希望を夢見るマンティコア

長編21
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希望を夢見るマンティコア

愛。

愛は、二人の世界に幸せを形作る。

【結婚するとき、私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った。今考えると、あのとき食べておけばよかった。(アーサー・ゴッドフリー)】

同時に、

愛は、二人の世界を狂気に彩る。

【いずれにせよ、もし過ちを犯すとしたら、…愛が原因で間違った方が素敵ね。(マザー・テレサ)】

愛とは、何なのか?

互いの見えない心を繋ぎ止める為の形の無い共同幻想なのか。

進化の先で得た、より良い遺伝子を子孫に残すための打算的な行為なのか。

欲望の苗床なのか。希望の発露なのか。

人の数だけ、愛はある。

ならばそれは、愛を知る当事者にしか、解らない事のかもしれない。

冷たいコンクリートの床に倒れている男性の横に、黒いパーカーの人物が立っている。

黒パーカーの人物は、フードを目深に被っており、その表情は解らない。

俺達は、見つからないように崩れた壁に身を隠しながら、これから起こる出来事を凝視していた。

パーカーの人物が膝を付き、倒れている男性に跨る。

そのまま顔を倒れている男性の顔に近付ける。

パーカーの人物と男性の顔が、触れ合った。

パーカーからこぼれ落ちる黒髪が、男性の顔に重なる。

何をしているか、はっきりと見えないが、まるでキスをしているかのようだった。

数秒後…

倒れている男性の体に変化が生じ始めた。

一瞬、男性の体の輪郭が歪んだ。

まるで水をたくさん入れた風船のようだ。

男の中にあるものが全て液体になったかのようだった。

ズズズ…

細い排水溝が無理矢理に水を吸い込むような音が聞こえた。

そして、

服の上からでも解る程、男性の四肢が痩せ細ろえていく。

次に、腰回りから胸にかけて、厚みが消失していく。

数分後。

パーカーの人物が、顔を上げる。

隠れて見えなかった倒れている男性の顔を見た瞬間、俺達は悲鳴をあげかけた。

男性の顔は、…ミイラのようになっていた。

皮膚の水気は無くなり、目玉も萎み、乾いた唇を半開きにしている。

よく見れば服から露出している腕も、同様に水気を失い、木の枝のようになっている。

顔を上げたパーカーの人物の口元が、一瞬見えた。

紅い唇の端から、ピンク色の何かが涎のように垂れている。

フードの人物は、長い舌で唇の端をペロリと舐め上げた。

俺は理解した。

パーカーの人物は、男性の体液を、吸い上げたのだ。

パーカーの人物が男性を持ち上げる。軽々と。

…それはもう、人の形をした干物だった。

腕が捥がれた。枯れ木を折るように、簡単に。

パーカーの人物は、その枯れ木のような腕を、食べ始める。

凄まじい速度で咀嚼し、嚥下する。

次に、足を捥いだ。同様に齧り付く。

俺達は、もう、見ていられなかった。

あれは、人を喰らうナニカだ。

…そう、『人喰い』だ。

パーカーの人物…『人喰い』に見つからないように、この場を離れるしかない。

俺達は、ゆっくり、壁から離れる。

その時、俺達の気配に気づいたかのように、『人喰い』が顔を上げた。

その手には、毛の生えた30cm程の塊を持っている。

一瞬、俺達と『人喰い』の視線が交差した、ような気がした。

やばい! 喰われる!

俺達は、脱兎の如く、その場から逃げ出したのだった。

これが、あの『人喰い』の化け物との初めての遭遇であり、惨劇の始まりだった。

話は数日前に遡る。

街中の繁華街にある居酒屋の入り口で。

マリは、店の看板の上にいる一匹のカマキリを見つめていた。

カマキリの首が動き、その緑色のギョロリとした両眼を、自身を見つめる人間に向ける。

そして、その名の由来でもある鎌状の両腕を、まるで威嚇するかのように持ち上げた。

カマキリの動きに、マリは少し驚く。

その拍子で、マリのポニーテールにしている黒髪が揺れた。

「おーい、マリ。何しているんだ?」

若い男性が、マリに声をかける。

「あ、トオル。なんでもないよ。」

トオルと呼ばれた男性に、マリは返事を返す。

「おう。早く行こうぜ。」

トオルの後ろから、もう一人の男性の声がする。

「あ、カツヤ、ちょっと待ってよー。」

そんな会話をしながら、トオルとカツヤ、マリの三人は、居酒屋に入っていった。

看板の上に佇む一匹のカマキリは、そんな三人を網翅目の瞳で、見つめていた。

「今日もお疲れさんでしたー!」

三人は勢い良く、ビールジョッキで乾杯をする。

トオルとカツヤとマリは、会社の同僚であり同期であった。

三年前に入社したその日から、三人は意気投合し、

楽しいことがあれば乾杯し、

祝い事があれば乾杯し、

嫌なことがあれば乾杯し、

共に働き、一緒に遊び、愚痴り合い、未来を語り合う、仲間であった。

今日も仕事の疲れを癒しに、三人で飲み屋に来たのだった。

ビールの空き瓶がテーブルの上に数本並んだ頃。

ふと、カツヤが店内のテレビに視線を走らせた。

テレビには、最近話題の芸能ニュースが流れている。

三年前に結婚した芸能人同士が、浮気が元で口論となり、死傷事件に発展してしまった、というものだった。

「またこんなニュースか。やだやだ。」

と、カツヤが肩を竦める。

「まったくだな。かつては愛した旦那を殺しちゃうなんて、どうかしてるよ。」

トオルが言葉を続ける。

「ま、愛と憎しみは表裏一体だかなら。ふとしたきっかけで、簡単に変わっちゃうんだよ。」

「お、カツヤ。知った風な口をきくなぁ。さては、彼女でもできたか?」

「え! カツヤ、そうなの?」

恋愛話に、マリが食いつきてきた。

マリの食いつきぶりに驚きながらも、カツヤは、

「いやいや、そんな訳ないじゃん。彼女がいるなら、こんな飲み会に来てないぜ。」

「なんだと、このやろー。」

「そう言えば、最近、うちの会社の中でも、恋愛関連のトラブルがあったって噂、本当なの?」

マリが話を変える。

「ああ、知ってるぜ。たしか、隣の部署だよな。別れ話が激化して、職場を巻き込む大騒動。で、当事者は退職…。」

一瞬、三人は沈黙する。

その沈黙を破るかのように、

「俺達は、自分も周りも傷つけないような、さっぱりした恋愛がしたいよな。」

そうトオルが言い、その話題は締めくくられた。

「ところでね。」

「どうした、マリ?」

マリが突然真面目な顔つきになる。

「…最近、誰かにつけられている気がするの。」

「おいおい、マジかよ。」

「うん。道を歩いている時、後ろを振り向くと、一瞬人影が見えることがあるの。しかも、何度も…。」

「本当の話なら、それ、ストーカーじゃん。許せねえな。」

「マリ、顔だけは可愛いからな。」

「え、そんな事ないよ。」

顔を紅らめるマリ。

「よし! 今夜は、俺たちが駅まで送るよ。だから、安心してくれ!」

「うん、ありがとう。助かる…。」

店を後にした三人は、マリを駅まで送って行った。

マリは、二人に手を振りながら、駅の構内に消えて行った。

「さて、と。」

「ああ。俺達は、二次会と行きますか。」

トオルとカツヤの男二人は、先程とは別の店に向かう。

二人はバーのカウンターに腰掛けながら、仕事話がニ割、エロトークが八割の話題で、盛り上がっていた。

会話が途切れた時、ふと、カツヤの顔が真剣になる。

「なあ、トオル。言おうかどうか、迷ってたんだけどさ…。」

「なんだ?」

「俺、マリの事、好きなんだ。」

「…ああ。知ってるよ。見れば解る。」

「でも、俺は今の三人の関係を壊したくない。」

「…それも理解できるよ。俺も、マリの事が好きだからな。」

「そうだよな。見れば解る。だから、話したんだ。」

「…俺は、お前との関係を壊したくない。」

「それは、俺もだよ。」

「じゃあ、俺達は、ライバルだな。」

トオルは、二カッと笑みを浮かべる。

「…そうだな。正々堂々、戦おうぜ!」

カツヤも、憑き物が落ちたような笑顔を浮かべる。

「ああ。恨みっこ、なしだぜ。」

そして、二人は、固い握手を交わすのだった。

その時、バーのマスターと、店内の男性客の会話が、二人に耳に入ってきた。

「最近さ、気になることがあるんだよねぇ。」

「はい、どうされたんですか?」

「この前、変なものも見ちゃったんだよ。」

「はあ。」

「若い女性がさ、でっかい犬の首根っこ捕まえて、歩いてたんだ。で、この前、その女に似た奴を見かけたんだ。で、この近くの潰れた工場の辺りで、見失っちゃってさ。」

「はいはい。」

「で、その工場さ、以前から、ぼんやりと灯りがついてるとか、啜り泣きが聞こえるとか、変な噂があるんだよな。」

「へーそうなんですか。」

一見すれば、酔っ払いの戯言をバーのマスターが適当に聞いている構図である。

だが、カツヤは、この二人の会話を、なんとなく忘れられなかった。

数日後。会社の帰り。

会社の社員通路で、カツヤはトオルに声をかける。

「なあ、トオル。この前のバーでさ、隣の客が言ってた話、覚えてるか?」

「ああ。廃工場のお化けの話だっけ?」

「お化け? まあいいや。昨夜、その工場の近くを通った時に…。」

「何かあったのか?」

「犬の叫び声が聞こえたんだ。」

「…遠吠えじゃないのか?」

「いや、違うと思う。叫び声は、最後に急に止まったんだ。」

「…何があったんだろうな。」

「俺さ、これからあの廃工場に行ってみようと思うんだ。」

「なんだよ、怖いもの見たさってやつか?」

と、そこへマリが通りかかる。

ロッカールームから出てきたマリは、カツヤとトオルに、

「あ、お疲れ様ー。」

「おう、マリ。お疲れ様。」

トオルが返事を返す。

「お、ちょうどいいところに来た。なあ、マリ。これから出掛けないか?」

カツヤはマリに話しかける。

「え? どこに行くの?」

「うん、まあ、…肝試しみたいなものかな。」

「やだ。」

即答のマリ。

「肝試しなんて、行くわけないよ。」

そう言って、マリは舌を出しアカンベーをする。

それはそうだろう。

「あ、うん、そうだよね。ははは。」

「それに、今日は用事があるんだ。ごめんねー。」

そう言って、二人に手を振りながら、マリは足早に去って行く。

「まさか…、『マリに格好いい所を見せようとした作戦』、失敗か?」

「うるせいやい!」

結局、トオルとカツヤの男二人で、例の廃工場に来た。

周囲は既に薄暗い。

だが陽の長い季節だからか、視界には困らない。

敷地内には、錆びた鉄の匂いがする。

潰れた上に郊外に位置する工場には、ひと気はない。

二人は、まず工場の周囲を回った。

積み重なった赤茶けた鉄骨。

乗り捨てられたボロボロの軽トラック。

汚水と雨水が詰まった鉄のドラム缶。

…だが、生き物の気配は、ない。

「外には、何もないな。」

「そうだな。…中に入って見るか。」

二人は、工場の一回に、足を踏み入れる。

灼けた鉄のような、工場独特の匂いが、鼻につく。

壁は崩れ、古ぼけた機材が並んでいる。

その時!

ズル…

ズル…

何かを引き摺る音が、二人の耳に入ってきた。

工場の入り口の方から聞こえる。

なんだ?

二人は、崩れた壁や機材に身を隠しながら、音の元に向かう。

そこには、

倒れた男性の片足を持ちながら、

軽々と引き摺る、

黒いパーカーを着た、

小柄な人物の姿があった。

そして、

トオルとカツヤの二人は、

人の中身を溶かし、

そのまま体液を啜り上げ、

乾いた人体に喰らいつく、

『人喰い』を、目撃することになる。

なんなんだよ、あれは!

俺が知るわけないだろ!

ど、どうする? 俺達、『あいつ』に見られたかもしれない。

ああ。取り敢えず、この場所から逃げるぞ!

叫び声を上げながら、トオルとカツヤは、必死で逃げた。

途中、タクシーを拾い、工場から距離を空けた。

タクシーに乗りながら、二人は何度も後ろを振り返る。

『あいつ』が追って来てるんじゃないかと。不安に慄きながら。

大勢の客がいる、街中のファミレスで、二人はやっと、息をつく。

冷や汗を拭きながら、トオルはカツヤに話しかける。

「なんだ、『あいつ』は…。」

カツヤも、乱れた息を整えながら、

「『あいつ』、人を…喰っていた…。うっぷ!」

その光景を思い出したのか、吐き気に襲われたカツヤは、トイレに駆け込んでいった。

トオルも、吐き気に耐えながら、あの時の光景を思い出す。

…あんな事、人間にできるはずがない。

人の姿をしているように見えたが、あれは、まさしく、

化け物、だ。

口元を押さえながら、カツヤが席に戻ってきた。

「なあ、どうする? 俺達、『あいつ』に姿を見られたかもしれないぜ…。」

「ああ。」

「あんな化け物が、この街にいるなんて…。」

カツヤの言う通りだ。

逃げるのしても、もしくは退治するにしても、正体が解らないのでは、話にならない。

それに、あの『人喰い』が他に何体いるのかすらも、解らないのだ。

それに、トオルには、一つ気がかりな事があった。いや、だが…。

「警察に通報するか?」

「いや、どうせ、信じない。それに…」

「なんだよ。」

「カツヤ、お前、気が付かなかったのか?」

「え? 何を?」

「そうか…。なんでもないよ。」

取り敢えず、帰ろう。追っては来てはいないようだし。

トオルの提案で、二人は帰路についた。

カツヤの、恐怖に震える青ざめた表情が、印象的だった。

自宅に戻り、トオルはパソコンに向かう。

あの『人喰い』に関する情報収集の為だ。

『カニバリズム』という風習…文化は存在する。

【カニバリズム(英: cannibalism)は、人間が人間の肉を食べる行動、あるいは宗教儀礼としてのそのような習慣をいう。食人、食人俗、人肉嗜食、アントロポファジー(英: anthropophagy)ともいう。】

だが、先程見た光景は、それとは一線を画すものだった。

あんな事ができる『人間』が、いるはずがない。

衝動的にも、感情的にも、能力的にも。

では、あれは、…認めたくないが、超常の存在なのか?

『人喰い』『化け物』で検索をかける。

…マンティコア。

とある化け物の名前が、見つかった。

【マンティコア(Manticore)は、伝説の生物。】

【マンティコアは英語読みで、ギリシャ語形ではマンティコーラース (Μαντιχώρας)という。これは、ペルシア語で「人を食らう生き物」を意味する。 

際限ない食欲の持ち主で、その食欲は一国の軍隊を食い尽くすほどだと言われている】

マンティコア。

こちらの方が、先程の『人喰い』のイメージに近い。

だが、これは空想上の生物だ。

こんな生物は、実在しない…。

その時、画面を見つめるトオルの目に、【マンティコア(Manticore)】に近いスペルの言葉が目に入った。

【マントデア(Mantodea)】

…読みもスペルも、マンティコアに近い。

トオルは、この文字の意味を調べる。

結果は…。

【カマキリ(螳螂、蟷螂、鎌切)。昆虫綱カマキリ目(蟷螂目、学名:Mantodea)】

…カマキリの事だったのか。

カマキリ。

同種を捕食する傾向のある生物。『共食い』を行う昆虫。

…『共食い』

『同種を捕食する』

『人の形をしたモノが、人を喰う』

…『人喰い』

トオルは、この奇妙な符合に、寒気を覚えた。

次の日。会社で。

トオルは、カツヤと相談をする。

現段階、逃避や反撃といった行動的な手段は講じられない。

だが、『人喰い』が追って来なかった事から、トオルとカツヤの存在を特定されている可能性は低い。

ならば、

『危険に近づかない』

それが現段階で最も有効な方法だと、二人は結論付けた。

けれど、一つ問題があった。

『何』に近づかなければいいのか、解らないのだ。

あの『人喰い』は、恐らく人間に近い姿をしている。

正体も人数も、解らないのでは、何に警戒をすればいいのか、解らない。

もしかしたら、仮に今、近くにいる人物が『人喰い』の可能性だってあるのだ。

警戒の対象を知る必要がある。

その為に、二人は、もう一度、あの廃工場に行く必要があった。

『人喰い』の正体に関する情報を得る為に、だ。

明日、もう一度、廃工場に行く。

その決断をし、トオルとカツヤは帰路についた。

次の日。

「ねえ、トオル。」

マリが話しかけて来た。

「どうした、マリ?」

「カツヤ、何かあったの?」

「…。」

「私、昨日の夜、カツヤに、告白された。」

「!?」

「好きだ、って言われた。」

「そうなのか…。」

「でも、カツヤ、凄く辛そうな顔をしてたの。ねえ、何かあったの?」

真剣で、切実な表情をマリは浮かべている。

マリは、心の底からカツヤを心配しているのだ。

トオルの脳裏に、舌舐めずりをする『人喰い』の姿が浮かぶ。

その人外の表情を思い出す。あれは…。

だが、トオルは、頭を振り、嫌なイメージを追い払う。

…そんな訳があるものか!

トオルは、マリに先日の出来事を話すことにした。

マリに話すことは、新たな危機を招く行為かもしれない。

だが、心の底からカツヤを心配するマリを、放っておくわけにもいかない。

トオルは、マリに、先日の肝試しの時に、『あいつ』と遭遇したことを話した。

そして、『あいつ』に狙われている可能性がある事も、伝えた。

それが、人を喰らう化け物であることは伝えない。不快にするだけだ。

トオルの話を聞いたマリの顔が蒼白に染まる。

「そんな…。」

「今夜これから、俺とカツヤは『あいつ』の正体を探る為に、もう一度、あの場所に行く。」

「…行っちゃダメだよ。トオルもカツヤも、殺されちゃうかもしれないよ…。」

そう言って、マリはトオルの服の裾を掴む。

マリは、俺達の身を安じてくれている。

「…でも、身を守る為には必要なことなんだ。」

トオルの言葉に、マリは口を強く結ぶ。そして、

「じゃあ、私も行く。二人だけじゃ、心配だから。」

裾を握る手に力が篭る。

その決心は固いようだった。

「…わかった。ありがとうな、マリ。」

「ううん、いいんだよ。二人は、私の初めての友達なんだから。」

「あのさ、マリ。」

「なあに?」

「もう遅いかもしれないけどさ、」

「?」

「俺、マリのこと、好きなんだ。」

「え?」

トオルの脳裏に、カツヤとの握手が思い浮かぶ。

「少し遅かったかもしれないけど、な。けど、何があっても、俺はマリの事、大切に思ってる。」

「…うん。ありがとう。」

「…。」

「私ね、まだ、カツヤに返事、返してないの。」

「…そうか。ま、急がなくていいんじゃないか?」

「そう…かな。」

「ああ、そうだよ。その内に、何かのきっかけで、心が決まるさ。」

「…ありがとね、トオル。」

トオルとマリは、カツヤと合流し、廃工場に向かった。

マリの姿を見て、カツヤは驚いていたが、事情を話すと納得してくれた。

「さあ、行くぞ。化け物の正体を暴くんだ!」

「…ああ。」

…化け物、か。

カツヤの意気込みに返事をしながら、トオルはマリの方に目を向ける。

マリは、廃工場を見上げながら、先程よりもさらに蒼白を浮かべていた。

恐怖のためか、それとも…。

いや、迷うな。

トオルは、先頭に立って工場に入る。

外や一階には、何もない。

それは先日確認済みだ。

目的地は、二階。

「階段があった。行くぞ。」

二階に向かう階段を見つけたトオルはは、後ろ振り向く。

「え…?」

後ろの二人…マリとカツヤの姿が、

消えていた。

…いつの間に。

全然気づかなかった。

叫び声一つ聞こえなかった。

工場内は薄暗くはあったが、人間の行方を失うほど暗くはない。

「マリ! カツヤ!」

トオルは、大声で二人を呼ぶ。

だが、返事はない。

「どこへ行ったんだ!」

もう一度大声を出すが、返事を返すものは誰もいない。

その時。

…グ…ムウウ…ガ、グ…

返事の代わりに、呻き声のようなものが聞こえた。

男の声だ。

二階からする。

トオルは、慎重に二階に向かった。

二階に辿り着いた瞬間。

ツンッとした匂いが鼻をつく。

生ものが腐ったような匂い…臭気であった。

トオルは、鼻を押さえながら先に進む。

奥に進むほど、臭気は強くなって行く。

そしてトオルは、臭気の発生源と思われる部屋のついた。

その部屋は、他の荒れ放題の部屋の比べると、幾分か整理されていた。

部屋の隅には古びたソファーがある。

部屋の隅には、枯れ木の塊のようなものが見えた。

そして、部屋の中央には、大きな鉄の箱があった。

トオルは、部屋の中に進み、箱の中を覗き見る。

臭気がトオルの顔を襲う。

匂いの源は、その箱であった。

箱の中には様々な、

犬や猫、鳥の死骸があった。

多くの死骸は腐っているが、

何体かはまるで干物のように乾いていた。

…間違いない。

これは、あの『人喰い』がやったものだ。

カツヤ達はどこにいるんだ?

さまか、『人喰い』に…。

…そうだ、携帯電話があった。

トオルは、カツヤの所在を確かめるため、携帯電話を鳴らす。

携帯の着信音が聞こえた。

トオルのすぐ足元だった。

一台の携帯電話が、トオルの足元に落ちている。

…これは、カツヤの携帯電話だ。

トオルは、周囲を見渡す。

携帯電話の近くに、小振りな鉄骨が落ちている。

赤茶けた錆に覆われていた為解りづらかったが、その鉄骨には、赤と黄色が混ざり合った液体がネットリと付着していた。

…これは、血液、か?

だが、これが血液だとしたら、人間のものじゃない。

まさか、カツヤがこれで『人喰い』と戦ったのか?

トオルの視線が、鉄骨のあった先の、枯れ木の塊のようなモノに向く。

それは、モノではなかった。

顔があった。

乾き、皺がれた、カツヤの顔があった。

カツヤの遺体が、そこにあった。

トオルは、そこで初めて叫び声を上げた。

「う、うわーーーーーー!!カツヤ!カツヤ!!」

トオルは、叫び声とともに、かつてカツヤだったモノに呼びかける。だが、

…返事は、ない。

トオルは放心し、近くのソファーに座り込む。

…ソファーに、ノートが一冊置いてあった。

表面にはペンギンの絵が書いてある。

幼い子供が使うようなノートだ。

トオルは放心しながらも、何かの手がかりになるかもしれないと思い、

パラパラと、ノートに目を通す。

そこには…

トオルは、ノートを読み終えた。

そこには、ある『真実』が書いてあった。

なんとなく、予想はしていた。

数日前、『人喰い』の姿を見た時から。

だが、信じられなかった。

信じたくなかった。

「…そんな、馬鹿な…。」

トオルは呟く。

その瞬間!

music:6

トオルは後ろから首を掴まれ、壁に正面から叩きつけられた。

凄まじい力だった。

叩きつけられた衝撃と首を掴む腕力のせいで、抗うこともできない。

そのまま、トオルは掴まれた首を起点に床に叩きつけられた。

脊髄が軋み砕ける。

目の前が暗くなる。

トオルは、床に仰向けに叩きつけらたまま、指一本動かせない。

死が、トオルに迫って来た。

うっすらと、トオルの視界に『人喰い』の姿が浮かぶ。

『人喰い』の額には、赤黄色の血液が流れている。

カツヤが一撃加えたのだろう。

トオルの目前に、『人喰い』の顔が迫る。

人喰いの紅い唇が、トオルの紫色に変色した唇に迫る。

…その時。

聞き覚えのある声が、

いや。

彼女の声が、聞こえた。

「私は、化け物…」

その声は、その涙の混じる声は、唇が触れるほどの距離にいるトオルにしか聞こえなかっただろう。

「私みたいな化け物…、生きてて、いいのかな…」

『人喰い』の唇が、トオルの唇に触れる。

トオルを喰らう為に。

けれど、

それは、

優しく、甘く、柔らかい、

キスだった。

体の中が溶かされるのが、自分でもわかる。

体は動かない。

腕に力は、入らない。

だが、暗く消えゆくトオルの視界の中で、トオルの腕は、『人喰い』を、優しく、力強く、抱きしめていた。

music:5

【ペンギンのノートに書かれた彼女の日記】

あるひ、わたしは、お母さんにしつもんしました

どうしてニンゲンをたべちゃいけないの?

お母さんはいいました

「ニンゲンをたべるのは、いけないのことなのよ」

でも、わたし、おなかが空いた

あの子をたべたい

あの子、あたしといつも遊んでくれるの

わたしのことばをきいて、お母さんは泣きだしました

なみだが止まると、お母さんは、わたしにクスリをくれました

そのクスリをのんだら、おなかが空かなくなりました

好きな人ができました。

同じクラスの沢村君です。

スポーツもできて、勉強もできて。

すごく優しくて。

クラスの人気者。

沢村君の姿を思い浮かべるだけで、私の心は、ポカポカと温かい気持ちに包まれます。

沢村君を愛おしむ気持ちが、私の中にあります。

それが、だんだんと、大きくなるんです。

そして私は、

…沢村君を食べたくなりました。

身体を溶かして

体液を吸いこんで

皮を咀嚼して

彼の頭の中にある脳も、鼓動する心臓も、そこにある筈の心も、

全部全部私の中に入れたくなりました。

私は、沢村君を食べました。

お母さんに、すごく怒られました。

…私はまた、引っ越すことになりました。

ニンゲンと、私は違う。

その事をハッキリと自覚したのは、私が高校生の頃でした。

『人喰いの化け物』

それが私。私は化け物。

私は、お母さんに聞きました。

どうして、人間と私は違うのか、を。

どうして、私だけ、人間を食べたくなるのかを。

お母さんは、私にその理由を話してくれました。

それは、とても長い話でした。

そして、難しい話でした。

私達親子は、地球の生物ではありません。

遠い星から来た生命体です。

私達の星は、冬は大地が凍りつくほどの極寒の氷河期となり、夏は海が干上がるほどの灼熱の熱帯期になる、生物が住むには厳しい環境でした。

そんな厳しい環境で生きる為に、私達の先祖にあたる生物は、同種で捕食し合いながら生き残る生態を備えました。

繁殖期には、後尾の最中に、メスがオスを捕食することで、メスは受精し、その身に子供…卵を宿します。

メスに食べられる、つまりオスの肉体を完全にメスが取り込む行為は、オスが持つ遺伝子や適応力をメスを通して子孫に無駄なく引き継ぐ行為にあたります。

捕食されたオスの栄養素も、厳しい季節を乗り越える糧になっていたそうです。

子孫を残すには、愛した者を自らの体内に取り込む必要があります。

つまり、『愛する行為』と『食べる行為』、そして「子供をつくる行為」は、同価値なのです。

地球の生物で例えるなら、カマキリという生物に近い生態だそうです。

その特性のおかげで、私達の先祖は繁殖し、進化し、やがて文明を持ちました。

けれど、私達に宿る生態は、衝動は、変わりません。

空腹を覚えれば、隣人を食べました。

子を宿す為に、愛する者を食べました。

その衝動を抑える薬も開発されましたが、それは自然の摂理に逆らう事であり、緩やかな滅亡に繋がる行為だと言う人が現れて、世界は戦争になりました。

そして、私のお母さんは、産まれたばかりの私を連れて地球に逃れて来たのです。

卒業式の日。

母が、亡くなりました。

死因は、栄養失調でした。

私は、この世界に、一人っきりになりました。

母は最後に言いました。

「あなたは普通に生きなさい」

と。

会社に勤め始めました。

私みたいなのが社会でやっていけるのか、凄く不安でした。

でも、友達ができたんです。

男の人です。

しかも、二人。

お母さん、私、普通の人間として、生きられるかもしれない。

人間の食事でも、飢えを凌げました。

でも、心の中の空腹感は満たされないのです。

薬はもうあと僅かです。

どうしてもお腹が空いた時、私は、近所にある潰れた工場で、犬や猫や鳥を食べました。

二人は、私の大切な友人です。

けど、

けど、

私は二人が、

大好きです。

私は、二人を、食べたくない。

だから私は、普通の人間として、生きたいです。

薬が、終わりました。

最近、誰かにつけられている気がしてました。

その人間は、私が出入りする廃工場までついて来たのです。

男の人でした。

もしかたら、私が動物を殺しているところを見られたのかもしれない。

私の秘密を知られるわけにはいかない。

ちょうどお腹も空いていました。

だから私は、その男の人を食べました。

残さず食べました。

美味しかったです。

今日、カツヤに告白されました。

好きだって、言われました。

(日記はここで終わっている)

簡素な造りの、静かな部屋で。

ロッキングチェアーに座る一人の女性。

女性は、手に持つノートを閉じ、近くのゴミ箱に捨てた。

空腹を感じる。

でも、

私の心の中の空腹は…

心の中にぽっかり空いていた空洞は、

やっと、満たされた。

「もう、私は、一人じゃない。」

少しだけ大きくなったお腹を愛おしそうにさすりながら、

そこに宿る新たな命に向かって、

彼女は語りかける。

「ね? トオル。」

【カマキリ(螳螂、蟷螂、鎌切)】

昆虫綱カマキリ目(蟷螂目、学名:Mantodea)に分類される昆虫の総称。

【カマキリの共食いについて】

カマキリは性的な共食いが見られる。

カマキリの雌は交尾の最中に雄を食べる場合がある。

目的は、手っ取り早い栄養確保の為と言われている。

雄のカマキリは頭を喰われても交尾を継続し続ける。つまり喰われることを前提にしている節がある。

だが、そもそもカマキリは自分と同じ大きさ以下の昆虫を餌とみなし襲う性質があるので、オスメス、交尾の有無以前に本能としてオスを襲っているだけとも考えられる。

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私も何だか悲しい気持ちになりました。
私が苦手だった蜘蛛をキライでなくなった理由の元になる話があるのですが、卵を抱えた母蜘蛛が、自分の身体ごと蜘蛛の糸で編んだ巣で覆って卵が孵化するのを待つのですが、その間母蜘蛛は、何もたべずに卵を護り、そして、卵から孵化した子蜘蛛達が最初に食べる餌が母蜘蛛の身体なんだそうで…母蜘蛛は生きたまま子供達に食べられるのを耐えて、子蜘蛛がある程度成長するまで食べられ続け、そして死んでしまいます。何だかそんな切なさに似たおはなしでした。

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