中編5
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祖父のハーモニカ

「疲れた…」

あの頃毎日この言葉がでなかったことはなかったと思う。

確かに毎日大学の授業や部活、遊びやバイトなどに励んではいたが、どれも中途半端で、身が入らない。そんな自分自身に嫌悪感を抱いていた。

何もかもが嫌になってきて、酒や煙草、女にギャンブルとお決まりの転落街道をまっしぐら、そんな自分にさらに嫌気がさし…とそんなジレンマから抜け出せずにいた。

そんな日々をただ繰返しているだけの時に母親から一本の着信が入っていた。

恥ずかしい話だが、親と会話をするなんて仕送りの催促をする電話を自分からするくらいだ。

着信欄の一番上にある親の名前をぼーっと見ながら最近向こうから連絡が来るような用事があったかな?と頭の片隅で考えたが思い当たらない。

とりあえず連絡をしてみることにした。

するとそこには思いもかけない母の声があった。

電話越しにも平静を装ってはいるが、明らかに涙で震えている声の母がいた。

どうした?と母に問いかけてもなかなか歯切れが悪い答えしか返ってこない。

業を煮やした自分は少し怒鳴るように問いかけると、

「おじいちゃん、先が長くないらしいの」

と涙ながらに母が言った。

そうか。じゃあ近いうちに帰るよと母に伝えると、一方的に電話を切る。

私はあまり深くも考えず、週末のバイトのシフトを思い返していた。

週末、珍しく朝早起きをして自分のアパートの最寄り駅へと向かう。幸いこの週末は予定が空いていたのだ。

私の実家は都心から鈍行でも2〜3時間程度のところにある。

電車に揺られて、段々と緑が多くなっていく景色を横目に暇な時間を祖父との想い出を辿っていった。

私の中での祖父は少し苦手な存在であった。

厳格で礼儀に厳しく、口うるさい人で、酒を飲むと自分が経験した戦争の話を深夜まで正座で聞かされたりと、思い出しても膝が痺れてきた。

祖父は私の実家の隣町で一人暮らしをしていた。祖父の家は近所こそいるが、結構な山の中にあって、私は幼少の頃によくその家に遊びにいっていた。

昔こそ祖父と一緒に山へ入ったり、料理をしたり、祖父の得意だったハーモニカを教わったりした。しかし私はどうしてもハーモニカがうまく吹けずに愚図っていたのを思い出した。

そんな祖父とも中学校辺りから部活などが忙しく、年に1、2回しか会っておらず、大学に入ってからは成人式の時の一度しか会っていなかった

祖父が死ぬ。

そんな言葉を唐突に頭の中で掲げても、その時の自分はまるで機械の様に、いつか年をとれば誰だって死ぬ。と事務的に理解していた。

地元の駅に着くと母親が迎えに来ており、私の顔を見るなりまた涙を流す母をなだめながら祖父が入院している病院へと向かう。

病院へ着くとそこには想像もつかない祖父の姿があった。

祖父は山に住んでいたため、足腰はかなり強かった。まだ20そこそこの私が息を切らすような坂を一気に上っていくのだ。

そんな祖父が体は痩せ細り、色んな所に針が刺されていた。私は理解はしていたが流石にショックを受けた。

病状を聞くと、ここ2、3ヶ月で入院した、その間にいきなり痴呆も発症し、あと1ヶ月程度しか持たないと医者に言われたらしい。

あの厳格で一人暮らしをしていた祖父が今では介護をしてもらわなければ何も出来ない状態をあまり見ておれず、見舞いもそこそこに病院を後にした。

それから実家で一泊し、次の日の朝には地元を後にした。

またあの繰返しの日々に戻るが、一日に数回はあの祖父の姿が頭の片隅でちらつく。そんな祖父の姿をかき消しながら、いつもにも増して遊んでいた。

そんな中、緑の木々が紅葉し、落ち葉が綺麗な絨毯を造り、雪がちらつく季節になった。祖父が持って1ヶ月と聞いてから既に4、5ヶ月は経過していた。最初の1ヶ月こそ毎日頭の片隅にいた祖父の姿も段々と現れる回数が減り、実は治ったのではないか?と自己解釈をしていた。だがなぜか母にそのことを聞くことは出来なかった。

そんな日々の中、母から着信が入った。私は大きく息を吸い込むと通話ボタンを押す。

案の定「それ」を伝える電話だった。

電車の中で、祖父の死を改めて頭の中で整理した。

祖父の家に着くと既に移動された祖父が横になっている。親戚が祖父の隣で葬儀の段取りをしているようだ。祖父の顔は前に見た時よりさらに痩せ、生前の面影はなかった。

その夜は線香の煙を見つめながら一晩を過ごした。

次の日は遠い親戚や祖父の知人などが祖父の家にやって来てかなり慌ただしかった。そんな中で私は一人で祖父の部屋へ入り昔を思い出しては懐かしむ。机の引き出しを開けると古びたハーモニカが出てきた。祖父が私の為にドレミファ…と削ってくれてあるハーモニカを吹いてみる。

やはりうまく吹けるはずもなく苦笑いしながら埃の味がするハーモニカを祖父の遺影のよこにそっと置いた。

葬儀なども一通り終わり、いい葬儀だったと親族が話している中、私はろくに2日間寝ていないのもあり、祖父の部屋の隣の部屋へ座布団を並べて崩れるように横になった。

…どこからか懐かしい音が聞こえてくる。懐かしいような羨ましいような…停止した思考回路の片隅で、ああ、祖父がハーモニカを吹いているのかと唐突に理解した。

私は重い腰を上げて隣の部屋へ続く襖を開くとそこには生前と変わらぬ姿の祖父がいた。

私は祖父の死を理解したつもりでいたが、胸がいっぱいになり祖父に駆け寄った。

ハーモニカを吹くのを止め、祖父は優しく微笑むと、泣きながら何から伝えたらいいかわからない私の頭を優しく撫でてくれた。

すると祖父は何も言わずに本棚の一冊の本を指差し、何かを言おうとしていたのだがそこで目が覚めてしまった。

涙で濡れた座布団を確かめてからそっと襖を開けた。そこには祖父の姿はなく、暗い部屋が広がっていた。

私は祖父が夢の中で指差した本を本棚から出してみる。すると本だと思っていたそれは本のカバーだった。カバーの中を確認すると3つの通帳が出てきた。中を見ると祖父が入院するまでの毎月、少しずつそれぞれの通帳へ均等に振り込んでいるようだった。

私は今まで隠していた感情と後悔が溢れだし、泣き崩れた。

ふと通帳が入っていた本棚の方を見ると一枚の写真が目に入った。私の成人式で撮った、孫3人と一緒に写った祖父がより一層優しく微笑んだ気がした。

怖い話投稿:ホラーテラー 名無しの匿名さん  

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