中編3
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月下美人

雨である。雨、雨、雨。

いつまで降り続くのか、山の天気とは鬱なものだ。よく、女の性に比喩されるのも理解できる。

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前が見えにくい。カーブの激しい事で名高いこの峠道は、雨に降りこまれていた。

果たして、彼女に家にはたどり着くだろうか。そんな不安と、彼女の顔を見たくない気持ちが私の頭を満たしていた。

彼女、篠山夕姫と出会ったのは晴れの日であった。今夜のような雨とは違って心地よく、つい、遠出をしてしまったのが彼女と出逢うきっかけであった。

初めて彼女を見たときに、あぁこんな子と一緒になれたらどれだけ幸せだろう。そんなことを思ってしまった。思っただけで声をかけなければよかったのに。

そんなことを思い出すうちに、道に迷った。やはり夕姫は疫病神だ。見知らぬ山路。とりあえず路肩に車を停めた私はスマートフォンを取り出した。案の定圏外、連絡もできなければ、現在位置もわかりゃしない。完全に積みである。そして夕姫に対して、遅刻の連絡をしないことは罪である。

こんなしようもないことを思いつく辺り、私の能天気さが窺い知れる。この私の性が夕姫の心に圧をかけている。そう彼女は言っていた。

心なしか雨が弱まってきた頃、前方に人影が見えた。うっすらと、うっすらとであるがそれが女性のシルエットであることが分かった。生来、私は霊感が人より強い。私は感じたのである。眼前の影が此の世のものではない異物、怪異であることを。

「しまった…」

夕姫がいないのに…此の手のものは私では対処できない。できないが予想はできる。きっと怪異はこう言うだろう。麓まで送ってくれ、と。ここで断れば私は死ぬだろう。闘わねば、たとえ勝機が見込めなくとも。

怪異とは霊とは違う。多くの霊が自らの存在を認知していないのに対し、怪異とは自我と呼べるものがあり、明確な悪意を持って人を喰う。ここで喰われるのは肉体ではなく、精神とか運とか、およそ物質ではないものだ。

怪異は人の、それこそ性に取り付く。それも悪性に。それであるがために、目の前の怪物を迎えねばならない。

怪物は口を開いた。

「山奥の山荘まで送って頂けないでしょうか」

誤算である。麓まで送るとなれば来た道を戻れば良い。しかし山奥となれば別だ。怪物のホームグラウンドである。いよいよ勝機が見込めなくなってきた。

しかし。

「わかりました…乗ってください。」

こう言うしかない。言わねば死ぬ。きっとトチ狂った挙句、無惨な死を遂げるだろう。運がなければ他人をも巻き込むかもしれない。

山奥の山荘は意外にも、ものの数分で到着した。およそ路をとは思えない路だ。自慢のインプレッサを傷物にするほどの悪路であった。

「お礼にお茶でも召し上がって行って下さい」

さぁ、どうする。ここで怪物の厚意を無下にはできない。そう、選択肢は一つだ。

しかし、このまま断る行動をとらないままこの山荘で過ごせば、きっと夜を共にすることを求められる。山の女の怪異はこれだから厄介だ。

もし怪物と繋がってしまえば、喰われるよりも凄惨な結果になるだろう。私の周囲の人間に害悪があることは間違いない。それも私を残してだ。自分だけが生き残り周囲の人間が死ぬ。それ以上の不幸を私は知らない。運を喰われた人の姿はもう見たくない。私がその立場になるのも勘弁だ。

ならば腹を括ろう。割り切るんだ。私だけが死ねばいい。

「どうぞ、召し上がって下さい」

「淹れてもらったのに申し訳ない。急用を思い出してしまいまして…お暇させていただー」

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「嘘を吐くな!」

妖気、殺気、呪怨の籠った叫びであった。

刹那、のしかかる怪物の圧に気圧された。

死ぬ。死ぬ。覚悟はできていた。死ぬ。恐怖は覚悟を凌駕した。死にたくない。強く願っても、届かいない。きっと此の世に神はいない。

ー耳鳴りー

それは断末魔であった。少なくとも私のではない。きっと眼前の怪物のであろう。

歪な音色の奏者はそこにいた。私は彼女が嫌いだ。けれども彼女は、私を必ず助けてくれる。

「夕姫…」

いつの間にか雨音がやみ、空には煌煌と月が満ちていた。

shake

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闇神楽さん

コメントありがとうございます
シリーズを予定しています
これからもよろしくお願いします

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シリーズものかな?
続きがあれば楽しみにしてます。

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