長編8
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カメラつきインターホン

春から夏へと季節が切り替わる時期は、時折夜が寝苦しくなるときがある。

夏になってしまえば冷房を点けることも抵抗がないのだが、まだ夏と言うほどでもない季節においてクーラーのリモコンを握るのは少し気が引ける。

男なので、防犯に対する意識も少なからずゆるい。

こういった時期は、よく窓を開け放して寝ることが多かった。

部屋の電灯を最も小さいオレンジの灯りにし、布団に寝転がって雑誌などを読み、外からの風を感じながらゆったりとした時間を過ごすのが最近の楽しみである。

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その日も俺は窓を開け放ち、網戸から風を取り込みながら布団で横になり本を読んでいた。

狭い六畳一間の部屋なので、少しでも広く見せるため隅っこのほうには背の高い姿見を置いてある。

今は、布団に横になる俺の姿が映っていた。

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外のほうから、蛙の声が聞こえる。

もう季節も夏に切り替わろうとしている。

ふと腕時計に目をやると、オレンジの電灯に照らされた時計盤は真夜中の2時を指そうとしていた。

そろそろ寝るか、と本を閉じたそのとき。

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ピンポーン

突然インターホンが鳴り、俺は驚きのあまり飛び上がりそうになった。

今日は来客の予定なんてない。そもそも、こんな時間に誰か来るなんておかしい。

俺は布団に転がったまま眉をひそめて玄関のほうを見やる。

うちのインターホンはカメラ付きなので、部屋の壁に設置されたモニターに、来訪者の様子が映し出されるようになっている。

布団に転がったまま目を細めてモニターを見るが、何が映っているのかよくわからない。

俺は本を枕元に置いて立ち上がった。

部屋から出るドアの傍らに、モニターは設置してある。

モニターに近づくにつれ、少しずつその映像が奇妙なものであることに気づいた。

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モニターには、確かに来訪者が映し出されていた。

しかし、肝心の顔は映っていない。

映っているのは、人間で言うと胴のあたり……ほっそりとした腰の両側に、腕だろうか――白い棒のようなものがだらんと下がっている。

おそらくワンピースでも着ているのだろう、上半身と下半身のつなぎ目はわからない。

着ているものは真っ黒だった。漆黒のワンピースを想像したときに、ふと葬式のイメージが頭をよぎる。

そして体つきから、かろうじて女性ということがわかる。

そこまで考え付いたところで、俺は猛烈な違和感に襲われた。

今日の昼ごろ来た宅配業者のことを思い出す。

宅配業者がインターホンを押したとき、モニターにはその業者の上半身が映っていた。

腰はぎりぎり見えないくらいで、胸から上――そして頭までしっかり映っていた。

頭の上には、カメラを通して向こうの景色が少し見えるほどの余裕がある。

よほどおかしな体型でない限り、総じて人間であればあのような見え方がするものだ。

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もう一度、モニターを見た。

映し出されているのは、棒立ちしている人間の腰あたりだ。

つまり、この来訪者は――背が高すぎるのだ。

背伸びしただけでこんな高さは出ない。

インターホンのカメラに映りきらないほどの長身なんて、あるのだろうか。

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混乱する頭で必死に考えていると、もう一度インターホンが鳴った。

びくりと体が反応する。

来訪者の顔が見えないのが、さらに不気味だった。

どんな表情をしているのか、そもそも誰なのかが全くわからない。

「いたずらか……?」

開けるつもりは全くない。

性質の悪いイタズラか、それか知り合いの家と間違えて入れてもらおうとしているのか。

居留守を使っていれば、そのうち立ち去るだろうか。

モニターを凝視しても、腰のあたりと両腕しか見えない。

不可解な体格の人間を目の前にして、俺の頭はこの現象を「イタズラ」として無理やり処理しようとしていた。

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インターホンが鳴った。

「くそ、何なんだよ……」

俺は後ずさった。

オレンジの小さな電灯を消し、部屋の明かりを点ける。

――とその瞬間、

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ドンドンドンドンドン!!

玄関のほうから凄まじい勢いで扉を叩く音が聞こえた。

思わずモニターを見るが、玄関の向こう側にいるであろう来訪者の姿はびくともしていない。

ドンドンドンドン!

扉が壊れるんじゃなかろうかというほどの音だった。

心臓がばくばくと鳴っている。

このままでは、本当に玄関扉が破られるのではんだろうかと恐ろしい考えがよぎった。

来訪者は動いている様子はない。

扉は叩かれ続けている。

俺は恐怖でおののく頭でしばらく考えたのち、インターホンのスイッチをOFFに切り替えた。

モニターが暗転し、来訪者の姿は消えた。

明るくなった部屋の中で、その暗転した画面に、俺の顔が反射して映る。

見慣れすぎた顔の奥に、開け放っている窓が見えた。

――何か、おかしい。

網戸にした窓の向こう、物干し竿のあるベランダに、誰か立っている。

ゆらゆらと、ゆれている。

暗転したモニター越しにそれを見た瞬間、全身に粟立つような悪寒が走った。

「……うわあああああぁぁぁあああああ!!」

自分でも何をしているのか、わからなかった。

絶叫しながら、窓へと転ぶように駆け寄り、ガラス戸を勢いよく閉める。

震える手で施錠し、カーテンを引きちぎりそうな勢いで閉めた。

外の景色は完全に見えなくなり、モニターは真っ黒に暗転したままだ。

自分の荒い息遣いだけが狭い部屋に響いている。

いつの間にか、玄関扉を叩く音は消えていた。

カーテンにしがみつくようにして、俺はじっと固まっていた。

呼吸が落ち着いて、どれくらいの時間が経っただろうか。

俺は立ち上がり、布団に戻る。

モニターを確認する気も、カーテンを開ける気も、玄関のドアスコープを覗く気にもなれなかった。

寒気がひどい。

布団にもぐりこみ、毛布をかぶった。

眠れるだろうか。いや、眠らないと。

何もいなかった。何もいなかったんだ。

部屋の隅にある姿見に、横になっている自分の姿が見える。

やけに自分の姿が大きく見える。

あれ、姿見……あんなに近くにあったっけ。

もっと隅っこにおいやっていたはずだ。

もっと、自分が小さく見えるほどに――

ふとした違和感を感じたそのとき、俺は凍り付いた。

――姿見の後ろから、黒い髪の女がこちらを見ていた。

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***

気がついた時には、布団の中で丸まっていた。

目をしばたたく。カーテンの隙間から、日差しが差し込んでいた。

腕時計を確認すると、午前11時だった。

ぼんやりとした頭で姿見を確認するが、映っているのは自分の姿だけ。

寝ぼけているついでにカーテンも開けたが、そこには何もなく、青々とした空が広がっている。

そして、モニターの電源をONにしてスイッチを押した。

何もない。

そこで初めて、俺はその場にへたり込んだ。

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***

実にありがちな後日談だが、どうやらこの部屋はいわくつきだったらしい。

20年ほど前、このアパートが建設されて初めてこの部屋に住んだのは、男性だったようだ。

彼を、恋人か姉妹か定かではないが、頻繁に若い女性が訪ねていたという。

いつの頃からか、男性は訪ねてきていた女性を部屋に入れなくなっていった。

しかし女性は懲りずに繰り返しこの部屋を訪ね、インターホンを押したり扉を激しく叩いていたという。

ストーカーじみた女性の行為に男性は困り果て、女性に気づかれないよう部屋を引き払って引っ越した。

男性が引っ越した翌日、女性はまたこの部屋を訪れた。

そこでインターホンを押し、カメラを覗き込む。

その瞬間、女性は狂ったように叫び出して、バッグからビニール紐を取り出した。

飛び跳ねるようにして、アパートの廊下の天井の出っ張りにビニール紐を引っ掛けようとする。

どこか滑稽な動きで紐を引っ掛け終わると、紐で輪を作る。

女性は迷わず、その輪っかに首を通した。

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***

――背が高いわけでは、なかった。

ぶら下がっていたのだ。

ああいう見え方をしていたのが、今になって納得がいった。

しかしひとつ、奇妙な点がある。

何度も部屋に入れてもらえなかったのに、なぜ男性が部屋にいなかったときに首を吊ったのか。

女性はカメラを覗き込んで発狂した。

そして思い出したのは、俺が部屋の明かりを点けたときのことだ。

部屋が明るくなった瞬間、扉は激しく叩かれた。

あれって、もしかして――もしかして、

女性は、カメラを通してこちらの様子がわかっていたのではないだろうか?

だから、明かりがついた瞬間居留守じゃない、部屋にいる、と分かって扉を叩き、

引き払って空っぽになった部屋を見て男性が引っ越した、と分かって首を吊ったのではないだろうか。

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カメラつきのインターホンというのは、部屋にいる者が来訪者を見るためのものだ。

来訪者がカメラを通してこちらを見ることが出来るなんて、俺は未だに信じていない。

そんなこと、あるわけがない。

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***

結局俺は、この部屋に住み続けている。

アパートの大家にこの件についてを問い詰めたところ、何と家賃を3割近く割り引いてもらったのだ。

学生の身分としてはありがたく、あんな体験も二度と無いだろうと思い込んでいれば平気な気がする。

姿見を片付け、暑い時は迷わずエアコンをつける。

もう窓はしばらく開けていない。

モニターはいつも電源を切り、外のインターホンのカメラにはガムテープを貼ってある。

玄関扉には、

『インターホン故障のため、ドアノックでお願いします』

との張り紙をしておいた。

来訪する予定の友人に対しては、来る直前に連絡をしてもらい、ノックもインターホンも使うことなく部屋にあげるようにした。

これで大丈夫だ。

思い当たる節をすべてつぶし、俺は安心して安い家賃の恩恵にあずかっていた。

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***

ある日、インターホンのカメラを封じてから初めてドアノックを利用する者が訪れた。

おそらく宅配業者か何かだろう。

俺はもちろんモニターを確認することなく、玄関まで行きドアスコープを確認した。

その瞬間――

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パリンッ

何かが割れる音がしたかと思うと、鋭く長い針のようなものがスコープから飛び出してきた。

避ける間もなく、

「―――!!!」

右目を貫かれ、さらに針は進み、最後に何か嫌な音がした。

そこで、意識は途切れた。

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スコープを覗いた瞬間。

一瞬だけ見えたのは、少し左のほうに、ゆらゆらと高い位置で揺れている黒い何かだった。

Concrete
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