薙畏悪罹羅倒葬手腐【境】(終)

長編31
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薙畏悪罹羅倒葬手腐【境】(終)

~【表】と【裏】の【境】の話~

ーーーーーーーーーーーーーー

学校という名の学び舎。

生活するに必要な技術や知識を勉学の形で学ぶ場所。

そして、他人との関わり方・繋がり方…集団が作る社会性の価値を学ぶ場所。

学び舎に鳴る朝のホームルームのチャイムが、その役割の始まりを告げる。

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<彼>

チャイムの鳴る五分前。

俺は教室に足を踏み入れ、息を乱しながら席につく。

いつもの俺なら、時間に余裕を持って登校するので、こんな遅刻寸前になる事はない。

だが、今朝は目覚し時計のアラームを仕掛け忘れてしまったらしい。

昨夜、夜更かしをしてしまっただろうか…。

眠気のせいか、記憶が曖昧であり、昨晩の事が思い出せない。

…まあいい。遅刻は免れたのだ。

俺は、気を取り直し、授業に備え鞄の中の教科書やノートを机に移す。

と、俺の鞄の中に、見覚えの無いノートが一冊ある事に気付いた。

…誰のだろう?

授業中にクラスメイトのノートが紛れ込んでしまったのだろうか?

俺は何気無くノートを開いてみる。

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⚪︎月⚪︎日

Bにパンを買って来いと命令され、購買でパンを買い、Bに渡した。

お金は僕が払った。

Bに逆らえば、殴られる。

痛いのは嫌だ。

だが、僕は殴られた。

何がいけなかったのだろうか。

理由などないのだろう。

きっと、他人かは暴力を受けるような理由が僕にあったのだ。

鼻の奥から喉に流れるヌルリとした血の感触が、気持ち悪い。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<彼>

なんだ? この文章は?

イジメ?

気持ち悪い内容だ。

日付が入っているから、おそらくこのノートは、日記なのだろう。

なぜ、こんなものが俺の鞄に紛れ込んだのだろうか?

その時、ホームルームを始める為のチャイムが教室に鳴り響く。

俺は、とりあえずノート…いや、誰かの日記を鞄に入れた。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<彼>

寝不足のせいか、授業が始まっても俺の頭はスッキリせず、俺はボンヤリと教壇の教師が喋る光景を見ていた。

教師の言葉は耳に入ってこない。

「おい、ボンヤリしてるんじゃない。ここはテストに出るぞ!」

教師の叱咤が飛ぶ。

やばい! 怒られた!

俺は一瞬ビクリとし、背筋を伸ばす。

だが、教師の言葉は、俺に向けてではなく、俺の斜め向かいの席にいる女子生徒に向けて放たれたものだった。

声に驚いた女子生徒の背筋がピンと伸びる。その勢いで、女子生徒の長い黒髪がフワリと波を立てた。

「す、すみません…。」

怒られた女子生徒は、席を立ち小さな声で謝りながら教師に頭を下げる。

俺と同じく、寝不足なのかな?

ちょっとしたシンパシーを感じ、俺は誰にも見つからないよう微笑んだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<彼>

夕方。

授業も終わり、掃除当番だった俺は、教師のゴミ箱のゴミを片付けていた。

俺は、ゴミを袋に詰め込みながら、ふと周囲を見渡した。

と、一人の女子生徒に目が止まる。

先程、授業中に教師から注意を受けた彼女だ。

だが、奇妙な事に彼女は、机を持ち上げようとした姿勢のまま、動きを止めていた。

いや。動きを止めているというより、目の前にある机を凝視したまま固まっているかのようだった。

…どうしたんだろう?

俺がそう思った直後、彼女は再び動き出した。

そして、周囲をキョロキョロと見渡している。

いったい、何をしているんだ?

彼女の視線が、俺に向く。

一瞬、俺と彼女の視線が交わった。

俺は気恥ずかしさを感じ、急いで目を逸らした。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<彼女>

学校に登校し、いつものように、顔見知りのクラスメイトに挨拶をする。

「おはよー。」

「あ、おはよ!」

「昨日のあのドラマ、見たー?」

「あー、見た見た。やっぱりかっこいいよねー。」

「うんうん、解る解る。私、テレビ見ながらキュンキュンしちゃった!」

特別仲良しでも無いクラスメイトとの何気無い会話。

そんなやり取りをしながら、私は席に着く。

まるで、普通の会話。それが作り出す日常。

いや。

会話というより、挨拶だ。

日常というより、習慣だ。

中身の無い、お決まりの関わり。

紋切り型のやりとり。

もし仮に私がテープレコーダーだったとしても成立するかもしれない関係。

でも、それが『普通に過ごす』、という事なんだろう。

…なんで私は、こんな事を考えているのだろうか。

それには理由があった。

今、私はこのクラスに何か違和感を感じている。

何かが足りない。

普段なら取るに足りないようなものなのかもしれないが、今、この空間に何かが足りない。

でも、それがなんだか、解らない。

そんな普通では無い違和感を、私は感じていた。

だから、普段なら意識する事も無い『普通』という感覚に鋭敏になってしまっているのかもしれない。

…普通とは、なんなのだろうか?

…私は、普通なんだろうか?

授業を受けながら、私は、そんな事をボンヤリ考えていた。

テストの成績も中程。

運動神経も特に秀でているわけではない。

クラスでも目立つ存在ではない。

優れたリーダーシップを持つわけでも、秀でた能力が有るわけでもない。

普通の女子。

それが、自分だ。

…では、私は、なんで、さっき感じた『意味の無い会話』を毎日繰り返し行っているのだろうか?

考えるまでも無い。

当たり前だからだ。

それが社会性。

集団に属する、という事だからだ。

当たり前のやり取りを、一人飛び出すでも無く、卒無くこなす。

それが社会性であり、集団の中で過ごす為の術だ。

私は、平凡な、普通の一般人。

そう思い、集団が作り出すルールに則って過ごす。

それが平穏な生活に繋がるのだ。

少し前、変わり者の男子生徒が殴られている光景を見た。

誰だかは覚えていないが、あんな風に集団から弾かれるぐらいなら、私は普通でいい。

片手でペンを弄びながら、そんな取り止めの無い想像をしていた時、

「おい、ボンヤリしてるんじゃない。ここはテストに出るぞ!」

教師の中に、教師の叱咤が飛ぶ。

やばい。授業中だった。

私は一瞬ビクリとし、背筋を伸ばすと、

「す、すみません…。」

と壇上の教師に謝る。

…こんなやり取りも、私が普通の人間である事の証明なのだろう…。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<彼女>

夕方。

掃除当番だった私は、教室の掃除をしていた。

生徒の机を抱え、教室の隅へ運んでいた時。

抱えこんだ机の表面に、文字が掘られているのを見つけた。

斬れ味の悪い彫刻刀で無理矢理刻み込まれたかのようなその文字はささくれだっていて読み辛い。

私は、何が書いてあるのか、その文字らしきものを凝視した。

[薙畏悪罹羅倒葬手腐]

机には、そう刻まれていた。

なんだこれは?

まったく意味の解らない漢字の羅列。読み方すらも解らない。

だが、私は、その文字の羅列に、何か、特別な感覚を抱いた。

…これは、普通じゃない。

私の中にある違和感が、そう告げていた。

この机の持ち主は、Cという男子生徒だ。

私はCを探し教室を見渡す。

だが既にCの姿は、教室には無かった…。

周囲を見渡していた私は、教室の隅でゴミを片付けている男子生徒と目が合った。

男子生徒は、私の視線に気付き、すぐに目を逸らす。

…彼は確か…。

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<彼>

自宅に戻り、鞄を机に置く。

どうやら両親はまだ帰ってきていないようだ。

俺は、お湯を沸かすと、買い置きしていたカップラーメンに湯を注ぎ、三分待つ。

ラーメンを啜りながら、俺は今日の学校での出来事を思い出す。

彼女は、なんで机を凝視していたのだろうか?

あんな真剣な眼差し、普段は見せない。

俺は、クラスメイトが見せた普段とは違う表情と、彼女との一瞬の視線の交差を思い出し、少しドキドキしていた。

夜。ベッドに寝転びながら。

俺は、日記の持ち主を探し忘れていた事を思い出した。

他人の日記なんて、持っていても良い事なんて少しも無い。

一刻も早く返したい。

…だが、誰のか知らなければ、返しようも無いな。

俺は他人の日記を覗き見る罪悪感を使命感で誤魔化しながら、日記を捲った。

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<日記>

Cに殴られた。

腹を蹴飛ばされた。

苦しい。痛い。悔しい。

Cは、Bから僕を庇ってくれているのかと思っていた。

でも、違うらしい。

僕を蹴飛ばしたCは、笑っていた。見下していた。

なんで、こんな目に合わなきゃいけないんだ。

僕は何もしていない。

ただ大人しくしているだけだ。

言われた通りにしているだけだ。

なのに、なんでこんな思いをしなくちゃいけない!

なんで、こんな可哀想な目に合わなくちゃいけない!

恨みか?

憎しみか?

妬みか?

妬み…。

僕は、妬まれているのか?

だから、殴られるのか?

なんで妬まれているんだ?

きっと、僕は、特別なんだ。

殴られた僕を蔑んだ目で見つめるだけの、他の人とは違う。

僕は、お前らみたいな、その他大勢とは異なる存在なんだ。

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<彼>

俺は日記を閉じる。

この日記の持ち主は、どうやら酷いイジメに合っているようだ。

そして、虐められる理由を探しているようだ。

だが、結局妄想で誤魔化そうとしているらしい。

…嫌なら、逆らえばいいのに。

この日記の持ち主に、俺は全く共感が出来ない。

反面、平穏に学生生活を送れている自身の境遇に、少なからず喜びを感じながら、俺は眠りについた。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<彼女>

私が机に刻まれた文字を見た数日後。

その机を使っていたクラスメイト…Cが…死んだ。

家で急死した、と教師は言っていた。

私は、Cと別段仲が良かったわけではなく、驚きはあったが、然程悲しみを感じる事は無かった。

そういえば、朝のホームルームで教師がクラスメイトの死を伝えた際、教室にいた生徒は動揺していた。

だが何故か午後には、誰もクラスメイトの死に関する話題を話す事は無かった。

私もすぐに気にならなくなった。

だが、

夕方。帰り支度をしている時。

先日掃除中に目が合った男子生徒を再び見た時。

一瞬、私の頭の中に、その彼とCが一緒にいる光景がフラッシュバックする。

私の中に、違和感が形作られた。

その違和感が私に告げる。

『なんで気にならないんだ』と。

仮にもクラスメイトが死んだんだ。

もっと気になってもいい筈なのに。

誰も気にしていない。

私も含めて、だ。

まるで、Cの死を、いや、Cは事を、忘れているかのような状態だ。

これは、普通ではない。

私は、その男子生徒に後ろから声をかけた。

だが、奇妙な事に、何度か名前を読んでも彼は振り向かない。

私は彼の肩に手をやり、軽く引く。

それでやっと、彼は私に気付いたようだ。

突然肩を掴まれた彼は、驚きの表情を浮かべている。

私は、両手を腰に添えながら、

「もう。何度も名前を呼んだんだよ。」

と、彼に文句を言った。

彼は、

「あ、ごめん。呼ばれてたんだね。気付かなかったよ。」

と、ヘラヘラと返事を返す。

とんだボンヤリさんのようだ。

まあいい。

私は、彼に疑問をぶつけた。

「ねえ、あなた。C君って、知ってるよね?」

馬鹿げた質問だとは思った。

だが、彼の返事は、

「…それ、誰だっけ?」

私は唖然とした。

「え? C君だよ? よくあなたと一緒にいたじゃない?」

「うーん、知らない名前だよ。」

仮にも死んだ人間についての事だ。

冗談で言っているようでは無かった。

…なんで、覚えてないの?

私は、近くにいた他の女子生徒にも、同様の質問をしてみる。

結果は…。

知らない。

誰それ。だ。

…覚えているのは、私だけ?

呆然としている私に、近くにいた彼が話しかけてくる。

「どうしたの? 何かあったの?」

と。

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<彼>

詳しい理由は知らないが、彼女は困っているらしい。

俺の目の前で、彼女は暗い顔をしていた。

俺は彼女に、

「どうしたの? 何かあったの?」

と、尋ねた。

「あなた、本当に、覚えてないの?」

C…。最近、その名前をどこかで見た気がする。だが、思い出せない。

「うん。ごめん。」

「あ。うん。謝ることじゃ無いのよ。私こそ、いきなりごめんなさい…。」

そう言って、彼女は俺の前から去ろうとする。

「ねえ!」

俺は意を決して、彼女を呼び止めた。

「…なに?」

彼女は疲れた表情を見せながら俺に顔を向ける。

「何か困っているなら、手伝うよ。」

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<彼>

彼女によれば、Cという人物が、クラスメイトの記憶から消えたらしい。

しかも、それを覚えているのは、彼女だけなのだ。

到底信じらろない話だ。

僕の不信感を感じ取ったのか、彼女は、

「信じられないよね。」

俺は慌てて、

「そ、そんなこと無いよ!」

と言葉を返す。

そして、俺は提案する。

「…確かにさ、人ひとりが消えちゃうなんて、普通じゃありえない。だからさ、その…Cの痕跡…出欠表とかの学校の記録を探してみない?」

「…うん、それ、いい考えだね。」

彼女は俺の提案に頷く。

彼女の表情にも、いくらか余裕ができたようだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<俺と彼女と>

早速、俺と彼女は、手分けして校内にある筈のCの痕跡を探す。

教室の中。

職員室にいる教師。

部室の備品。

エトセトラエトセトラ。

だが、結果は…。

何も無かった。

記憶どころか、名簿の名前や物品すらも消え失せていた。

もし、彼女の言う通り、過去、Cという人物が本当にいたのなら、これは、『忘れた』などという事態では無い。

消えていた。

Cがいたという過去が。

存在が。

消えているのだ。

「何も…見つからなかったね。」

俺と彼女は、校内の階段に腰掛けて休んでいた。

俺は隣に座る彼女の姿を覗き見る。

意気消沈しているのか、彼女は顔を伏せ、膝を抱えている。表情は見えない。

うーん。俺は考える。

Cの存在を、彼女の妄想だと決めつけるのは簡単だ。

だが、何か引っかかる。

なぜ、俺は彼女にCの事を尋ねられた時に違和感を感じたのだろうか。

…そうだ。日記だ。

あの、鞄の中に入っていた、持ち主不明の日記。

あの中に、Cの名前があったのだ。

なぜ、今まで忘れていたのか不思議なくらいだ。

俺は彼女に、Cの痕跡があることを、その痕跡が俺の持つ誰かの日記に記されている事を告げる。

その話を聞いた途端、彼女は俺に向かって身を乗り出す。

いきなりの接近に俺は驚く。

だが、彼女はそんな俺に意を介すること無く、

「その日記、私にも見せて!」

だが、残念ながら、日記は自宅に置いてきた。

それを告げると、彼女は、

「今度、学校に持って来てね。約束だよ!」

そう言って、俺の手を握り締めた後、彼女は笑顔で去って行った。

「約束…。」

彼女の『約束』という言葉と、彼女に握り締められた手の温もりを残して。

…だが、なんで彼女は、あんなに一所懸命にCの存在を探しているのだろうか。

しかも、あんなに楽しそうな笑顔を残して…。

…まあ、いいか。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<彼女>

彼の持つ日記に、Cの痕跡があるかもしれない。

私の心は躍っていた。

…実のところ、Cに興味があるわけではない。

別段、近しい関係でもないし、会話もした事はない。顔すらまともに覚えていない。

では、なぜ私の心は躍るのか。

それは、今私が置かれている出来事が、『普通ではない』からだった。

私の中だけに残る人間の存在。その謎を解く。

そして、机に刻まれた謎の言葉。

その非日常感にこそ、私の心は躍っているのだ。

私は、誰に聞こえること無く流行りの歌を口ずさみながら、軽い足取りで帰路につく。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<俺と彼女と>

三日後。

俺は彼女と落ち合った。

彼女の要望で、ひと気の無い校舎裏が待ち合わせの場所だ。

「早く見せて!」

開口一番、彼女は俺に告げる。

まず、二人でCの名前が日記にある事を確認する。

彼女は、

「この日記からは、Cの名前が消えていない。この日記にだけCが存在している。なんでかな?」

と、俺に尋ねる。

俺に解るわけがない。

「…読み進めれば、解るかも知れない。」

俺の提案に、彼女は頷く。

俺達は、二人で隣り合い、顔を近付け日記を読む。

僕のすぐ隣に、女の子がいる。

彼女の髪が、俺の肩に触れる。

彼女の吐息が、感じ取れる。

俺は緊張で震える手を彼女に気どられないように気を付けながら、ページを捲った。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<日記>

ある日、教室の蛍光灯が割れた。

クラスメイトが教室で遊んでいて、うっかり壊してしまったのだ。

と、そこに担任教師が入ってくる。割れた蛍光灯を見て、教師は、誰がやったのかを問い詰めた。

そこで、クラスの誰かが呟いた。

「彼がやりました。」と、僕を指指した。

その言葉を聞いた僕は、驚愕の表情を浮かべる。

他の生徒も、次々に「彼がやった」と証言した。その行為に異を唱える人間は誰もいない。

僕がクラスメイト全員から、身に覚えの無い罪を突き付けられる様子を、教室の端でBとCがニヤニヤして眺めている。

その時、僕は悟った。

僕が憎むべき対象を。

BやCは、憎んで当然だ。殺したい程憎い。

だが、真の悪意は、違うところにもある。

見て見ぬ振りをしながら、流れに身を任せて無自覚に悪に従う集団こそ、僕が憎むべきもう一つの悪だ。

生徒指導室で教師から脅迫まがいの詰問を受けながら、僕の心は、悪を滅ぼす術を、考え続けた。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<私と彼と>

日記を読んだ私は、一言呟いた。

「…私、この日記を書いた人の気持ち、わかる気がする。」

「え?」

隣にいる彼が間の抜けた返事を返す。

「私にも覚えがあるの。

誰かが言い出した事が、…例えそれが悪い事だとしても…、それが集団の中で受け入れられたら、例え間違っていても、その流れに従わないと、集団から孤立するの。

孤立は、とても恐ろしい事。

でも、その流れに身を任せて、自分を捻じ曲げ、抑圧しないと、社会…集団の中では生きていけないの。

日記の彼は、きっとそれが嫌だったんだよ。」

私の言葉に、隣の彼は、聞いているのかいないのか解らないような、

「へ、へぇー。」

と、気の無い返事を返すだけだった。

「…私達はね、普通なの。普通の人間は、集団に属さなければ、生きていけないの。」

私は、口の端を歪め、自嘲する。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<彼女>

数日後。

また、二人、消えた。

一人は黒板に[薙畏悪罹羅倒葬手腐]とチョークで書き刻んだ後に。

もう一人は、突然授業中に「ないあるらとほてぷ」と叫び出した後に。

人知れず、消えた。

だが、奇妙な事に、私は二人が消えた事が全く気にならなかった。

他のクラスメイトも同様だ。

誰も、消えた二人の事を、覚えていなかった。

覚えていたのは、あの漢字の羅列が「ないあるらとほてぷ」と読むのだと意識した事ぐらいだ。

夕方。

私は彼と校舎裏で落ち合い、日記の続きを読み始める。

だが、なぜか彼が持つ日記を見た時。消えた二人の事をはっきりと思い出せた。意識できた。

今、このクラスには、何か奇妙で恐ろしい力が働いている。

人の存在を忘れさせ、消え去るナニカ。

その正体は解らない。

たが、この日記に触れた時だけ、その奇妙で恐ろしいナニカから解放されるかのようだった。

この日記には、何かある。

私は、そう確信した。

私は、彼と共に、この日記を読み進めた。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<日記>

僕を助けてくれる存在は、誰もいない。

僕は一人だ。

特異な存在は、集団内では孤立する。

僕は特異な存在なのだから、孤立は仕方ない。

…だけど、それがそんなに悪い事なのか。一人が、孤独が、そんなに悪い事なのか?

ある日、アニメを見た。

勇者が、仲間と力を合わせて巨悪を滅ぼした。

巨悪に向けて集団が順番に必殺技を決める。

ヒーローものでよくある展開だ。

対して、巨悪は強大な力を持ち、誰にも頼らず、自分の理想を果たそうとしていた。

英雄は、巨悪に語った。

『お前は他人を信用せず、一人だ。だから、滅ぶんだ』と。

『俺が勝ったのは、仲間がいるからだ』と。

仲間の力を信じた正義が、自分以外を信じない独りよがりの悪を倒す構図。

そのシーンを見て、僕は疑問を抱く。

一人で頑張る事は、いけない事なのか?

孤独は、悪い事なのか?

仲間が力を合わせて作られた集団は、正義なのか?

じゃあ、僕はどうなる?

僕は一人だ。誰も助けてはくれない。

手を差し伸べてくれる仲間も、手を差し伸べられる仲間もいない。

だから、僕は、悪なのか?

酷い目に合って当然なのか?

一人がそんなに、悪いのか?

僕は。

他人と絆が持てないままで、強い奴に勝ちたい。

意味も無くつるんでるだけの連中に勝ちたい 。

仲間ができないまま仲間ができる奴に勝ちたい 。

一人で悪に勝ちたい。

僕は一人だ。

一人で悪を倒すんだ。

他に道は、ない。

…アニメでは絆が正義。

…アニメでは孤独は悪。

違う。僕は、悪じゃない。

違う。

違う。

なあ。今、これを読んでいるお前ら。

無自覚に身勝手に、集団で弱いものを虐げるお前ら。

僕は知っているんだ。

お前達に、絆なんて、ないだろ?

お前らに仲間はいるのか?

絆という繋がりはあるのか?

他人を食い物にする強者と、それに無意味に集い従う弱者…『その他大勢』だけなんだろ?

仲間がいるやつの方が凄いのか?

お前らに、本当に仲間はいるのか?

お前と一緒にいる奴らは、本当に仲間なのか?

よく考えてみろよ。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<彼>

俺は日記…いや、日記の持ち主の独白を見ながら思う。

こいつは、孤独に拘っている。

集団に八つ当たりをしている。

そうやって誤魔化している。

それが辛いのは、こいつが他人と繫がる努力を怠ってきたから招いた事態だ。

こいつは、自ら孤立を選んでいるんだ。

自業自得だろう、と。

…でも。

…俺には、仲間と言える人、いるのかな?

いや。考えないでおこう。

俺は、隣で真剣な眼差しで日記を読み耽る彼女に目を走らす。

今は、同じ目的を持つ彼女がいる。

俺は、こいつとは、違うんだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<日記>

僕は、変わりたい。

あいつらを滅ぼす為に。

…どうすればいい。

神様にお祈りでもするか?

どうか助けて下さい、と。

…ダメだ。

そんな事、もう何百回もやってきた。

神様なんて、

僕を助けてくれる神様なんて、

存在しない。

そんな時、僕はある本に出会った。

古い図書館の奥の、さらに古い本棚に、その本はあった。

[クトゥルフ神話]

…神話。神の物語…。

20世紀。

アメリカのある作家が作り出した怪奇小説群。

なぜ『群』なのかというと、それが作者だけに留まらず、同じ思考を持つ別の多くの作者にまで普及したからだ。

結果、一人の作家が創り出した世界観、想像の世界が膨張し、まさに『神話大系』にまで膨れ上がった。そして[クトゥルフ神話]という概念が生まれた。

僕は驚いた。

一人の人間の想像力が、伝説を生み出した事に。神話を創り上げた事に。

人の想像力は、これ程までに強大なものなのか…。

…だったら。

僕にも出来る筈だ。

思いの力が、想像力が、神話を創れるのなら。

僕にも『神様』が創れるかもしれない。

いや。できる。必ずできる筈だ。

僕は、僕だけの神様を創るんだ。

膿まず、廃れず、裏切らない。僕だけの神様を。

僕の願いをだけを叶えてくれる神様を。

僕が創ってやる。

それには、まず何が必要なんだろう。

…そうだ、祈りだ。

神を讃える信心深さがいる。

神を信じなければ、願いなんて叶う筈はない。

次に、何がいる?

…捧げ物をしよう。

遥か昔から、神様を供物を捧げるのは、当然の習わしだ。

あ、そうだ。大事なものを忘れていた。

神様の名前と似姿を考えなきゃ。

神の肖と像を作る事。肖像が無ければ、願うことも捧げることも出来やしないんだから…。

僕はまず、神様の名前を考えた。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<彼女>

[薙畏悪罹羅倒葬手腐]

それが、日記の持ち主が創造した、神の名前…。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<彼>

俺は、日記を読みながら体に怖気が走るのを感じる。

神? 何を言っているんだ、こいつは。

思考の末に辿り着いた結論が、それかよ。

その後も、俺と彼女は、日記を読み続けた。

日記の文章は、その神を創る工程が、…いや。狂気の作業が、克明に書き記されていた。

近所の犬や猫を殺し、臓物と血液を集めた。

虫を瓶に詰め灰になるまで焼き殺した。

灰と血を混ぜ合わせた液体で神の名前を刻んだ。

臓物から絞り出した赤黒い液体をバケツに詰めて布を浸す。暫く漬けて乾かかして出来上がった漆黒の布で神に祈りを捧げる祭壇を作った。

人型に彫刻した黒い蝋燭を何十本も作りクラスメイトの写真を貼り付けた。顔を釘で刺し貫いた。姿を思い出しながら、一本一本、ゆっくりと。

BとCの写真は身体中に釘を刺した。手足に。胴体に。顔面に。祈りを込めながら、念入りに。

毎日毎日。信心深く繰り返す。

それでも神は降臨しない。

だが僕の心は満たされていた。

BやCに殴られ血反吐を吐く日々も、クラスメイトに蔑ばまれ見下される毎日も、それが祈りの糧になるかと思えば、快感ですらあった。

…日記には、そう記されていた。

「こいつ…、狂ってる。」

そう呟く俺の隣にいる彼女の顔色も、心無しか青白い。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<日記>

神はまだ舞い降りない。

だから僕は、とっておきの供物を捧げる事にした。

自らの分身たる『肉親を捧げる』。

これ程までに信心深い行為もないだろう。

祭壇のある部屋の片隅で、血に濡れた2体の亡骸が、いや、二つの供物が、醜く腐り果てていく。

僕の願いは、ただ一つ。

「消えてしまえ」

だ。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<彼>

「こいつ…、自分の親を…殺したのか…。」

俺は絶句する。

隣の彼女も、口に手を当て、瞳を潤ませている。

当たり前だ。

女子には、この内容は、凄惨過ぎる。

俺は、彼女の肩に手を置く。

「大丈夫?」

その言葉に彼女は頷き、肩にある俺の手に触れ、降ろさせる。そしつ、

「うん。大丈夫だよ。」

と返事を返す。

「もう少しだけ、読みたいの。」

「…解った。」

俺は、ページを捲る。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<日記>

ついに、神は舞い降りた。

僕の祈りが、神を創造した。

僕には解る。

僕は、神の力を、御技を、素晴らしい能力を、手に入れた。

なあ、これを読んでいるお前。

今から言う言葉を、よく聞けよ。

『僕は自分の想像力を信じた』

『そして神をも創造した』

『さあ、君も解き放て』

『想像を否定するな』

『想像し創造しろ』

『君は君だ。君だけの存在だ』

『君の、君だけの創造の力を信じろ』

『それが、集団の中で自己を存在させる、唯一の術だ』

『さあ、君の中の創造の力を、解き放て。僕に続け』

『僕の名前は、A。世界で唯一、自らの力で、想像力だけで、神を創造した特別な存在だ!』

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<俺と彼女と>

隣の彼女が、ハッと顔を上げ、俺を見つめる。

どうしたんだ?

あまりの内容に驚いているのか。

…確かに、本当に、神がいるかなんて解らない。

けど、

こいつは、自分の想像力だけで、信念だけで、ここまでの事をやったのか…。ここまでの事を言えるのか。

だが、Aが狂人である事には、変わりはない。

「この…Aって奴、本当に狂ってる。本気で神様なんて創れるなんて思い込んでいたのかな…。」

俺は彼女に話しかける。

「…え?」

彼女の顔から表情が消える。

その後、彼女は再び日記に目をやり、今読んだページを読み返している。

「? どうしたんだい?」

俺は、彼女に手を伸ばした。

その途端。

彼女はいきなり立ち上がり、俺の手を払うと、後ざすり、距離を空ける。

そして、しばらく俺の顔を見つめた後、俺に背を向け、走り出した。

一人、校舎裏に取り残された俺。

…いったい、どうしたんだろうか?

俺は彼女の真意を計りきれないまま、帰路についた。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<彼>

次の日。

彼女が俺に近付いてきた。

口をキリッと結び、眼差しは俺を見据えている。

真剣な表情だ。

「日記の続きを、読まして欲しい。」

彼女は俺にそれだけ告げると、自分の席に戻っていった。

放課後。

校舎裏。

俺と彼女は、落ち合う。

そして、二人とも黙ったまま、日記の続きを読み始めた。

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<日記>

僕が神から授かった力を教えてあげる。

僕は、『人を消しさる』力を得たんだ。

ただ消すんじゃないよ。

存在そのものを、消しちゃうんだ。

まさに奇跡だ。

その奇跡の力を受けた人間は、

誰からも忘れられる。

生きてきた痕跡も、消える。

だんだんと、彼の存在は、奇跡に侵食されて、消えていくんだ。

始めからこの世にいなかった、生まれてもおらず、存在しない事になるんだ。

誰の記憶にも、残らない。

誰の思い出にも、ならない。

それって、ただ死ぬより、恐ろしい事だよね?

僕はこの力で、僕を苦しめてきた集団に、復讐を…いや、罰を与える。

罪には罰を。

僕に抗う者に裁きを。

僕は、この力で、まずはBを消した。

集団からBの存在が消えていくのは滑稽だった。

今では、Bの事を覚えているのは、僕と、あともう一人。Cだけだ。

今から僕は、Cを家に呼ぶ。

そして、僕の祈りの成果を、神を、Cに見せてやるんだ。

Cが恐れ戦く姿を見る事が、僕の祈りの仕上げになるんだ…

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<彼>

もし本当に神がいるとしても。

こいつは、神じゃない。

こいつは、狂気だ。

Aの心の底にある、狂気が形を成したものだ。

想像力が創り出した怪物だ。

俺は、隣の彼女に話しかける。

「こいつが作ったのは、神様なんかじゃない。

祈りを捧げた?

違う。

それは祈りなんかじゃない。

呪いだ。

供え物をした?

違う。

それは生贄だ。

こいつの目の前にいるのは、神様じゃない!」

彼女にそう言った時だ。

俺の中に既視感が生じる。

…あれ? おかしいな。

今、俺が言った言葉…どこかで聞いた事があるような気がする。

そんな俺の感覚を気にするでもなく、彼女は、呟く。

「忘れる奇跡。やっぱりね。納得がいった。」

? 彼女は、何を言ってるんだ?

「ねえ、あなた。」

「?」

「私を、あなたの家に、連れて行って。」

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<俺と彼女と>

…なんだ、この展開は?

俺は彼女と一緒に、自宅に向かっていた。

いきなり「家に行きたい」と、気になる女子から言われたのだ。男子として、さすがに動揺する。

だが、隣を歩く彼女の表情は硬く、とてもラブロマンスを期待するような雰囲気ではない。

…自宅についた。

俺は玄関前でポケットから鍵を取り出す。

「ただいまー。」

俺はそう言って、玄関の鍵を開けて中に入ろうとする。

「ご両親は、留守なの?」

「ん? ああ、そうみたいだな。なんで?」

「ただいま、って言いながら、ドアの鍵を開けてとから。」

「おかしかったか?」

「うん。誰もいないなら、ただいま、なんて言わないかなって。」

「?」

…一瞬、下心を見抜かれたのかと、ドキリとしたが、どうやら違うようだ。

玄関を通り、俺は中に入る。

普段と変わらない光景の我が家。掃除は行き届き、清潔感がある。

女子を招き入れても、なんら問題はなさそうだ。

だが、何故か彼女は、玄関の上り框で動きを止めている。

俯きながら口に手をやり、何か悩んでいるようだ。

「…」

だが、彼女は意を決するかのように、顔を上げ、廊下に足を踏み入れた。

俺は、とりあえず彼女を客間に案内する。

客間に入ると、彼女は再び顔をしかめる。

…なんたんだ?

まあ、いいか。

俺は彼女に、ソファーに座るように促すが、

「立ったままでいい」と断られた。

彼女は俺に「日記の続きを見せて」と言う。

…ここまで来ても日記かよ。

俺は少し残念な気持ちを抱きながら、二人並んで日記に目を通し始める。

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<日記>

僕の成果を見て、確かにCは驚いていた。

神の名前を、

黒い祭壇を、

クラスメイトに込めた祈りの蝋燭を、

釘に貫かれたBの写真を、

特に、Bの写真の裏に重ねていた自分の写真を見た時のCの驚く姿は、滑稽だった。

ざまあみろ。

だが、ソファーの後ろにある二体の生贄を見た後に、僕に向かって叫んだCの言葉。

あれを聞いて、僕は不覚にも動揺してしまった。

「お、お前が作ったのは、神様なんかじゃない! 祈りを捧げた? 違う? それは祈りなんかじゃない! 呪いだ! 供え物をした? 違う! それは生贄だ! お前の目の前にいるのは、神様じゃない!」

え?

神様じゃない?

悪魔?

呪い?

Cに言われ、僕は、一瞬、自らの神を疑ってしまったのだ。

だが、すぐに気を取り直し、僕はCに告げる。

「僕が信じるものが、僕の神様なんだ」と。

僕は今、日記に向かい、この文章を書いている。

Cは、あの後、家に返した。

明日、Cは、奇跡を広める為に、教室で神の名を刻み付ける筈だ。

だが。

だが、Cに神の在り方を告げられて、

僕は、迷ってしまった。

僕は、神を疑った。

今、僕の心には、不安がある。

神の存在を疑う事。

自らの創造に疑問を持ってしまった事。

もしかしたら、僕は

致命的なミスを…

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<俺と彼女と>

…そこで日記は途切れていた。

俺は、彼女に向かって、

「…君は、どう思う?

もしかしたら、Aは、自分が狂っている事に、気付いていたんじゃないかな?」

俺の疑問を受けて、彼女は、

「私は、違うと思う。

Aは、今もなお、狂っている。

いや。狂っている事に気付いてもいない。」

彼女の表情は硬い。

いや。

寧ろ無表情だ。

「うん。そうかもね。最後まで日記を見ても、正気を取り戻したなんて事、書いてないし…。」

「…だからね。言ってるでしょ。…違うのよ。」

彼女の声は、冷たかった。

彼女が俺に迫る。

鼻さえ触れそうな位置にまで。

彼女の鼻腔から漏れ出る鼻息が、僕の鼻先を掠める。

「本当に、覚えてないのね。」

え?

「何を?」

彼女が俺を凝視する

その目は遠慮なく、深く穴が開きそうな鋭い眼差しで僕を睨みつける。

「あなたが、Aよ。」

「は?」

「あなたの名前はA。

あなたが、この日記の持ち主。」

彼女はナニヲイッテイルンダ?

「会った時から、違和感は感じていた。

名前を呼んでも、全然反応しないし。

でも、日記を見てて、理解した。

あなたは、自分が誰だかを、自分の存在を、忘れていたのよ。その違和感すらも、気にならないほどに、ね。

それが、どういう意味か、解る?」

彼女は言葉を続ける。

「あなたは、自ら作った神を忘れ、自らを忘れた哀れな下僕。

あなたは、神を疑った。そのせいで、罰が下ったのよ。

他の人間と、同じ。忘れる、という罰を。」

俺の…

いや。

僕の頭に、彼女の言葉が響く。

(僕が、A…。神を…いや、呪いを作り出した人…)

なんだそれ。

彼女はナニヲイッテイルンダ?

僕は、力無く椅子に座る。

いや。力が入らない。

まるで、手足の存在が無くなってしまったかのように、四肢に力が入らない。

僕は身動き一つ取れずに椅子に身を任せながら、周りを見渡す。

そして、息を飲む。

家中に充満する澱んだ空気。饐えた匂い。

黒い祭壇。

四十体の写真と蝋燭。

まさか。僕は、腰掛けたソファーの後ろに目を向ける。

そこには、

腐り果てた、

二体の供物があった。

「う、うわぁ!!」

黒い祭壇。両親の死体。写真。蝋燭。

日記の通りの光景が目の前に広がる。

ここは、僕の家の筈だ。

いや、違う。目の前にあるのは、Aの家だ。

僕の中に蘇る記憶。

小さな命を滅ぼし、

繰り返し祈りを捧げ、

両親を殺した記憶。

僕が生み出した光景。

それさえも、僕自身が認識する事を忘れていたのだ。

じゃあ、僕は、Aなのか?

狂って神を…いや、悪魔を作り、人を消しさる呪いを作った、狂人。

Aなのか?

「あははははははははははははははは!!」

突然、彼女が笑い出す。

「な、何が可笑しいんだ!」

「滑稽なのよ、あなたがね。

こんなに素晴らしい神様を創造した癖に。

独りよがりの強がりで、僕は特別なんだど言いながら、最後に神を疑って、罰を受けるあなたがね。」

「…」

僕は、突然に豹変したかのような彼女の姿を、言葉無く見上げる。

「私はね。

普通の自分が、嫌だった。

何の才能も無く。技能も無く。

集団に属するだけが取り柄の自分が嫌だった。

でもね。あなたみたいに、特別である事をひけらかす存在を見てると、虫酸が走る。」

「…君は、僕に憧れていたんじゃなかったのか?

理解できるんじゃ、無かったのか?

特別な僕が、羨ましかったんじゃないのか?」

「言ったでしょ? 違うって。

途中までは、憧れもあった。

けど、あなたが語る下らない戯言を聞いているうちに、変わった。

あなたが他人と違うのは、その神を創造するまで醜く膨れ上がったひとりぼっちの想像心だけ。」

「それでも、僕は、神を作り出したんだぞ!」

「違うわ。あなたは、神を疑い、神を裏切り、捨てられた。その事実は、変わらない。あなたが自らの心の依り代にしていた『自分』を忘れていたのが証拠。」

「ぐ…。」

僕は、唇を噛む。

「私は、あなたとは、違う。私は、自分が信じるものを、絶対に、裏切らない。」

「そんなこと…」

「それにね。」

彼女の言葉が僕の言葉を遮る。

「あなたは、特別な存在なんかじゃ、ないの。」

「そ、そんな事はない! 僕は特別な存在だ。『その他大勢』の存在じゃない。断固として、普通じゃない。」

弛緩した体をソファーに預けながら、僕は叫ぶ。

「そんな格好で、よくそこまで激昂できるわね。

よく聞きなさい。…いや。もし、私達以外に、今私達の会話を聞いている人間がいるのなら、よく聞きなさい。

あなたは、幼い頃に、

『こんな世界、消えてしまえ!』

と思った事はないの?

親からの説教で。

隣人との喧嘩の後で。

落ちこぼれの気分を味わった時に。

ひとりぼっちになってしまった時に。

予期しない恥をかいた時に。

なんで自分ばかり酷い目に合うなんて、恥ずかしげも無く、感じた時に。

他人の迷惑など気にも留めず、そんな空想を抱いた事はないの?

否。

抱かない人間なんて、いる筈ない。」

「…何が言いたい?」

「あなた如きが抱く想像力なんて、人は誰でも持っているのよ。

あなたは、特別なんかじゃ、ないの。

あなたの隣にいる人物が、世界の破壊を願っているかもしれない。

ここは、そういう世界。

つまりね、あなたと同じような想像をする人間なんで、この世に溢れている、という事よ。

でも、どうして、それが世の中に出てこないんだと思う?

普通だからよ。

普通の人はね、集団の中で自分を抑圧されて生きているの。耐えているの。

捻じ曲げられながら、耐えているの。

それは、弱さじゃない。

むしろ強さ。

集団からの抑圧に静かに耐えながら、

さなぎの中で羽化を待つ蝶々のように。

卵の中で孵化を待つ鳥のように。

外に羽ばたく為の、自らの想像力を表に出す為の力を溜め込んでいるのよ。

それが普通という事なの。

あなたは、それすらできない落ちこぼれ。

だから、せっかくの神様を裏切って捨てられて罰を受けた。

世界には、想像心を育みながら蛹の中に包まる美しい存在がたくさんいるんだよ。」

「君の言う通りなら、世界には、想像力という狂気を抱いた人間ばかりになる。

全ての人間が狂気と言う爆弾を抱えているようなものだぞ?」

俺は苦し紛れの反論をする。

「それは素晴らしい考え方だわ。」

たが、彼女は逆にそれを肯定した。

「A君。実はね。私も、みんなが大嫌いなのよ。

上辺だけの付き合いで。

心の底から仲間と言える人はいない。

調子を合わせてばかりの関係。

それが普通の生き方。

そんな、関係、大っっ嫌い!

…でもそれすらも、きっと誰もが抱く普通の考え方。それすらも耐えて、みんな普通に生きているの。」

「…」

「あーーーーーーーー!!」

彼女は、突然頭を抱え出し、叫び声を上げる。

「ああ、もううんざり。

全部、壊してしまいたい。

だから、神様にお願いしてみる。

『みんな、消えちゃえって。』

もし、世界中の人が、私と同じなら、普通でいる事に苦しんでいるのなら、消えちゃえって。」

僕は、

「そ、それって…。その願いって…」

彼女が僕の近くに来る。

そして僕の口に人差し指を当てる。

その先を言うなと言わんばかりに。

柔らかい手が、僕の両の頬を挟み込む。

彼女の顔が、僕の顔に近付く。

彼女の口が、僕の唇を掠り、右耳のそばに寄る。

彼女から漏れる吐息が、こそばゆい。

その時、

僕の中にあった感情は…。

他人に触れ、気持ちが繋がる、心地良さ。

だったのかもしれない。

彼女が、僕の耳元で、小さく囁く。

「だから、あなたは、もういらない。必要ない。

神様は、もう私のもの。

だから、あなたは、

もう消えて。」

僕の存在が、消えていく。

薄れる意識の中で、

さようなら。

彼女が囁く声を、聞きながら。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<彼女>

学び舎に鳴る朝のホームルームのチャイムが、その役割の始まりを告げる。

彼女は、自分の席にいる。

日記はカバンの中

いや。日記じゃない。聖書だ。

続きは私が書いた。

神の名前を書き綴った。

私は、今一度、集団に埋没する。

集団という、普通という、蛹に戻る。

普通の私になる。

集団という蛹から羽化する為に。

そして、使命を果たす為に、私は集団から、普通から、飛び立つのだ。

それこそが、儀式。

私が羽ばたく為の、私という存在を表に出す為の、儀式。

…彼は、集団の『裏』で、醜い創造の力を肥大させ、消えていった。

でも、私は違う。

私は、『裏』から『表』に出る。

この聖書を開くとき、私は更なる存在に昇華する。

私の創造の力を『表』に顕現させるんだ。

奇跡を遣う聖女として、普通だった私は、世界の表に降臨するんだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<普通の、彼女>

登校した私は、席についた。

そして、授業の為にノートを取り出す

だが、ノートを開いた瞬間。私は息を飲んだ。

【薙畏悪罹羅倒葬手腐】

その文字がノートに書き込まれていた。

私はノートのページを捲る。

【薙畏悪罹羅倒葬手腐】

次のページにも、その文字が刻まれている。私はページを捲る。

【薙畏悪罹羅倒葬手腐】

【薙畏悪罹羅倒葬手腐】

【薙畏悪罹羅倒葬手腐】

いくらノートを捲っても、その文字は続く。

薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐薙畏悪罹羅倒葬手腐…

ノートの全てのページに、その文字が書き込まれている。

誰が書いたのだろうか?

私に書いた記憶はない。

だが、その文字は、確かに私の筆跡だった。

そして。

私の口から、あの忌むべき言葉が叫ばれた。

「ないあるらとほてふ」

と。

直後。

集団は、

【薙畏悪罹羅倒葬手腐】に、

包まれた。

そして、私は、つぶやいた。

「私、誰?」

ーーーーーーーーーーーーーーーー

<何処かの誰か>

道行くサラリーマンが、犬の死骸を見つけた。

その死骸には文字が刻まれている。

【薙畏悪罹羅倒葬手腐】と。

死骸を目にしたサラリーマンは呟いた。

【薙畏悪罹羅倒葬手腐】と。

犬の死骸が口を開く。

【薙畏悪罹羅倒葬手腐】と。

死骸に集まる鴉が囀り始める。

【薙畏悪罹羅倒葬手腐】と。

壁に登る猫が欠伸をしながら音を出す。

【薙畏悪罹羅倒葬手腐】と。

世界は、

緩やかに

這い寄られる。

想像力が生み出した混沌に

侵される。

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ランキングからお邪魔致しましたが…構成や文の書き方が素晴らしいですね。世界観に飲み込まれる感覚を味わいました。

このシリーズ大好きです(≧∇≦)僕もこんな話が書けるようになりたい…

一作目から読み直してみました。
引き込まれる様に一気読んでしまいました。
なるほど…怖い世界ですね…