長編8
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排水口の声

「はぁっ」

和歌子は久しぶりに草刈機を手に、溜息をついた。

夏の草は暴力的な緑で、刺々しく目にしみる。

朝早くに起きたつもりだったが、夏の日の出は早い。

つい1ヶ月前に、刈り取ったはずの草はもう膝丈くらいまで伸びていた。

「早すぎるでしょ。」

一人、愚痴をこぼす。

憧れの田舎暮らしから、2ヶ月が経っていた。

綺麗に整地され、広々としたこの土地、そして山々の緑に囲まれたこの土地を一目見て、即決したのだ。

広大な土地にもかかわらず、一桁違うほど、土地の値段が安かった。

いくら田舎とは言え、不安になるくらい安かったのだ。

夫婦二人なので、少し小ぢんまりした家を建て、広大な庭は芝生で埋め尽くした。

主人のたっての希望だった。ゴルフの練習ができる庭。

庭の隅には花壇を作った。

夫婦の夢がすべて叶ったはずだった。

和歌子を一番この土地に惹きつけたものは、ここには我が家一軒だけ。

近所には全く家が無かった。

かなり里に下りなければ、5km範囲に全く民家というものが無かった。

和歌子はご近所付き合いという人間関係に疲れていた。

ここへ越してくる前は、マンモス団地に住んでおり、自治会だのの役員をいつも押し付けられ、

うまく立ち回らなければ、いろいろ陰口を叩かれた。

あっちを立てれば、こちらが立たず。常に揉め事の渦中に放り込まれて、解決できなければ、

どちらからも非難を浴びる。もうウンザリだった。

そんな時、郵便ポストに入っていたチラシに釘付けになった。

この土地なら、うちでも買える!

思い立って、なんとか主人を説得して、現地に赴き、夫婦二人とも納得しての購入だった。

確かに最初は、煩わしい人間関係から解放され、夢のようだった。

月々の支払いは厳しいけど、念願のマイホームを手に入れたのだ。

ところが、いざ住んでみると、都会とは言わないが、便利な立地の団地住まいに慣れていた和歌子にとって、だんだんと、田舎住まいがどういうことか、身にしみてわかってきた。

まず、買い物。マイカーが1台しかないので、1週間分、主人の休みにまとめ買いをしなくてはならなくなった。ちょっと、買い忘れたと言っても、里までは5km、スーパーまではそれ以上歩かねばならない。自転車では、行きは良いが、帰りは上り坂なのできつい。

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しかも、望んだはずの静けさに、どうしようもない寂しさを覚えた。喧騒の中、育ってきた和歌子にとって、この静けさは初めて体験するものであり、恐怖すら感じたのだ。

もし、こんなところで急に主人の居ない時に、病気で倒れたりしたら。そう考えると不安でならなかった。

もちろん、病院へ行くのもままならない。健康で居るしかないのだ。

それと、この自然の力強さ。最初は自然に憧れて、この地に住むことを決意したのに、

和歌子はあまりの自然の力強さに、圧倒されていた。

それがこの庭一面の雑草だ。

綺麗な芝生だった庭は、すぐにあっという間に雑草が生い茂る。虫も恐怖だ。

網戸をしていないと、夜、てきめんいろんな虫が入ってくるし、カーテンを開けて、網戸だけにしておくと、

網戸にはわけのわからない虫がびっしりと張り付くのだ。和歌子は大の虫嫌いだった。

はっきり言って、田舎の暮らしをナメていた。

和歌子は、草刈機のスターターの紐を思いっきり引き、エンジンをかけた。

こんな広大な土地、これでもなければやっていけない。

主人に無理を言って、高額な草刈機を買ってもらったのだ。

バリバリと刈られた草が、容赦なくあたりに飛び散る。

あとでこれを一人でまたかき集めなければならないのだ。

いったいこの夏、どれだけの回数こなさなければならないんだろう。

そう思うと和歌子は気が重かった。

広大な庭の草刈を終えると、和歌子は全身汗でびっしょりになっていた。

和歌子は、刈り取った草を一箇所に集め、草刈機をしまうと、風呂場に向かった。

脱衣所で全てを脱ぎ、洗濯機に放り込んで、スイッチを入れ、その間にシャワーを浴びた。

髪の毛を洗っている途中で、和歌子は足元に違和感を感じ、足元を見た。

排水口から水が溢れて、和歌子のかかと半分あたりまで流した水が溜まっていた。

「うそ、詰まってる?いやだぁ。」

どんどん溜まって行く水に戸惑い、早々にシャワーを切り上げ、排水口の蓋を開けて覗いた。

おかしいわね。お風呂使うたびに、毎日髪の毛取ってるのに。少しずつ流れてるのかしら。

和歌子は怪訝に思いながら浴室を後にした。

主人が帰ってきたら見てもらおう。

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その夜、主人が帰ってきて、夕食を並べながら和歌子は、あとで排水口を見て欲しいと頼んだ。

「ホントだなあ、詰まってる。何か流した覚えは?」

和歌子は首を横に振って否定した。

細いワイヤーを突っ込んでみたら、ごぼり、と音を立てて、少しだけ水が引いた。

「まあ、少しずつだけど、抜けるだろう。明日、パイプ洗浄剤を買ってくるよ。」

と主人は言った。

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その夜、和歌子は異常な音で目がさめた。

カリカリカリカリカリカリカリ。

何、この音。どうやら天井から音がするようだ。

なにやら小さなモノが走るような様子。

嘘、ネズミ?和歌子はぞっとした。

もう、これだから、田舎はいやよ。虫は出るし、ネズミは入ってくるし。

そう思って、ふと自分が望んで田舎に越して来たことに気付き、溜息をついた。

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「・・たい。・・・・いたいよ。」

小さく呟くような声に、和歌子はベッドから飛び起きた。

な、なに?

その後はシクシクと女が泣くような声がした。

「注射は・・・しないで。」

今度ははっきりとした言葉で聞こえた。

和歌子は全身に悪寒が走り、声も出なかった。

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和歌子は、枕元のスタンドの電気をつけた。

ぼんやりと壁やドアが映し出された。

「だれ?誰かいるのっ?」

恐る恐る声に出してみたが、そこには誰も居なかった。

どうやら、声は下のほうから聞こえるようだ。

「なんだ?どうした?」

和歌子の声に主人が目を覚ました。

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「今、何か声がしたの。女の声が。」

主人は眠い目をこすりながら体を起こす。

「声?俺は聞こえなかったけど。」

「そりゃそうでしょ。ぐっすり寝てたもの。」

「気のせいじゃないのか?」

「だって、本当に聞こえたんだもの。」

「なんか怖い夢でも見たんだろ。」

主人はそう言って笑った。

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「あなた、怖いから一緒に見に行ってよ。」

主人に無理を言って、電気をつけて、家の中全てを点検したが誰も居なかった。

「気のせいだよ。疲れてるんだろ。寝よう。」

主人は、そう言うと布団に入ってしまった。

和歌子はあの声が耳に残って、一睡もできなかった。

何なの、あの声は。

言いようの無い恐怖に支配された。

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その次の日、和歌子はシャワーが使えないので、汗をかかないように、

一日中家の中でエアコンを入れて静かに過ごした。

まだ完璧に水が抜けてなかったのだ。

変なものを流した記憶はないんだけど。

主人がパイプ洗浄剤とワイヤーブラシを買って帰ってきたので早速和歌子は、お風呂のパイプ掃除に取り掛かった。

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お風呂の排水口の蓋を開けると、ムッと嫌な臭いが立ち込めてきた。

あまりの悪臭に和歌子は吐きそうになった。和歌子が排水講を覗き込むと、

「たす・・けて」

とかすかに聞こえたような気がして、その場に固まってしまった。

排水口の中から聞こえた。

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嘘、まただわ。和歌子は恐怖に怯えた。

だが、それっきり、声は聞こえなかった。

きっと空耳よ。昨日のことだって、もしかしたら寝ぼけてたのかもしれないし。

和歌子は恐怖を打ち消すように、粘性の高い透明な液体のパイプ洗浄剤を排水口に流し込んだ。

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「グギーーーーーーーー!」

突然排水口の中から奇妙な音とも鳴き声ともわからないものが、家中に響き渡った。

な、何っ?和歌子はあまりのことに、パニックになり心臓が止まりそうなほど驚いた。

「なんだなんだ、今の音は。」

主人もびっくりして、飛んで来た。

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「パイプ洗浄剤を入れたら、排水口から、変な音が・・・。」

驚いて、濡れた洗い場にしりもちをついている和歌子が震える声で言った。

主人が、排水口を覗く。真っ暗な穴の中は何も見えない。

「動物でも居たのかな。ちょっと懐中電灯持ってくるわ。」

そう言うと、すぐに懐中電灯とワイヤーブラシを持って戻ってきた。

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「うーん、何も居る様子はないなあ。」

そう言うと、長いワイヤーの先にブラシがついたものを排水口に突っ込んで

ごそごそと探り始めた。

「うん?なんか当たった。」

ワイヤーブラシをぐるぐると回す。

手ごたえがあったようで、主人が奥深く突っ込んだワイヤーを引き上げた。

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ズルリ。

何か丸いものが排水口から出てきた。これが原因だったのか。

なんだかぶよぶよして気持ち悪い。

「なんなの?これ。」

和歌子がそう言ったとたん、その丸いものがゴロンと転がった。

「キャーーーーーー!」

和歌子は絶叫した。

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それは、白濁した眼球だった。

主人も驚きのあまり、声も出なかった。

ズルリ、ズルリ。

眼球はまるで生き物のように、のたくった。

二人は脱兎のごとく、浴室の外に飛び出そうとした。

すると、ドアがピシャンと閉まり、閉じ込められてしまった。

いくら鍵を解除しても中折れのドアはビクともしない。

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はぁはぁはぁはぁはぁ。

獣の臭いが浴室内に充満した。

はぁはぁはぁはぁはぁ。

小さな獣のかすかな息遣い。

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ユニットバスなので、窓が無い。

主人がずっと、ドアに体当たりをしている。

その間にも、目玉はズルリズルリと和歌子に近づく。

「ぐぎゃーぐぎょー、ぷぎゃー、ぷきゃー、こけーっ!」

いろんな動物の断末魔のような声が浴室中に響いた。

和歌子はおぞましさに耳を塞いだ。

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「ばんっ!」

大きな音と共に、浴室のドアが壊れて開いた。

二人は転がるように、浴室の外に出た。

ごぼり。

ごぼごぼごぼごぼ。

ぶく、ぶくぶくぶくぶくぶく。

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排水口から、黒いとも赤いともなんとも言えない液体が、浴室中に溢れてきた。

その臭いは強烈で、排水口から沸きだした物はまるで、臓物のようだった。

「なんなの?なんなのよ。」

和歌子は嗚咽していた。

主人は、今見ているものが信じられなかった。

赤黒い液体の中から、またあの白濁した目玉がぎょろりと二人を見たのだ。

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二人はとりあえず、主人の実家に身を寄せた。

実家の両親は何があったのかと、しきりにたずねたが、本当のことを言って

信じてもらえるはずがない。

二人はあの家を手放すことにした。

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数ヵ月後、和歌子はあの土地のことを主人の実家の近所の生き字引のような、

おばあさんに聞くことになる。

「あそこはな、昔、製薬会社があってな。毎日新薬の実験にと、動物で実験をしておった。

まあ、殺生なことに、死んだ動物の数は知れんな。」

新しい家なのに、小動物が駆けるような音がしたのはその所為か?

「あまりいい噂は聞かなんだな。」

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「悪い噂でもあったんですか?」

和歌子が聞くと、おばあさんは聞こえなかったのか、答えなかった。

そう、あの目は、確かに小動物などではなかったのだ。

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>絶望様
怖い、いただきありがとうございます。詰まった時に、溢れたものが溜まったりしたら、どうしようもなく嫌な気分になりますよね。

うちの排水溝は、つまりやすいので恐怖しました

>くぬるぷ様
怖いをいただき、ありがとうございます。この話は、以前住んでいた所で引っ越して早々に洗面所の配水管が詰まっていて、いくら掃除したりパイプ洗浄剤を入れたりしてもダメだったので、配水管を外して見てもらったときに、前の住人の方の長い髪の毛が大量に、ズルリと蛇のように固まって出てきたのを思い出して書きました。はっきり言ってこの話より怖かったです。

くっそ怖い(笑)
すごい発想ですね…。うちの排水溝からもなんかでてきそうで怖いです。
よもつひらさかさんのお話、楽しませてもらっております。
ちなみにこのお話は、どんなときに思いついたんですか?(^_^;

>来道様
怖い、ありがとうございます。人間関係ってホント疲れるけど、無いは無いで困ることもありそうですね。

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