長編10
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死体は歩かない其ノ伍

『ふぇ!?』

少し前に訪れた心理学部のとある部屋の前で、私は悲鳴に近い声をあげた。

『か、帰った…?』

『うん、二人ともついさっき』

絶望的な顔をして天を仰いだ私に、木ノ下さんが申し訳なさそうに声をかけてくれた。

『ごめん、明星さん。体調悪いって言うから帰しちゃってさ…』

『あ、いえ、謝らないでください。私が急に来たのが悪――夜魅!!』

私が突然大声をあげたので、木ノ下さんがビクッと肩を震わせた。

廊下の向こうから絶世の美女が走ってきたと思ったら夜魅だったので、思わず叫んでしまった。

『麗奈さん…!お待たせしました…』

『夜魅!もう一回あんたの家行くで!』

『え、さっき行ったばかりじゃ…』

『違う!前の家や!木ノ下さん、わざわざありがとうございました!失礼します!』

突然のことに目を丸くしている木ノ下さんにそれだけ言うと、私は夜魅の手を取って走り出した。

そして、大事なことを聞くのを忘れていたことを思い出して走りながら振り返った。

『木ノ下さん!!事件の日、誰かテニスバッグ持ってました!?』

木ノ下さんは一瞬考えたあと、すぐに、私の期待していた答えを切り返してくれた。

大声でお礼を言ってから、廊下の角を曲がった。

こんなに暑いと言うのに、夜魅の手は冷たい。

『あ、あの、麗奈さん!?』

『バスの中で説明するから!急がないと間に合わへん!』

走りながら、腕時計を確認する。バスの時刻まであと10分…ぎりぎりか。

夜魅は、今この場で追及するのを諦めたのか、私と一緒にひたすら走ってくれていた。

『……あ、夜魅!』

『なんですか!?麗奈さん!』

『山田さんと矢真田さんの下の名前って、何!?』

『お二人とも、ユウキです!字は違いますけど!』

『あ、やっぱり!』

『由梨花さんと佳苗さん、仲直り出来たら良いですね!』

『大丈夫!あの子ら単細胞やから!』

走りながら、二人して声をあげて笑った。正直、笑っていられる状況ではないことは、私が一番わかっている。夜魅も、私のただならぬ雰囲気を感じ取っているはずだ。

でも、楽しい。こうやって、二人で手を繋いで、全力疾走していることが。

きっと、こんなことはもう二度とないのだろう。なぜか、そんな気がしていた。

ぎりぎり出発直前のバスに飛び乗り、二人がけの席に腰かけた。

二人とも息が上がってしんどいが、夜魅はさっき聞きたかったことを私に問うてきた。

『麗奈さん、私の前に住んでいた家に行きたいって…?』

『ミヨちゃんの命日って、今日やんな?』

『え?あ、はい、そうですが…』

『ミヨちゃんを愛していた人が、ミヨちゃんに会いにいく気がしてさ…』

『え…もしかして』

『断定は出来ひんけどさ、そんな気がす……あ』

『え?』

私は窓側に座っている夜魅に向き合って頭を下げた。

『さっき…失礼な発言をして申し訳なかった…』

夜魅は少し間を空けて答えた。

『いいえ、私もイライラしていたのが悪いですし、麗奈さんの推理を聞きたいって言っときながら、逆ギレしてしまいました…すみません』

私がゆっくり顔を上げると、微笑んでいる夜魅と目があった。

良かった。怒ってなかった…。

『それより、万が一家に誰かいたら、どうするんですか?』

『ノープラン』

『ふぇ!?』

ふぇ、も何も 本当に何も考えていないのだ。何となく行かなきゃいけない気がして、何となく夜魅を呼ばなきゃいけない気がして呼んだだけなのだ。

『…まぁ、なるようになるやろ』

『……』

夜魅は呆れたように黙りこんでしまった。そして顔を前に向けてうつむき加減でいたが、何故かふと微笑んだ。

『夜魅?』

『麗奈さんを……信じます。ずっと、信じてきました。あのとき…食堂でお声をかけたのは、絶対に間違いではなかったと思っています。もし、この先に真実がなかったとしても…私は大丈夫です。後悔はしていません。…だから信じます』

『夜魅……』

少し湿っぽくなった雰囲気を変えるように、夜魅はこちらに向き直って、悪戯っぽく笑った。

『ノープラン、でも信じます』

『良かった!!』

私たちは、また声をあげて笑った。

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――――――――――――――――――――――

バス停に到着する頃には、すっかり辺りは薄暗くなってしまっていた。

『…行こう。夜魅』

『…はい。麗奈さん』

夜魅は、あの日と同じ白いワンピースを着て、軽々と山道を登っていく。

辺りが暗いから、夜魅だけが浮き上がって見えて、あぁ、本当に夜魅は綺麗なんだなと思った。

『麗奈さん、大丈夫ですか?』

『うーん…。大丈夫…』

夜魅の前の家が見えてきた。

『……』

『……麗奈さん』

『…ん?』

『…誰かいますね』

『…うん』

明らかに人の気配がするし、なにより家の庭に当たるところが明るい。

庭まであと数メートルのところで、夜魅が止まった。よく見ると、俯いて震えている。

『…夜魅』

『……麗奈さん、麗奈さんは…もうわかってるんですよね…そこにいるのが…誰なのか……』

『…うん、まぁ…予想はしてる…』

『……』

夜魅は何か言いたそうにしたが、言葉を飲み込んだ。

そして、私より先に庭へ飛び出した。私も直後飛び込む。

予想は私を裏切らなかった。

薄汚れた白いワンピースを纏い、殆ど抜け落ちてしまった黒い長い髪の白骨死体の横に寝そべっている矢真田さんを、キャンプ用のランタンが照らしていた。

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『……優輝…』

夜魅が呟いた。

矢真田さんは、驚いた顔でこちらを見たが、すぐに死体の――ミヨの方へ視線を戻した。うっすらと、笑みさえ浮かべている。

『…明星さん…知ってたん?…俺が……』

『…矢真田さん、テニス部でしょ?ラケット入れる鞄に、ミヨちゃんのことを入れるのは可能ですよね』

『あぁ…そうや……霊安室から…連れてきた…家に……帰したかった…』

夜魅は静かに泣いていた。

『…警察のチェックはどうやって免れたんですか…?』

『…全く同じ鞄用意して…提出した…俺、このブランドしか使わんから…』

矢真田さんが顔だけ持ち上げて、縁側を目線で示した。

そこにはボロボロにくたびれた黒の大きめのテニスバッグが無造作に置かれていた。

『なるほど……。矢真田さん、これから、どうするつもりですか?』

矢真田さんは軽く笑った。

それと同時に、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。私には、物語の終焉の音に聞こえた。

『覚悟は出来てる、ってことですか…』

『こうやって…1年間、心の整理をつけることができた…ミヨの側にいれた…御家族には申し訳なかったと思てる、けど…俺は幸せや』

そういって、矢真田さんは微笑みながらミヨの髪を愛おしそうに撫でた。笑うわけのない髑髏(されこうべ)が、笑った気がした。

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―――――――――――――――――――――

腕時計は、夜の9時を指していた。

私と夜魅は、二人で庭の縁側に座り、眼下に広がる夜景を眺めていた。

『いやぁ、警察に絡まれんで良かったなぁ』

『……』

『矢真田さんが、この人は通りすがりの人ですって言い訳してくれたから助かったようなもんやんな』

『……』

『今から事情なんて聞かれてたら、家帰れんの夜中やで。無理無理ー!!』

『……』

『……夜魅』

夜魅はずっと俯いている。さっきから何を話しても反応はない。

『夜魅……いや、魅夜ちゃん』

『夜魅でいいです』

やっと発した言葉は、少し震えていた。

『夜魅…』

『…いつから、気付いていましたか?私が…私が……』

『少し前から』

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気付いていた。バスの運賃を払わずに乗っていたこと。私以外の人と会うことを渋っていたこと。マスターは私のことが“見える”という表現。私と夜魅が話しているとき、周りの人が私のことをチラチラ見ていたこと。

そして、矢真田さんが夜魅の姿を全く見ていなかったこと。

夜魅が、ここに存在していないということの証明材料は、十分にあった。

『夜魅は、魅夜ちゃんなんやね?』

『…はい』

夜魅は溜め息をつくと、ポツリポツリと話し出した。

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死んでからの記憶は全くなく、気がついたら自分の仏壇の前に座っていた。でも、そこに遺骨はなく、両親の会話を聞いて、私の体がどこかに消えていることを知った。どうしていいかわからず、フラフラと彷徨っているところをマスターに見つけてもらい、マスターから私の存在を聞いたこと。

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『ちょっと待って。私とマスターは初対面やで?』

夜魅はきょとんとしてから、ハッと表情を変え、笑った。

『あははっ、すみません。マスターは麗奈さんのことを一方的に知ってたんですよ。麗奈さん、三十三間堂で、不思議なお婆さんに会いませんでしたか?』

三十三間堂?

………あぁ、思い出した。確かに会った。

『それがどうしたん?』

『その人、マスターのお母さんです。昔は有名な霊能者だったそうです』

霊能者ぁ?

正直私はオカルト研究会――じゃなかった 由梨花と佳苗に付き合わされてるだけで、根本的に幽霊とか信じないタイプなので、そういうのは信じがたい。

しかし見たことあるのは事実だし、現に今目の前にいるのは……

『…で、そのお婆さんがどうしたん?』

『マスターが、私が困っていることをマスターのお母さんに伝えたら「麗奈って娘に助けを求めろ」って言われたそうで…。麗奈さんには、素質があるって。マスターのお母さんは、もう歳だからって…』

素質ってなんだよ、とは思ったが、これで全てが納得いった。

つまり、あの日から私と夜魅が会うのは必然だったのだ。

『そして私は、双子の姉の夜魅として、私の体を探してもらうことにしたんです。……私の都合で、こんなに巻き込んでしまって、本当に申し訳ありませんでした』

深く頭を下げる夜魅。夜が更けてきたせいだろうか、心持ち、輪郭がぼやけてきた気がする。

『嫌やわぁ、謝らんといて。私ら、友達なんやから、助けて当然やんか!』

私の言葉に、夜魅がぱっと顔を上げた。

『友達…?』

『うん。え、ちゃうん?』

私が笑うと、夜魅も微笑んだ。それと同時に、綺麗な顔に涙が伝った。

『麗奈さん…私……』

辺りはもうほとんど漆黒で、そこに浮かぶ夜魅の白いワンピースさえ、まるで透けているように少し黒く見える。

『ちょっと!泣かんといてや!美人に涙は似合わへん』

『えへへ…すみません』

夜魅は涙を拭った後、隣に座っている私の手をとった。

『?』

『麗奈さん……もう、お気付きだと思いますが…私はもう』

『わかってる』

夜魅の言葉を無理矢理遮った。

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わかってる。夜魅の体が少しずつ、闇にとけていくのぐらい、わかってる。私の手を握っている夜魅の手も半分透き通って、私の手が見えている。

『……夜魅…お別れやな……』

『麗奈さん……』

また夜魅が泣くから…私まで泣いてしまう。

『麗奈さん…本当に…ありがとうございました……出逢えて良かった……』

『私も…ありがとう。一夏の思い出やわ…一生、忘れへん。約束する…』

夜魅はそれを聞くと、安心したように微笑んだ。

『…私……もう、消えちゃいますけど…いつでも、麗奈さんの側にいて…麗奈さんを守ります……私を助けてくれたお礼です…友達、ですから』

私はわざと明るい声を上げた。

『わ!嬉しいわ!こんな美人な守護霊、他におらんやろ!』

二人の笑い声が、暗闇に響いた。

『麗奈さん…』

『夜魅…』

『……またいつか、何十年か後…会いましょう』

『もちろん。私は絶対しぶとく生き延びるババアになりそうやからなぁ、ちゃんと待っててや?』

『あははっ、そんな気がします!……待ってますよ』

夜魅の手を握る力が強くなった。

涙を浮かべた目で、しかし、力強く輪とした顔で、夜魅はしっかりと言った。

『ありがとう。麗奈さん。さようなら』

私は、涙が邪魔してもう何も言えなかった。

でも、笑顔でいると決めていた。せめて、せめて夜魅が消えるまでは笑っていたかったから。

夜魅の足が、腰が、胸が、闇に消えていく…。

最後まで、手は離さなかった。

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夜魅の笑顔が消えたとき、私は声を上げて泣いた。体の全ての悲しみを吐き出すように、泣き続けた。

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―――――――――――――――――――――

『何なん!?同一人物じゃ無かったん!?』

『だぁかぁらぁ、テニスサークルには矢真田優輝と山田勇気がいるの。ヤマダじゃなくてシマダ』

『普通それヤマダって読むやろ!』

『いや知らんがな』

仲直りした二人と私は、食堂で例の巨大パフェを頬張っていた。どちらもモノの見事に恋に破れたのだ。まぁ矢真田さんは今刑務所だが。

『そんなぁ……』

『その矢真田さん、何の罪なんやろなぁ…大学のイメージ下がるやん』

『でもイケメンやで!』

『関係ないわ。なぁ麗奈、詳しく知らん?』

私は適当に誤魔化した。

その話題に興味をなくしたのか、由梨花と佳苗はまたギャンギャンと面食いだなんだと罵りあっている。仲が良いんだか悪いんだか。

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きっと二人に真相を話しても信じてくれないだろうし、この思い出は、私が独り占めしておきたかった。

欲張りですね、と夜魅は笑うだろうか。

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視界の端に、白いワンピースが通ったように見えて、思わず目を向けると、窓の外に広がる真っ青な空に白い雲がひとつ、ふわりと浮かんでいた。

そこに、夜魅の笑顔が重なった気がした。

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