長編8
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サイコパス

長文やでー

1968年5月5日、遊んでいた3人の少年が、空き家の2階に転がっている幼児の遺体を発見した。

驚いた少年たちは近くにいた大人に大急ぎで知らせた。

その後の調べで、遺体は近くに住むマーティン・ブラウン(3歳)のものであることが判明した。

遺体の口からは血が流れた跡があり、頬やアゴには大量の唾液が付着していた。首を締められた痕や目立った外傷はなく、そばにアスピリンの空瓶が落ちていたことから、警察は、マーティンが誤って大量の薬を服用した事故死と断定した。

1968年5月11日、酒場近くの物置の中で、3歳の少年が頭から血を流しているところを近くに住む少女が通報したが、幼児の転落事故とみられた。

1968年5月27日、『DAY NURSERY』という託児所内が荒らされた。

出勤してきた職員が警察に通報した。備品が壊され、掃除用具が床にぶちまけられるといった程度で、大した被害はなかったが、数々のおかしな落書きが残されていた。

「for a giggle」 (面白いから)

「I murder so that I may come back」 (戻るために殺しをやる)

「We did murder Martin brown Fuck of you Bastard」

(マーティン・ブラウンを殺した犯人はここだよ このうすらバカ)

警察はこれらをたちの悪いイタズラとして処理した。

1968年8月 ブライアン・ハウ(3歳)が殺害された。遺体は廃屋で雑草をかけられた状態で発見された。

死因は手で首を絞められたと見られる窒息死であった。遺体の太ももと性器には損傷が見られた。

そばには凶器と見られる折れたハサミが落ちていた。ブライアンの髪の一部はと切り取られており、頭部には鈍器のようなもので殴られた痕跡があった。そして腹部には剃刀で“M”の文字が刻まれていた。

数日後、警察はブライアン・ハウ殺害で、近所に住む少女、メアリー・フローラ・ベル(11歳)とノーマ・ベル(13歳)を事情聴取した。 (この二人はたまたま同じ苗字なだけで家族や親戚ではない)

警察に対してメアリーは、ある少年がブライアンを殺すのを目撃したと言い、その時の模様を細部にわたって説明したが、メアリーが目撃したという少年は、犯行時には空港にいたというアリバイがあった。

しかも、メアリーの克明な目撃談の中には、警察がマスコミに公開していない情報、犯人しか知らないはずの、〔ハサミを使った〕や、〔ハサミは銀色だった〕といったことが含まれていた。

これが決め手になり、警察はメアリーとノーマを犯人と断定。二人を逮捕した。

母・ベティと父・ビリー(継父)、妹と弟の中で長女として育った。

マーティン・ブラウン殺害時の年齢は10歳。

メアリーは、2歳頃にはすでに情緒不安定で暴力的な傾向を示しており、4歳で幼稚園に入園する頃になると、よくしゃべり、慢性的にしょっちゅう嘘をつく虚言癖が目立ち始める。成長につれ、メアリーは近所でも評判の“狼少女”になっていた。叱られてもまったく反省がない子供で、他の園児の首を締めて叱られた時にも、謝るどころか開き直った。

メアリー・ベルのこういった特徴は、サイコパス特有のものだという。

     

【 サイコパス (Phychopath) 】

精神病質者。現在はサイコパスという言葉は使われておらず、反社会性人格障害(APD)と変更されている。

<サイコパスの特徴>    ・ 極端に自己中心的

                  ・ 慢性的な嘘つき

                  ・ 後悔や罪悪感が無い

                  ・ 冷淡で共感が無い

                  ・ 自分の行動に責任が取れない

この原因の多くは、脳の前頭葉に問題がある可能性が高いといわれ、ホルモン異常と考えられる。また幼少時の虐待・生育環境の劣悪が重なるとサイコパスになる可能性が高いともいわれる。サイコパスとされる者の80%~90%が、言語能力を司る認知機能に障害があり、通常は左脳で行われる言語処理が右脳で行われているという。  ※一般的に〔サイコパス〕と〔サイコ〕は同じ意味で捉えられている。

メアリーの継父ビリーは窃盗の常習犯だった。母子家庭ということで生活保護を受けていたため、メアリーの母親はビリーのことを“叔父さん”と呼ぶように子供たちに教えていた。

メアリーの母親ベティは、1940年にグラスゴーで生まれ、敬虔で厳格な家庭で育てられた。

幼少期には「修道女になりたい」と言っていたが、父親の死後、道を踏み外し、薬物中毒に陥る。

1957年にメアリーを妊娠・出産するが、生まれた我が子を初めて見た瞬間にベティが発した第一声は、

「Take that thing away from me! (「それ」を片付けてちょうだい!)」だったという。

ベティは出産後も家を空けることが多く、仕事は売春婦だった。

メアリーは母親のピルを誤って大量に服用し、意識不明に陥ったことがあり、家に出入りする若い男達から怪しげな薬を飲まされることもあったという

マーティン・ブラウンの遺体が発見された時、メアリー・ベルはブラウン家を訪れ、「マーティンが血だらけで死んでるわよ」と知らせに行き、半狂乱になったマーティンの母親を発見場所まで案内している。そして遺族に対し、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながら、「ねぇ、マーティンがいなくて寂しい?」、「マーティンのためにたくさん泣いた?」と繰り返し尋ねたという。

そして数日後にまたブラウン家を訪れ、応対に出た母親に向かってニヤニヤしながら「マーティンに会わせて」と言ったという。マーティンの母親は唖然としながらも、「マーティンはもう死んだのよ」と応えた。すると、メアリーはこう言った。

「Oh, I know he's dead. I wanted to see him in his coffin.」

(あら、死んだのは知ってるわ。アタシはお棺に入ってる彼が見たかったの)

また、人前で「I am a murderer!(人殺しだぞ~!)」と叫んで、嘲笑を誘っていたという証言も多く寄せられた。さらに何人もの少年がメアリーに怪我をさせられており、以前から暴力を受けていた事実が明らかになった。

1968年5月11日、3歳の少年が頭から血を流して倒れているところを発見したと通報したのは、メアリーの共犯者ノーマ・ベルだった。この少年はメアリーの従兄弟で、その時は転落事故とされていたが、のちの調べで、ノーマが自分で突き落としたことを認めた。

マーティン・ブラウン殺害から10日後、3人の少女が託児所の砂場でメアリーとノーマに襲われ、その内1人の少女は、メアリーに顔が紫になるまで首を絞められた。首を絞めている最中、メアリーがノーマに言った。

「What happens if you choke someone, do they die?」

(首を絞めるとどうなるかな?死ぬのかなぁ?)

1968年5月26日、メアリー11歳の誕生日。

メアリーは、ノーマの妹の首を絞めているところをノーマの父親に見られて、ひどく怒られた。

この日に託児所を荒らしたのだという。のちの取調べで、メアリーは、その時落書きを残したことを認める。

託児所荒らしと同じ日、メアリはー自分のノートにマーティン・ブラウンの遺体そっくりの絵を書いた。絵には遺体の他に、〔Tablet〕(錠剤)と書かれた瓶と男性が描かれている。マーティン殺害時、メアリーはそばを通りかかった男性に見つかりそうになって逃げており、その様子を描いていたようだ。

絵には、“男の子が殺された現場に野次馬が集まっていた”という文章が書かれていた。

絵を描いたのと同じ週、メアリーとノーマは再び託児所に侵入しようとしたが、新しく取り付けられた警報装置に気付くはずもなく捕まえられた。その日、2人は少年裁判所への出頭日時を決められた上で、それぞれの両親に引き取られ、釈放された。

その事件から1週間後、メアリーはノーマに殴る蹴るの暴行を加えている

メアリーがマーティン殺害現場を指差しながら、「アタシは人殺しー!あそこで殺したー!アタシがやったんだー!」と叫んでいるのを大勢が目撃している。

しかし誰もが“狼少女”の「いつもの戯言」だと思い、真剣に受けとらなかった。

絞殺したブライアン・ハウ(4歳)の家にも訪れており、どうやってマーティンの首を絞めたかを自分の首を絞めながら説明したという。担当刑事は、メアリーがブライアンの葬式の日に来て、棺桶を見て笑っていたと証言している。

勾留後のメアリとノーマは落ち着かず、絶えずわめき散らしていたが、これはメアリーは慢性的な夜尿症で、もらすのをひどく嫌がっていたからだという。

女性看守によると、メアリーは、「人を傷つけるのが好き」だと繰り返し言っており、「将来は看護婦になりたい」と言っていた。なぜ看護婦になりたいのと尋ねると、「針を人間に刺せるから」と答えたという。

犯行後も反省する様子はなく、犠牲者への同情などは全く欠落していた。

この女性看守にメアリーはこう言った。

「ブライアンの家はお母さんがいないから、彼がいなくても誰も寂しいとは思わないでしょ」

1968年12月5日、裁判が始まった。

裁判になるとメアリー、ノーマ両者ともに責任のなすり付け合いになり、マーティン・ブラウン殺害については、2人ともが揃って無罪を主張した。

陪審員たちが4時間後に出した評決は、「ノーマは無罪。ただし、託児所への不法侵入で保護観察処分」とし、「メアリーはマーティン、ブライアン両件について共に有罪」であった。

犯行時の年齢が10歳であったことから、「治療終結後に釈放」ということで不定期刑になった。

しかし収容施設がなかなか決まらず、結局男性ばかりの少年院に送られた。

メアリーをかわいがっていた継父のビリーは、度々施設に面会に訪れていたが、しばらくして武装強盗で逮捕され、1969年に刑務所行に送られた。

母親はメアリーの有罪が確定した直後から、犠牲者のイメージを作り、タブロイド紙に娘の書いた手紙を売って金を得ていた。足しげく面会に行っては詩や手紙を書くようにメアリーに言い、送られてくるとそれらを片っ端から流していた。

設に送られた後、16歳で自傷事件を起こしたメアリーは、設備の整った刑務所に移送される。

その後、1977年に警戒のゆるい施設に移された。

そこで他の囚人と2人で脱走した。脱走後、2人の若い男に拾われて処女を失う。3日後に逮捕されて、処女を失った顛末をタブロイド紙に語ったメアリーは、「自分が正常であることと、一般社会で普通に暮らせることを証明したかっただけだ」と主張した。

1980年5月、22歳になったメアリーは仮釈放された。

出所後は職を転々とし、大学にも通ったものの、すぐに行かなくなって母親のところへ戻った。

この頃に若い男性と付き合って妊娠し、1984年に女児を出産している。

仮釈放期限の1992年までは裁判所の監督下にあったが、育児は許可された。

その後、別の男性と付き合い始め、小さな村に移り落ち着くが、周囲に前歴を知られてしまい、「人殺しはここから出て行け!」というデモに発展した。

怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん  

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