと気付く。

何故か火災報知器などの音は聞こえていないが、この煙の量から考えて、既に相当火が燃え広がっているだろう事は確かだった。

逃げようにも、他の者らと同じ所から出ようとすれば、一等遅くなってしまう。そう考え、彼は楽屋に窓があったことを思い出し、一人ステージの裏から出る。

ドアを開け楽屋に入ったところで、そこにあった、有り得ない光景に彼は絶望する。

二つある筈の窓の場所に、板が打ち付けられている。

どう考えてもおかしかった。つい先程まで、彼はここで待機していたのだ。

混乱する頭で、とにかく板を剥がさなければと、彼はその乱雑に打ち付けられた釘に手を掛ける。

肉の焼ける音がし、驚いて手を離す。

焼けたのは釘に掛けた自分の指だった。

何が起こったのかも分からず、痛みすら感じられないでいると、次の瞬間、二つの窓に打ち付けられた板が、同時にもの凄い勢いで燃え上がり始めた。

訳が分からないが、とにかくここはもう駄目だ。彼はドアに戻り、ノブを回そうとする。

しかし、何故かドアノブは回らない。

混乱は頂点に達し、ドアを滅茶苦茶に叩きながら彼は、「ここを開けてくれ!誰か!」と叫んだ。

すると、ドアの向こうから返答があった。

「ここを開けたら、次は何処へいっちゃうの?」

驚いた彼は、一体誰がそこにいるのかとドアの隙間に目を当てる。

煙と、燃え始めた壁が見えたかと思った瞬間、血走った目玉が向こう側から当てられた。

彼は叫びながら、後ずさる。

「ね、もう何処へも行く筈ないわよね。だってここは、今のあなたの故郷だもんね。私もここが大好きよ。暖かくて。そして私は、今のあなたの、たった一人の観客。たった一人の恋人よ。だって他のお客さんなんて、もうみんな逃げちゃったものねえ?」

それは幼馴染みの女の声だった。

と、ドアが炎を上げて燃え始める。

それなのにどうしたことか、まだ女の声は平然と、ドアの向こうから聞こえ続けている。

許してくれ。許してくれ。

彼は懇願し続ける。

「うん、許すわ。私、何だって許してあげる。これからはあなたの故郷で、二人っきりだものねえ。それともあなた、もしかしてこの故郷からも逃げて行くつもりなの?また私を置いて行ってしまうの?二つも故郷を捨ててしまって、一体何処まで行こうと言うの?でもね、私それでも許すわ。そのかわり今度は、」

彼は、天井が燃え落ちて来るのを見た。

「私と一緒に逝きましょうね?」

彼のその後を、語り手である私は知らない。

怖い話投稿:ホラーテラー みさぐちさん  

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