wallpaper:156
最愛の夫が亡くなり、生きる希望を失った私は、不眠症と摂食障害に悩まされるようになりました。
睡眠導入剤も全く効く気配はなく、食べ物は、一切受け付けない身体になってしまいました。
頬はこけ、髪は抜け落ち、体重は、ひと月で10キロも減少しました。
nextpage
そんな日が一か月も続いたある日のこと。
ズス・ズス・・ズス・・・ズス・・・・ズス
・・・・ズス・・・ズズズズズ・・・
深夜、家の周りを、誰かが何かを引きずりながら歩く音が聞こえるようになりました。
nextpage
音は、私の部屋に近づくにつれ、徐々に徐々に高くなり、
部屋から遠ざかるにつれて、また徐々に徐々に低くなっていきます。
ズス・ズス・・ズス・・・ズス・・・・ズス
・・・・ズス・・・ズズズズズ・・・
nextpage
そして、しばらくすると、遠くから、また徐々に徐々に、少しずつ少しずつ鈍く重い音を響かせて
ズス・ズス・・ズス・・・ズス・・・・ズス
・・・・・ズズ・・ズズズズズ・・・
と戻ってくるのでした。
nextpage
音は、私が寝ている部屋の前に来ると、ぴたりと止み 10分ほど経つと、また、
ズス・ズス・・ズス・・・ズス・・・・ズス
・・・・ズス・・・ズズズズス・・・
と歩き始めるのです。
nextpage
朝までの数時間、私は毎日、何者かが立てる
この地獄の底から聞こえてくるような不気味な音に脅えながら、
眠れぬ夜を過ごしておりました。
nextpage
音が聞こえてくる時間帯は決まっていないのです。
一番早い時が午後11時。最も遅い時で午前3時。一番多かったのが、午前2時でした。
nextpage
音は、一晩中響き、ある時間が来ると、突然、ピタリと止み、辺りは何事もなかったかのように静まり返るのです。
nextpage
その時間は、毎日決まって、「午前4時44分44秒」でした。
4という「死」を意味する不気味な数字が5つも横並びしています。
時は、まだ二月。
外は、真っ暗で、寒く、朝と呼ぶには、あまりにも曖昧な時間帯です。
nextpage
ズス・ズス・・ズス・・・ズス・・・・ズス
・・・・・ズス・・・ズズズズズ・・・
雨の日も 曇りの日も 風の日も 雪の降る日も その音は、続きました。
nextpage
私も初めの一か月ほどは、怖くて怖くて
布団の中で、一人脅えているだけの毎日でしたが、
数か月もすると、その音にも慣れて来て、
今日は、何時に来るのかな。まだ来ないのかな。
と、心待ちにするようになりました。
nextpage
wallpaper:154
そんなある日のこと。
友人のUさんから、電話をもらいました。
Uさんは、俗に言う見える人でした。
いささか、現実離れした話をするUさんを、
私は、あまり好きではありませんでした。
nextpage
Uさんは、開口一番。
「Mさん、大丈夫でしょうか。ちゃんと食べていらしゃいますか。
夜は、良く眠れていらっしゃいますでしょうか。
何か最近、変わったことはございませんか。」
と畳み掛けるように問いかけてくるのです。
nextpage
私は、早く電話を切りたくて、
「大丈夫。元気ですよ。ちゃんと食べられておりますし、
眠れてもいますよ。ご心配おかけして申し訳ございません。」
と嘘をつきました。
nextpage
すると、Uさんは、
「今朝、私、夢の中で、Mさんのお母様にお会いしました。
今から7年ほど前にお亡くなりになっていらっしゃるのですね。
お母様は、ふくよかで眼鏡をかけた、優しい面差しの方でしょう。
薄緑色のお召し物を着ておられました。
お亡くなりになる前に着ていたのと同じものでしょうか。
私に、どうか娘をよろしく頼みますと 丁寧にご挨拶して行かれました。」
nextpage
母は、たしかに、Uさんのおっしゃるとおり、
亡くなる少し前、薄緑色の服を着ておりました。
体調不良を訴え、かかりつけ医に向かう途中で急性心筋梗塞に襲われ
帰らぬ人となりました。
nextpage
Uさんは、それら一連の経過を、まるでその場にいたかのように
順を追って話し、
「お母様、それはそれは、Mさんのことを案じておられました。
あまりに悲痛な面持ちでお話なさるので、
私もついもらい泣きをしてしまった次第です。
nextpage
Mさん、私も心配です。今、この電話をしている最中も、
あなたから全く生気が感じられない。
このままでは、最悪の事態になってしまいます。
どうか、お願いです。
食べてください。そして、眠ってください。
生きたいと強く強く願ってください。お願いです。
ご主人は、もう天上にいかれたのです。いつまでも、
未練を残すようなことをしていては、
Mさん、あなた連れて行かれますよ。」
Uさんは、そういうと泣きながら電話を切りました。
wallpaper:118
母の祈りが通じたのでしょうか。
その日を境に、私は、少しずつ少しずつ、食べられるようになっていきました。
吐くこともなくなりました。
それに伴い、不眠症も少しずつ少しずつ、薄紙を剥ぐように改善されていきました。
nextpage
そして、いつの間にか、あの深夜から明け方にかけて、
家の周りを何かを引きずりながら徘徊して歩く人の気配も、
嫌な音も聞こえなくなりました。
nextpage
やがて、季節は、冬から春に変わり、
朝日の昇る時間が早くなるにつれ、
午前4時44分44秒という不吉な時刻も、
それほど怖いとは思えなくなって来ました。
nextpage
私の体重も標準体重にまで回復し、
先日の健康診断では、どこも悪いところはないと
医師からお墨付きをいただきました。
wallpaper:154
Uさんとは、あの日、電話で話して以来、
一度もお会いしてはおりません。
御礼をしたくて、あの時と同じ電話番号に
何度も電話しているのですが、
コール音はするものの
通じないのです。
wallpaper:156
そして、一つ気になることは、
今でも、どういう時なのか、深夜
ズス・ズス・・ズス・・・ズス・・・・ズス・・・・・ズス・・・・・・ズス・・・・・・・・
と聞こえてくる時があります。
nextpage
数か月間 毎日聞いた音。
そう簡単に忘れることは出来ないのかもしれません。
作者あんみつ姫
「雨と月」のファンの皆様には、がっかりされてしまうかもしれません。
ごめんなさい。
ちょっと冒険してみました。
実話系怪談として、読んでいただければ・・と思います。
まだまだ、修行中の身。
よろしくお願いします。