中編7
  • 表示切替
  • 使い方

鳥葬の里

目次

一 、プロローグ

二 、紅と九兵衛

三 、鳥葬の儀

四 、鬼子母神神社の幽霊

五 、紅の夢

六 、契約

「ねぇ、ねぇ。鳥葬って知ってる?」

「さあ?知らない」

「私、知ってる。今もチベットで行なわれている遺体を鳥に食べさせるという埋葬方法でしょ?」

「そう、そう」

「それがどうかしたの?」

「実は、ね……」

これは、我が家に代々伝わる昔むかしのお話。

四方八方を山で覆われている処に、外部とは閉鎖的な集落があった。村人の多くは棚田に水を引き、米を作ることで生計を辛うじて維持していた。収穫した米は名主(なぬし)と呼ばれる村長の家に納められ、金銭と交換される。

名主の一人娘、白木院 紅(しらきいん・べに)。齢(よわい)十五歳。

肩まで垂れた黒く真っ直ぐな髪。大きく澄んだ黒い瞳。透き通るような白い肌。そして、小さな唇は、その名の通り紅をさしたように艶やかだった。忽ち「美しい娘がいる」と村では評判になった。態々、東方より見物に来るという者まで居たらしい。

只、少女は奥座敷に引き籠ったまま誰とも会おうとはしなかった。

少女の一日は、その大半を眠る事で費やされた。

少女は時々、奇妙な事を呟く。

夢の中で『声』が聞こえてくるのだという。

ある日の昼下がり、名主の家に訪問者が現れた。神主とその息子である。大人達の計らいにより侍女・紫乃(しの)に連れられ、少年が奥座敷にやって来た。

「紅、お嬢様。こちらの方が神主、神代(かみしろ)家ご子息の九兵衛(きゅうべい)様でございます。お嬢様と同い年の十五歳に、お成りになったそうです」

「そう」

少女は、一度寝返りをうって顔を向けると、さも興味が無いと言わんばかりにまた横を向く。

「それでは、ごゆっくり」

侍女は、そう言うと部屋を出て行ってしまった。

長い長い沈黙が続く。

「あなたの将来の夢は、なあに?」

最初に口を開いたのは、痺れをきらした少女のほうだった。

「私(わたくし)の夢は、父上の後を継いで神職になること」

少年は目を伏せ畳を見つめながら、そう答えた。

「わたくしですって?男(をのこ)の御子が?」

「母上から、将来神に仕える身ならそう申すようにと仰せつかった」

「あなたは、将来の夢があっていいわね。わたしにはないの。わたしにはね、誰かが近いうちに殺しに来る、という『声』が届いたの」

暫く無言の静寂。

「これは母上が困っている人がいたら手渡すようにと申していたもの」

少年は懐手から御守りを手繰り寄せ、少女の枕元に置き立ち去った。

これより先、数奇な運命を辿るであろう紅と九兵衛。この出会いは二人が知るところ最初の出来事だった。

少年は、その後も少女の元へ訪れる。一切、会話することもなく帰る日が恒(つね)だった。

しかし、少年にとってみれば少女と共有出来る空間こそが、日常の柵(しがらみ)から解放される唯一の居場所だったに違いない。

「ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴォーン」

「ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴォーン」

村一帯を気立(けたたま)しい鐘の音が鳴り響く。

「鳥葬だ、鳥葬の儀が始まるぞ」

「鳥葬の儀だって?」

「今すぐ家の中に入るのよ。さあ早く、早く」

「外にいると、邪鬼に魂を持って行かれるぞ」

村人達が一斉に騒ぎ出す。

暫くして、辺り一体がしーんと静まり返った。

「では、参る」

「あなた、お気をつけて」

九兵衛の父は、白装束を身に纏い外に出かけて行った。

「母上、父上は何処へ?」

「鳥葬の儀よ」

「鳥葬の儀?私(わたくし)も参ります」

「九兵衛、貴方は、およしなさい。貴方が行ったら魂を抜かれるわよ」

九兵衛は黙って格子戸を開け、外へ飛び出した。

「ちょっと九兵衛、戻っておいで九兵衛」

九兵衛は母の声を振り切り父の後を追う。漆黒の暗闇に浮かぶ、白装束を着た父親を見つけるのは容易な事だった。

土を盛り円形をした高台の周りには、等間隔に設置された松明が焚かれている。燃えあがる炎は、高台の様子を窺い知るに十分な明るさだった。円の中央には、能面を被り白い着物を着た髪の長い女が仰向けに寝ている。その傍らには、九兵衛の父が無表情に立っていた。

父上……

私(わたくし)が高台に上がろうとした刹那、己の本能が私の足を止めさせた。

『鳥葬の儀』とは何なのか?

一体、此処で何が行なわれようとしているのか?

私は草叢の影より、固唾を飲んで見つめていた。父上が女人の着物を脱がし終える。そして、柱に立て掛けられた鬼面を被り剣を持った。

……フワァ〜……

何と軽やかな舞であることか……

まるで宙に浮いているような、ゆったりとした優雅な舞だ。

完全に心を奪われていた。

「ボキッ!」

……何?

骨が折れる音がした。耳に纏わりつく嫌な音だ。夢現(ゆめうつつ)の世界から現実へと引き戻される。

目を逸らした、ほんの一瞬の出来事だった。

父上と思われるソレは剣を振り、女人の首を、両腕を、そして両脚を切り落としていた。

バ、バ……化物!

父上は乱心なさっているのか?

それとも、邪鬼に心を奪われてしまったのか?

アレが本来、父上の姿なのか?

否、あんな化物が私の知る父上であろうはずがない。

全身に広がってゆく震え。腹の奥底から込み上げてくる嗚咽を、その時の私は抑えるのに必死だった。

ソレは、さらに死体を切り刻む。胸を、腹を切り裂き中のモノを抉り出した。時に奇声を発しながら、時々見せる首を斜めに傾ける仕草が滑稽にして情景とはあまりにかけ離れ、その事が一層の恐怖を引きたてる。

死体から流れでた鮮血は、松明の炎によってより朱く映し出された。

やがて灯りが萎み、狂気の宴は夜の帳(とばり)へと消えてゆく……

遡ること十五年前。

「うわぁ、ユ……幽霊出た」

「それって本当?何処、何処で?」

「鬼子母神神社」

「オラも見たぞ」

「アタシも見たよ。この前なんかさ髪の毛振り乱して、追っかけてくるの。凄い形相で」

子供達の囁く声が聞こえてくる。

山を少し登った中腹に、鬼子母神神社があった。昔は子宝を求めて多くの参拝者があったらしいが、今その面影は、まるでない。もう誰も手入れする者が居なくなり、境内には雑草が我が物顔で生い茂っている。

そこには、白い着物を着た女がいた。

「お願いでございます。お願いでございます。お願いでございます。どうか、ワタシに子供をお授けくださいませ」

女は頭から冷水を被り、境内を何度も往復して祈り続けた。寒さで指の爪は剥がれ、裸足の皮膚には雑草の葉で切れたと思われる無数の切り傷が出来ていた。

「オギャー」

森のほうから赤児(あかご)の泣く声がする。女は、ふと声のする主のほうに近づいた。寄せ集めた木の枝を揺り籠にして赤児が泣いている。女の気配を察知して、赤児は泣き止み目を開けた。

赤児の目は真っ赤だった。

「ひやぁ」

女は驚きのあまり悲鳴をあげ、後ずさりした。

「この子、人じゃない。に……逃げなきゃ。早く、逃げなきゃ」

女は無我夢中で逃げた。途中何度も小石に足を取られそうになりながら。

「瑞葵、み・ず・きー」

頭の天辺から爪先(つまさき)まで届きそうな、耳を劈(つんざ)く天からの声が響き渡る。

「ひ……ひぃ〜」

女は、また悲鳴をあげた。

見ると両腕で赤児を抱いている。

赤児は瞳から無数の糸蚯蚓(イトミミズ)が蠢くような毛細血管が浮き出た眼で女を見上げた。

ブルブルと女の震えは止まらない。

赤児の鼓動が手の感触に伝わってきた。まるで母乳を飲むように、“震え”を餌として貪っている。

「この子は、いったい?」

女は震えたまま、その場に立ち尽くした。女の膝下から白湯(さゆ)が立ち籠める。

「瑞葵、その子を育てよ」

また天の声が聞こえてきた。

女は急いで山を下りてゆく。

山々の間から朝日が顔を覗かせる。

後に赤児は、九兵衛と名付けられた。

わたしの毎日は、ただ悪戯に時間ばかり浪費してきた。

眠るだけの怠惰な日々。

それを十五年間も続けてきた。

先日訪れた九兵衛という少年は、夢があるとハッキリと言っていた。

わたしには、それがない。

羨ましかった。

お母様は、わたしを産んで間もなく、お亡くなりになったらしい。お父様は行方知れず。わたしには小さい頃の楽しかった記憶がない。お祖父様(じいさま)は、わたしが病気だと申される。どこも悪いところが無いというのに。恐らくは、わたしが垣外(かいと)に出るのを憚(はばか)っているのだろう。

わたしは奥座敷という鳥籠の中で飼われている。

わたしの夢……?

もし、鳥のように翼があれば自由を手にする事が出来るのに。

ううん、無理。

ああ、もう考えるのはよそう。

それは所詮、叶わぬ夢なのだから。

「もういいかい?」

「ま〜だだよ」

子供達の声が聞こえてくる。

今日もまた一人、消息を絶った。

紫乃が神隠しだと言っていた。

紅も九兵衛もまだ生まれる前の事。

村で飢饉が起こった。

ぎらつく太陽が恨めしい。干ばつの大地に米は実らず収穫が激減したのだ。それでも藩主は、容赦なく年貢を取り立てる。村の生活は貧困を極め、餓死する者が続出し始めた。

ある日突然、長老の庭に翼を拡げること二米(メートル)もあろうかと思われるオオワシが舞い降りる。オオワシは人形(ひとかた)と為し、長老の枕元に立ち囁いた。

「妾(わらわ)に供物を捧げよ。さすれば其方(そなた)の望み叶えやらん」

そのモノは、とても神々しく今まで出会った誰よりも美しかったという。

「儂の望みは唯一つ。村が豊かになることじゃ。貴女(あなた)様が神であろうと魔物であろうと、そんなことはどうでもいい。所望なさる物を進ぜよう。どうか、雨を降らせ給へ」

長老は手を合わせ、ひたすら懇願した。

「心得たり」

長老が目覚めると周りには誰もいなかった。

夜露に濡れ、溜まった水滴が葉先より零れ落ちた。

まもなく陽が昇る。

また一日、何の変哲もない朝を迎えようとしていた。

Normal
コメント怖い
2
3
  • コメント
  • 作者の作品
  • タグ

【あゆさんへ】
退会された事を今知りました。
よっぽど嫌な事があったんでしょうね。
ここは言わば仮想世界。
現実生活まで引きずる必要は、ありません。
嫌な事は忘れて今の生活を楽しく過ごされればいいでしょう。
またいつかどこかで出会う機会があったなら、その時はよろしくお願いします。

返信

謎大き九兵衛と紅。。

この子を育てよ...
神の使い?なのでしょうか?

色々気になります(*''ω''*)......ん?
次回のお話楽しみにしてます♪

返信