中編5
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本当の気持ち

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まず、本題に入る前に、この話の主人公について触れておかねばなるまい。

彼には名前がない。実は年齢も確かではない。

赤ん坊のころ親に捨てられて、軍の施設で育った。だから正確な名前も、年齢もわからないのだ。

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スラムに捨てられた赤ん坊、軍にとってこれほどいい実験材料はない。施設では相当むごい人体実験を受けていた。

幼いころから少しずつ継続的に毒物を与えられてきた彼は、普通の毒ではまず死ぬことはなくなった。

同じように連れてこられた子供たちのうち、唯一生き残った人体実験成功者だ。

今回の主人公は大人になったこの少年である。

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私は3日前、上司の命を受けて中東のとある国に飛んだ。紛争地域の取材に行ったのである。

その国では戦線こそ危険な状態だったが、少し離れた市街地では普通に(といってもかなり貧しいが)生活している人も少なくはなかった。

人々の生活についても取材しなければと市街地を回った私は、ある家に少しの間住ませてもらえることになった。

とはいえ非常に貧しい家だったので、寝床を提供してもらうだけだったが。

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その家には父、母、娘、足を痛めているおばあさんの4人が住んでいた。

父も母も優しい方で、私の取材を快く承諾してくれた。だが2人は生活のために1日働きづめだったので、おばあさんの面倒は決まって娘の仕事だった。

この娘は18くらいであったが、よく気がきいて明るいという、おばあさん想いの優しい子だった。

「仕事の邪魔をしてはいけない」と、昼間は専らおばあさんの相手をした。このおばあさんは、年のせいかうまく言葉を話すことができず、多少気難しいところもあったが暴れたりということは全くなかった。

取材して数日で、私はこの家族の暖かさに惹かれていった。

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だが、現実はそう甘くはなかった。

1日中共働きでも、4人の生活を維持するのは難しかった。

それに、最近はおばあさんの具合があまり良くない。家族も心配していた。

そんなおばあさんのために、娘は毎日クッキーを焼いてあげた。こんがり焼けていて、良い出来栄えだった。

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取材開始から5日ほどたったころだった。

ベッドの隣で、私がおばあさんの寝顔を眺めていると、娘がクッキーを持ってきた。

疲れているのか、顔色がよくない。いつもの笑顔もなかった。

私はつい好奇心で、尋ねてみた。

「このクッキー、ひとつもらえないかな?」

ピクッと娘が反応した。

「ダメッ!......大きい声出してごめんなさい。でも...もうあまり材料がないの」

突然の大声に驚いた私は、ごめんとしか返す言葉がなかった。

バツの悪そうな顔をして娘は部屋を後にする。

しばらくして、おばあさんが目を覚まし、クッキーを2つとも平らげた。

美味しそうに食べているな、などとのんきに考えていた時である。

おばあさんが突然苦しみ出した。私は咄嗟に娘を呼び、丸まった背中をさする。

娘は悲しそうな顔でまたいつもの発作だわ、そんなことを言った。お金がないから、医者に診せられないんだとか。

娘の話を聞きながら、私は大きな違和感に襲われていた。

長い間、軍や戦争といったものにかかわってきたからだろうか、私は考えてはいけないことを考えついてしまった。

娘の話はほとんど耳に入らなかった。

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翌日、私は禁忌を犯した。

娘が去ったあと、クッキーをかじったのである。

まさかと思っていた。私自身、そんなはずがない、と。

私は無実の証明のために食べたのだ、決して疑ったわけでは.........。

そこには慣れ親しんだ味があった。

子供のころに、さんざん味わった.....。

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毒だった。

私は戦慄した。そしてすぐさま、残りのクッキーを全て口にほうり込んだ。

しばらくの間、胃が燃えるような激痛に襲われる。直後、打って変わって手足がしびれるような感覚に変わり、急速に冷えていく。かなり長い間(だったと思われる)悶え苦しみ、やっとのことで解放された。脂汗がにじんでいた。

まぎれもない猛毒だった。

その後お皿を回収に来た娘が安らかに眠るおばあさんを見て、一瞬驚くような表情をしていたのを私は見逃さなかった...。

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さらに翌日、私はこっそりキッチンを覗いた。

娘がクッキーを作っている。なんてことはない光景だ。

生地が完成し、あとは成型して焼くだけとなったとき、私は胃袋に氷が詰め込まれたような感覚に陥った。

ポケットから、小さい袋を取り出して中の白い粉末を加えたのだ。

余りの衝撃に、私はただただ立ち尽くした。

私が動けたのは、実にクッキーが焼けた後であった。

勢いよく扉を引きあけると、娘は驚いてお皿を落とした。皿の割れる音があたりに響く。

おばあさんを起こしてしまったかもしれないが、今の私にとってそんなことはどうでもよかった。

私は今までに感じたことのないほどの猛火のような怒りに包まれていた。最後に残った理性から、手をあげることこそ無かったが、感情のままに娘を問い詰める。

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娘は、泣きながら全てを白状した。

こうするしかなかったんだと。

足のせいで働けないおばあさんの生活費で、家族全員の生活がままならなくなるところまで切迫した状況だったと。

そしてこれは全て自分が一人でやったことだと。

思わずめまいがした。この娘の性格と家の状況が分かっていた私に、どうして娘を責められようか。その行為が娘にとってどれほどの苦痛を与えるものだったかも、私には手に取るようにわかった。わかってしまった。

不意に私は感情の渦にのまれ、目頭が熱くなった。相変わらず娘は泣いている。

すると、不意に背後に気配を感じた。

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そこには立てるはずのないおばあさんがいた。夢や幻かとも思ったがそうではない。

今度は娘が立ち尽くす番だった。

ふらつきながらも自分の足で娘の元に歩いて行ったおばあさんは、一生懸命に言葉を紡いだ。

「ご...めんね......」

おばあさんは穏やかな笑顔を向けた後、私が止める間もなく落ちていたクッキーをほおばった。

全てがスローモーションのようだった。

彼女は聞いていたのだ。全てを。

猛毒のクッキーを食べたおばあさんは、その後すぐに亡くなった。

私には何も言うことはできなかった...。

床が消えて、ずっと下に落ちていくような感覚だけが残っていた。

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葬儀が終わり、亡くなったおばあさんの部屋を娘が片づけていた時のこと。

思い出の品を整理していると、枕の下から、一通の手紙が見つかった。

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(娘の名前)へ

いつも世話をしてくれてありがとう

本当に助かっているの

(娘の名前)がいつも私のために働いてくれたことは私が一番よくわかっているから

私もあなたに負けないように、リハビリ頑張るよ

今はまだ働けないけど、足が治ったらいっぱいいっぱい働いて

美味しいものを食べさせてあげられるように頑張るからね

本当に、いつもありがとう

大好きよ

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うわぁぁん(T ^ T)

ハピナさん、コメントありがとうございます
良かったらこれを...〈ハンカチ〉

あ、目から洪水が…

しょーまさん
コメントありがとうございます

心霊大好きさん
コメントありがとうございます
私、元ネタを最初に見たとき泣きました(笑)それで他の方にも知って頂きたいと投稿した次第であります

全てを知ったにも係わらず、クッキーを食べたおばあちゃんの事を思ったら、切ないですね・・・・。いや、切な過ぎる。

shubrand@nifty.com さん
コメントありがとうございます
一回目で目標が達成出来なかったからこそ、
次から量を増したと考えて頂けたらいいのではないでしょうか

実話ネタですか?
猛毒ならそんなに食べなくてもおばあさんは死んじゃうのに
毒の耐性が強い彼でもそう感じたほどならなおさら
と、違和感あり