長編24
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その正体は

長いです。恐らく貴方の想像以上に。ですんで、そういうの苦にならない方は、お付き合い下さい。

───────────────────

私はとある地方の国立大学に通っている。私には中国人の友人がいる。名前は仮に李さんとしておく。

李さんにはこの世のものではない者を見る事が出来る。それを李さんは「鬼」と呼ぶ。

当時私はバイトをしていた。仕事内容はスーパーの商品管理。平たく言えば荷受けと品出しだ。

そこで仲良くなったのがバイト仲間の大介と、ポス・オペレーターの美香ちゃんだ。

朝方の荷受け品出しが一段落すると、私と大介は美香ちゃんにポスの操作を教わった。事務所で3人つるんで作業の日々が続き、親睦を深めていった。

面長の顔に涼し気な目元の大介は、一見優男風だが、普段からやたら重い靴を履いたりして、鍛錬が日常化している筋肉馬鹿だ。

美香ちゃんは動物大好きの不思議ちゃん。よく男性の誘いを断る時、「猫に餌をやらないと」などと言う子がいるが、美香ちゃんはマジ。たまにする遅刻の言い訳も「猫が餌を食べてくれなくて」など全て猫絡み。よって上司の受けはあまり良くない。

そんな3人が私の大学の学園祭に行く事になった。特に高卒の美香ちゃんは大学祭に行った事が無く、普段付き合いの悪い彼女にしては珍しく大乗り気だった。

私達3人は駅から近い南門をくぐり、模擬店の並ぶキャンパス中央を目指し歩いていた。すると向こうから馴染みの顔が近づいてきた。

「あれ、李さん」

「おお、〇〇さん」

模擬店で買ったと思われるお好み焼きを頬張りながら、李さんは箸を持つ手を振った。

「李さんはこう見えて、有能な霊能者なんだよ」

「え、ほんとに?」

目を丸くする2人。

「またまた〇〇さん、そんな、霊能者はやめて下さい」

「だって本当の事でしょ」

「『霊』というのは、中国では『神様』とか『仙人』『妖精』の意味あるよ。だから霊能者言われると、気恥ずかしいです」

「でも、霊を感じる事が出来るんですよね。凄いです」

美香ちゃんが目を輝かせて言った。

美香ちゃんたっての希望で合流する事になった李さんと私達は、模擬店を見て回った。機械科自慢のハイパー腕相撲マシーンに挑んだ大介が、その豪腕で装置をへし折るというアクシデントもあったが、まずは平穏に一通り回り切って、お腹も膨れた。

私は腹ごなしも兼ね、各学部棟を探索する事を提案した。

川辺の生物を展示したコーナーでは、意外にも大介が興味を示し、丸眼鏡の研究生と長々話し込んでいたが、美香ちゃんは無関心だった。美香ちゃんが入りたがった、哲学科主催のお化け屋敷は、李さんが頑強に反対した。

オカルトやグロには耐性ある李さんも、ビックリ系には弱いのだ。

「君達だけで行っといで」と言う李さんに、「一緒じゃないと」と美香ちゃんは粘ったが、結局諦めた。

退屈気味の美香ちゃんは、李さんに話しかける。

「李さんは、いつから霊を見るようになったんですか」

李さんはおもむろに懐からメモ帳を取り出すと何かを書き込み、ちぎって美香ちゃんに渡した。

私と大介も覗くと、そこには『月玲』と書いてあった。

「『ゆえりん』言います」

「ゆえりん?」

李さんは『霊』の字を書き足す。

「『霊』と『玲』は同じの音ですよね。彼女は『月の霊』、つまり妖精です」

「妖精!」

美香ちゃんの目がキラキラ輝く。

「物心ついた頃、そうですね、5,6歳からずっと、私の傍らにいるのです」

「いいなぁ」

美香ちゃん、ウットリ。

「ふふふ、そんないいもんじゃないです。なにせ彼女は罪人ですから」

「罪人? 月玲さんは、何をしたの?」

「生前彼女には想い人がいたのですが、親の命令で後宮にお仕えする事になります」

「うん」

「ある日その想い人が重い病に罹っている事を知ります。思い詰めた彼女は、悪い役人にそそのかされます。

帝一族に伝わる秘薬を手に入れるという条件で、盗賊の手引きをしてしまうのです」

「ああ!」

「想い人の病は薬の効き目で治ってゆくのですが、それを待たずして彼女は捕まってしまいます。

盗んだ薬は例の役人の手に渡り、その後行方が分からなくなりました。

彼女とその一族は1人残らず極刑を受けました。彼女の『気』は続いて天の裁きを受ける事になります」

「それで?」

「盗んだ一袋の薬が数百人の命を救える量だと知り、彼女は最も重い罰で裁かれるよう願い出ます。

判決は、薬があれば救えたであろう命と、一族の奪われた命の総年数分を、流刑地である月に幽閉するというものでした」

「月玲さん、どれくらい月にいたの?」

「約2500年です」

「うわぁ」

「刑期満了を間近に控え、天は彼女の想い人が生き延びた年数だけ、早く地球に帰れるよう取り計らいます。後はその生活振りを通じて、残りの刑期を全うする形を取りました。今で言う仮釈ですね」

「うふふ、『仮釈』って急に現実的な話ですね。でもなんで李さんの元に?」

「私の家系は隔世でその役を担ってきました。私が月玲を見始めた頃、祖父がそのシキタリを教えてくれました」

「差し詰め、『霊の保護司さん』という処か」

と私。美香ちゃん、プゥっとふくれる。

「もう〇〇君、また話を現実的にするぅ。で、李さん、月玲さんはいつ人間に生まれ変わるの?」

「今からだと、えー、後2年でその日を迎えると、本人は言っています」

「じゃあじゃあ、李さんと月玲さんは、現世で結ばれるかもですね!」

「あはは、そんな都合よく再会するは難しいよ。それに月玲が成人する頃には、私はおじさんですよ」

「そんな事、無い! 月玲さんは絶対李さんを覚えてるし、20や30の歳の差なんて、関係ないよ」

結構な付き合いになる俺でも聞いた事が無い話だぞ。しかし、月玲、ロマンチック過ぎるだろ。コンパのネタか?

疑いの視線を李さんに送っていると、目が合った。

瞬間、李さんニヤリと笑う。ほらやっぱりネタだな、このドスケベ。

「ねえね、私の話も聞いて。私には『美貴』っていう妹がいるのね」

「うん」

「で、うちのダディ、私が産まれた時、娘3人作ってその後猫を飼うっていう壮大な計画を立てるの」

「…… あ、三毛猫飼うって事?」

「そう! でも私達2人で力尽きて、3人目は諦めて猫を買ってくれたの」

「へえ、洒落たお父さんですね」

「へへ、ありがと」

美香ちゃんも鉄板の持ちネタ出してきた。李さんを口説く気か? 月玲との再開、応援してなかったけ? 怖い怖い。

ふと、美香ちゃんの足が止まる。

講義室の入り口に置かれた看板には「セミナー 動物虐待の実体」と書かれている。

「ねえ、私これ、見たい」

私達は少し戸惑った。どの団体主催か明記しておらず、何となく胡散臭い感じだったから。

でも先程美香ちゃんの希望を断ってるだけに、李さんも強く否定できずにいる。

机に『受付』と書かれた紙が垂れ下がっている。そこに座る若者が、声を掛けてきた。

「よろしかったらどうですか? 聴講無料ですし、あと5分ほどで始まりますよ」

「あと5分だって! 急ごうよ」

そう言って美香ちゃんは中に入っていった。慌てて大介も続く。私と李さんも一足遅れて中に入った。

50席はある講義室はほぼ満席状態だった。美香ちゃん達の行方も分からない。

「こちらが空いてますよ、どうぞ」

案内されるままについて行き、私と李さんは別々の席に座る事になった。

「中に入りましたら、携帯はお切り下さい。話の邪魔になりますので、携帯はお切り下さい」

教壇の脇に立つ関係者らしい人物が連呼している。

「それでは時間ですので、始めさせていただきます。皆様、静粛にお願い致します」

主なテーマは「ペット産業の裏側」

日本のペットフードに対する規制は穴だらけ、獣医師学校でも餌食の講義はないという実情。

結果、劣悪な材料に有毒な添加物てんこ盛りのペットフードが市場に蔓延している事実。

パピーミルという悪徳ブリーダーの存在。劣悪な環境で育った、病気持ちで虚弱体質の犬猫。

それを純潔だから弱いのだと偽って販売するペットショップ。

その他生体市場の実情など、どれも美香ちゃんが卒倒しそうな話題が、ショッキングな写真を添えて続いていく。

講義が終わり、静まり返る室内。所々から啜り泣く声が聞こえる。すると関係者らしい人達が10数名、室内に散らばった。

私の前にも若い男が一人来て、不自然な微笑を浮かべながら言った。

「セミナー、如何でしたか?」

私の左隣の奴が口を開く。

「素晴らしかったです。この社会には私が知らない汚い部分があるんですね。人間は穢れた存在なんだと、つくづく実感しました」

その熱の入った口調に若干引いた私だが、関係者は笑みを崩さず頷く。

「貴方は、どうです?」

と、私に振って来る。

「うーん、まあ、面白かったですよ。実情を知れば、動物達ともいい関係が築けるかもですね」

「そうね。だから私達人間はもっともっと勉強が必要なのね」

右隣の女が同調する。でも俺、そんな意味で言ってないんだけど。しかしそのやり取りを聞いて、前の人物が笑顔で頷く。

「実は私達、学外でもこうしたセミナーを開催する活動をしているグループなんです」

そう言うと私にパンフレットを渡す。両隣の奴らも受け取っている。

「うわぁ、面白そうですね。どれを受けようか迷いますよ」と左隣。

「私、火曜日の午後は空いているの。この『穢れた社会を浄化せよ』というセミナー、申し込むわ」と右女。

「じゃあ私は、金曜日の17:00から『肉食文化を支える穢れた現実』というのを申し込みます」と左君。

「では、パンフに挟んである申込用紙に必要事項を書きこんで、渡してもらえますか?」

両隣は同時にペンを走らせ始めた。

「貴方は、どれを受けてみますか?」

来た。幾らお人好しの私でも、両隣がサクラである事位は分かる。

「すいません、ちょっとトイレに」

私は立ち上がる。隣の女は何気に椅子を突き出し退路を塞ぐ。それを強引に押し込んで、後ろをすり抜けるとその場を逃れた。

あたりを見回すと

「ワタス、チュコクジン、ニホンコヘタアルネ」

と、何故か中国人のマネをする李さんの姿が…… 

遊んでいる李さんは放っておいて、大介に電話を掛けるが、繋がらない。美香ちゃんにも繋がらない。律儀に電源切ってるよ。

ヤキモキしながら待つ事10分。着信音が鳴る。

「もしもし、大介? 今どこ?」

「美香ちゃんがさぁ、ぼろぼろ泣いちゃって、大変だったんだ。だから悪い、俺、美香ちゃんと先帰るわ」

「ああ、そっか。分かった、じゃあ頼んだよ」

嫌な予感がする。

その夜、大介から電話があった。話によるとこうだ。

泣きじゃくる美香ちゃんとそれをなだめる大介は、「落ち着くまでこちらに」と言われ隣の控え室に連れて行かれた。

そこで彼らは美香ちゃんに、言葉巧みにセミナーを勧めてきた。しかも女性が3人がかり。

「大丈夫? 辛かったね」「でも貴方幸せよ。本当の意味で、猫さんを愛せるチャンスを頂いたんだもの」などと慰めつつ後押しをする。

美香ちゃんは言われるまま申込用紙に書き込んだ。しかもあろう事か、2泊3日のセミナー合宿に。

それからその女性の一人が大介に向かって言った。

「彼氏さんも、一緒よね?」

美香ちゃんは完全に感化されちゃってる。強引に連れ出す手もあるが、逆に態度を硬化させるかもしれない。

そう判断した大介は、同じセミナー合宿に申し込むしかなかったという。

「大介、それは危険だよ。他の方法を考えようよ」

「時間が無いよ。セミナーは明後日からだ。説得なんかして、逆にキョヒられてみろ。もっとヤバイだろ」

「うーん。その代わり、逐一連絡入れろよ」

「分かった。また電話する」

合宿初日から、私は大介の連絡を待ち続けている。しかし1日経ち、2日目が終わっても一向に連絡が無い。

日付が変わり、明け方の4時頃だ。流石にウトウトしかけた私は、着信音で目が覚める。大介だ。私は飛び起きて携帯を掴む。

「おい、大介、何があった?」

「はぁ、はぁ、はぁ…… 〇〇、これは相当やばい集団だ」

大介の息が酷く荒い。必死に息を整えて、話を続けようとする。

「施設の中じゃ、携帯が繋がんねぇ。山ん中だからと言いやがったが、施設出れば繋がるんだ、クソ」

「施設って何だよ。何処にあるんだ」

「すまねえ、場所は分からん。駅前集合でバスに乗ったんだが、外が見えないようになってるんだ。バスん中には約4時間いたが、わざと回り道している感がある。あぁ、GPSがついてりゃな」

「山ん中の施設って何だよ。宿泊施設じゃないの?」

「俺もどっかのホテルか旅館を借りてやるのかと思ってたけど、甘かった。完全自前。しかもやたらデカイんだ」

「で、美香ちゃんは?」

「それが、バスん中までは一緒だったが、クラスは別にされた。定員20名なんて言って、実際100人はいたよ」

「それでクラス分けか。そん時知り合いは引き離す。巧妙だな。一体奴ら、何者だ?」

「完全なカルト集団だよ。様々なセミナーを仲介する会社、なんて偽っているけどな。セミナーの内容が、洗脳と、教義のインプットという訳だ」

「大介は今どういう状況?」

「『しょこうの間』という朝日を拝む部屋があって、壁の一面がガラスの嵌め殺しになってる。そこをぶち破って逃げてきた。防弾ガラスっぽくて少し手こずったよ」

防弾ガラスのポリカ層は、決して割れない。限界以上に変形させるしかない。引きちぎるか、捻じ切るか。

お前の筋肉って一体……

「わりぃな、俺だけ逃げ出してきちゃって」

「そんな事、無いよ」

「最初は、万一の為に隙を見ては脱走経路を探ってただけなんだ。でも今日俺、聞いちゃったんだよ」

「何を?」

「明かりのついた部屋から声が聞こえて、今回出家しそうな人数を予想してやがった」

クソッたれ! 本性現しやがった。

「出家しちゃったらそのまま施設に監禁だ。美香ちゃん救うにゃ、ここに留まっても意味無い。早くこの事を知らせないとって」

「正しい判断だよ」

「やっぱりあん時、無理にでも連れ出すんだったよ。ふぅ、俺もクタクタだ。ついさっきまでセミナー続いてたんだ。昼間は、救命ボートに誰を乗せるか、みたいな人間不信になる仮想ゲームを延々やって、夜中は寝不足状態で、一人を囲んで全員で罵声を浴びせるってのを交代で繰り返す。これはキツイよ」

「分かった、もう喋るな。携帯繋がるって事はそう山奥じゃない。早く安全なとこまで逃げて、体を休めろ」

「ああ、そうするよ」

その時、電話口から微かに聞こえる車のブレーキ音。ドアの開け閉めの音。決して声は聞こえないが、明らかに大勢の人の気配。

「ヤバ」

ガサガサガサ、プツ ツツツ

「おい、大介、おい!」

マズイ。相当マズイぞ。これは1人では手に負えない。警察? いや無理だ。やはり彼に協力してもらうか。時間は4:15。電話出てくれるか。

「ああ李さん、こんな早くにゴメン」

「早くないです。遅すぎますよ」

「え?」

「美香ちゃんの事でしょ? もっと早く連絡欲しいです」

「ゴメン。いつもいつも面倒に巻き込んで、忍びないなぁって」

「構わんよ」

セミナー合宿参加から、大介の電話が切れた所まで一部始終を李さんに話した。

話を聞き終えると、しばしの沈黙の後李さんは言った。

「〇〇さん、大介君と美香ちゃんのフルネームを教えて下さい。」

「え? 携帯番号とかじゃなくて?」

「はい。それさえ分かれば、充分です」

「分かった。じゃあメールするよ。それから俺達、どうしたらいいの?」

「そうですねぇ。まだ朝も早いですし、しっかり寝ときますか」

「は?」

「じゃあ、お休みです」

「ちょ、ちょっと」

李さんは電話を切った。仕方なくメールを送ると、取り合えずひと眠りする事にした。

どれくらい眠ったろうか。ふと視線を感じ、目を開ける。まだ部屋が暗い処をみると、さほど時間は過ぎていない。

やはり、いる。

枕元に誰か座って、私を見ている。

どう反応すべきか判断がつかず、体を動かせない。

キュッ

突然耳たぶを引っ張られる。

「おわっ!」

「〇〇さん、おはようです」

聞き覚えのある、呑気な声。

「李さん、何の冗談だよ」

「ぐふふ、言いつけ通り本当に寝るなんて、とても正直で、カワイソですね」

「うるさいよ。一体何のマネだよ。説明してくれよ!」

「し。お客さんです」

足音を立てないようにしているのは分かるが、なにせ安普請のボロアパート。軋み音は防げない。

その音を頼りに予想する。7、8人という処か。

玄関のドアがあっさり開いた。何故だ?

「鍵、開けときました。連中がこじ開けたら、壊れちゃいますからね」

それはご親切に。

連中が部屋に踏み込む瞬間、李さん明かりを点ける。

特徴の掴み辛い質素な服装にマスクと帽子を身に付けた連中が、虚を突かれ立ち竦んでいる。

「皆さん、おはようございます」

「誰だ、お前」

「あらら、私の情報は入っていませんか。意外と遅いですねぇ」

「なんだと」

「拉致する気なら付き合いますよ。私も上層部と会いたいですし。でも危害を加える気なら、今友人が下で車の写真を撮っています。それをしかるべき所に送信する事になるですよ」

「ふん、警察に送っても無駄だぞ」

「警察なんかに送らないです。私の仲間達に、です」

「………」

「不測の事態ですね。こういう場合は、上司に『報・連・相』。日本社会の常識ね」

「うるさい、黙れ」

「はいはい、黙りましょ」

『はい』は一回も、日本の常識だよ、李さん。

見張りを1人残し玄関口まで退避した連中は、ゴニョゴニョと相談していたが、結局電話を掛けていた。

しばらくすると、また全員部屋に入って来た。無言で我々を取り囲むと、体を小突き、腕を引張った。

「えぃよよよ、痛いですよ。貴方達の上司は言った筈です。『丁重にお連れしろ』と」

「ちっ」

彼らは手を放した。そのまま包囲されながら、一行は車へと向かった。

下には白いハイエースが停まっていた。劉さんのと違い、ピカピカに磨かれていた。

中に入ると、窓には鉄格子が。運転席との境に仕切りもある。護送車の払い下げか。

大介の言う通り、窓は塗り潰されてて、外は見えない。抑揚の少ない、お経のような歌の合唱が流れ、音の情報も遮断している。

車中に揺られる事、小一時間。緊張も徐々に解け、ウトウトしかけた時、

「それにしても悪質過ぎますねぇ」

李さんが、ボソっと呟く。

「ほんとだよ、信じられない。悪質カルト集団が!」

周囲の視線を感じる。

「いいえ、やり口があまりに露骨過ぎるです。何か、組織の存続など無視した、個人的な悪意を感じます」

「どういう事?」

「おい、お喋りはその辺にしておけ」

不穏な空気を残したまま、私達は押し黙った。

大介の情報通り、4時間程で到着。100名はいる筈の受講生の姿も、車やバスも見当たらない。こちらは裏口なのだろうか。

建物の全体像は把握できないが、確かにデカそうだ。高さは通常の3階建て程。窓の無いのっぺりとした外壁は、大型工場を連想させる。

鉄製の扉を潜ると、象牙色でリノリウム製の床が蛍光灯の光を映しながら、奥に真っ直ぐ伸びている。

塵ひとつ無く、微かに漂うエタノール臭。それが、人を拒むような無機質で陰鬱な空気を演出している。

私達は入ってすぐの左側にある階段室に誘導され、回り階段を降りていった。

階数の表示が無いので混乱しそうだが、おそらく地下3階。

再び通路に出ると奥に進む。両脇にはなんの表示も無いドアがポツポツと並んでいる。

何回角を曲がったろうか。突き当たりに、体育館にあるような、鉄製で観音開きの大きな扉が立ちはだかっている。

連中の一人が、インターホンを押してボソボソと何か呟く。ガチャンガチャンと騒がしい音の後、解錠する音が聞こえ、扉が開いた。

私と李さんが部屋に入ると同時に、後ろで扉が閉まる。連中の役目はここまでか。

部屋の照明は落としてある。広さも正確には把握できないが、体育館ほど広くはない。その半分ぐらいと言ったら、曖昧だろうか。

それにしても、部屋に入った途端、悪寒が止まらない。李さんといるからだろうか、私にもこの部屋の瘴気を強く感じる事が出来た。

「李さん、いるの?」

恐る恐る、鬼の存在を確認する。

「足の踏み場が、無いくらいです」

そう言うと李さんは、私に何かを握らせた。木の札のようだが、お守りだろうか。

ガチャン、ガチャン

背後で音がする。扉に閂を掛けている。続けて鍵を掛ける音がする。

人の存在に気が付かなかったので驚いたが、目を凝らすと、単色の作務衣を着た連中が、壁際に並んで立っているのが見える。20人は居そうだ。

部屋の前方に、ボワっと明かりが灯る。蝋燭の火だろう。そして1人の人物が浮かび上がる。その恰幅のいい輪郭は、中年男性のようだ。

その男は、ゆっくりとマスクを外し、口を開いた。

「私は、『きょうん』という者。ここの支部長を務めている」

きょうん? 私は頭の中で、勝手に「虚雲」と変換した。モロ宗教家気取りの名前じゃないか。

「李君、君の悪名は、私の所にも伝わっているよ」

人を小馬鹿にしたような、ゆっくりとした口調。それにしても『悪名』って何だ?

「君は動物を使って、サバトの儀式を行うそうじゃないか」

あまりの曲解に、私の頭に血が上った。

「あんた阿呆か。なんでサバトの儀式になっちゃうんだよ。自分らの視点に置き換えるなよ」

「君は確か、〇〇君か。君も来ていたのか。まあいい。そんな口を叩けるのも、今のうちだ」

「なんだと?」

「〇〇君、君の両親は御健在だね」

「なに?」

「父上は**運送にお勤めの51歳。ベテランドライバーさんだ。母上は**フーズでパートに出ている48歳」

「何の、つもりだ」

「そうそう、妹さんがいたな。高校卒業してすぐに**島に渡って、住み込みのバイトを始めたそうだな。御両親は心配されたろう。今は島から戻り、市内に部屋を借りて一人暮らしをしているな。勤め先は**デパートで、化粧品の販売員をしている」

「お前、ふざけんなよ」

「最初の勢いが無くなってきたな。我々は全国に1500人の信者がいる。在家も合わせればその数倍。御家族の身が心配なら大人しくしているんだな」

「く……」

「情報は、それでお終いですか?」

李さんが、口を開く。

「〇〇さんの妹さんは、最近自分のアパートに帰っていません。島で知り合った男性と半同棲の生活です。近々御両親に挨拶に行くようですよ」

「な、な、な」

「1500人なんて、ちっぽけな集団ですね。日本に居る中国人の数は約65万人です。我々に情報戦を挑むのは止めた方がいいです」

「ふん」

「貴方が私の友人達の家族・親戚宅に放った監視役は、私の仲間が全員保護している筈です。諦めなさい」

「クックックッ、面白いねぇ。李君、駆け引きは止めて、本音を語り合おうか」

「もちろんそのツモリです。その前に貴方も裸になりましょうよ、虚雲さん、いえ、『池田邦夫』さん」

「………」

「『池田邦夫』 **通商の常務として金脈と人脈を広げながら、教団設立を陰で支える。現在は教団の実質的な支配者」

「ふふふ、宜しい。君達に情報戦は2度と挑まんよ」

「そして今や、『池田邦夫』ですら、無い」

キン と、空気が張り詰める。

「ほう、見えるというのは、本当らしいな」

「よく見えますよ。世間への恨みでパンパンに膨れ上がった貴方の姿と、その足元に縋りつく、元『池田邦夫』だった哀れな鬼の姿が」

「では君には見える筈だ。この部屋を埋め尽くす、我が直属の下僕らの姿が」

ザザザ

渦巻く瘴気の流れに体が押され、膝を突きそうになる。激しい頭痛と吐き気で意識が遠のく。私はお札を強く握りしめた。

李さんはにっこり微笑む。

「私のお友達も、中々でしょう?」

流れが、止まった?

「ふん。それはそうと、〇〇君」

「何だよ」

「折角遠路はるばる来て頂いた君には申し訳ないが、もう、用が無いのだよ」

虚雲は、薄い手袋に包まれた右手を、スッと上に伸ばした。すると後ろに控えていた連中が10人ほど私に駆け寄って来た。

「なるべく体液は外に出さんようにやってくれ」

彼らは皆スリコギ状の金属棒を片手に持ち、襲いかかって来た。

「ひ」

私は咄嗟に両腕で顔面と頭を庇ったが、彼らはまず足元を狙ってきた。

堪らず片膝を突くと今度は上から雨の様に棒が振り下ろされた。結局は床にうずくまり、されるが侭になるしかなかった。

李さんは、そんな私の状況に眉一つ動かさず、虚雲を見据えていた。

「貴方、極度の潔癖症ですね。それは『穢れを浄化せよ』という教義にも現れてますし、廊下のエタノール臭や、今も私達を必要以上に近づけないのもその所為でしょう。それが貴方の恨みの原点ですか。しかし……」

「しかし、たかが潔癖症ごときでか? ふん、支那人のような穢れた民族には理解できんだろうよ」

「んふふ、その穢れた中国人は、貴方の家に異臭を振り撒いちゃいました」

「何?」

バギンッ

馬鹿でかい破壊音が扉を震わす。振り返ると、錠と一体になっている2つの取っ手が、ボトリと落ちた。

バゥンッ

強烈な勢いで扉が開けられ、ゴツイ閂がひん曲がり宙を舞った。

室内に外部の光と空気がなだれ込み、それらを背に受け姿を現したのは、大介だ。

壁際に控える残りの連中が、全員大介に襲いかかる。

大介は千鳥足で近づいて来る。殴りかかる奴らを手首の先で虫を払う様にはたくと、彼らは衝撃で体を回転させながらその場に崩れ落ちた。

そして大介は、うずくまる私の傍らまでやって来た。私を殴っていた奴らは大介を囲うように円形に距離を取った。

「〇〇、李さん、待たせてゴメン。電気ショックと薬のせいで、まだ酔っ払ったみたいにフラフラなんだ」

安堵した私はやっと大介の姿を観察する事ができた。

時代錯誤の頑丈な手枷が、両の手首に各々嵌められている。そこから猛獣すらビビリそうな凶悪な太さの鎖が、ちぎれて垂れ下がっている。

おいおい、その鎖を引きちぎったのか? 正に、ミスター・アンチェイン!

「その状態で、よく分かりましたね」

「これでしょ、李さん」

大介は一枚の葉っぱをつまんで見せた。

「大介、なんだい、それ」

「これは、イヌコリヤナギの葉っぱ。よく湿地や川辺で見かけるヤナギ科の樹木だよ」

まだポカンとする私に手を差し伸べながら、更に続けた。

「『犬行李柳』、犬が李に行く。つまりニオイを辿って行けって事。これを裏口付近の階段で見つけた時には、震えたよ」

「ピカピカの床を見て、ヤバいなと思いましたが、拾ったのが大介君で良かったです。後は遅効性の香料を、要所要所に振り撒いたですよ」

俺が連絡しない間も、色々布石を打っておいてくれたんだ。ホント、頭が下がるよ。でも俺の身辺調査は、程々にな。

「そっちの気持ち悪いおっさんは専門外だな。他の奴らは任せろ。バッチリ守ってやる」

大介は私と背中合わせで身構えた。しかし折角大介が来たのに、李さんの顔が冴えない。

「クククッ、李君、それが君の切り札かい? 残念ながら、一足遅かった様だ。分かるね、李君。君の負けだ」

「………」

「李君、私のもとに来なさい。一緒に世の中を清めようじゃないか」

「バカヤロウ! 李さんがお前の仲間になるわけ無いじゃないか。な、李さん」

「………」

李さん、何故黙ってるんだ。

「ボンクラの友人と違って、李君には分かるだろう。既に選択の余地は無いのだよ」

「………」

李さんが眉を顰めているのは、負けを認めたからでは無い。次のカードを切るのを、躊躇しているからだ。それ位は、俺でも分かる。

「李君、判断が遅い者は、貴重な機会をドブに捨てているのだぞ。ふん、仕方あるまい。今回は背中を押してやる」

虚雲はゆっくりと腕を水平に伸ばすと、手の平を我々に向けた。

「お、おい、一体どうした」と大介が叫ぶ。

私と李さんは後ろを振り向いた。

取り囲む信者の一人が、白目を剥いて膝から崩れ落ちた。

「どうだね、李君。支那人のお家芸、気功だぞ」

虚雲は嗤った。

「違う」

李さんは手で口元を覆い、固まっている。

「な、なぁ李さん、何が起きてるんだよ?」

「鬼が、人の『気』に群がって、喰らっています」

「へ?」

パン パン

虚雲は手を叩いた。手袋越しの音はくぐもって響いた。我々は、その音の方を向く。

「流石の李君も、初めて見るかね。普段は絶対起こり得ない事だ。自我が魂を守っているからな」

「全て分かりました。この教団は、人の『気』のパピーミルです」

李さんの震える声は、恐れか、怒りか。

「貴方は、ここの自我を失った『気』が簡単に喰える事に気が付いてしまった。『気』を喰らい、力をつけた貴方は安々と虚雲の体を奪った。その地位を利用して『気』に世俗への怨念を培養し、それを喰らい続けることで己の恨みを増幅させた。それが貴方の正体」

「そうだ。よく辿り着いたな。御褒美に特別ゲストに会わせてやろう」

蝋燭が生み出す、朧気な光の輪の中に、もうひとつ人影が現れる。美香ちゃんだ。虚ろな目で、木偶の様に力無く佇んでいる。

刺激臭が、涙腺に染みる。エタノールの風呂にでも浸けたのかよ。この、変態野郎。

「美香ちゃん!」

その元に駆け寄ろうとする大介を、李さんが制する。

「世俗の名前で呼ぶでない。もう出家を遂げたのだ。『せきりょう』と呼びなさい」

ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな

「私は本来熟した方が好きなのだが、李君、君の返答次第では、青い果実を味わう事になるが?」

ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな

「〇〇さん」

李さんが、静かに口を開いた。

「ここを出たら、劉さんに連絡して下さい。彼が何とかしてくれる筈です」

嫌だよ、李さん。まるで、敗北宣言じゃないか。

私は或る事を思い付く。よし、一か八か。

「おい、変態ジジイ、偉そうにしてる割には両肩にフケが溜まってるんだよ。汚い野郎だ!」

虚雲は身震いをし、せわしなく両肩を手で払った。

シメた。これで灯火は消えた筈。てめえの下僕に襲われろ!

虚雲は目を見開き、手を口に当てている。肩も僅かに震えている。

口元の手を、ゆっくり下に降ろす。現れた口元は、ニタリと嗤っていた。

「この猿知恵は、李君が伝授したのかね? 結界が消えたからといって、下僕達が私を襲うと? 彼らは私に忠誠を誓っているのだよ」

糞野郎が! 何が忠誠だ。『気』で釣ってんだろうが! 糞、糞、もう、万事休すだ。

横を見ると、李さんが体を震わせ、ガチガチと歯を鳴らしている。

「月玲? ああ月玲、びえちゅなぁ!」

突然、李さんが叫ぶ。

「ん? 何だこの、ちび助は」

虚雲は目の前の空間を見つめる。

「月玲、やめて、戻って、ほぇいらいや、月玲!」

李さんは額に脂汗を浮かべ、叫んでいる。

虚雲は、露骨に嘲りの感情を込めて言った。

「クククッ。まさかこれが、これが君の切り札とは言わんよな? ふふ、傑作だ。君にはもう何の興味も湧かんよ。

ふふ、ふははははひぐ」

虚雲は突然白目を剥き、操り人形が糸を切られたかの様に垂直に崩れ落ちた。

李さんは額に手を遣り、虚脱して天を仰いでいる。

俺か? 俺が引き金を引いたのか? 

突然訪れた静寂に、誰もが動く事を忘れていた。

その時、虚雲がゆらりと上体を起こす。

「しゃおりぃ、しゃおりぃ」

その声を聞き、李さんは汗だくの顔を虚雲に向ける。

「しゃおりぃ、どぅいぷち」

虚雲は、悪戯っぽい表情で小首を傾げた。

「いいえ、絶対許しません! さっさと戻りなさい!」

厳しい表情で睨みつける李さん。

虚雲は拗ねた様にむくれると、ペロッと舌を出した。そしてガックリとうなだれた。

すると今度は一変して頭を床に擦りつけると、おんおん哭き始めた。

それは感謝か、懺悔か。いずれにせよ、月玲の振舞いでは無い事だけは誰もが見抜いていた。

虚雲を先頭に私と李さん、美香ちゃんを肩に担いだ大介は施設を出ると門まで歩いた。

門の外、道路脇には小汚い白のハイエースが停まっていた。劉さんだ。

「ケジメは付けます」と言って頭を下げる虚雲を残し、我々は車に乗り込んだ。

流石に疲れたのか、大介と美香ちゃんは肩を寄せ合い、仲良く眠りに落ちている。

私も疲れてはいるが、全身の痛みと充満するエタノールのニオイで目が冴えてしまっている。

手の中を見ると、ボロボロに朽ち果てた木片の残骸が残っていた。

李さんを見ると、先程からずっと口をへの字に曲げ外の景色を眺めていた。

何だか『話しかけるな』オーラを放っているけど、好奇心には勝てない。

「なあ李さん、『月玲』はネタじゃなかったのか?」

李さんは暫く横目で俺を睨みながら、おもむろに口を開いた。

「お人好しの御先祖様は天の御告げと信じ、月玲に同情したんでしょう。私にとってはネタ以外の価値は有りません」

李さんはガバっと私に向き直ると、続けた。

「月玲は、我が一族が抱えてしまった、厄介物です」

「そうなの?」

「仮釈など、とうの昔の話です」

「は?」

「彼女は何か事件を起こしては、刑期を伸ばし続けてる常習犯ですよ」

「え、てことは李さん一族は延々と月玲さんだけを引き継いできたって事?」

「そうです」

「うへぇ。でも普通仮釈中に問題起こせば、刑務所に逆戻りじゃないの?」

「法に則り裁くというのは、真実を見る力が無い現世での常識です。全てを見通せる天界では、裁判官の裁量で決まるです」

「てことは、情状酌量を見越してるって事? だとしたら性悪だけど」

「いえ、彼女が本心から人助けのつもりでやってるから、問題なんです」

「あらら」

「月に返すのは憚られるし、無罪放免という訳にもいかない。で、我々一族に押し付けてお茶を濁すのが通例になってしまいました」

「それは御愁傷様。で、敢えて訊くけど、今回月玲さんは……」

「鬼を喰らったですよ。見てたでしょう?」

「やっぱり。で、月玲さんはどんな罰則を? 李さんは?」

「それは、聞かないで下さい」

李さんは深い溜息をつく。

「ご、ごめん。あの、月玲さんってのは一体……」

「最初から言ってますよ。月の精です。ん? まさか〇〇さん、スケベな想像してました? 月玲は女の子ではありませんよ」

「やっぱり。じゃ、月の精なら、ウサちゃんかな?」

んな訳、無いよな。

「日本では『兎』ですね。でも中国で月の精と言えば、『蛙』です。月に送られた囚人が蛙にされるのも、刑罰の1つなんですよ」

蛙…… 怨念でパンパンに膨れた魂を、一瞬で口の中へ手繰り寄せる月玲の姿。想像すると首筋がヒヤッとする。

李さんといると、ホント首筋がヒンヤリする事多いよな

「月玲は蛙歴が長いですから、その悪癖がすっかり身に付いてて困ります。動く物は全て餌だと思い、反射的に舌を伸ばすですよ」

ヒンヤリは、君のせいか。

怖い話投稿:ホラーテラー いっかみさん  

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