中編5
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終電

music:1

ある深夜のこと。

残業を終え、疲れきった私は、もう午前0時へ差し掛かる頃になって、ようやく駅のホームに辿り着いた。

これを逃せばもう朝まで電車はないというギリギリのタイミング。

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汗で濡れた切符を片手に、私は終電を待っていた。

時々聞こえるブオーンという自動車の走行音に交じり、ガタンゴトンと線路を揺らす音が響く。

左手遠くに光が見える。

何とか間に合った。

電車の影が見えたところで、私はようやく安堵した。

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一番ホームに駆け寄り、停車を待つ。

プシューと空気を抜いて、車両のドアが開いた。

何と無く窓を見る。

中には誰もいない様子だった。

貸切か...なんて子どもじみたわくわく感を覚えながら乗車する。

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暫くするとドアが閉まり、電車は再び走り出した。

車内アナウンスはなかった。

妙だなと思いつつも、家に帰ることの方が重要だった私は、それ以上深く考えることはしなかった。

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辺りを見渡す限り、本当に無人のようだ。

向こうの車両にも人の陰はない。

ふと向かいのドアの上にある路線図に目が止まる。

目的の駅までにはまだ大分間を要すらしい。

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私はそれまで眠ることにした。

全身の力を抜いて、車体の揺れに身を任せる。

やがて淡い睡魔が私を襲い、身体は眠りに落ちていった。

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どれくらい眠っていただろう。

不意に目を覚ますと、窓の外が真っ暗になっていることに気がついた。

車内は相変わらずの無人。

その向こうにどこまでも澄んだ闇が広がる。

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トンネルにでも入ったのだろうか。

いや、違う。

私はかぶりを振った。

そんな筈はない。

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何故なら私の降りる駅までに、トンネルなど一つもないからだ。

とすればここは一体何なのか。

考えられることは一つだった。

寝過ごしたのだ。

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ここが本当にトンネルの中だと言うなら、それ以外に思いつく理由はなかった。

しまった、と後悔した時には遅かった。

これじゃあ折角終電に間に合っても意味がない。

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自分の非を嘆きつつも、今更どうしようもないと必死に言い聞かせる。

とりあえず近くの駅に着くのを待つ他にない。

気持ちを落ち着け、なるべく冷静になるよう心がけて、気を紛らわせる意図を込め、外を眺める。

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時間が経って落ち着いてくると、私は少しおかしなことに気がついた。

そういえば、ここがトンネルなら、中を照らす照明があっていい筈だが、さっきから見る限り、そんなものはどこにもない。

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そもそも、壁があるように見えない。

そんなまさか。

自問自答を繰り返しつつ、私は更に奇妙なことに気がついていた。

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トンネルの中を走る時に感じる耳に空気が詰まったような不快感。

思えば全く感じなかった。

私はいよいよ不安に襲われた。

果たして電車は何処を走っているのか。

トンネルでないとしたら、ここは何処なのか。

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その時。

トン、トン...

誰かが私の肩を二、三度叩いた。

全身に鳥肌が立つのが分かった。

何故なら今電車は無人の筈。

私の他に乗客などいる筈ないからだ。

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「あの...」

背後から人の声がする。

女の声。

鼓動が激しくなる。

こんな奇怪な空間で響く女のそれほど不気味なものはない。

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できれば相手にしたくなかったが、話しかけられた手前、無視する訳にもいかない。

恐る恐る振り返る。

そこには若い女が一人。

私の隣に座り、私のことをじっと見つめている。

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いつの間に...

いや...

考えずとも答えは分かっている。

彼女は...

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「あの...」

不意に女が口を開く。

何も答えないでいると、暫くして一人、女は続ける。

「肩を...貸して頂けますか」

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肩を...

どういうことだろう。

意味は分からない。

だが、自分の肩を貸すだけでことが済むのなら、それに越したことはない。

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私は無言のままうなづいた。

「ありがとう」

少しばかり笑みを作って、女が礼を言う。

すると私の肩に彼女の体が寄りかかった。

私が少し戸惑っていると、

「このままで。ほんの少しの間でいいんです」

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そう言って、彼女はゆっくりと目を閉じた。

眠った彼女はまるで人形のようだった。

肌は冷たいし、寝息も立てていない。

血が通っていない。

やはりこの世のものではないようだ。

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しかし、私は不思議に安らいでいた。

もう少しこのままでいたいとすら思っていた。

けれども終わりが近いことも知っていた。

どうにも眠たくて仕方が無い。

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あれほどよく眠ったにも関わらず、眠気が私を襲っている。

何とか起きていようとするも、どうにも抵抗することができない。

気が付いたら瞼は完全に閉じられていた。

そのまま、意識は遠のいた。

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「お客様さん、お客さんってば」

男の声が聞こえ、同時に冷たい風が私の肌を刺激した。

目を覚ますと、そこは駅のホームだった。

頭がぼーっとする。

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ホームの椅子に私は横たわっていた。

側には駅員が立っている。

おかしいな。

さっきは確かに電車の中にいた筈なのに。

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駅員の話によれば、彼がホームにやって来た時には既に私は眠っていたらしい。

「今の時間は?」

と聞くと、今があの電車を待っていた時の時刻と同じであることが分かった。

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更に不思議なことには、駅員から説教のようにしつこく注意を受けた後、ふと気になって駅名を確認すると、ここが私の目指していた駅であることが分かった。

あそこからここまで、瞬間的に移動したとでも言うのか。

どう考えても奇妙なことだった。

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それからは、特におかしな体験をすることはなかった。

たまに夜遅くに利用することはあれど、あの奇怪な空間に迷い込むこともなければ、女と再会することもない。

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ところでこれは最近知ったことなのだが、私が利用していた路線で昔、一人の女性が電車が走ってきたところに飛び出し、轢かれるという事故があったらしい。

当時の現場状況から見て、警察は自殺と判断したそうだ。

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あの時の女がその時の娘だったのかどうか、今となっては分からない。

今日も電車はいつもと変わりなく運行している。

私はいつもと変わりなく利用している。

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ある意味運がいいなー