中編7
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囚われた先輩 前編

雪が降り注ぐ寒い夜。

窓の外に散らつく淡く美しい氷の結晶を眺めていると、

去年の冬の出来事を、

そして、ある先輩の事を思い出します。

ふと寒気を感じ、私は部屋の電気ストーブの強さを上げました。

…家の中には、誰もいません。

私以外は、誰もいません。

街に灯る温かい光や、テレビから流れるクリスマスソング。心躍る人の喧騒。

どれもが私にとって、懐かしいものです。

…去年の冬。あの先輩は、今の私と同じ気分を感じていたのかもしれません。

そんな思いを、私は抱きます。

『綺麗な時だけ思い出して、涙に溺れる。たまにはそれもいい。』

これは、誰の歌の歌詞だったっけ?

もう思い出せません。

だって、孤独の果ての涙など、もう枯れ果ててしまったのだから。

一年前。

これは、私の会社に勤める、ある先輩の話です。

その先輩は、とても真面目な人でした。

仕事も正確で、後輩の面倒見もよく、

私も入社した頃はその先輩によくお世話になりました。

上司の信頼も得ていて、

成果もそれなりに挙げていて、

上司の補佐役を任されていて、

会社にも同僚にとっても、私にとっても、必要な人材でした。

…ところが、その先輩には、少し変わったところがありました。

なんというか…、

とても、家族思いの人だったのです。

「家族が家で待ってるから」と言って、

仕事はいつも定時に終わらせ、まっすぐ帰宅していきます。

同僚と出掛ける事も無ければ、飲みに行くことも一切ない。

同僚の言葉を借りれば、付き合いの悪い人でした。

他にも、「昨日、息子が初めて歩いた」「息子が俺の名前を喋った」「家族で⚪︎⚪︎に出掛けた」「息子の好き嫌いが多くて困るんだよ」

などなど、会話の最中、家族の…特に息子さんの話が絶えないのです。

まあ、仕事に支障がある訳では無いので、その程度ならどうということではありません。

ところがある日、

同僚の男性が、ある奇妙な事に気付きました。

その同僚は、私の同期で、例の先輩とっては、後輩にあたります。

先輩が、その同僚…後輩の彼に、旅行先で撮った家族の写真を見せました。

ところが、その写真には…、

先 輩 し か 写 っ て い な か っ た の で す。

写真の撮影の場所は、何処かの公園でした。

ですが、その写真には、彼が言う、家族の…息子や妻の姿は写っていまでんでした。

後輩は絶句しました。

ですが、当の先輩はそれを気にする風でもなく、

嬉々としながらその写真を撮った日の出来事を後輩に語ります。

いつもの先輩のように。さも当たり前の如く。

誰も写っていない写真の思い出を語ります。

「あの日は天気が良かった」

「運転中、息子が飲み物を零してしまって大変だった」

「息子が公園を駆け回ってて、滑って転ぶんじゃないかと心配だった」

後日、後輩の彼は私に言いました。「あの先輩、頭、おかしいよ」と。

それから数日後。

後輩はまた、先輩の奇行を垣間見ることになりました。

仕事の合間。休憩中。

先輩は、携帯電話で誰かと通話をしていました。

「パパだよ〜、元気してるか〜い」

どうやら息子と電話をしているようでした。

普段真面目な先輩の口調も、息子の前では砕けるようです。

ですが、先日の写真の一件を訝しむ後輩は、その先輩の姿に不審を感じ、

そっと通話中の先輩に近付きました。

そして、通話の内容を盗み聞きました。

そこで後輩は、戦慄します。

【ツー  ツー  ツー  ツー  ツー】電話から聞こえる音は、それだけでした。

通話口からは無機質なツーツー音しか聞こえません。

けれども先輩はそれを意に介することもなく、電話口で会話を続けます。

一体、先輩は、誰と会話していたのでしょうか?

後輩の彼は言います。「あの先輩、普通じゃねえよ。気持ち悪いよ」

会社が休日のある日。

クリスマス前日。

後輩の彼は、街のデパートで、先輩の姿を目撃しました。

先輩は、一人でした。

一人で、玩具販売のコーナーを歩いていました。

その時、先輩は小さく独り言を喋っていました。

いえ、よく見ればそれは、独り言ではありませんでした。

先輩は、右手を斜め下に差し出し、何かを掴んでいるような格好をしていました。

そして、時々、右手を差し出している斜め下に向かって、小さく何かをつぶやいていました。

まるで、見えない誰かに語りかけているかのように…。

後輩の彼は、言いました。

「あんな気持ち悪い奴と一緒に働きたくない…」と。

それからも、先輩の奇行は続きます。

さも家族思いの人のように、

家族の写っていない写真を人に見せ、

誰にも繋がっていない携帯電話と会話をしています。

私にも、その家族写真?を見せてくれました。

ですが、先ほども行った通り、多少の奇行はあっても、仕事での先輩は優秀です。

私達の他にも、先輩の奇行について知ってる同僚はいるのでしょうが、その件について触れる人はいませんでした。

ですが、後輩の彼は、別でした。

後輩の彼は、もともと、先輩が嫌いでした。

いえ、行動力はありますが少々軽薄な人物だった彼は、

寡黙ながらも真面目に成果を上げる先輩が、苦手でした。

その為か、彼は、先輩の奇行の不気味さに嫌気がさし、

ほんの少しの悪意を抱き持って、先輩の奇行を、上司に報告しました。

話を聞いた上司の表情が曇ります。

「彼のその件なら、私も知っている。だが、彼のその件については、触れないで欲しい。」

上司は、後輩の彼にそう言いました。

「なぜですか!」

後輩の彼は、上司を問い詰めます。

「わかった。教えよう。」

上司は、例の先輩の身に起きた出来事を聞かせてくれました。

…………

…………

二年前。

新婚だった彼には、生まれたばかりの息子がいた。

彼は、息子を、妻を、家族を、とても愛していた。

ところが、妻がストレスの為か、育児ノイローゼになり、

その事に彼も大いに悩み、心を痛めた。

そして、彼も精神的に段々と追い詰められて行った。

ある時。

彼は妻の気分転換の為か、家族三人で旅行に出掛けた。

ところが、その旅先で、

彼ら家族は、事故にあった。

旅行先の、海の見える岬から、転落したのだ。

だが、海へ落下したことと救助の速さが幸いし、彼は助かった。

…しかし、妻と息子は、違った。

崖下の岩に直撃した妻と息子は、即死だった。

落下の衝撃による損傷と長時間海水に晒された遺体は、無残な姿だったそうだ。

一週間ほど意識を失っていた彼が目覚めた時。

すでに家族の遺体は、荼毘に付され、灰と遺骨となっていた。

葬儀の時間…、喪に服す時間とは、愛しい者との最後の別れの時間であり、哀しみと決別する時間でもある。

ところが、彼は、その時間の一切を、奪われた。

結果、彼の中に残ったのもは、

哀しみに囚われ続ける自身の感情と、決別できない家族への愛情だけだった。

上司は、語ります。

きっと、彼の中では、家族はまだ生きているんだ、と。

彼の哀しみの時間は、まだ終わっていないのだ、と。

彼は、存在しない家族の幻影と、今も一緒に暮らしているんだよ、と。

それはきっと、彼が哀しみの感情から囚われなくなるその時まで続いていくんだ、と。

上司の話を聞いて、後輩の彼は暫しの沈黙の後、口を開きました。

「で、ですが、だからと言って、先輩の、あの、おかしな行動を放っておくんですか?」

後輩の彼は、そう上司に食ってかかります。

「…この件にはね、一つだけ不審な点があるんだ。」

後輩の彼の言葉を受けて、上司は話の続きを語り出しました。

…………

転落事故のあった岬はね、

普通なら転落事故なんて起きる場所じゃないんだよ。

故意にフェンスを乗り越えるような危険な行動をしなければ、ね。

そして、事故があった日、彼が妻の手を引いて崖に向かう姿が目撃されている。

もしかしたらあの日、彼は、日々のストレスに耐え切れず、家族とともに無理心中を決行しようとしたのかもしれない。

もしそうだとしたら、今の彼が抱える哀しみは、想像がつかないほど過酷なものだろう…。

だから誰も、その話には、触れないんだよ…。

「まったく…。俺には理解できねえよ…」

そうぼやく後輩の彼から、私は、先輩の身の起こった不幸な出来事を、聞きました。

その私の視界の先で、

今日も先輩は、一人、家族の写っていない写真を、ぼんやりと見つめていました。

ところが、後日知ったのですが、

上司から聞いた、先輩の事故に関わる話には、まだ続きがあったのです。

その話とは…、

「けどね、もうひとつ。興味深い目撃情報があるんだ。

彼ら家族が、崖から墜ちる寸前。

彼は、左手で妻の手を掴んで、崖に向かって歩いていた。

そして、彼自身も、右手を真っ直ぐ前に…崖に向かって差し出していて…。

それはまるで、

彼自身も『見えない何かに手を引っ張られている』

そんな姿だったそうだ…。」

後編に、続きます。

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じん様、その通りです。(少し言葉は変えてますが)B'zのONEです!
よくご存知で!

あ、すみません。違いました。B'zの『ONE』は「愉快な時だけ~」でした。

B'zの『ONE』ですね