長編14
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ストーカー事件:A面

憧れの商社に何とか滑り込んで2か月、研修期間もどうにかクリアして、今日は親睦会。

10人掛けの長テーブルに、営業部から5人、庶務課から5人、向かい合って座る。

親睦会なんて銘打ってるけど、早い話が合コンよね。

営業部の男の子たちは、値踏みするみたいにこっちをチラチラ見てる。

中でも、一番端っこに座ってる男が私をやたら見てる気がする。何となく視線を感じてチラッと見ると、絶対に目が合う。

向こうは目が合うとサッと逸らすんだけど、なんか勘違いされちゃったら困るなあ。

簡単な自己紹介なんかして、ビールで乾杯して、料理が来て、酔いが回ってくると、だんだん盛り上がってきた。

私の両隣に座った親友の彩子と麗美がそれぞれに耳打ちしてくる。

「ねえねえ、一番向こうの浅田さん、マリリンの事めっちゃ見てるよ~」

「え、やだー」

「いや絶対、マリリンのこと見てるって。絶対マリリンに気があるよアレ」

「ええ~そんなあ」

確かによく目が合う。背が高くてがっしりしてて、多分、一般的に見ればイケメンと言えるかな。

だけど…ねえ。ああも露骨にアイコンタクトされると、ちょっと引いちゃうかも。

          ◇◇◇◇◇

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カップリング目当てのガッついた合コンでもない、あくまで親睦会なので、そこそこ打ち解けた所で解散となった。

ほろ酔いで外に出て、夜の冷気が火照った顔に気持ちいい。彩子と麗美が、並んで二私を頭からつま先まで見据えてきた。

「今日のマリリン、完璧に主役モードだよね〜」

「うん、やっぱり似合ってる。超カワイイ」

「え…そう?…かな」

白いフリルとレースとリボンたっぷりの、パステルピンクのワンピース。

もともとフェミニンやガーリーなスタイルが大好きな私にとって、ロリータファッションは憧れだったんだけど、

彩子と麗美の二人に「絶対に似合う!」って絶賛オススメされて、ついに買ってしまった。

今日の親睦会も、絶対に着ておいでよって言われて、業務後にロッカールームで着替えた。ちょっとサイズきつめだったけど、ウエスト部分がコルセットみたいに編み上げ式だったので、私でもどうにか着られた。

二人が「髪型も合わせなきゃ」とか言って、ヘアアイロンで巻き髪にしてくれたので、つい調子に乗ってワンピと揃いのヘッドドレスも着けてみた。

二人は私をフランス人形みたいと言って持て囃した。ちょっと恥ずかしいけど、私もこういうスタイル憧れだったんだよね。

「浅田くんだけじゃないよお、他の男の子達もマリリンの事、超チラ見してた」

「やっぱモテるよねー、マリリン」

私は男性陣の目を気にしながら、

「やだもう、二人ともやめてよ~」なんて手を振り振り打ち消した。その時も一度だけ、浅田と目が合った。だけど浅田はすぐに目を逸らした。

もしかして、私に気があるの? 麗美と彩子に冷やかされる内に、こっちも何だかそんな気になってくる。

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麗美と彩子とは研修期間中に意気投合した。

二人ともわりと美人な方だと思うけど、何故か彼女たちは最初から私をやたらと称賛してきた。

マリリンという呼び名も、私の本名の真里子から二人がつけものだ。

「マリリンってさあ、学生時代モテたでしょ」

「そんな事ないよ」

「うっそだあ。マリリン、おっとりしてるから自覚なかっただけなんじゃない?」

今まで人からそんな風に言われた事なかったので、私はドキドキした。私だって身の程は知ってるつもりだけど、二人はいつも私を煽てまくる。

そこまで言われると悪い気はしないけど、自惚れは友達を敵に回す。

だけど私がいくら否定してみても、二人は謙遜としかとってくれない。

ダイエットの話題になった時も、少し痩せたいと漏らした途端、怒涛の勢いで否定された。

「何言ってんの~マリリンはそのぐらいでちょうどいいって」

「少しぽっちゃりぐらいが男にはイイんだって」

「そうそう、マリリンはいわゆるモテポチャってやつだよね」

こうまで言ってもらうと、こちらも段々その気になってくる。

もしかして私って自分で思ってるよりイケてる?なんて気になってきて…。

          ◇◇◇◇◇

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そうこうしてる内に、浅田が私の身辺にやたら出没するようになってきた。

会社近くの駅でばったりとか。当然、駅から同じ方向に歩くので必然的に一緒に出社…みたいになったり。通勤の路線も自宅の駅も近いらしい。

浅田は背が高くて大柄なせいもあって、やたら目につくようになってしまった。

向こうも私に気付くと、挨拶なんかしてくるけど、甘い顔は見せないようにしてる。

会社に行くと、麗美から「浅田君にマリリンのアドレス聞かれちゃった」と言われた。もちろん、私の許可なく教えたりはしないという事で、麗美は断ってくれたようだ。

彩子も、たまたま営業部に行った時、浅田にやたらマリリンの事を聞かれた…と不快そうに話してきた。

やっぱり浅田はマリリンに気があるんだよ、と麗美も彩子も口を揃えた。

いやだなあ…それならそれで私に直接聞けばいいのに、周りでこそこそ嗅ぎ回られるのって、気持ち悪い。

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それから数日が経って、私のロッカーの取っ手に、小さな紙袋がぶら下げられていた。

開けてみると箱に入った指輪だった。安っぽい金メッキに、ガラス玉らしい石が付いている。一目で安物と分かる代物だ。

それよりゾッとしたのがメッセージカード。

「君と僕との始まりの記念に。僕だと思っていつも身に着けていてくれると嬉しい。A田」

鳥肌が立った。それを見た麗美と彩子も不快そうな顔をしたが、どこかで面白がっているようだった。

そりゃ他人事ならただのキモい男だよね。ネタだよね。

だけど当人にしてみればこんな不愉快な事もない。

まず女子のロッカールームに忍び込むなんて、それだけで変態だ。しかも、こんな安っぽい指輪、私をバカにしているとしか思えない。

何が“始まりの記念”よ気持ち悪い!一人で盛り上がってとんだサイコ野郎だわ。

ここにきて私はハッキリと自分の気持ちが分かった。浅田とは付き合えない。こういう独り善がり野郎は苦手。

彩子と麗美が怒り狂う私を遠巻きに見る中、私は営業部に向かった。この時間なら帰社しているはず。

案の定、浅田は自分のデスクで書類仕事をしていた。

外回りが多い営業部は閑散としてたけど、

それでも浅田以外に何人かは机に向かっていた。

私は浅田のところまで脇目も振らずに歩み寄って、箱を叩きつけるぐらいの強さでデスクの上に置いた。

浅田はきょとんとして私を見上げる。周囲も何事かと顔を上げてこっちを見ている。

「ごめんなさい、これは受け取れません」

強めの口調でそう言うと、唖然としている浅田に反撃のスキを与えないよう、私は足早に部屋を出た。

廊下で待っていた彩子と麗美がおろおろと私に駆け寄った。

「大丈夫だった?」

「浅田くん、ちょっと可哀想かも」

同情的な冷笑を浮かべる麗美に、「何言ってんの!」と彩子が強く言い返した。

「拒否るならビシっと言わないと男につけこまれるよ! 甘い顔してストーカー化したらどうすんのよ」

「だよね」彩子の言い分に麗美も同意する。

だけど、ストーカー化という言葉に、私はちょっと戦慄した。

確かに浅田はプライドが高そうだった。皆の前で贈り物を突っ返すなんてやり過ぎたかもしれない。

物憂げな顔をすると、彩子と麗美の二人が心配して私の自宅アパートまで付き添ってくれる事になった。

駅で降りると、浅田が改札の前に人待ち風情で立っていた。

私は咄嗟に顔を伏せて、浅田に気付かないフリをした。

ところが浅田は、私たち3人が改札に向かう前に寄ってきて、声を掛けてきた。

無視無視。相手にしたら付け上がる。

彩子と麗美が私を庇うように両側から腕を絡めてきて、私たちは早足で浅田の前を通り過ぎた。

「あの、ちょっと、寺本さん、待って。話が」

浅田が何か言いかけたが、私たちは大急ぎで改札を抜けた。改札を通ってまで追ってくる様子はなかった。

「危なかったね~」

と彩子が安堵の溜息をついた。

「やっぱりヤバイじゃん、あいつ。待ち伏せしてきたよ」

麗美が吐き捨てるように言う。

付きまといが始まったというのか。やっぱりストーカー化してきたんだろうか。

「浅田がマリリンに執着するのも分かるけどさあ」

「でも…駅で待ち伏せってキモい」

私は自分がターゲットになった不運に黙りこくっていたが、二人の女友達は口々に言い合った。

「護身用に何か持ってた方が良くない?」

「そうだよね私たちもずっとは傍にいられないし」

「警察は?」

「何か起きないと動いてくれないっしょ」

「今日みたいな事が続いたら警察に言お!」

「うん、そうしよ!」

二人の支援は心強いが、やっぱり私は心中穏やかではいられなかった。

大体、今までのストーカー事件で、殺人にまで発展するのは警察が介入した直後が多い。

警察も最初から逮捕はせず、まずは本人に警告する。

それでも止まないならストーカー規制法違反で逮捕もできるようだが、最初はまず警告からだ。人権とやらを盾にされると、警察もまどろっこしい手順を踏むしかないらしい。

狙われた側としては、さっさと逮捕してもらいたいもんだけど。

一方で、警察の注意を受けたストーカーは、それだけで追い詰められた気持ちになって、相手を殺すしかないという極端な結論にしがみついてしまうのかもしれない。

警察が身辺をパトロールすると言っても、SPのように24時間張り付くわけにもいかないから、悪意を持ったストーカーの接近を完全に防ぐ事はできない。

だから今まで数々の悲惨な事件が起きている。

まさか私も…最悪の場合は浅田に殺される?

想像しただけで私は身震いした。

二人の言うように身を守る何かを持っていた方がいいかもしれない。

          ◇◇◇◇◇

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それ以来、会社で顔を合わせるたびに何か言いたげに寄ってこようとする浅田を、真里子は徹底的に避けた。

少しでもスキを見せるとストーカーは増長するからだ。

その日、仕事を終えて通用口から出ると、駅に向かう一本道の電柱の陰に浅田がいた。

白熱灯の青白い光を頭上から受けて顔に影を落とし、表情は分からなかった。

真里子はびくりと肩を竦めた。女友達二人はまだロッカールームだ。先に降りてきたのを後悔した。

通用口のホールでうろうろしていたら、後ろからいきなり声を掛けられた。

飛び上がるほど驚いて後ろを振り向くとビルの守衛が通用口の入口に作られた警備室から出てきていた。

「あんた、寺本真里子さん?」

「あ…はい、そうですけど…」

「あのね、さっきね、営業部の…何だったかな、アサ…浅田っていう男が、これあんたに渡してって」

そう言って初老の守衛は、封筒を差し出した。宛名も何も書いていない、事務仕事によく使うただの茶封筒だ。

「じゃ、確かに渡したからね」

そう言うと、守衛は大儀そうに警備室に戻って、テレビドラマの再放送を見始めた。

真里子は封筒を手にしたまま、思案に暮れた。

―どうしよう。二人が来てから見た方がいいかな。二人とも早く来てよ。

そこへ彩子と麗美がやってきた。

「マリリ~ン、ごめんね、お待たせ」

ホッとして顔を上げ、二人の申し訳なさそうな笑顔と賑やかな声を聞いて安心する。道路を振り返ると、もうそこに浅田はいなかった。

手紙には『話があるので明日の昼休みに第3会議室へ来て欲しい。浅田』とだけあった。

事務用便箋に几帳面な字が並んでいる。

真里子の手の中で広げた手紙を、頭を寄せ合って読んだ3人は、ほぼ同時に顔を上げて見合わせ、眉をひそめた。

「何これ、ヤバくね?」

「絶対に行っちゃダメだよ、マリリン」

「何されるか分かんないよ?」

言われるまでもない。真里子は神妙な面持ちになって小さく頷いた。

彩子が訳知り顔で言う。

「実はさあ、営業課の知り合いに聞いたんだけど、もう営業の方じゃ浅田とマリリン、すっかり公認の仲みたいなんだって。浅田が自分で吹聴してんじゃない?」

「何それ!キモい!」

麗美が顔をしかめて叫び、真里子はあからさまに嫌悪感を顔に出した。

「じゃあ、会議室に来いっていうのも」

「無理やり既成事実を作ろうとか企んでるのかも」

「うっわ、最悪ぅ―!」

身に降りかかった災難に絶句する真里子をよそに、彩子と麗美がどんどん不安要素を並べ立てていく。

「もう警察に言う?」

「こんなんで動いてくれるかなあ」

「でも何かされてからじゃ遅いじゃん!」

「マリリン、明日は絶対に私たちから離れちゃだめだよ!」

3人は緊張した顔を向けあった。真里子だけは泣きそうな顔になっていた。

「大丈夫だよマリリン、気を強く持って!」

「う…うん」

真里子は、友達の応援に気丈に振る舞って見せた。その日もまた二人は真里子のアパートまで付き添った。

次の日も、真里子は極力、浅田の事を考えないよう仕事に没頭した。

昼休みはもちろん浅田の手紙を無視して会議室になど行かなかった。

―――誰が行ってやるものか。浅田の思い通りになってたまるものか。

緊張の一日が終わって、真里子はまた女友達二人に寄り添われて帰路についた。

午後から灰色の厚い雲が湧いてきてポツポツと雨が降りだし、終業の頃には本降りになっていた。

浅田の手紙を無視したので、浅田が何らかのアクションを起こすのではないかと警戒していたが、駅でも帰り道でも浅田の姿は見なかった。

少し安心して気が緩んだのか、彩子がアパート近くのコンビニに寄ると言いだした。

「今日は緊張したよね!ちょっと飲も!」

彩子の言葉を受けて麗美が軽いノリで応える。

「女子会だ、イェーイ」 

彩子はビールを買っていくから先に行ってて、と言ってコンビニに入っていった。

コンビニのある大きめの通りから細い路地を抜けて、ひと通りの少ない住宅街に出ると、すぐにアパートが見えてくる。

麗美と真里子がアパートの前まで来ると、麗美が喉の奥で「ヒッ」と小さな悲鳴を上げて立ち止まった。

アパートの前の電柱の陰に浅田が立っていた。真里子は心臓を掴まれたように立ちすくんだ。

浅田は黒い傘を差していたが、スーツの肩が濡れていた。ズボンの裾もかなり雨を吸っている。一体いつからここに立っていたのだろう。

「あ…あああ…あ…」

麗美は悲鳴とも泣き声ともつかぬ声を絞り出し、後ずさった。

そして「け、警察、警察…」とうわ言のように呟きながら踵を返した途端「警察呼んでくる!」と叫んで走り去った。

携帯で通報すれば良さそうなものだが、人間、突然パニックに陥ると当たり前の事まで忘れてしまうものらしい。いや実際は逃げたのかもしれない。

―――そうだ、これは私の問題。私がしっかりしなきゃ。

残された真里子は、目の前の浅田に圧倒されるように少し後ずさり、しかし、蛮勇をふるって顔をグッと上げ、浅田を睨み返した。

「寺本さん」

浅田は真里子に向かってニヤリと笑いかけた。その笑顔は真理子を怯えさせるに充分だった。

真里子は震える手でバッグの中からカッターナイフを出した。分厚い段ボールもざくざく切れる業務用の大型カッターナイフだ。今日、会社を出る時に拝借してきた。

親指でレバーを押し上げると、チキチキチキ…と厚みのある刃が伸び、街灯に反射して鈍く光った。

「え、ちょ、寺本さん」

浅田がのそりと近づいて手をこちらに伸ばす。

ゆうに頭一つ分は真里子より背が高く大柄な浅田が自分に向かって一歩踏み出してきただけで、真里子は身もすくむような恐怖と威圧感に襲われた。

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「きゃーっ!」

目を固く瞑り、闇雲にカッターナイフを振り回す。

「やだ、来ないで来ないで、こっち来ないで!」

振り回したカッターナイフの刃先に一瞬、重い手応えがあって、浅田の「痛っ」という声が聞こえた。

カッターナイフを構えたまま手を止めて薄目を開けて見ると、浅田が左手で右肘の少し下を押さえていた。押さえた手の指の間から鮮血が流れ、雨に打たれて流れていく。

足元には浅田の差していた傘が転がっていて、浅田は雨に濡れた髪を額に張りつかせ、苦痛に顔を歪めて真里子を睨んだ。その形相に真里子は震え上がった。

「ちょ…それ…危な…」

左手で傷口を押さえたまま、浅田は真里子の持ったカッターナイフの方に手を伸ばした。

血を流しながら小刻みに震える太い腕と大きな手の平が自分に向かって伸びてきた時、真里子は再び悲鳴を上げてカッターナイフを振り上げた。

「があっ」

浅田はケモノのように吠えて、右手を抱え込むような体勢でうずくまった。

腕の切り傷からは止めどなく血が溢れ出し、雨に交じって肘から滴り落ちる。浅田は痙攣する右手の手首を左手で押さえ、傷口を見た。

手の平がぱっくりと割れて、赤黒い肉を晒し、ぬるりとした血が掌から右腕を真っ赤に染めた。

浅田はしばらくの間、強く掴んだ右手首を抱え込むようにうずくまっていたが、突然、真里子の方に飛びかかるような体勢でガバッと立ち上がった。

「この…っ!」

恐ろしい形相だった。

―――殺される。

真里子の頭の中に、今までのストーカー殺人事件の顛末が目まぐるしく浮かんだ。

―――死にたくない。殺されてたまるもんか。あたしは悪くない。なんでストーカーなんかに殺されなきゃならないの。絶対、こんな奴に殺されてたまるか。

飛びかからんばかりの勢いで立ち上がった浅田に向かって、真里子は再びカッターナイフを振り回した。

必死だった。怖くて目を開けられない。

でも、これを振り回していたら浅田だってあたしに近づけないはず。

こっちにこないで、何もしないで。殺さないで。

死にたくない。死にたくない。あたしは死にたくない。

「がっ」「うおっ」「うぐ」

何度も何度もケダモノの呻くような声がして、ただただ怖い。

何も考えられない。とにかく死にたくない。手を止めたら殺られる。

しばらくすると、声がしなくなって、目の前に立っているはずの浅田の気配が消えた。

手を止めて、恐る恐る目を開けると視界から浅田の姿が消えていた。

足元を見ると、全身を血に染めた浅田が仰向けに倒れていた。

雨に打たれた体躯から赤い流れが幾筋もできていた。

投げ出された両腕も、熊の手みたいに大きな手の平も、頬も、額も、首も、どこもかも、赤黒く割れた深い谷が出来ていて、そこから血がいつまでも流れ出している。

白いシャツが左肩口から右脇にかけて大きく裂けていて、その下にも赤黒い谷がぱっくりと口を開け、止めどなく血を溢れさせていた。

浅田はピクリとも動かない。

―――何これ。何がどうなったの。

―――そうか。勝ったんだ。あたしは浅田に勝った。もう殺される心配はない。付きまとわれずに済む。ストーカーめ、ざまあ見ろ。

          ◇◇◇◇◇

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その時、雨の中で立ち尽くす真里子を後ろから車のヘッドライトが照らした。

眩い光の中で黒いシルエットになった真里子が振り返ると、音もなく赤い回転灯を回したパトカーが真里子の後ろで停まった。

カッターナイフを握った手をぶらりと下げて、真里子はぼんやりと薄笑いを浮かべながら再び足元の男に視線を落とした。

パトカーから降りてきた警官の一人が慌ただしく真里子に駆け寄る。そして真里子の足元に倒れた男を見ると、すぐに踵を返してパトカーに戻った。

救急車が配備され、周囲が騒然となる。別の警官がすぐ横で何かがなっていたが真里子の耳には届いていないようだった。

その警官は真里子の手からもぎ取ったカッターナイフをビニール袋に入れ、真里子に手錠をかけて上着で覆い隠し、その頭を押さえつけるようにしてパトカーの後部座席に押し込んだ。

その間も真里子はただ薄笑いを浮かべて「勝った…勝った…」とうわ言のように呟いていた。

浅田の体はストレッチャーに乗せられ、頭からシーツをかぶせられて救急車の中に運ばれていった。

現場は残った警官たちが野次馬を追い払って黄色いテープで囲い、何人かの制服警官を周囲に立たせた。

それ以上何の動きもなくなると、野次馬たちは三々五々に散っていった。

   【ストーカー事件:B面に続く】

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坂東英土さま
【怖い】ありがとうございました。

CHE.R.RYさま
【怖い】ありがとうございました。

怖がりな怖話好き さま
【怖い】ありがとうございました。

uniまにゃ~さま
【怖い】&コメントありがとうございます。

女友達って、本音で付き合える気の置けない人もいるけど、
建て前と社交辞令ばっかりの、裏表ありまくりの人って割りといません?
私も一応、女の端くれなんですが、女って怖いよなあ…と思います。

お仕事、頑張ってくださいね。バレませんように(祈)

煽る友達が怪しい(-"-)続きが気になって仕事中に読んでいます。同僚に怪しまれながらコメントしている私に神のご加護を…ちーーーん

にな様
【怖い】ありがとうございました。

忍冬さま
【怖い】ありがとうございました。

園長さま
【怖い】&コメントありがとうございました。

あまのじゃくな私は、むしろB面から読んで悔やんでしまいました。
やっぱりA面から読むべきでした。
確かに物事には別の面が存在し、どっちが優位ということはないのでしょう。
しかし、お話として考えるとA面(問い)があってB面(オチ)あるという順番が大事ですね。
とにかく面白かったです、なんか私もストーカー物書きたくなりました。