中編3
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2度目。

「怖いっていうか…凄く不気味な体験をしたことなら、あるんです。尤も、あれが生きている人間だったのか、そうでなかったかは分からないんですけど」

片桐さんが「不気味」な体験をしたのは、つい先月のことだったという。

その日、上司から残業を命じられた片桐さんは、長いことパソコンと睨めっこをしていた。眠い目を擦りながら腕時計を見る。時刻は既に夜の10時を回っていた。

慌てて残りの作業をこなし、会社を出た。いつもなら徒歩で帰るのだが、今日は心身共に疲れ切っていた。一刻も早く帰って、熱いシャワーを浴び、ビールでも飲んで寝たい…。

片桐さんはタクシーを掴まえると、自宅のマンションへと帰っていった。疲れた足を引きずり、エレベーターのボタンを押した。彼女の自宅は9階である。

エレベーターはすぐに下りてきた。時間は10時半を回っていたし、こんな時間帯にエレベーターを活用する人もいないのだろう…そう思った。

が。

開いた扉の奥には先客が乗っていた。

「中年のおばさんがいたんです。薄いクリーム色のニットに、下はジーンズ姿の…。私に背中を向ける形で立ってたから、表情は分かりませんでしたけど

片桐さんはおばさんが降りるのを待った。しかし、おばさんは微動だにしない。

隅っこの方に立って、少し俯き加減で…とにかく、エレベーターから降りようとはしなかった。

声を掛けようか…。そう思ったが、何となく躊躇した。正直、このおばさんと狭いエレベーター内で2人きりになりたくなかったが、早く家に帰りたい気持ちが勝ち、彼女は覚悟を決めて乗り込んだ。

そして「9」のボタンを押す。9以外のボタンは点灯していなかった。

エレベーターはガコン、と起動した。足元からグググッと持ち上げられる感覚がする。

1…2…3…

時折、おばさんの様子が気になり、横目でチラチラと見てしまう。

やはり身動ぎ1つしない。こちらに背中を向け、静かに立っている。

4…5…6…

何をされた訳でもない。別に怪しい感じもしなかったし、普通の中年のおばさんだ。

だが…不気味だった。密室空間にいるからだろうか…何とはなしに息苦しく、掌がじっとりと汗ばみ、口の中がカラカラに渇く。

早く…早く9階に着いて。早く…早く!

7…8…9。

チーンと音がして、扉が開いた。片桐さんは勢い良くエレベーターを飛び出す。

そっと振り向いたが、おばさんは降りてこなかった。ほっと息をつく。

自分の部屋に着き、やれやれと鞄を下ろし、髪を解いた。あのおばさん…このマンションの住人なんだろうか。

ゾクリと寒気がした。腕を見ると鳥肌が立っている。止めよう。もう余計なことは考えないことにしよう。片桐さんは入浴の準備に勤しんだ。

熱いシャワーを浴び、サッパリしたところで。お風呂上がりといえば、ビール。冷蔵庫を開け、缶ビールに手を伸ばすーーー

「…あれぇ?」

買い置きしてあったと思ったが、1本もない。どこを見てもない。品切れだった。

人間、ないと思うと余計欲しくなる生き物である。幸い、マンションのすぐ近くにはコンビニがあった。夜更けなので、ジャージ姿のまま買いに出掛けた。

今度は1階に下りるため、エレベーターを待つ。先程のおばさんのことも気になったが、あれから悠に1時間は経っている。遭遇することはないだろう。まさか、あれからずっとエレベーターに乗り続けているわけでもあるまいし。

待つこと数分。エレベーターが9階に到着し、扉が開く。

片桐さんは言葉を失った。

「いたんですよ、あのおばさんが…。さっきと同じように隅っこに立ってたんです。後ろ向きの姿勢のまま…」

今度は乗れなかった。茫然と立ちすくんだまま、何も言えなかった。言えるはずもなかった。

エレベーターの扉は閉まった。全身が粟立ち、心臓が激しく動悸を奏でる。

もう、コンビニに行く気もとうに失せ、とぼとぼと帰宅した。

「結局、あのおばさんが誰だったのかは分かりません。その後、遭遇したことはないんです。あれは何だったんでしょうねぇ。ずーっと乗ったままだったんですかねぇ…。不気味でしたよ、ホント」

あの日以来、片桐さんはエレベーターに乗れなくなってしまったという。

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怖女様。コメントありがとうございます。
温かいお言葉、感謝致します。

エレベーターに乗る時は、普通、前を向いて乗りますよね。後ろを向いて乗っている方をあまり見掛けたことがありません。

日常生活の中で起きる、「非日常」。人間はそれを何より恐れるのかもしれません。

待ってました!
エレベーター、私も怖いです。
後ろを向いていたおばさんの表情を想像し、ぞわっとしました。

バケモノガタリ様。コメントありがとうございます。そしてお久しぶりです。

バックダッシュですか!私もこんな場面に出くわしたら、死に物狂いで全力ダッシュすると思います(笑)。

ぱっくん様のコメント返しでも述べましたが、エレベーターは苦手です。狭い密室空間がどうにも苦手なんですよね。

死ん様。コメントありがとうございます。

9階までの階段の往復…かなり健康に良さそうですね(笑)。
私も3階か4階くらいまでなら、階段で頑張るかもしれませんが、9階は無理です。
持久力が貧相でして…

ぱっくん様。コメントありがとうございます。

エレベーターって苦手なんですよ、私自身が。

これまでに2度ほど扉に挟まれていますしね(笑)。それに密室空間が苦手なんです。トイレも怖い。

特にトラウマになるようなことはないんですが…1人でエレベーターに乗る時はドキドキしっぱなしです。

お久しぶりです(^ ^)
今回のお話もいつも通り、いや若干パワーアップしているようで何よりです。
背中を向けていて表情が見えないという事は、恐らくエレベーターの扉が開いた時にはオバサンが扉の反対側を向いて立っているという事ですよね。
うん、私だったらその姿を見た時点で確実にバックダッシュしていると思います(^^;;

9階まで歩くか
いい運動だな
健康でなにより
\(^o^)/

何がどう、というのではないけれど、足元からジワリと這い登るような寒気を感じました(^_^;)

薄紅様。早速のコメント、ありがとうございます。
薄紅様はお優しい方なのですね。コメントを読んでいても、それがひしひしと伝わります。

細々とですが…これからも投稿を続けさせて頂いたら、と思います。私のことを快く思われていない方もいらっしゃるかもしれませんが、でしゃばらないよう気をつけますので、この場をお借り出来たら…と考えております。

薄紅様に読んで頂けて良かった。これからもどうぞ、宜しくお願い致します。

P.S
言葉遊びの弟子さん
おかえりなさい(^ー^)

そこら辺に居そうな普通のおばさんてところが余計にゾッとしますね
危害はないとはいえ自分の住んでるマンションのエレベーターはやめてー(>_<)って思いますね
立ったまま寝てたとかいうオチがあれば恐くないのに(T_T)