中編6
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蒲公英(たんぽぽ)

蒲公英(たんぽぽ)

多くの種では黄色い花を咲かせ、綿毛(冠毛)のついた種子を作る。生命力の強い植物で、他の植物が生きていけないような厳しい環境下にも生息し、アスファルトの裂目から生えることさえある。50センチ以上もの長い根を持ち、最大で1メートル程度まで伸びる個体も珍しくない。

これは私の少年時代の話。

当時私は片田舎の公団住宅に住んでいた。かなり大規模な公団でありながら、周囲には豊かな自然が残されていた。

団地の敷地内から一歩足を踏み出せば、そこには広大な田園風景が広がっていた。

少年達は季節によって、蛙やザリガニ、蝉や蜻蛉、バッタにカナブンと様々な生き物と接して遊んでいた。

虫に触れないなんて子供はいなかったし、それどころか虫や小動物を殺すことに罪悪感を抱く子供も皆無だった。

むしろそれは、とてもエキサイティングな遊びの一環であり、当時の遊びの天才児達によって、あらゆる遊びが開発された。

例を上げれば、キリがない。

バッタの足を引きちぎって、その腿の部分を手で押すと、まるで脚気の検査で足が跳ね上がる時のようにヒョコヒョコ動いたり、蜻蛉の頭をデコピンで弾き飛ばすと、その瞬間それまでジタバタ暴れていた脚や羽が嘘のようにピタっと止まったり。

二匹の蜻蛉の尾を紐でつなぎ、上空に放つと、ヘリコプターよろしく、見事なホバリング飛行をする。調子に乗ってたくさん飛ばし過ぎると、翌日尾を繋がれた蜻蛉の死骸が公園中に散乱する事になる。

オタマジャクシなど用水路が埋まるほどいたので、ありとあらゆる方法で殺した。道路に並べて車に轢かせたり、遠投ごっこやデコピンレースなど単純なものもあったが、ある時誰かが「お腹に、麺が入ってる!」というので見ると、それはそれは美しい渦を巻いて腸が収まっている。

その発見以来、「ラーメン屋さん」ごっこが、大流行したのだった。

眉を顰める人もいるかも知れないが、これが田舎の子供の日常である。

その中で私は少し変わった嗜好の持ち主で、「コレクター」と呼ばれる部類であった。

コレクターと言っても、所謂巷の蒐集家と称される人達のようなお上品なものではなく、なんでもかんでも家に持って帰りたがる非常に厄介な癖であった。

というのも、いくら自然と触れ合う田舎っ子だと胸を張っても、所詮はしがない団地住まい。多くの家庭で生き物を持ち込むのは御法度とされていたのだ。私の家でも例外では無かったが、親にいくら叱られても辞める事が出来ない、悪質な問題児であったのだ。

何が悪質かというと、「コレクター」は家に持ち帰る事自体が目的なので、その後きちんと飼って育てる事には興味が無かった。

集められた生き物たちはおとなしく死を受け入れるものばかりでなく、大抵は必死の脱走を試みるのである。

風呂桶の下からは、逃亡した蟹の這い回る音が10日程絶えなかった事があるし、水槽に入れた土の中で冬眠しているはずの牛蛙は、翌春隣のベランダに置いてあるプランターの中から啓蟄を迎えた。

この「空飛ぶ牛蛙」の話はその後隣の小母さんから、嫌という程聞かされる事になる。

そんな私にも、「コレクター」を卒業する時機が訪れる。以下の話は、そのきっかけとなる出来事となる。

夏になると、少年たちは田んぼに群がる。稲の収穫期は秋であるが、少年たちにとっての田んぼの収穫期は、断然夏である。夏の生物の大半は田んぼ周辺に集中する。

その代表格がバッタである。子供だけでなく、大人達もイナゴの捕獲に躍起になる。大袋を装着した自転車や原付バイクがあぜ道を疾走するのは、夏の風物詩だ。

大人たちの狙いは食用のイナゴであるが、少年たちは大物のトノサマバッタを狙う。

当時の私達は、基本的に素手で昆虫を捕まえた。網の使用は野暮とされた。それでは簡単すぎたのである。我々が興じているのは、漁ではなく、狩なのだ。だから、我々が網を使うのは、大量殺戮用のオタマジャクシを捕らえる時ぐらいであった。

その点、トノサマバッタは難易度の高い獲物であった。まずは発見頻度が低い上に、地の利は完全に奴らが握っていた。

我々が、あぜ道沿いにしか移動できないのに対し、奴らは縦横無尽に田んぼを移動する。しかも、一跳びで数メートル彼方まで飛翔する。

よって、トノサマバッタの捕獲はそのまま私達のステータスとなるのだ。

その日の私は実にツいていた。

交差するあぜ道の先で、丁度大人たちがイナゴの大捕獲作戦を展開していた。おかげで、私の方に大物が大挙して流れてきたのだ。

普段お目にかかれないレアな大物が私の頭越しに大量に飛翔し、あぜ道を挟んだ隣の田んぼに移動するさまは圧巻だった。

私は夢中になって捕獲に没頭した。そして15分足らずで7センチ超級を5匹も捕まえる事ができた。

私は大興奮し、さらなる大物を目指したが、トノサマバッタ特需は既に終了していて、日暮れまで粘ったがそれ以上の収穫は望めなかった。

しかもその特需にあやかったのは私だけではなかった為、私の地位がとりわけ上がる事も無かったのだ。それでも私はこの収穫に大満足し、意気揚々と帰宅の途についた。

私の家は共働きで、母親が帰ってくるのは夜の7時頃であった。私の「コレクター」癖が完治しないのは、この親という「検問」が無かった事も大きかった。叱られるのはいつも某かの事件が勃発した後であって、持ち込む事自体でお咎めを受ける事は実は少なかった。

この日も母はまだ不在で、私は今日の収穫物が入った虫カゴをベランダの隅に押しやり、上から板を被せた。今回も安々とモノを隠す事に成功した。後はほとぼりが冷めた頃、もっと大きなカゴに移動させ、友人たちに自慢すべく、環境を整えてやるだけだった。

しかしその後私に自慢の機会が巡ってくる事は無かった。先に述べたように幸運にありついた友人はかなりの数にのぼり、その年のトノサマバッタ株は大暴落したのだ。

季節は過ぎ、秋になり、冬となる。その間数多のコレクションが増えては、消えていった。秋以降の生物たちは儚いものが多く、私でなくとも長生きさせるのは難しいのだ。

そして春。また生物たちが活動を始める季節であるが、少年達にとっては生活が一変する大変な季節である。何よりも新生活に備えることが一番の課題だ。

そこで親が命じたのは、新学期が始まる前にベランダを掃除する事。私のコレクションたちが冬を越す事はまず有り得ない。その残骸を片付けるのは、この時期の恒例行事となっていた。

次々と発掘される残骸たちを目の前にすると、さすがに自分の罪深さに神妙な面持ちになる。

あらかた片付き、なんとなく、そこに溜まった悪い「気」も払拭されたような気持ちになった。

しかし、ふとベランダの片隅の空気がまだ澱んでいる気がした。

その視線の先にある板切れを退けると、見覚えのある虫カゴが出てきた。

通常その中は、逃げる事の出来なかったコレクションの死骸があるか、それとも空の状態であるかのどちらかの筈なのだが、そこで私が眼にしたものは、

カゴいっぱいに充ち満ちている、蒲公英であった。

カゴの大半を占めるのは、根であった。

あたかもその中をウネウネと徘徊し、新たな養分を求め触手を伸ばしているようだった。

幾重にも重なり絡みつく根の隙間から微かに見える塊は何かの繭のようだったが、よくみればそれも根の塊であった。

何故か、葉は見当たらなかった。

だから、根と茎の区別はつき難かったが、

茎の先には花が咲いていた。

花こそが、この異様な塊を、蒲公英たらしめている唯一の存在であった。

根に押され気味になりながらも、少し赤みがかった、鮮やかな黄色い花を、5輪も咲かせていた。

怖い話投稿:ホラーテラー いっかみさん  

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