中編5
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平和を脅かす存在

 ああ、また来たな。

俺は、ちらりとそれを確認すると、無視して竿先に視線を移した。

 ほぼ毎日、その子はやってくる。俺が波止場で釣りを始めると、しばらくしてその子は現れるのだ。

まあ、ほぼ毎日、釣りをしている俺も暇人なのだけど。ようやく俺は、こうして毎日、好きな釣りに明け暮れる平和な日々を送れるようになったのだ。

 少し前までの俺は、仕事に追われていた。毎晩毎晩、遅くまで残業を強いられ、精神的にも肉体的にも限界を感じていたのだ。そして、今は、こうして毎日夢のような釣り三昧の日々を送っている。自分の時間なんて皆無だった少し前の自分が嘘のようだ。

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 ところが、ここ1ヶ月くらい前から、俺が釣りを始めると、必ず男の子が波止場に現れ、遠くから俺をずっと見ているのだ。年の頃は、小学3・4年生くらいだろうか。別に、男の子が見ているのは不思議ではない。俺が不可解に思っているのは、その時間帯だ。ちょうどこの時間帯なら、子供は学校に行っているのではないだろうか。しかも、その男の子は、毎日同じ服を着ている。

 服など、最初は気にならなかった。ところが、ほぼ毎日俺を遠くから見ているので、気になりだしたら、服がまったく変わっていないことに気付いたのだ。服というのは、ずっと同じものを着ていれば薄汚れていくはずだが、その子の服は、まったく薄汚れることはなかった。

 正直、薄気味が悪かった。学校にも行かず、ただ毎日俺を遠くから見つめているだけ。しかも、毎日同じ服で。そんなことを考えていたら、なんだか、その子の様子も、青白く不健康に見えて、これってまるで。

 -幽霊のようではないかー

 そう考えると、俺はだんだんと気持ちが悪くなってきて、今日は釣りをする場所を変えたのだ。すると、男の子は現れなかった。俺は、ほっと胸をなでおろした。ようやく心置きなく釣りができる。やはり遠くからずっと見つめているだけの存在は気味が悪いし、だいいち子供があまり好きではない。

 ところが、そのあくる日、男の子は現れた。俺は、心臓がつかまれるほど驚いた。何故?どうして俺についてくるんだよ。そんなことを考えていると、その男の子はこちらに向かって歩いてきた。俺の心臓は早鐘のように鳴った。こっちに来る!

「おじさん、こんなところで何してんの?」

ついに、俺は話しかけられてしまった。

俺はしばらくして、答えた。

「釣りだよ。見ての通り。」

ドキドキしていた。この子は本当に人間なのだろうか。

「ふーん、何か釣れた?」

男の子は海を覗き込んだ。

「いいや、まだ何も。君は、学校に行かなくていいの?」

俺は男の子に問いかけた。

男の子は悲しそうな顔をした。

「学校・・・行けないの。」

一言そう言うと、口をつぐんでしまった。

「・・・どうして?」

俺はその先を聞いてはならないような気がしたが、つい口をついて出てしまった。

男の子は生気のない、真っ黒な瞳で俺を見つめた。

井戸の底を見たような、真っ黒な空洞のような瞳。

俺は、全身が薄ら寒くなった。

「ヒロト!」

遠くから、女の声がした。

青い顔をした、俺と同じくらいの年の女が慌ててこちらに走ってきた。

すると、男の子は振り向いて女の方を見た。

「ヒロト!ダメじゃない!勝手に外に出かけちゃ。心配するでしょ?」

幽霊ではなかった。

俺は、一気に脱力した。なんだ、脅かすなよ。俺がこの一ヶ月くらい抱えた不安はなんなんだよ。

でも、この子は何故、学校に行ってないのだろう。病気には見えない。

今、巷で問題になっている、不登校ってやつか。

服も同じなのはどういうことなんだろう。ただ単に、こだわりがあるってやつか。

そういう精神の病も聞いたことがあるような気がする。

俺は今度は、男の子に対する、同情の念が沸いてきた。

俺にもそんな時期があったな。出社したくない。出社拒否症とまでは行かなかったが。

「おじさんと、話してたの。」

男の子は女に、おそらく母親であろう女にそう話した。

俺は、不審者と思われるのは嫌なので、一応竿を置いて、ぺこりと頭を下げて挨拶をした。

俺は怪しいものではありませんよ。ただ、ここで釣りをしているだけ。

お宅の息子さんは、今日どころか毎日俺のところに来ていたよ。

世の中、物騒だからちゃんと注意しておくれ。

「おじさん?そんな人どこにも居ないじゃない。」

母親はそう言った。

「おじさんね、毎日釣りしてるんだけどさ。何にも釣れないの。釣れないのに、毎日毎日釣糸垂らしてんの。へんなの、このおじさん。」

悪かったな、毎日ボウズで。

「また、この子はそんなこと言って。」

母親は泣きそうな顔をした。

「ホントだよ。ここに居るじゃない。お母さん、このおじさんが見えないの?」

今度は母親は青ざめた。

「ここは、危ないのよ。ほら見て、はいってはいけません、って書いてあるでしょ?ここは人がたくさん落ちて亡くなってる場所なのよ?」

そうだぞ、坊や。ここは、お前の来る場所じゃないんだ。

 俺は2ヶ月前を思い出していた。精神的にも肉体的にもボロボロになった俺は、吸い寄せられるように、この海辺にやってきたのだ。

 ここから飛び降りれば、俺は楽になれる。俺は、もうこの世界から解放されたかったのだ。毎日毎日、怒鳴り散らす上司。仕事を頼めばすぐに嫌な顔をする部下。仕事もできないくせに、一人前に権利だけは主張する、今時の若者。いわゆる中間管理職の俺は、もう人生にウンザリしていた。恋人もなく、両親もとっくに他界し、俺は一人だった。誰も相談する相手もいない。もう、全てが限界だったのだ。

「いるんだよ、本当に。そこに、おじさんが居るの。お母さん、信じて。」

男の子は母親に手を引かれ、帰って行った。

 俺はほっと溜息をついた。明日からあの子は、もう来ないだろう。

俺にはやっとまた明日から、あの肉体から解放された平和な日々が訪れるだろう。

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ラストが逆転するお話ですね。霊は元々人ですから生きている人に干渉する霊もいれば自分の世界を壊されたくないから閉鎖的な霊もいるでしょうね。良く聞くのは自分が死んだ事を知っていて、生きている人に干渉してくる霊には関わるなと言われていますね。

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まさかの、主人公が幽霊だったという…
男の子は、視える人だったんですね…そして人と、霊の区別がついてないと。霊がこんな風に物思うなら、恐れる事はないのかも知れないですよね(^^)