中編4
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母からの警告。

もう何十年も前の事である。

あの時感じたもの━━。

あれを殺意というのだろうか。

しかもそれは僕に向けられたものだった。

母だった。

家事をしていた筈の母が僕の背後に立ち、片手にある包丁を振り上げ、

オモチャで遊んでいる僕を悲しげに見下ろしていた。

その時僕が何歳だったのかは、はっきりとは分からない。

僕の母は今で言うシングルマザーだった。

相手の男、つまり僕の父は母の妊娠を知るやすぐに逃げた。

母は全くの女手一つで僕を育てた。

母は僕の前では元気に振る舞っていたが、当時幼い子供だった僕にもその過酷さはよく分かった。

屋根のあるところで三食食べて布団で寝る。

この当たり前のことのために、母は必死に働き続けなくてはならなかった。

僕は子供の頃から思っていた。

あの時━。

あの時母が何かに追い詰められて、そんな気持ちになったとしても責められないと。

中学に入った頃、一度だけそれとなく母に聞いたことがある。

僕「あの時休憩かなんかだったの?結構ビビったよ…」

母「はぁ?」

母「あんたが小さい頃は刃物の扱いには特に注意してたし、そんなの有り得ないよ」

夢や思い違い━━。

あまりに幼い頃の記憶、その可能性も否定は出来ない。

しかしその場面の記憶はとても鮮明なのだ。

そんな母も、26年前に亡くなった。

結局あの時の母の行動の真相は分からないままだった。

そして今から約25年前の7月、墓参りに行った時の事。

墓の前には、あの時の記憶のままの母が悲しげな、何か伝えたがっている様な表情で立っていた。

母が僕に伝えたがっている事。

それがあの時、僕にしようとしていた事への詫びだったとしたら…。

果たして、はっきりとさせる必要などあるのだろうか。

その墓参りの日から、僕は頻繁に私の前に現れるようになった。

家で、職場で、街中で。

僕は母を無視し続けた。

やがてある夜の事。

枕元に母が立っていた。

しかし母の様子がいつもと違うことに気づいた。

眉間にシワを寄せ、歯を食いしばり、涙を流して、何やら悔しそうな、

すごく怒っているような、そんな表情で僕を見つめていた。

その日の夜以降、母はいつも怖い顔で僕の前に現れるようになった。

ある日、通勤電車に乗っていた時の事である。

相変わらず母はあの夜に見た怖い顔のまま、電車の中の人混みに紛れて僕を見つめていた。

「あきまへんなぁ」

僕「え…?」

横を見ると、明らかに坊さんと思わしき人物が、母の方を見ていた。

「お母さんの警告、無駄にしたらあきまへんで」

僕「警告…?」

僕「あなたには、母が見えていらっしゃるのですか?」

「あんた、明日出張にいきなはるんじゃろ。明後日はお盆やのに、大変やなぁ」

坊さんは母の方を優しい笑みで見つめたまま答えた。

確かに明日は出張だった。仕事で大阪に行くことになっていたのだ。

僕「何でそれを…?」

「お母さんからせっかく授かった命、大切にせなあきまへんで」

僕「…」

「ほな、さいなら」

坊さんはそう言うと僕と母に会釈して電車を降りていった。

母は相変わらず表情を変えずに僕を見つめたままだった。

明日は仕事に大いに関わる大事な出張だった。

しかし僕はその時、坊さんの言葉と、母の表情と伝えたがっている事の意味にようやく気付いた。

飛行機に乗るな━━。

母はきっと私にそう伝えたかったのだろう。

意味を理解した瞬間、母の表情が優しい笑顔に戻ったのだ。

僕は出張に行くのをやめることにした。

どうしても母の警告を無視するわけにはいかないと思ったからだ。

会社の上司に出張に行くことができない事を電話で伝えると、

行かなければ首だと電話を切られてしまった。

しかし僕の決心はとても固いものだった。

母の警告を無視するくらいなら、首になっても構わないという気持ちになっていた。

そしてその翌日。

1985年、8月12日

その日僕の乗るはずだった日本航空123便は、御巣鷹山の中に消えていったのだ。

死者520名。

生存者4名。

この事はニュースやテレビで大きく取り上げられ、しばらくはどこへ行ってもこの話題で持ちきりだった。

会社の方達も生存者の中に僕の名が挙がらなかった事から、

てっきり僕が死んだと思いこんでいたようだ。

お盆休みがすぎて出勤すると、みんな幽霊でも見たかのように悲鳴を上げたり驚いたりした。

正直に事情を説明しても嘘だと言われるのは目に見えているため、

仕方なく寝過ごしてしまったということにした。

さすがに理由が理由だったが、命が助かって良かった。神様に感謝しろ。

と上司に言われただけで首にならずに済んだ。

あの事故の日からもう母の姿を見ることはなくなったが、

お盆の間中毎日感謝の気持ちを込めて墓参りをし、

お盆がすぎても1月に一度は必ず母に会いに墓参りに行くようにした。

墜落事故から2ヶ月たった頃、僕はいつものように通勤電車の中で揺られていた。

「いてはりまへんな、お母さん」

横を見ると、あの日の坊さんがあの時と変わらない優しい笑顔で座っていた。

「あの時お母さん、おたくさんになんや詫びてはった…」

僕「いや…」

僕は坊さんの言葉を制した。

僕「母は僕にとって世界一の母です」

僕「謝る必要なんて何もない」

僕「僕は母の子で本当によかったと思っていますよ」

「ほぅ、そらぁ、けっこうなことどんなぁ」

坊さんはさらに一層微笑みながらそう言った。

あの時、母の警告を無視していたら、僕は死んでいたのだろうか。

生存者4名━━。

やはりこの4名の中に入ることは、きっと不可能だったに違いない。

Concrete
コメント怖い
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真相は、時として知らなくて良いことがある

母の心は、母にしか解らない
私も二児の母です。
子供は可愛いだけじゃ、育てられません。

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カイ様のお話は怖いながらに家族や恋人やペットなど
愛情が色々な書き方で表現されてて
読み終わりに涙したり
感動したりでカイ様独特の世界ですね
(o^-'')b グッ!

母の愛情が怖く切なかった...

カイ様にしか書けない独特のお話。
これからも愛読させて下さいね。

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