中編5
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猫の霊

これは実家の近所に今も住む、おかしな男の話。

仮に名前を正幸としよう。

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正幸は普段から奇行が目立ち、精神的にも少し問題のある男で、彼はことあるごとに

「俺は猫の霊を従えている」

などと意味の分からない言動を繰り返していた。

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虚言癖が見られ

「俺は気に入らない男を猫の霊を使って不幸にしてやった」

やら

「虐待を受けていた友達を、猫の霊を使って救ってやった」

やら、彼の話す武勇伝の内容には絶えず"猫の霊"というワードが強調されていた。

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彼がここまで猫の霊とやらに固執するのには理由があり、それは彼自身が話していた。

彼の家では昔何匹か猫を飼っていたことがあり、正幸はそれらをいたく可愛いがっていたらしい。

しかしその愛情が裏目に出てか否か、ある猫は失踪し、またある猫は病気を患って死んでしまった。

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おそらくそれらの体験がトラウマになってしまったのだろう。

ろくに学校にも行かず、街中をウロウロしては、猫の霊に仕事を与えたり、またはおかしな儀式にのめり込んだり。

そんな毎日を繰り返していたらしい。

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正直あまり関わり合いになりたくないタイプであったが、家が近いということもあり、ほぼ家族ぐるみで付き合っていた為、あまり強いことも言えなかった。

親も私を気にかけてくれていたようだが、相手は人の子。

ぞんざいに扱うこともできず、ただずるずると関係は続いていった。

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何より彼にはストーカー気質なところがあり、休日や祝日など、私が家にいる頃合を見計らっては、昼夜問わずチャイムを鳴らしたり、電話をかけてくることが日常茶飯事であった。

実家の電話番号は回覧板の連絡帳に他の家のものと一緒にメモされている為、どうあがいても隠し通すことはできない。

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おまけに家に問答無用で押し入ってくる始末で、傍若無人なその振る舞いに、流石の親も注意をするなどして自制を促すが、効果はなく。

たまに不満をぶつけると

「猫の霊を使ってお前を殺してやってもいいんだぞ」

と訳の分からない脅しを言って騒ぐばかりで、とりつくしまもない。

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ただ奇行の数々に振り回されるばかりで、私はほとほと疲れ果てていた。

また彼には数人の取り巻きが居て、それらはあろうことか彼の唱える猫の霊とやらの存在を信じていたらしい。

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その様相は半ば宗教と言っても過言ではないもので、彼らと過ごす時間はひたすら苦痛以外の何物ではなく。

流石に彼らとまでは付き合うことはなかったが、私はただただ彼という人間が恐ろしくてたまらなかった。

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だから私は色々な努力をした。

ある日彼の母親が病気にかかったとかで、それを堺として両家の付き合いが徐所に疎遠になり始めていた。

それは私には非常に喜ばしいことで、同時に彼との関係を切るチャンスであると悟った私は、それから徹底的な無視を決め込んだり、人間としてどうかと思われるような暴言をぶつけるなどして、とにかく彼に嫌われるようありとあらゆる行動をとった。

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しかし、私は甘かった。

とにかく彼は普通ではなかった。

逃げることばかりに捉われていて、そのことをすっかり忘れてしまっていた。

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彼は全く怯まなかった。

むしろ奇行は一層酷くなり、私が学校へ通っている時間以外、遂には四六時中付きまとうようになった。

その余りの気持ち悪さに、何度こちらが発狂しそうになったか分からない。

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最終的に彼との絶縁は時間の経過を待つ他になく。

遠くの大学に通うようになって、やっと私は解放されるようになった。

彼もようやく私に飽いてくれたのか、その後逢う機会はめっきり減り、今では滅多な偶然がない限り、彼の姿を見たり、鉢合わせたりすることはない。

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...のだが、最近また別の問題が私を悩ませている。

毎度夜を迎える度に、どこかから彼の視線が感じられて仕方ないのだ。

それを感じるようになったのは一年半くらい前からのことだった。

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始めは単に気にし過ぎているだけだと思っていた。

今まで散々辛い目に遭わされてきたせいで、精神的に過敏になっているのだと、そう理解していた。

しかし、ある晩のことだった。

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その日は家族が不在で、私だけが家に残っていた。

祖父母の家に出掛けているとかで、帰宅は深夜を回りそうだと連絡を受けた。

もう寝入ろうかと思い、自室の電気を落としたその時。

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また、彼の視線を感じた。

それも気配の方向ははっきりしており、それは窓の向こうから伝わってきた。

こんな時に限って鍵が外れ、風が漏れており、ひらひらとカーテンが揺らめいている。

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なるべく気にしないようにしつつ、窓に近づき、鍵のある方へと視線を移した瞬間...

一台の車が家の前を通り過ぎた。

白いワゴン車で、ライトを点けて走っていた。

そして、そのライトの中に一瞬浮かび上がる人影...

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私はそれを見逃さなかった。

光に照らされて、浮かび上がる輪郭。

それは間違いなく正幸だった。

自宅の前でじっと突っ立って、私の部屋を見上げている。

そしてあろうことか、その正幸と...

目が合ってしまった。

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反射的にカーテンを閉め、布団に潜り込む。

その途端。

ドン、ドン...

下からドアを叩く音が響く。

ガチャガチャと、ノブを回す音も聞こえる。

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正幸だ。

ドアをこじ開け、押し入ろうとしている。

私の部屋へ上がってくるつもりだ。

音は止まない。

耳を塞いでも聞こえてくる。

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「帰って」

無意識の内に私は叫んでいた。

何度も。

帰って。

お願いだから...

帰って...

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暫くすると、辺りは静寂に包まれていた。

祈りが通じたのだろうか。

しかし私はすぐにおかしなことに気がついた。

足音がしない。

こんなに静かなのに、物音一つしていない。

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自室から出て行く気にはなれなかった。

家族が帰宅したのはそれから数時間後。

外に誰もいなかったことを聞いて、私はようやく安堵した。

おそらく緊張のあまり、彼が諦めて帰っていったことに気づかなかったのだろう。

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何かあったのかと問われたが、詳しいことは話さなかった。

せっかく帰宅したところで無理に心配させるのは忍びなかったし、私自身さっきのことは早々に忘れてしまいたかった。

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幻でも見たのだろう。

そう思うことにした。

きっと彼がかつて言ってた猫の霊にでも化かされたのかもしれない。

そう笑い話で済ませないと、こっちの気が違ってしまいそうだった。

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しかし、記憶は少なからずトラウマになってしまっているようで、今でもそれは引きずっている。

おかげでここずっと不眠気味で、このままでは身体にも悪い。

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うちは貧乏な為に引っ越せない。

だから近々バイトで稼いだ資金を元手に、家を出るつもりだ。

彼はというと、最近は夕方くらいに自宅を出たきり、翌朝になるまで戻らないらしい。

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以前はうちを監視していたのだろうが、あれから豆に窓から確認するも姿はない為、どこで何をしているのかは分からない。

話に聞く限りでは母親を治す為にバイトで治療費を稼いだりしているとのことだが、どこまで本当なのか分かったものではない。

何だかうすら寒い予感もする。

気のせいだといいのだが...

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早く平穏な日々がくることを待つばかりである。

猫に取り憑かれた男に悩まされなくてもいい、その日を。

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