中編3
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姉待ち

幼い頃、僕の町には井戸鬼という妖怪の噂があった。

古井戸に住み、子どもがふざけて中に入ってくると、手にしたナタで足の肉を削

ぐという…恐らくは大人たちが危険な遊びを戒める為に作った噂だったのだと思

う。

その姿を見た物は井戸の底に引き込まれて死ぬとも言われていて、子どもの間で

は長い間結構恐れられていたようだった。

たが、田舎とはいえさすがに近代化した町のこと、古井戸など見掛けなくなり、

井戸鬼も噂からおとぎ話に変わっていった。

それでも二つ年上の姉のクラスなどではもっともらしくその存在は囁かれており

、彼が井戸無き今どこにいるのだろうかと、同級生と推論を交す程度には定着し

ていたようだった。

大雨が降ったある日の夜、まだ分厚い黒雲の下を小雨がパラつく中、小学生の僕

は、姉と帰途についていた。

学校に忘れ物をして取りに行こうとした僕に、姉が付き合ってくれた帰りだった

姉とは特別仲良くはなかったが、母子家庭だったこともあり、面倒見は良かった

方だと思う。

「雷が鳴ると嫌だから、早く帰ろうね」

「お姉ちゃん、雷が恐いの?」

「恐いわよ…悪い?」

二人とも早歩きになる。

途端に、姉の姿がふっと消えた。

驚きながら辺りを見回す。

「ここ、ここっ」

ばつが悪そうな姉の声が聞こえてきたのは足元からだ。

見ると、姉は蓋が外れていたらしいマンホールの中に落ちかけ、両腕をアスファ

ルトについて上半身だけを地上に出した格好だった。

雨で増水しているだろう下水が危険なことくらい、当時の僕でも分かる。

蓋が外れていたのが悪戯か過失かは分からないが、冗談じゃない。

姉を引っ張り出そうと手を差し出した。

その時だった。

すん。

と、何か柔らかいものを鋭く裂くような音が聞こえた。

同時に姉の顔色が変わり、穴の中にある自分の足元を見下ろした。。

何が見えたのか僕の位置からは分からなかったが、姉の表情が引きつっている。

すん。

「あっ、痛っ」

まただ。

今度は姉が声をあげた。

すん。

すん。

「あ、あっ!」

音に合わせて響く姉の声。

そして音の間隔は段々短くなっていった。

様子がおかしい。

姉の顔は雨に濡れていたが、どうやら涙も流しているらしい事が見てとれた。

「お姉ちゃん、大丈夫?今引っ張るからね」

すん。

すん。

すん。

「だ、駄目、あっ、あっ、

来ちゃ駄目、見ちゃ駄目」

「どうして?」

姉は一時僕の目を見て黙った。

それから息継ぎも惜しむかのように早口でまくしたてた。

「よく聞くのよ。

まずあたしは何があってもあなたを恨んだり

憎んだりすることは一生無いよ。

だからあたしのことであなたが何かを後悔する必要は無い。

確かに覚えておいて、一生よ。

そして一つだけ言うことを聞いて。

この何辻か先に信号が

あるからそこまで走って

いくの今すぐ振り返らずに。

お姉ちゃんは後から追い掛けるから。

あたしのどんな声が聞こえても

振り返らないでねあたしのことを

決して気にしちゃ駄目。

さあ早く」

姉のせっぱ詰まった様子に気圧され、僕は素直に従って走り出した。

背後からはあの音が聞こえてきた。

すすすすん。

すすすすすすん。

姉の声も聞こえる。

「うっ、うっ、うっ、うあ。

ぐ、う、ぐ、ぐ、うううあっ」

姉のあげる声はそれきり途切れた。

言われた通りに僕は信号へたどり着き、傍らの八百屋の庇の下で姉を待った。

姉と帰ったら何をしようか。

姉はすぐに、帰りの遅い母の代わりに夕飯を作り始めるだろう。

僕は作りかけのプラモデルを完成させたいが、今日姉が付き合ってくれたお礼に

、食事当番を代わってもいい。

ただ、僕一人で料理をすると、酷い有り様になることが多かったので、結局は二

人で食事の支度をするのが常だったが。

そんなことを考えながら、

僕は姉を待ち続けていた。

そう言えば

今夜はありがとうと

言いそびれていたな、

まあいいか、

帰ってからで。

そんなことを考えて、

それからいつまでも

姉を待ち続けた。

怖い話投稿:ホラーテラー わさわささん  

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