長編10
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追いかけてくる女

不動産会社に勤める俺は水曜日が定休である。一応不定休として平日にもう1日シフト休みがあることになっているが、当時入社2年目でまだまだ新米の俺にとってはゆっくり休めるのはこの日くらいなのだ。

とある6月中旬の水曜、目を覚ますと時刻は正午を過ぎている。とりあえずテレビを点け、意識が覚醒するまでぼんやりと画面を眺めていると携帯にT兄から着信があった。

 

「S君起きてた?今部屋だよね、昼飯まだだったらどこか行かない?」

「さっき起きたとこです。10分くらい貰えますか?顔洗ったら下行きますんで。」

T兄は俺の2コ上の先輩で大企業のハウスメーカーで設計をしている。この4月に転勤で俺と同じアパートに住むことになって以来、休みも一緒なのでこうして休日には行動を共にする機会が増えている。

身支度を済ませ部屋を出て階段を下りる。ドアの音で俺が出てきたのが分ったのか101号室の玄関からT兄もちょうど出てきた。

 

「それじゃ今日は洋食とかどうですか?ハヤシライスの美味いサテンがあるんで。」

「店とかまだ全然わからないから任すよ。」

市の中心街に車で向かい目的の店に入る。看板メニューのオムハヤシを注文し、運ばれて来るまでにある件の報告をした。

 

「この前の日曜なんですけど、神主さんに紹介された人物の所行って来まして・・・。」

俺の会社では地鎮祭や竣工式の際にいつもお願いしている神社があり、そこの神主さんに4月に起きた「溜め池」事件について相談したのだが、憑き物系ならある人を紹介するから一度視てもらいなさいと、2つ先の町に住む人物を紹介された。

電話で訪問の約束を入れ、日曜の夕方に会社を早引けさせてもらい、車で40分ほどの距離のあるN町へ向かった。紹介されたその人物は60代くらいの男性で、後に知ったのだがその筋では結構有名な人だそうだ。皆その人物のことをとある敬称で呼んでいるが、迷惑がかからないようここでは先生と呼ぶ。

先生のご自宅は外観や玄関先などごく普通の和風住宅の印象だったが、通された和室の床の間には直径40センチくらいの銅鏡が飾られていて、ほかにも勾玉やら良くわからない紙細工の人形などがあった。

先日起きた出来事の概要を話すように促され、俺は「溜め池」事件を一部始終説明した。

「ふむ、S君も運が悪い人だな。これから暫くは同じような目に逢うかもしれないから気をしっかり持つように心掛けなさい。」

その言葉だけで充分気が遠くなったよ・・・。

 

その後先生にお祓いをして貰った。詳細については長くなるので省くが、お祓いといっても今は憑いているとかは無いので、今後霊が寄り難くする儀式とのことだ。

最後にいくつかのお札と半紙でつくった人形(ひとがた)、そして小さな勾玉(長さ3センチ弱)を渡された。

「このお札は部屋の玄関や窓などの出入り口に貼ること。ガラス窓なら上や下の壁の部分でも良い。四方の面にひとつずつ貼りなさい。」

「人形(ひとがた)は出先などで霊に付きまとわれる気配を感じたら、身代わりとしてその場に置いて逃げること。財布などに折りたたんで入れておくと良い。」

「勾玉は常に体に身に着ける。霊に入り込まれることを防ぐ効果がある。ただ、もし勾玉の紐(白と紺の糸を寄り合わせてある)が切れたり、石(翡翠だそうだ)の色が変わるようなことがあればすぐに連絡を入れなさい。」

先生は俺にそれぞれの品の使用方法を丁寧に説明してくれた。

あの一件以来少々気弱になっていたが、これで少しは安心できるとようやく一息つけた感じだ。

 

「これがその勾玉です。とりあえずペンダント代わりにしてるんですけど。」

首元から勾玉を取り出しT兄に見せる。

「これは大珠って呼ぶんだよ。曲がってないでしょ。」

そういえば写真かなにかで見た勾玉はカシューナッツみたいな形だったな。先生から貰ったこれは薄べったい楕円形だ。まあ勾玉って言ったほうが何となくご利益がありそうだから別に呼び名は何でも良いだろう。

 

「でこれが人形(ひとがた)か・・・。面白いねこれ、少しだけど確かにS君の気配みたいのを感じるよ。」

「何でも銅鏡を使う事で、鏡に映した人物の気を移し込めるんだそうです。人物に直接人形を触れさせる方法もあるそうですが、鏡を使ったほうが効果が高いみたいで。」

「とにかくちゃんとした人に会えたみたいで良かったね。怪しい自称霊能者みたいなのもいっぱい居るから。」

そこで注文していたオムハヤシが運ばれてきたので話をいったん打ち切り、暫くは胃袋を満たすことに専念した。

 

食べ終わってセットのアイスコーヒーを飲みながら一服する。ふと外を見ると先ほどまで降っていた小雨はいつのまにか上がっており、西の空にはうっすらと陽も覗いている。

本当は今日の朝天候が良ければ、T兄をブラックバス釣りに誘うつもりだったのだ。ただ昨日の夜の時点で予報が雨だった為見送っていた。

時間はまだ午後2時少し。今からでも近場なら夕方2~3時間は竿を出せそうだとふと思い立った。

「T兄この後予定は空いてますか?良ければ今からバス釣り行ってみません?」

「今から?予定は別にないから平気だけど竿出せる時間あるかな?」

「前に話していた隣の県の湖はさすがに無理ですけど、アパートから車で2~30分くらいのとこにあるダム湖でも釣れるって聞いた覚えがあるんですよ。」

Rダムは市のはずれの山奥にあり、この辺り一帯の水源にもなっている。湖の周りは急斜面が多く釣りが出来る場所は少ないが、水門の近くは護岸されているので竿が出せるのだ。

車が無いと行きづらい場所なので、釣り人はそれほど多くなく、ましてや平日ならほとんど居ないはずと仕事で関わった職人さんが言っていた。

「そうだね、もう梅雨入りしてしまっているから今日を逃すと次は何時になるか分らないし行ってみようか。」

 

5分もしないうちに話がまとまり、勘定を済ませて一旦アパートに戻り、釣り道具を揃えて早速Rダムへと向かった。

初めていく場所だったが、道はほぼ一本道。山に登っていく道なので多少カーブは多いが、ちゃんと舗装されている道路なので迷うことなくダムまで着けた。

水門近くにちょっとした公園があり、10台ほど車を停められる駐車場もあった。水面よりもかなり高いところにあるので、コンクリで護岸された斜面を10mほど下り、水面近くまで降りないと釣りは出来そうにない。ただ足場はさほど悪くなさそうなので問題ないだろう。

 

早速準備を整え釣り開始だ。初めのうちはT兄と並んでルアーを投げていたが、反応が無いので色々探ってみようと俺は水門の方に少しづつ移動し、T兄は反対方向へと自然に分かれていった。

段々あたりが薄暗くなってくるとともにバスの反応も活発になり、結構な入れ食い状態になった。

最初は釣れる度に魚を見せるため互いの所まで報告に行っていたが、かなり暗くなってきてもう余り時間がないのでそれぞれ自分のポイントで集中するようになる。

 

そんな時だった。ルアーが水中で何かに根掛りしてしまった。何度も引っ張ってみたが一向に外れてくれない。

諦めて糸を切ろうと竿を糸と平行にし、後ろに下がりながら引っ張る。釣りをしたことがある人なら分ると思うが、力任せに竿をあおると竿先を折ってしまうので、こうして糸の張力のみ限界を超えさせると途中で切れてくれるのだ。

ところが予想に反して糸が切れる前に障害物からルアーが外れてくれた。ただ限界まで引っ張っていたのでルアーは弾丸のような勢いで俺の顔をかすめ、上の駐車場の方まですっとんで行った。

 

「危ね~、自分を釣ってしまうところだった・・・。」

それでもルアーが回収できたことは喜ばしい。1個1000円以上するからね。糸をたどって駐車場へと向かい無事ルアーを見つけることが出来た。

気が付くとほぼ日は暮れていて、空も無数の星が瞬いている。もう頃合かと思い、下にいるT兄にそろそろ上がりましょうと声を掛け、車のトランクに釣り道具をしまい始めた。

 

片付けを済ませ、まだ上がってこないT兄を待ちながらタバコに火を付けた時だ。

何気なく視線を向けた駐車場の隅の方にある街灯。そのライトの下に人影が立っている。

 

視界に入った瞬間から胸の動悸がせわしくなる。何かおかしいぞ、あれ・・・。

俯いているので顔は見えないが、肩にかかるセミロングの髪、ワンピースの上にサマーニットを着込んだ姿から女性だと分る。今の時期としては特に違和感のある格好では無い。

ワンピースはちょうど膝辺りを隠す位の丈で、そこから2本の足が見える。靴の形状までは分らないが女性用のサンダルのような気もする。

 

さっきから自分の心臓の音がうるさい。体の中から頭や耳にドッ、ドッ、ドッと振動さえ響いてくる。

どうしてこんなにも違和感を感じるのだろう。その女性は身動きひとつせず、こちらにいる俺に対して45度ほどの向きで湖の方向を向いている。

「っっ!」

咥えたまま忘れていたタバコの灰が、風にまかれ顔にかかってきたので思わず眉をしかめる。その時違和感の正体に気付いた。

 

突風というほどではないが先ほどから風が出てきている。街灯に照らし出された駐車場の木もその葉をざわつかせているのにだ。

「髪も・・・服も・・・揺れていない・・・。」

まるで等身大の写真パネルを立てたかのように女は不動なのだ。もちろん俺を驚かす為のいたずらなどではない。

何故ならその女には・・・影も無かった。

 

不意に肩をつかまれた。驚きのあまり俺の鼓動のリズムが狂ったほどだ。

振り向くとT兄が厳しい表情で背後に立っている。無言で車を指差し、早くこの場を立ち去るよう促す。

大急ぎで俺は運転席に乗り込みエンジンをかける。T兄も開いたままだったトランクに自分の釣り道具を放り込むとすぐに助手席に駆け込んだ。

車をバックさせながらハンドルを切って方向転換する。ちらとルームミラーに目を向けると、女は街灯の下同じ位置に佇んでいた。先程と違うのは体がこの車をまっすぐ向いていることだ。

息を呑みミラーの中の女の姿に釘付けになっていると、女がこちらに近づいて来た。歩いてはいない、両足は揃ったまま、でも確かに近づいて来る。

 

「S君、車出せ!」

「ぅわああああああ!!」

T兄の声で我に返った俺は慌ててアクセルを踏み込み急発進する。

道路は舗装されているとはいえ山の道なのでカーブが多い。コーナーのたびに急ブレーキをかけタイヤが悲鳴を上げる。

 

「事故るぞ、落ち着け!大丈夫、ヤツは車の中には入って来れないから。」

「えっ、本当すか!?」

「家と同じだよ、こちらから開けない限りは入り込めない。」

その言葉でやや落ち着きを取り戻し、アクセルをゆるめる。

 

「S君財布はどこにある?」

「へっ?そこのダッシュボードに入ってますけど・・・、あっ人形(ひとがた)!!」

恐怖で頭から吹き飛んでいた。財布に入れてあったのを忘れていた。

「見えないけど気配がついてきている。これでヤツの注意を逸らして逃げ切ろう。」

T兄が財布から人形を取り出してウインドウを下ろす。それを外へ投げようとした時だ。

右カーブを抜けたその先にあの女が立っていた。

一瞬視線が合う。俯き加減の上目づかいなので口元は見えなかった。でもその眼を見て分った。嗤っていた。

 

車に衝撃が伝わる。反射的にハンドルを戻してしまい、車の右サイドをガードレールにぶつけてしまったのだ。

反動で道の反対側に飛ばされそうになるが、スピードを緩めていたおかげか何とか車の姿勢を立て直す。

「このっ!」

T兄の声が耳に入った瞬間、ふと空気が変わるのを感じた。例えるならジメジメとしたトンネルの中から、カラッとしたお日様の下に出たように。

 

「上手く捲けたようだね。」

T兄は左手をひらひらさせている。先程まで持っていた人形が無い。そうかさっき声のした時か。

「もう大丈夫・・・なんですかね?」

先程までの緊張からのどがカラカラで声が上手く出ない。

「気配がしなくなったから追ってきてはいないね。」

「何だったんですかあの霊は?俺なんか恨まれるような事でもしちゃったんですかね?」

クックッとT兄は声を殺して笑う。

「いや~、不良に目をつけられたいじめられっ子って感じかな。S君アレ見かけて思い切りビビッっちゃったでしょ。それで余計に目を引いちゃったんじゃないのかな。」

「いじめられっ子・・・。」

「前に言ったでしょ霊を可哀相って思っちゃいけないって、意識がつながっちゃうから。同じように恐れたりするのも良くないね、それも結局相手を強く意識することだから。」

「じゃあどうすれば良かったんですか?」

「心を強く持つこと。自分にはお守りがあるんだから心配する必要は無いって言い聞かせて、何もなかったように行動していればそうそう目を付けられないよ。」

そういえば先生も気をしっかり持てって言ってたな。まずは気構えが重要ってことか。

  

それにしてものどが渇いた。どこかでジュースでもと思っていたら自販機の明かりが見えてきた。

「ちょっとジュース買いましょう、奢りますよ。」

車を止め外に出ようとした。しかし扉が開かない。

「なんだ?ロック外れてるよな?」

「・・・S君、さっき人形と一緒に記憶まで飛ばしちゃったのか?」

 

こうしてこの日俺は霊に対する強い心を手に入れることが出来た。

30万近い修理代を代償に。

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