長編10
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蝋の華

*この話しには、全編がございます。

「病院の食堂」を御読みいただくと、話しが繋がります。

◇◇

父が再入院することになりました。腰部の骨折というのは完治が難しいらしく、騙し騙し生活していた父も、日毎強みを増す鈍痛に遂に根を上げ、会社を退職し治療に専念する覚悟を固めたのです。

昭和の最後の秋でした。

◇◇◇◇

私が出勤する時に、父は居間で

「今日から入院だから」

と朝食のパンを貪っていました。

「そう」

特に深刻な病気で入院する訳でもなく、至って暢気な挨拶を交わし私は家を後にしました。

職場の休憩の際に上司から、勤務後に一杯付き合えよと誘われましたが、父が入院する事、色々と身の廻りの物を届けてやりたいので、折角ですが…と断りました。

容体や具合などを社交辞令的に聞かれた後

「で、何処の病院よ?」

と尋ねられ、そこで漸く気が付きました。

主治医が同じ以上、入院する病院も当然同じ。

そう…

あの病院であることを、否応にも再確認させられた瞬間でした。

◇◇◇◇

母は運転免許を持たない人でしたから、私が細々としながらも結構嵩張る入院グッズを自家用車で運びました。

その「巨塔」は10年が経った今も相変わらずの風貌を湛え、そびえ立っていました。

少年の頃と変わらない陰鬱な廊下、窒息しそうな程圧迫感のある、やけに低い天井。幾度となく塗り直したであろう壁。

外観だけでなく、内装までも当時のままでした。

父は、夕食後の怠惰な時間を、病室の自分のベッドの上で肘まくらをしてTVを観て口角を緩めていました。

ごく義務的な会話を二、三交わしただけで、日頃から見飽きた顔を眺めていても仕方ないので、早々に引き上げようとした時に父がおもむろに話し始めました。

「懐かしい姉チャン、おるで。おまえがチビの時に准看やった、あのお姉チャンな、まだココで勤めとるで」

「誰の事、言うとるねん。そんなもん、とっくに忘れてもとるわ」

「今日は、もう、帰ったんちゃうか。そのうち会えるやろ」

正直、忘れていました。

というよりかは、思い出さない様に自分の記憶を封印してしまっていたのかもしれません。あの『食堂』のおぞましい光景も。

「つまらんわ。また来るから」

そう言い放つと、踵を返し病室を後にしました。

そんな話しを聞いてしまったからかは判りませんが、階段や踊り場。古ぼけたエレベーター。どれを見ても、あの頃のまま、何一つ変わっていない病棟が、そのままあの頃に逆戻りしたかの様な錯覚を覚えたのでした。

そして、あの頃地下1階の『食堂』。

恥ずかしい話ですが、その日は怖くて、まだ存在するのか否か、確かめに行く勇気はありませんでした。

◇◇◇◇

その再会は、意外にも早く訪れました。

いよいよ明日の午前中に手術という夕方、私は母と一緒に父の病室に居ました。手術の為の家族の同意書や確認書やと提出しなければならない書類を揃え、概要を説明する為に医師と一緒に現れたその人こそ、あの『看護婦さん』でした。

父の目配せで、それは確信となりました。

見覚えのある医師は、私の事を全く覚えていなかったのか、それとも興味もないのでしょうか、そっけない態度でしたが、その人はチラチラと私を見ていました。医師のいる手前、余計な私語は控えていたのでしょうか、病室から出て行く際、おもむろににこちらを振り向き、確実に私と眼を合わせて、そのまま廊下の向こうに消えていきました。

母が席を外すや否や「な?」と云わんばかりの流し目で、父は私を見ていました。

あの眼は、私を憶えている?

まあ、憶えていたとしても、特に不思議ではないのですが。

特異な経緯だけに、心の底から歓迎出来る再会ではありませんでした…

◇◇◇◇

手術は、一応は成功したのでしょう。暫くはベッドから起き上がれないということで、母と私は交互に父の見舞に通っていました。

とはいえ、私は勤務後の1〜2時間顔を出す程度しかできませんでしたが。

正直、私はあの人と合わないことを願っていました。会うと何かを云われそうな漠然とした不安と、言い知れぬ悪寒を覚えていました。

詰所の前を行きすぎる度、あの人がいないことを願い、両の眼だけであの人を探しました。いつもいつも。

その日は珍しく仕事が定時で終了し、朝から付きっ切りであろう母を一刻も早く解放してあげたいという気持ちで渋滞の市内を病院へと疾りました。

独特の香りというか匂いというか…病院の夕食時でした。ブツクサと文句をいいながらも完食する父。図にのって、「筋肉つけるにはな、ホルモン喰わんとアカンそうや」等と注文をつける有様でした。

口だけは達者ですが、配膳、下膳すら誰かに頼るしかない現実を見よ!

表情に思い切り、そうな浮かべながら下膳用のワゴンへ父のお膳を返しに廊下へ出た、その時でした。

「おおぅっと!」

私の右側から、フイに誰かがぶつかった…

筈でした。

しかし衝撃はおろか、私の周囲には誰もいませんでした。

確かに直前まで迫る顔があったのです。表情までは判りませんでしたが、両眼が、私のすぐ眼の前にあったのです。

気のせいなのか・・・?疲れているんだろうか?単なる思い過ごしか?

私は、自分自身に言い聞かせる事に決めました。速る鼓動だけが、耳の奥でドクンドクンと今にも飛び出てきそうな勢いでした。

◇◇◇◇

それからというもの、不可解な事が身の廻りで起き出しました。尤も、病院に見舞いに来ている時にだけ起こるのですが。

まず、私はよく躓くようになりました。平坦な廊下を普通に歩いているだけなのですが、一度なんか派手に転倒してしまいました。

父に話しても茶化すだけで、マトモに取り合ってもくれません。

そして更には視界の端で『影のようなモノ』が、スッと行き交う様になりました。気付くか気付かないか、ホンの一瞬なのですが、何気無い拍子に現れるのです。

また、ある夕方、父が誤まって掴み損ねた

『孫の手』をベッド脇に落としてしまいました。隣の患者さんに頭を下げながら狭いスペースに入り屈んで『孫の手』を拾い上げようとして何気にベッドの下を覗き見たのがいけませんでした。

ベッドの対面に、誰か立っています。細い白い脚でしたから、てっきり看護婦さんだと思いました。小さな掛け声と共に身を起こしてそちらを見ると、誰もいません。

「あれ?」

「なんやい?」

「誰か居た?」

「はあ?寝ぼけとんかい。」

お前、大丈夫か?といわんばかりの怪訝そうな表情で、父に繁々と見詰められました。

暫くは、仕事場から病院へ直行し、夜半に帰宅するという日が続いていたので、きっと疲れているんだ。

だからコケたり、居もしないモノが見えた気がするんだ…

自分に無理に納得させました。

「コーラ買って来い。」

小銭入れをちらつかせ、父が遣いたてました。

「お前も、好きなん買って来い。おごりや。」

当たり前だ。日頃の献身的な見舞いにもっと感謝しろ!

相変わらず、表情にそう浮かべて無言で病室を飛び出していきました。

◇◇◇◇

玄関から外を見て愕然としました。怪しかった空は案の定、本降りの雨と変わっていたのでした。

地下の自販機は昔の記憶からして、行きたくありませんでした。私は、病院の道向にあるパン屋の自販機で事を済ませようとしていたのですが、道中びしょ濡れになる根性もなく、仕方なく地下の自販機に向かう事にしました。

何も起こらないことを祈りながら、地階へ延びる階段を目指しました。

当時のままと云えばそうなのでしょうが、私も成長したのでしょうか。決心を鈍らせた心の迷いとは裏腹に、地下は何でもありませんでした。あの頃、あの日と同じく陰々とした廊下の先に、一際明るい自販機の照明が浮かび上がっています。

売店はありましたが、既にその日の営業は終了しており、あの『食堂』前の自販機に歩を進めて行きます。

しかし、かつて『食堂』のあった処は、分厚い壁へと変貌していました。記憶違いかも知れないと思い少し足を延ばして通路を進みましたが、薄暗い廊下の向こうには、無機質な鉄の扉があるだけで、両の壁の何処を見ても『食堂』らしき空間は見付けられませんでした。

一気に安堵感が湧き、意気揚々とコーラを2本自販機で購入し、病室へ戻ろうと、来た道をボチボチと歩いていました。

「…ちょっと。」

地上階で背後から不意に呼び止められ、その場から動けなくなりました。例の看護婦さんが、階段下から見上げる様に、そこに立っていたのです。

「ああ…。オヤジのパシリで…」

言い終わらないうちに

「話しせんとアカンこと、あるんやけど。」

真顔で遮られました。

「何です?。」

「ここでは云えん。チョット時間くれるか?。5階の面会室で待ってるから。」

そういい放ち、足早にその場を後にしたのでした。

◇◇◇◇

面会室とは、俗にいう喫煙所みたいなものです。私が到着した時、看護婦さんは煙を燻らせ、一服していました。

無言で私にもタバコをすすめ、マイルドセブンライトの包みを差し出しました。

「自分の、ありますから。」

咥えたタバコに火を着けながら、粗末なベンチに腰を下ろし、少しビクつきなが尋ねました。

「で、話って何です?」

「まあ、そう焦りなや。」

折角のタバコの邪魔をするなと言わんばかりに、天井に向かって煙を吹き付けていました。

もどかしさもありましたが、懐かしさも覚えたので、暫く話ができると思うと、気持ちに余裕も生まれてきた気がしました。

看護婦さんは、白々し気に父の容体や近況を聞いてきました。自分の方が医学的にも詳しい筈なのに。あれから元気にしていたのか?だの、何歳になったのかだの、ごく当たり障りの無い会話が暫く続きましたが、唐突に聞かれた言葉で、地下での迎合を否応なしに思い起こさせられました。

「あのな。何か変な事、起きてないか?アンタの身の廻りでや。」

「・・・。」

言葉に詰まりましたが、一連の不可思議な出来事を全て打ち明けました。

看護婦さんは腕を組んだまま、ジッと聞いていましたが意を決した様に立ち上がると私の眼を見ずに話し始めました。

「大体わかった。何とかしよう。この位で済んでいるうちにな。」

そう言って、明後日のこの時間に、この場所に来て欲しい。自宅の仏壇から、ロウソクを3本借りて来て欲しい。父には、内緒にしておくこと。また、誰にも他言しないこと。

そんな感じでまくし立て、

「じゃあ。」

と面会室を出て行ったのでした。

◇◇◇◇

夕食も済み、長すぎる病院の夜が始まろうとしていました。

私は父に、今日はこれで帰ると告げ、例の面会室で看護婦さんを待ちました。程なくして、看護婦さんがやってきました。ガラス越しに「こっち、こっち」と指と顎で合図し、私はそれに従いました。

やってきたのは、病院の屋上でした。当時は患者の洗濯物は屋上で干していたので、誰でも容易に屋上に上がれました。東屋風のベンチセットもありましたし、今程厳重な管理はされていませんでした。

「ロウソク、貸して。」

早速、何を始める気だ?

看護婦さんは、地べたにロウソクを3本束ねる形で立て、その全てに火を付けようとライターをあてがい

「何を見てもビビらんように。」

と言って、ロウソクに着火しました。

時間にして、ものの十秒程だったと思います。ロウは瞬く間に溶け、屋上の地面にある紋様が出来上がりました。

それが何の形であるかは、私にも直ぐに理解できました。

花弁。菊の文様の花弁でした。

まるで盂蘭盆の時にお供えするハクセンコウのような、そんな花の形にロウは納まったのです。

それを徐に拾い上げ、私に差し出し、今回は私の眼を真っ直ぐに見詰めなが話し始めるのでした。

「アンタには、良くないものを寄せ付ける何かがあるの。チビの頃に見た食堂もそう。みんな、アンタに気付いて欲しいと思っているの。でも、アンタには其れ等を見るチカラがない。いや、ないというより薄いの。」

一体、何をいっているんだ、この人は…?

言葉のニュアンスから、『良くないもの』が何なのか、大体の察しはついたのですが、それを確かめようとする私を遮り、再び

話し始めました。

「おそらくこのまま放っておいたら、どんどん良くないものがついて来てしまう。コレは一種の御守りや。ここ(病院)に来る時は、必ず持ってくること。それを持ってると除けなアカンものが見えるはずや。ええな?見えても絶対に関わったらアカンよ。」

私は圧倒されて呆然としていましたが、どうしても『良くないもの』が何であるか、確かめずには居られず意を決して震える口を開きました。

「良くないものって、何。」

「見えたらアカンものや。それ以上知らん方がええ。」

それが看護婦さんの答えでした。

◇◇◇◇

お陰で、出来れば見えては欲しくない様々なモノが見える様になりました。

落ち武者。

壁から伸びる腕。

首のないヒト?

地面に這いつくばる赤児。

見えるだけで、それ以上の危害は何もないのですが、実に色々と不可解なモノがこの病院には存在していました。

ある時など、

「今、何時ですか?」と訊ねる血塗れの女性なども居ました。思わず答えそうになりましたが、恐怖の方が先に立ってしまい硬直しましたけれど。

その後暫くして、父は歩行器、松葉杖を経てリハビリを開始する程まで回復し、次第に母も私も病院を訪れる回数が減って行きました。

耐性がついたと云えば大袈裟なのでしょうが、父が退院する頃には、何を見ても然程驚かなくなりました。繰り返す様ですが、見ても決して気持ちの良いモノではありませんでしたが。

年が変わり、長きに渡った父の入院生活も、無事退院をもって終わりを迎えました。出来れば、この病院とはこれきりのご縁であって欲しいと思いました。

例の「菊の花」は、父の退院する朝、屋上のあの場所に返しておきました。

それ以来、奇妙なモノを見る事もなく、現在に至ります。どうやら、限定的な能力だった様です。

結局、その看護婦さんに御礼を言うこともできないまま、私達は病院を後にしたのでした。

◇◇◇◇

そんなこともすっかり忘れ掛けていたある日。ふと思い出して、ロウソクで花が作れるのか、再現してみようと思いました。

結果、

何度やってもロウは燃えてなくなるばかりで、花の形になるどころか、決して塊にさえなりませんでした。

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