中編4
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連れて行かないで

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最愛の夫が亡くなり、生きる希望を失った私は、不眠症と摂食障害に悩まされるようになりました。

睡眠導入剤も全く効く気配はなく、食べ物は、一切受け付けない身体になってしまいました。

頬はこけ、髪は抜け落ち、体重は、ひと月で10キロも減少しました。

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そんな日が一か月も続いたある日のこと。

ズス・ズス・・ズス・・・ズス・・・・ズス

・・・・ズス・・・ズズズズズ・・・

深夜、家の周りを、誰かが何かを引きずりながら歩く音が聞こえるようになりました。

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音は、私の部屋に近づくにつれ、徐々に徐々に高くなり、

部屋から遠ざかるにつれて、また徐々に徐々に低くなっていきます。

ズス・ズス・・ズス・・・ズス・・・・ズス

・・・・ズス・・・ズズズズズ・・・

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そして、しばらくすると、遠くから、また徐々に徐々に、少しずつ少しずつ鈍く重い音を響かせて

ズス・ズス・・ズス・・・ズス・・・・ズス

・・・・・ズズ・・ズズズズズ・・・

と戻ってくるのでした。

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音は、私が寝ている部屋の前に来ると、ぴたりと止み 10分ほど経つと、また、

ズス・ズス・・ズス・・・ズス・・・・ズス

・・・・ズス・・・ズズズズス・・・

と歩き始めるのです。

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朝までの数時間、私は毎日、何者かが立てる 

この地獄の底から聞こえてくるような不気味な音に脅えながら、

眠れぬ夜を過ごしておりました。

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音が聞こえてくる時間帯は決まっていないのです。

一番早い時が午後11時。最も遅い時で午前3時。一番多かったのが、午前2時でした。

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音は、一晩中響き、ある時間が来ると、突然、ピタリと止み、辺りは何事もなかったかのように静まり返るのです。

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その時間は、毎日決まって、「午前4時44分44秒」でした。

4という「死」を意味する不気味な数字が5つも横並びしています。

時は、まだ二月。

外は、真っ暗で、寒く、朝と呼ぶには、あまりにも曖昧な時間帯です。

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ズス・ズス・・ズス・・・ズス・・・・ズス

・・・・・ズス・・・ズズズズズ・・・

雨の日も 曇りの日も 風の日も 雪の降る日も その音は、続きました。

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私も初めの一か月ほどは、怖くて怖くて

布団の中で、一人脅えているだけの毎日でしたが、

数か月もすると、その音にも慣れて来て、

今日は、何時に来るのかな。まだ来ないのかな。

と、心待ちにするようになりました。

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そんなある日のこと。

友人のUさんから、電話をもらいました。

Uさんは、俗に言う見える人でした。

いささか、現実離れした話をするUさんを、

私は、あまり好きではありませんでした。

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Uさんは、開口一番。

「Mさん、大丈夫でしょうか。ちゃんと食べていらしゃいますか。

夜は、良く眠れていらっしゃいますでしょうか。

何か最近、変わったことはございませんか。」

と畳み掛けるように問いかけてくるのです。

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私は、早く電話を切りたくて、

「大丈夫。元気ですよ。ちゃんと食べられておりますし、

眠れてもいますよ。ご心配おかけして申し訳ございません。」

と嘘をつきました。

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すると、Uさんは、

「今朝、私、夢の中で、Mさんのお母様にお会いしました。

今から7年ほど前にお亡くなりになっていらっしゃるのですね。

お母様は、ふくよかで眼鏡をかけた、優しい面差しの方でしょう。

薄緑色のお召し物を着ておられました。

お亡くなりになる前に着ていたのと同じものでしょうか。

私に、どうか娘をよろしく頼みますと 丁寧にご挨拶して行かれました。」

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母は、たしかに、Uさんのおっしゃるとおり、

亡くなる少し前、薄緑色の服を着ておりました。

体調不良を訴え、かかりつけ医に向かう途中で急性心筋梗塞に襲われ

帰らぬ人となりました。

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Uさんは、それら一連の経過を、まるでその場にいたかのように

順を追って話し、

「お母様、それはそれは、Mさんのことを案じておられました。

あまりに悲痛な面持ちでお話なさるので、

私もついもらい泣きをしてしまった次第です。

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Mさん、私も心配です。今、この電話をしている最中も、

あなたから全く生気が感じられない。

このままでは、最悪の事態になってしまいます。

どうか、お願いです。

食べてください。そして、眠ってください。

生きたいと強く強く願ってください。お願いです。

ご主人は、もう天上にいかれたのです。いつまでも、

未練を残すようなことをしていては、

Mさん、あなた連れて行かれますよ。」

Uさんは、そういうと泣きながら電話を切りました。

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母の祈りが通じたのでしょうか。

その日を境に、私は、少しずつ少しずつ、食べられるようになっていきました。

吐くこともなくなりました。

それに伴い、不眠症も少しずつ少しずつ、薄紙を剥ぐように改善されていきました。

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そして、いつの間にか、あの深夜から明け方にかけて、

家の周りを何かを引きずりながら徘徊して歩く人の気配も、

嫌な音も聞こえなくなりました。

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やがて、季節は、冬から春に変わり、

朝日の昇る時間が早くなるにつれ、

午前4時44分44秒という不吉な時刻も、

それほど怖いとは思えなくなって来ました。

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私の体重も標準体重にまで回復し、

先日の健康診断では、どこも悪いところはないと

医師からお墨付きをいただきました。

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Uさんとは、あの日、電話で話して以来、

一度もお会いしてはおりません。

御礼をしたくて、あの時と同じ電話番号に

何度も電話しているのですが、

コール音はするものの

通じないのです。

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そして、一つ気になることは、

今でも、どういう時なのか、深夜 

ズス・ズス・・ズス・・・ズス・・・・ズス・・・・・ズス・・・・・・ズス・・・・・・・・

と聞こえてくる時があります。

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数か月間 毎日聞いた音。

そう簡単に忘れることは出来ないのかもしれません。

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福山ま様、
本作にも、評価ありがとうございました。
とてもうれしく存じます。
これは、「雨と月」とは違い、実話に基づいて書かれたものです。
常体ではなく、敬体で、語るように表現してみました。
ほんのり怖い系と申しましょうか。
お読みいただきありがとうございました。
感謝申し上げます。

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あんみつ姫さん
語り口調の文体で、ここまで厳かな表現が可能なのかと目を見張りました。
非常に興味深い物語でした。

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いさ様
お忙しい中、お読みいただいてありがとうございます。
烏滸がましいなどとおっしゃらずに、どうぞ、いつでも、忌憚ないご意見ご感想をお寄せくださいませ。
どんなコメントでも、嬉しく拝聴させていただきます。
この話は、ほぼ実話です。
あの「音」のピークは、ちょうど、今頃の季節でした。
幻聴だったのか、それとも、心霊的なものだったのかは、未だに分かりません。
ただ、電話の向こうにいるUさんが、一度も会ったこともない亡き母の亡くなる前の姿を鮮明に言い当てた時は、衝撃とともに、親孝行の一つも出来ぬまま旅立っていった母に対する慙愧の念に耐えかね思わず号泣してしまいました。

人はみな、強くはないのだと思います。月並みな言葉ではございますが、人はお互い支えあって、初めて人となるのだと。強さも弱さも醜さも美しさもあって、人なのだと。
人を憎み恨み呪う心には、悪しきものが宿り、
人を愛し赦し慈しむ心には、神仏が宿るのではないでしょうか。

まさしく、いさ様のおっしゃるとおりです。
ここに出てくる Uさんもそうですが、一見さんも含め、私は、実に多くの方々に支えられて生きてまいりました。
それは、人柄がいいとか、行いがいいとか、善人だからといった理由ではないことは確かです。
ただ、人の情けと、優しさに 生かされて来ただけの病弱で情けない人間です。
今も、こうして、いさ様が私の拙作をお読みになられ、たいした内容でもないのに、過分な言葉と優しい心遣いをしてくださいました。
このことで、今日一日の疲れが一気に吹き飛んだような気がいたします。
大した才能もなく、馬齢を重ねてきただけにすぎない私の描くものなど、駄作拙作にすぎません。
読者様に、読みに来ていただけるだけで、ありがたく、また、明日への勇気と元気と希望をいただき前に進むことができるのです。

「連れて行かないで」というタイトルも少々おかしいのではありますが。
この言葉は、あの日、電話口で、Uさんが叫んだ言葉でした。
彼女は、いったい誰に対して、何に対して叫んだのかは分かりません。
ただ、穿った見方をすれば、このままでは、夫の後を追って自死しかねない私の弱い心に対して発した亡き母の声だったのかもしれません。

そして、あの毎夜聞こえてきた音は、ある時を境に、二度と聞こえてはきません。
ただ、耳に焼き付いて離れないほど、不気味で異様な音だったことは確かです。

このお話をアップしたのは、同じような体験をしたことのある方と出会いたかったこともあります。未だに巡り合わないということは、もう、完全に浄化されてしまったのではないでしょうか。
長々とお話してしまいました。

では、この辺で失礼いたします。

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ろっこめ様
お忙しい中、こちらの作品もお読みいただいたのですね。
ありがとうございます。
評価とコメントまで頂戴し恐悦至極に存じ奉ります。

これは、単独作品です。続編ではないですね。
ほぼ実話です。
もやもや感のまま終わった作品ですが、それが本作の怖さを引き立てているのかもしれません。
もしかしたら効果音か背景画像も影響していると思います。

効果音がつけられるというので、つけてみたのですが、
私的には、編集作業はすべてPCをつかって行います。
そのため、実際に自作品をサウンドノベル的に読んだことは一度もございません。
気に入っていただけて良かったです。

いつもは、テキスト形式で読んでいるので。(笑)
そのうち、スマホに切り替えて、閲覧投稿してみたいと思っています。

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レイ様
「連れて行かないで」に「怖い」の評価をありがとうございました。
本作も、かなり前の投稿作になります。
実話に基づくお話です。
そのせいか、いわゆる霊が「視える」「感じる」といった方々は、この話を とても怖く感じるようです。
連日、4時44分44秒に目覚めるというのも、恐怖感というよりは、それの意味するところが理解できず、ただただ不安で不気味だったように記憶しております。
当時は、ここに書いたように、心身が疲弊していたように記憶しております。
心霊現象というよりは、今は、当時の私の心が見せた魑魅魍魎の類か、幻覚だと思うことにしております。
このことがございましてから、夫の母が急に倒れ、二か月ほどで帰らぬ人となりました。
もしかしたら、何かのメッセージだったのかもしれません・・・。

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ピノ姉様

おはようございます。
昨夜遅くまで、お付き合いいただいて感謝申し上げます。
「怖い」とコメントありがとうございました。

この作は、大部分事実ですが、その分謎が多く、類似の体験をしておられる方もいないようですし、今となっては、確認のしようもございません。
読んでいただけて、嬉しいコメントを頂戴し、舞い上がっております。
精進してまた、この話の続きもアップできたらと思っております。
その節は、よろしくお願いいたします。

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りこ様

「怖い」ありがとうございました。
なかなかアップできなくてごめんなさい。
これからも、よろしくお願いいたします。

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