長編8
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伝染性反社会的症候群

(はて、これはいったいどういう事だろう?)

 

S氏は、目の前の光景の理解に苦しみ、頭上にクエスチョンマークを浮かべた。

時刻は不明だが、辺りが暗く遥か彼方に三日月が輝いているのを見ると、どうやら夜遅い事は分かった。

今、S氏の身体はグレーのひんやりした道路の真ん中に寝た状態である。

視線を右に移すと、小高い丘になっていて遠くに明かりが見えた。左には、車が空にダイブするのを防ぐ為に、ガードレールがずっしりと構えていた。

 

そして再び、S氏は目の前の現実に目を向けた。寝ている状態で、視線を下部へ移すとソコには胸と腹では無く、背中があった。

 

(やはり見間違いでは無い。確かに私が着ていた洋服の後ろに描かれていたイラストがある。ということは、洋服を前後逆に着てしまったのだろうか)

 

S氏は少し頬を赤らめ、良い歳にもなって子供っぽい自分の間違いに照れていた。だが、時刻を確認しようと腕を挙げようとして気が付いた。

 

(なるほど、どうやら身体が逆に。いや、足も裏になっている。そうか…)

 

そう、S氏は服を逆に着ていたのでも、馬鹿になったのでもなく、首が180度曲がっていたのだ。

状況を理解しようと考えこむS氏に対し、時間は刻々と過ぎていく。しかし、時間の経過は状況の理解に繋がらなかった。

遠くで鳴いたフクロウの鳴き声で、考えるのをやめた。いや、状況の理解という重大な問題を押しのけて、S氏に生理的欲求という波が襲ったのだ。

それは、海の波のように初めは小さかったが、徐々に大きくなり、ついには思考という名の砂浜を飲み込んだ。

 

(腹が減った。妙に腹が減る。そうだ、考えてたって埒はあかない。行動あるのみだ)

 

遂にS氏は、その『食欲』という生理的欲求を満たす為に行動に出た。

先ずは身体を起こそうとした。

しかし、思った以上に上手く上がらない。

しばらくモゾモゾと身体をくねらせ、足をバタ付かせた。そのうちに、身体は道路の真ん中から小高い丘の方にずれていた。足で必死に地面を蹴り、ようやく身体を丘に寝かせ、斜めにした。

そのまま背筋の要領で、身体を前後に動かした。

 

(っく、うう。もう少し…っと)

 

丘に刺さるように生えた無数の白樺の木の一本を借りて、やっとの事で立ち上がる事が出来た。

それでも、本来とは逆を向く頭。方向感覚、平行感覚が今ひとつとれない。

 

(やれやれ、これではいつ倒れてしまうか分からない)

 

S氏は両腕を挙げて、頭を持った。

そして、竹とんぼを飛ばす時の様に、思いっきり頭を回した。

『グリッ…ガッガッ…グリッグリグリ』

頭の中を骨が擦れる様な、不快な音が響いた。180度頭を回すと、視界は良好、問題無し。とはいかず、頭がダランと、だらしなく下を向いた。

 

(せっかくやったのに、これではいけない。さて、どうしようか)

 

そう思った矢先、目の前のチェックのシャツが目に留まった。つまり、腰に巻いていたシャツだ。

結局、S氏はシャツを首にマフラーの様に巻いた奇抜な格好になった。

仕方ないだろう、そうでなくては頭は歩く度にだらしなく左右に揺れるし、歩行すらままならないのだから。

 

(とりあえず良しだ。うう、安心するとどうしてこう腹が減るのだろうか。早く何か食べたい。そうだ、ユッケが食いたい。いや、レバ刺しも良いなあ)

 

なんて、S氏は道路を下りながら考えていた。ガードレールに寄って遠くを見ると、赤や白、オレンジの明かりが見え町があるのが分かった。

 

(仕方ない、町まで歩くか。運が良ければ町に行く車に乗せてもらえるかもしれない)

 

再び道路を、不安定な頭を揺らさない程度に早足で下り始めた。

いつの間にか、フクロウの鳴き声に加え、蝉の必死の求愛の声も聞こえてきた。どうやら夏のようだ。

 

(それにしても、暑くないな。夏が毎年この位ヒンヤリしてくれると嬉しいんだがな)

 

S氏が苦笑混じりに叶わぬ希望を思ったとき、遠くに車のヘッドライトが見えた。その車は、山道を上がってくるようで、どうやらS氏とは向かう方向は逆の様だった。それでも車を停めようと、S氏は両腕を広げて道路の真ん中にだった。

数十メートル先で、車はクラクションを鳴らしたが、S氏は動かない。車の持ち主はどうやら観念した様にスピードを緩め、目の前で停車した。エンジンはかかったままで、ライトもついていて眩しい。

 

「ちょっと、何道路の真ん中に立ってんのよ! 危ないんだけど!」

 

声からして若い女性であることが分かった。警戒していることは、今にも車が走り出そうとしている事から分かる。

ここはひとつ、穏やかに話しかけて町まで乗せてもらおう。S氏は口を開いた。

 

「がのっ、ずああぜえ。…! だえ、ああがっべ」

 

(…! 何だ、声が上手く話せない)

 

「はっ!? 何、全然聞こえないんだけど!」

 

女は喚いている。S氏は足を引きづりながら、白い車に近づいた。

 

「ばから、だの、ぐああぐばあな!」

 

人は話せないと、こうも苛々するものなのか。S氏は苛立ちながら、車のボンネットに片手を置いた。

 

「ちょっと車触んないで、え! は、血が垂れてんじゃん! 事故!?」

 

(血だと? 全然、気がつかなかった)

 

女は、慌てながら黒い革のバッグに手をいれてゴソゴソと何かを探し始めた。

その手、いや腕も首筋も胸元も白く透き通っていた。思わず唾を飲むS氏。

 

(腹が減っているんだ。腹が)

 

気がつくと、女の腕を掴んでいた。

 

「ちょっと何すんのよ?! もしかして変態?! ちょ、やめてって! 痛い、痛い痛い痛い!」

 

このまま女を外に引き吊りだそうとしたが、しっかりシートベルトもしてるし、窓も半分しか開いていない。

S氏は右手で腕を左手で肩を掴み、雑巾を絞るようにひねった。

バリバリバリという、関節が壊れた音と血飛沫が車内を染めた。

 

「きゃあああぁぁ! ぎゃあぎゃあ、腕うでうでうで痛い痛い痛い痛い」

 

叫ぶ女を無視して、S氏はちぎりたての血が滴る白い肉片に噛みついた。細い腕の割には、思ったより肉付きが良く、何より張りがありながらも柔らかくて食べやすい。

血も、よく味わってみると鉄の様な味に加えて酸味とコクもある。

予想を超えた人肉の旨さに、S氏は満足しつつ、車内で喚いている肉体に目をやった。

 

(あ! 車から出ようとしてる。せっかくの食料だ。こうしてはいられん)

 

助手席のドアを開けて、外に逃げ出そうとしている女の右足をS氏は慌てて掴んだ。女は必死に、もう片方の足でS氏の顔面に蹴りをいれた。ハイヒールだ、これは痛い。S氏の左目に踵が刺さった。

 

(あらあら、何か視界がぼやけたぞ)

 

S氏は特に痛みを感じている様子も無く、女の右足を引っ張り噛み付いた。

 

「あああああああああっ! あああああああああっ!」

 

静かな夜を女の悲鳴が打ち壊す。

ブチっという音と共に、女の右足のふくらはぎに小さく真っ赤なクレーターが生まれた。S氏は口の中の肉片を、噛み締めて腕とは違った食感を楽しむ。

右足を掴む腕に、ハイヒールの踵が刺さり、手を離してしまった。女はそのまま助手席側のドアを開けて外に出てガードレールから深い闇夜に消えていった。

 

(ああ、せっかくの食事が…)

 

S氏は手に持った食べかけの肉片と、目の前に広がる闇を交互に見た。

ガードレールよ、肉片のダイブも防ごうか。

 

(車もある。仕方ない、まだ腹も減るし丘の上へ行ってみよう。明かりがあるということは建物が…つまり食料もいるだろう)

 

S氏は車に乗り込んだ。

オートマ車だ、片足が駄目でも運転出来る。

アクセルを踏み込み、丘の上を目指した。片目が潰れている為、慎重に運転して速度はあまり出なかったが、思ったより早く建物の前についた。

意識が朦朧としていた為か、そのまま鉄で出来た門を破り、建物の庭の天使の像に追突して車を停めた。

天使の像の頭が、ゴロリとボンネットに落ちた。

 

(腹が減った。腹が減った腹が減った腹が減った…)

 

S氏は車から這い出て、そのまま建物の入り口らしい所に向かった。オートロックだったであろう入り口のドアには、車椅子が挟まっていて、開いたり閉まったりを繰り返している。

S氏は三回ほど挟まれつつ、ようやく建物内に侵入した。建物の外観はコンクリートで地味なものだったが、中は中で白を基調とした一見病院のようだった。

所々に薬やビーカーなどが散乱していて、さながら泥棒が入ったようだ。

 

(にくにくにくにくにくにくにく)

 

S氏は長い廊下を足を引きずりながら、歩き食料を探した。等間隔に天井にある、蛍光灯は割れていたりして廊下をモノクロに照らす。廊下の突き当たりを左に曲がると大きな部屋に出た。中にはS氏と同様に食料を探す者たちが数人徘徊していた。白衣を着た者もいれば、青い作業服を着た者もいる。数人は床に転がる肉片を食べていた。S氏も隣に座り肉片を食べ始める。肉片が纏う白衣が邪魔そうだ。

 

S氏が、肉片の頭を掴み、かじり付こうとした時だった。廊下から銃声が聞こえたと思ったら、S氏のいる部屋にも銃声が響いた。

続いて、全身黒ずくめの服装の食料達が入ってきた。S氏の隣の者が食料達に向かって走っていった。

乾いた音が響き、頭が吹き飛んだ。ピンクの脳が辺りに散った。

S氏も立ち上がって、食料にありつこうとしたが、両足に数発の銃弾を撃ち込まれ崩れた。

イモムシのように、胴体をズリズリと引きずりつつ進んで、急に背中に重みを感じた。

食料のひとつが、足に体重をかけて背中を踏みつけていた。

 

「ああ、あがらてれえ」

 

「うるせえぞ。班長、どうやらターゲットです。特徴と一致しますよ」

 

班長とよばれた食料が、S氏に近づき頭を持ち上げた。

 

「ああ、確認した。J、本部に連絡を。」

 

そして、班長と呼ばれた食料は、青い液体の入った注射器を取り出し、S氏に注射した。S氏は薄れゆく意識の中、遠くの方から聞こえるヘリコプターの羽音が気になっていた。

 

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        ※

 

聞いた事のある音でT氏は、目が覚めた。

 

(そうだ、これって救急車の音だ)

 

色んな機械音と、白衣を着た二人の人間

がせっせと何かをしている。ガタガタ揺れているということは、自分は救急車の車内にいるんだとT氏は理解した。

数分後だろうか、救急車が停まった。足元の白い扉が観音開きに開いて、似たような白衣の服装をした人間が数人いた。

T氏はそのまま、待機していた数人に引き渡され、手術室に運ばれた。

寝かされたT氏を挟んで会話が聞こえる。

 

「…の話だと、山中で発見された時には既に片腕が無かったそうです。出血は停まっていますが、先生ここを見て下さい」

 

「ふくらはぎに噛みつかれたような跡があるな…。骨まで露出しているのに出血が無い」

 

「しかし、壊死が始まっています。手術の準備は…」

 

「先生、政府関係者と名乗る方が会いたいと、今外で待って頂いています」

 

朦朧とする意識の中、T氏の身体はある欲求を満たそうと組織が活発化していた。

『食欲』という欲求が…。

 

T氏は目の前の食料のひとつに手を伸ばした。

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